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2013-04-01 00:01:00 | Twitterから
「コギトをつうじて先取りされる存在はやはり1である宿命を負って反復へと導かれる」——ラカン『精神分析の裏面』


「痕跡の中に記された pas(歩み、否定)がそれを pas と読む者の発音の中に移し換えられるときに、この pas は、それが le pas(歩み)を意味することを人が忘れるという条件の下で、まず人がエクリチュールの音声化と呼ぶものの中で pas(否定)を表象するものとして役立ち、同様に pas(歩み)の痕跡を痕跡 pas(否定)に場合によっては変えるのに役立つ。」——ラカン『同一化』

「われわれが pas から、剥奪 (privation) の純然たる事実をはっきり含意する何かを作り出さねばならぬ、ということだろうか。実際このようにして、あらゆる面に当たり、諸文例をうまく一つのグループにまとめているかぎりにおいて、確かにピションの傾向を示していることになるだろう。」——ラカン『同一化』

※ここではピションからラカンが拝借したタームの〈排除 forclusion〉ではなく、〈剥奪 privation〉が用いられていることに留意がいる。



◇モニク・ダヴィド=メナール

〈哲学を性格づけているのは、欲動と思考との間でつねに活動している結びつきの忌避であり、これは時折成功している。成功しているというのは、概念への移行が実現しているような暴力——おそらくは自己の殺害——と引き換えに手に入る概念的秩序においては成功している、ということである。〉


「女性は、彼女がファルスの問題系において男性に期待しているものが失望に終わるということを知らないわけにはいかない。なぜなら、ペニスはファルスではないからである。そしてまた女性は、ファルスが具現化しえないような彼女の性生活の部分を、いずれにせよ、幸福な経験の中ですら、独力で、あるいは別の仕方によって象徴化することになるだろうということを、知らないわけにはいかないのである。」

「性関係は存在しない、つまり、愛は〈他者〉の再臨ではなく、また両性の完結性および相補性の経験でもない、という主張は、女性と男性とでは同じ意味を持っていない。男性はこれによって、彼をファルス的ナルシシズムから脱出させてくれる対象に対する関係を説明する。女性はこの定式によって、ペニスとファルスとの間の分離の経験を説明するのである。」

「ラカンは次のように言う。男性がファルス的なものの同語反復から抜け出すのは、自らを例外とすることによってのみであり、このことが愛情生活に関する臨床において対応しているのは、愛というナルシシズムを脱することにほかならない。」


《ラカンによれば、存在命題が形式化している例外のおかげで、〈一者〉が存在する——つまり「Y a d'l'Un」——あるいはさらに「Unien」が存在するのであり、これは同一化の特徴の一なるもの〔l' unaire〕からは区別される。》

《主体は、もしそれが同一化によって構成されているとすれば、「同じもの」ではない。一なるもの〔l' unaire〕とは一つのもの〔l' un〕ではないのだ。それは、全体的なもの、統一化されたものを禁じる。逆に、主体が持っている、フロイトが言っていたところの「他に同じようなもののない」唯一の〔einzig〕ものとして主体の生を際だたせるような反復において、主体は告知されるのである。》

《「現実存在を主張することとは、まさしく、ゼロという数字を否定することにほかならない」(フレーゲ)。言語の指示機能は、フレーゲにおいては、(論理的定数であるような固有名に対しては除いて)量化を経ることによってのみ、物に対する言葉の関係を認めるという原理に従うのである。》

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