公的領域と私的領域の境界の不明瞭性。それは、初期のアガンベンのテーマにもあったがアーレントに遡るなら、それは社会の解放的な性格—それは自由とは異なる—に由来していたということになる。
そして、“動物としての”人間の生死は、私的なものとして元来なら公的領域からは隠されていた。では、“人間としての”人間の生死とは、人間の公的領域における活動と関係があると推測できる。(注意を喚起するなら、私はここで死を二重化している)
だが、アーレント的な分節化によれば、社会的であることとは、公的であるとは限らない。(彼女は既に、社会において私的領域が拡大し、公的領域が衰退していく“兆候”を、全体主義に対する分析やマルクスへの批判的な読解から見とっていた。その意味で、ラカン派が事あるごとに問題にしていた、大文字の他者の衰退や父の名の衰退といった事件性も新たな光に当てられる。)
あるいは、我々のギリシャ的ポリスへの参照とキリスト教の超自然的な愛のあり方もまた、二人の女流思想家を対比させる形で、理解されうるだろう。そこでは、奴隷と犠牲、あるいは労働と献身といった、精神分析においてはマゾヒズムや女性性の謎というテーマにより深淵に位置されていた困難が浮き彫りになる。広義にそれは、イタリア哲学においては“根源的な受動性”として取り扱われていたことは、明記していい。
それらのパッシヴな思考は、我々の意志や意欲、欲望という問題を篩にかけないわけにはいかない。ギリシャ的な倫理の行為的性格でさえ、夜を迎える。
夜。夜なくしては、“新たな”昼もない。
思考が夜を迎えるとは、それが新たな光の元に照らし出されることを含む。