母子愛の感動物語と思って見に行ったらなんとホラーであったとは! 先入観なしに見たものだから、もう~、怖くて怖くて。途中で「早く終わってほしいよ~」と思うほどだった。舞台が大きな古びた屋敷ということもあって雰囲気は「アザーズ」に似ている。母子の愛情を描いた点でも似ているのだが、あの手のどんでん返しはない。至るところ伏線だらけで、ちょっとしたシーンがすべて最後に生きてくるところは見事な脚本である。ただし、謎をまき散らし過ぎたために、すべてが解明されたわけではなく、特にラストシーンの解釈や受け止め方は人によってまちまちであろう。
ストーリーは全編ネタバレみたいなものなので詳しくは書かない。
37歳のラウラは、自分がかつて幼い頃を過ごした海辺の孤児院を買い取り、障害を持つ子どもたちのホームを運営しようとしていた。海辺にぽつんと一軒だけ建つその大きな屋敷には悲しい過去が眠っていたのだけれど、ラウラはそれを知らない。ラウラには医者の夫と7歳の息子シモンがいるのだが、そのシモンは養子であり、不治の病を患って余命いくばくもない命だった。長らく閉鎖されていた孤児院を買い取ったラウラ一家はその家に引っ越してきた。息子シモンは遊び友達のいない寂しい日々を紛らわすためか、空想の友達たちと遊び始める。シモンは「6人の子ども達がこの家に住んでいる」と言い張り、日ごと、彼らとの遊びに熱中し始める。そんな様子を気にするラウラだが、孤児院をオープンすればシモンの友達もできて寂しさも紛れるだろうと考えている。ようやくオープニングパーティにこぎつけたその日、シモンが忽然と失踪する。ラウラや警察の懸命の捜査にも拘わらず、シモン失踪から半年が無為に過ぎた……
古い孤児院には子どもたちの霊が住み着いているのだろうか? もしそうだとしたらなぜ? ラウラの前に現れた正体不明の老女は息子シモンの失踪に関係があるのだろうか。シモンの絵に描かれた6人の子ども達はいったい誰なのか? 息子が生きていると信じて疑わないラウラはどうしてもシモンを見つけ出そうとあらゆる手だてを考え、ある日、霊媒師を呼んでくる。霊媒師の口から語られた驚愕の出来事とは?!
全編に亘って効果的な音楽の使い方といい、ドアの軋む音や古い廊下に響く靴音、といった古典的な音の効果で人を怖がらせる才に長けた映画である。広い屋敷というのはそれだけで怖いものであり、ましてや幽霊が住み着いているとなったらもういてもたってもいられません。普通はそんな怖いところからはさっさと退散するものだけれど、子ども達の幽霊にシモンを連れ去られたと信じるラウラは決して屋敷を出たりしない。むしろ、積極的に亡霊達と会話しようとするし、なんとかしてシモンの行方を知りたいとそれはもう必死になる。その鬼気迫る姿は母の愛と執念の権化であり、あまりの恐ろしさに身もすくむ。血しぶきが舞うわけでもなく残忍な殺戮の場面が出てくるわけでもないのにこの怖さは一級品だ。ところどころ、思わず声を上げそうな驚愕の場面もあって、それはそれは恐ろしいのでこれから見る人は覚悟が要ります。
映画を見ているあいだはただ恐ろしく、そして宝探しの謎解きがスリリングで息をもつかせぬ展開だったが、最後にあまりの悲しさと切なさに思わず落涙してしまった。「永遠のこどもたち」とは、大人になれなかった子ども達の物語。ピーターパンの住むネバーランドは、大人になりたくないのではなく大人になれなかった子ども達の住む世界ではないのか? そこは死者の怨霊が住みつく場所かもしれないし、永遠のこどもたちの楽園かもしれない。
映画を見終わって3日が経つと、また違う感慨が蘇る。そもそもラウラは短い命の養子をなぜもらったのか? 自分より先に死ぬとわかっている子どもを育てながら、その子が死んだかもしれない事実をなぜ受け入れられないのだろうか。その子育てはひょっとしたら究極の<女のわがまま>かもしれないではないか。あるいは、孤児院で起きた悲劇にラウラは本当に無罪なのだろうか? この映画は、いろんな解釈を可能にする謎を随所に散りばめ、観客に母の愛の深さと恐ろしさを問いかける深い作品だ。
見終わった後、さまざまに語り合いたくなる映画です。
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永遠のこどもたち
EL ORFANATO
スペイン/メキシコ、2007年、上映時間 108分
