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経験と救済—フロイトの心的装置のメカニズムとアガンベンのメシアニズム的身振り

2019-02-07 04:24:29 | Essay
救済とは何か——?(あるいは、経験とは何か——?)

それを記憶との関連で考えられないだろうか?

記憶には、無限の受け入れ作用とそれを再現するような力が備わっている。記憶における無限の受け入れ作用。それが、物質的な「表面」であることはいいだろう。だが、この表面——知覚-意識 W-Bw システム——に徴された記録は、“知覚の内容”を保存はするが“持続的な痕跡”は保存しない。

厳密に言うなら、心的な装置の表面-物質(知覚-意識 W-Bw システム)は、“記憶の内容”を保存する役割を担っており、“記憶痕跡”ではない。この知覚-意識システムのシステムの下にある「記憶システム」は、受け入れた興奮の持続的な痕跡を保存する。

フロイトが述べるところによれば、知覚システムにおいて発生する意識という現象は、(記憶システムの)持続的な痕跡の“代わりに”発生するのだという。

フロイトはこのメカニズムを説明するために、「マジック・メモ」という市販のボードを採用する。マジック・メモは二層になっており、その度に記載内容は消滅するが、刺激を受け取るセルロイドと、刻印された内容を保存しているパラフィン紙に分かれ - 接触している仕組みになっているのだという。外部からの刺激を受け取るセルロイドは、その下の痕跡を保存するパラフィン紙の〈刺激保護〉にもなっている。だが、本来の刺激を受け入れる層は、パラフィン紙である。

つまり、記憶の“登記のメカニズム”において、心的システムの表面は外界からの刺激を保護し、実際の持続的な痕跡を保存するのは、その下に記憶システムに存している。そして、意識はその記憶システムの痕跡の“代わりに”発生するのだった。


ここに、端的に言うなら、経験と救済の問題を見ることができるかもしれない。

経験とは知覚の無限の受け入れの表面を構成し(それが、無意識の経験やエスの経験であれ)、一方で、救済とはそれが記憶システムに痕跡として保存されることに由来している問題である。

だが、保存 con-serva〔共に-救済〕された痕跡は、時宜を得てまた再び意識に現れてくる。

《この装置は、“分離されているものの、互いに結びついた二つの構成要素——システム——に分割されているため”に、この両方の機能を結合するという問題を解決できるのである。》(Freud, 1925)

《人間の心的装置では、刺激を受け入れる層である知覚-意識 (W-Bw) システムは、持続的な痕跡は形成せず、記憶の基礎はこれに接触する他のシステムが担当している。》(ibid.)

つまり、前者に「経験」を、後者に「救済」を重ね合わせている。だが、経験とは実際は、外界からの〈刺激保護〉の役割も得ている。

確かに、マジック・メモでは一旦表面に記載された文字が消去されてしまえば、その下の痕跡は“再現”はできない。だが、人間の記憶のメカニズムにおいては、「再生」の力が備わる。つまり、経験は、その都度一度限りの儚く消え去るような性質をもつ経験でしかないが、それが痕跡として記憶に保存される限りにおいては、再生する。

その意味では、経験と救済は相互排他的な性質を持っている。意識と記憶が相互排他的な性質を持つように。


‪ここに私は、アガンベンの「身振り il gesto」の問題さえも見ないではいられない。‬

«Questa tensione carica di motilità, questa speciale temporalità messianica e non lineare del gesto, si può esprimere anche attraverso la sua incessante ripetizione.» (Agamben, Per un'antologia e una politica del gesto)
「この運動性を帯びた緊張(この特殊なメシア的で非線形的な身振りの時間性)は、絶え間ない反復を通じても表せられうる。」(アガンベン「身振りの存在論と政治学のために」)

«Questo fragile equilibrio non è una negazione - è, piuttosto, una scambievole esposizione, non una stasi, ma un reciproco tremare della potenza nell'atto e dell'atto nella potenza.» (ibid.)
「この儚い〔脆い〕バランスは否定性ではない。むしろ、相互的な呈示であり、静止ではなく、しかし、現勢力における潜勢力の、また潜勢力における現勢力の相互的な点滅〔揺れ動き〕である。」(同)


《マジック・メモの場合には、外部からの接触が断たれるが、心的装置についてのこの仮説では、刺激伝達の流れの不連続性によって接触が断たれる。そしてマジック・メモでは物理的に接触が断たれるのであるが、わたしの仮説は知覚システムが定期的に励起されなくなることによって、外部との接触が断たれると考えている。さらに、知覚-意識 (W-Bw) システムにおけるこの不連続性が、時間概念の根本ではないかと考えられる。》(Freud, 1925)


フロイトとアガンベン——。両者が時間性の根本的な性格の内に不連続性や非線形性を見とっている事実は、奇妙な一致と言わざるをえない。

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