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per l/a psicoanalisi

手段性の圏域へ

2016-10-19 22:03:52 | 精神分析について
症状から倒錯的なリビードへ迂回した。そこから、対象リビードと自我リビード(ナルシシズム)という対立(葛藤)を見出した。 何よりも、症状における抵抗点は、この二極 (*1) だった。

〔*1: これを、精神分析における倒錯的享楽の二源泉と呼びたい。〕


リビードは、対象から自我へと一部帰還する (*2) 。この帰還したリビードが、言わば症状における身体との固着となり、抵抗する。 ラカンはこれを何と呼んだか? ここから、死の欲動とトラウマは近い。 エロスを辿ったわけだが、ナルシシズムへの帰還を通じて死に行き着く。

〔*2: 詳しくは、フロイト「ナルシシズム入門」(1914) の一次ナルシシズムと二次ナルシシズムの区別を参照。〕


問題になっているのは、無意識の形成物から、症状形成の“経路”だ。

身体に固着した、主体の運命は? これは、精神分析でしか探究し得ない。

こう言って良ければ、精神分析はその目的を、純粋な手段へと変容させるのかも知れない。 主体の運命は、“かつての”目的や理想に囚われている。それは、無意識を通すことで、“現実的な”手段へと変わる。



《私は、享楽することとしての知の想定された主体として、知の想定された主体と同一化するある倒錯者、享楽するモードに関するある確信〔必然性〕を持つ主体について語ります。享楽することとして知らないことは、よくある診断のある種の動機です。このためラカンは、ある精神分析的治療は、倒錯の利得 un beneficio perverso を認めるべきと言い得ました。明らかに、“倒錯 perversione”の用語のこの使用は、古典的なそれではありません。この場合、倒錯の利得 il beneficio perverso は、人が享楽することのできるモードについて、少なくとも一つの理念を少なくとも持つこと avere almeno un'idea に存します。》J.-A. Miller, conferenza teatro Colieso
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