監督: J・A・バヨナ、製作: マル・タルガローナほか、製作総指揮: ギレルモ・デル・トロ、脚本: セルヒオ・G・サンチェス、撮影: オスカル・ファウラ、音楽: フェルナンド・ベラスケス
出演: ベレン・ルエダ、フェルナンド・カヨ、ロジェール・プリンセプ、ジェラルディン・チャップリン、マベル・リベラ、モンセラート・カルーヤ
ストーリーは全編ネタバレみたいなものなので詳しくは書かない。
37歳のラウラは、自分がかつて幼い頃を過ごした海辺の孤児院を買い取り、障害を持つ子どもたちのホームを運営しようとしていた。海辺にぽつんと一軒だけ建つその大きな屋敷には悲しい過去が眠っていたのだけれど、ラウラはそれを知らない。ラウラには医者の夫と7歳の息子シモンがいるのだが、そのシモンは養子であり、不治の病を患って余命いくばくもない命だった。長らく閉鎖されていた孤児院を買い取ったラウラ一家はその家に引っ越してきた。息子シモンは遊び友達のいない寂しい日々を紛らわすためか、空想の友達たちと遊び始める。シモンは「6人の子ども達がこの家に住んでいる」と言い張り、日ごと、彼らとの遊びに熱中し始める。そんな様子を気にするラウラだが、孤児院をオープンすればシモンの友達もできて寂しさも紛れるだろうと考えている。ようやくオープニングパーティにこぎつけたその日、シモンが忽然と失踪する。ラウラや警察の懸命の捜査にも拘わらず、シモン失踪から半年が無為に過ぎた……
古い孤児院には子どもたちの霊が住み着いているのだろうか? もしそうだとしたらなぜ? ラウラの前に現れた正体不明の老女は息子シモンの失踪に関係があるのだろうか。シモンの絵に描かれた6人の子ども達はいったい誰なのか? 息子が生きていると信じて疑わないラウラはどうしてもシモンを見つけ出そうとあらゆる手だてを考え、ある日、霊媒師を呼んでくる。霊媒師の口から語られた驚愕の出来事とは?!
全編に亘って効果的な音楽の使い方といい、ドアの軋む音や古い廊下に響く靴音、といった古典的な音の効果で人を怖がらせる才に長けた映画である。広い屋敷というのはそれだけで怖いものであり、ましてや幽霊が住み着いているとなったらもういてもたってもいられません。普通はそんな怖いところからはさっさと退散するものだけれど、子ども達の幽霊にシモンを連れ去られたと信じるラウラは決して屋敷を出たりしない。むしろ、積極的に亡霊達と会話しようとするし、なんとかしてシモンの行方を知りたいとそれはもう必死になる。その鬼気迫る姿は母の愛と執念の権化であり、あまりの恐ろしさに身もすくむ。血しぶきが舞うわけでもなく残忍な殺戮の場面が出てくるわけでもないのにこの怖さは一級品だ。ところどころ、思わず声を上げそうな驚愕の場面もあって、それはそれは恐ろしいのでこれから見る人は覚悟が要ります。
映画を見ているあいだはただ恐ろしく、そして宝探しの謎解きがスリリングで息をもつかせぬ展開だったが、最後にあまりの悲しさと切なさに思わず落涙してしまった。「永遠のこどもたち」とは、大人になれなかった子ども達の物語。ピーターパンの住むネバーランドは、大人になりたくないのではなく大人になれなかった子ども達の住む世界ではないのか? そこは死者の怨霊が住みつく場所かもしれないし、永遠のこどもたちの楽園かもしれない。
映画を見終わって3日が経つと、また違う感慨が蘇る。そもそもラウラは短い命の養子をなぜもらったのか? 自分より先に死ぬとわかっている子どもを育てながら、その子が死んだかもしれない事実をなぜ受け入れられないのだろうか。その子育てはひょっとしたら究極の<女のわがまま>かもしれないではないか。あるいは、孤児院で起きた悲劇にラウラは本当に無罪なのだろうか? この映画は、いろんな解釈を可能にする謎を随所に散りばめ、観客に母の愛の深さと恐ろしさを問いかける深い作品だ。
見終わった後、さまざまに語り合いたくなる映画です。
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永遠のこどもたち
EL ORFANATO
スペイン/メキシコ、2007年、上映時間 108分
監督: J・A・バヨナ、製作: マル・タルガローナほか、製作総指揮: ギレルモ・デル・トロ、脚本: セルヒオ・G・サンチェス、撮影: オスカル・ファウラ、音楽: フェルナンド・ベラスケス
出演: ベレン・ルエダ、フェルナンド・カヨ、ロジェール・プリンセプ、ジェラルディン・チャップリン、マベル・リベラ、モンセラート・カルーヤ