ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

狼たちの午後

2009年01月06日 | 映画レビュー
 もう30年以上も前の映画。それだからこそ、アル・パチーノが若くてハンサム。それなのに、ちっとも古びていない銀行強盗の物語。この映画の面白さは、一種オバカと思えるほどの牧歌的な強盗と人質のやりとり、そして強盗と警察のやりとりにある。シドニー・ルメットの演出は、人を食ったようなこの事件をシニカルにとらえて秀逸。

 1972年、あるうだるように暑い夏の日、ブルックリンにある銀行に3人組の強盗が入った。犯人は自身も銀行員のソニーとベトナム帰還兵のサル。そしてもう一人の仲間は銀行に押し入った瞬間に怖じ気づいて逃げてしまう。やむなく二人組となったソニーとサルだったが、なんと銀行にはほとんど現金がなかった。この事態に頭を抱えるソニー。意外なことにあっという間に犯行が外部に漏れて銀行は大勢の警官に包囲されてしまう。しかたなく銀行員を人質にとったソニーだったが、彼はクリスチャンであり、人質に危害を加える気が全くないということがわかって人質たちもすっかり脱力・安心。やがて銀行を取り巻いた野次馬たちが警察への敵意を露わにソニーたちを英雄視し始め、人質たちも妙にソニーたちと仲良くなってしまう…

 という、実話を元にしたお話。これがなんとも言えず間の抜けた銀行強盗と人質と警察の三すくみの状態で、思わずはらはらするやら笑うやら。銀行がブルックリンにあるという地理的条件もあるのか、野次馬がやたら犯人に同情的なのが可笑しい。その上、テレビ取材が入ると野次馬まですっかり有頂天。人質と犯人に食糧を配達しに来た宅配ピザの兄ちゃんなんて大喜びでテレビに映る始末。

 思えば劇場型犯罪のこの「型」は、35年経っても同じ構造を見せている。後期資本主義社会に生きるわたしたちの基本的心性は既にこのころには形成されていたと見るべきなのだろう。人質になった銀行の支店長も沽券に関わると意地を張って解放を拒否するなど、妙に一人一人が役割演技に熱中している様も興味深い。そのうえ、ソニーの愛人というか二重婚の妻というか、ま、要するにそういう人物が説得にやってくる場面で驚きの展開もあり、結末は分かっているのに先が読めない妙な展開で、ルメットの演出もたるみがなく、身体は小さいのに存在感抜群のアル・パチーノの熱演もあって、実に見所の多い犯罪映画である。

 ベトナム帰還兵のサルが危険な香りを漂わせながら始終ショットガンを離さない底知れぬ怖さとか、当時の時代状況もかいま見せている。人質になった銀行員の女性たちの中に外見からユダヤ系と思える人物が二人いて、黒人の行員がいなくて、犯人のソニーがイタリア系で、と、ニューヨーク下町の銀行の人種構造を反映している点も興味深かった。

 人質にしても犯人にしても警官にしてもそれぞれのキャラクターの書き込みに気配りが行き届いていて飽きさせない。色あせていない作品です。(レンタルDVD)

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狼たちの午後
DOG DAY AFTERNOON
アメリカ、1975年上映時間 125分
監督: シドニー・ルメット、製作: マーティン・ブレグマン、マーティン・エルファンド、原作: P・F・クルージ、トマス・ムーア、脚本: フランク・ピアソン
出演: アル・パチーノ、ジョン・カザール、チャールズ・ダーニング、ジェームズ・ブロデリック、クリス・サランドン、ペニー・アレン

イン・マイ・カントリー

2009年01月06日 | 映画レビュー
  記憶と忘却は、どちらが求められるのだろう? 人が耐え難い苦難を経験したとき、忘却こそを求めるのではなかろうか。あるいは、その耐え難い苦難を二度と経験しないためには記憶こそが大切、ともいえるだろう。



 『語りえぬ真実』(プリシラ・B・ヘイナー著、平凡社、2006年)の第1章にはこのような言葉がある。

<<「記憶することと忘れること、どちらを望んでいるのですか」。私がルワンダ政府の役人に尋ねたのは1995年の暮れのことだった。50万人が虐殺されたジェノサイドからちょうど1年が経過していた。
 その役人は、100日間の虐殺で17人の親族を失った。虐殺が始まったとき、彼はたまたま国外におり、家族の中で一人生き残った。当時の出来事を語り始めた彼は、分かりきったことのように言った。「私たちは毎日、もっと多くのことを忘れることができる」。
 そこで私は尋ねたのだ。「記憶することと忘れること、どちらを望んでいるのですか」と。
 彼は答えをためらった。「同じことが再び起こらないように記憶しておかねばならない」。そしてゆっくりと口にした。「でも、当時の気分や感情は忘れなければならない。そうしてやっと、この先のことが始められるんです」。>>

 アパルトヘイト政策が終わった南アフリカ共和国では、1994年にネルソン・マンデラが大統領になってから、過去の白人たちの迫害・罪を白日の下に曝す「真実和解委員会」が本格的に設置されることとなった。委員会設置の議論で紛糾したのは加害者への特赦が下りるのかどうかだったという。1996年4月以降、公聴会と調査が始まる。公聴会の様子は連日、日刊紙が掲載し、ラジオ・テレビも頻繁にニュースを放送した(以上、『語りえぬ真実』p65-66)。 

 この映画は、真実和解委員会の公聴会の模様を報道するためにアメリカからやってきたワシントン・ポスト紙の黒人記者と、南アフリカに住む白人女性ジャーナリストの物語。主人公二人が共に「故郷喪失者」であることが特徴的だ。既にアフリカから遠く離れたアフリカ系アメリカ人と、アフリカこそが我が故郷だという白人女性。彼らにとってふるさとは今自分たちが生きているその土地なのだ。

 ワシントンポストの記者ラングストンは「白人はすべて加害者だ」と言い張る。一方、アナは加害を恥じている白人もいるし、すべての白人が差別者ではないと主張する。「わたしは黒人に親切にしなさいと言われて育てられ、そのようにしてきた」と訴える。この二人のぶつかりあいは黒人と白人の立場の違いを鮮明にしつつも、リベラルな二人こそが和解できなければとうてい被害者は加害者を許すことなどできないだろうと思わせる。アナの認識はナイーブに過ぎるという気がするし、ラングストンの主張も一方的過ぎるという気がする。脚本はこの二人に白人と黒人の意見を代表させつつ、この二人にロマンスをしかけて<和解>へと導こうとする。が、このロマンスは余計だった。

 真実和解委員会では、過去の加害を正直に告白すれば特赦が与えられたため、白人警官たちは積極的に罪を語った。あまりにもあっけらかんと「仕事だから。上司の命令だから」と平然と残虐行為を告白する者にはナチスのアイヒマンを思い出させられてわたしはぞっとした。上司の命令、上官の命令、それですべてが片付くなら一人ずつの人間の責任はどこにあるのか? 拷問に積極的に手を出し、快感すら覚えながら黒人達をいたぶった白人警官が上官の命令だからという理由で赦されていいのか?

 しかし、赦しがたいものを赦すことことが真の赦しである(@デリダ)ならば、まことにこの映画の中では<赦し>の感動的な場面がある。と同時に、いつまでも赦すことのできない憎しみの存在がまた最後に一つの虐殺を生む。この映画が持つ虚無感に胸を打たれ、深い悲しみが尾を引く。

 白人女性でありジャーナリストであるアナは、過去の加害のあまりのすさまじさを知って冷静さを失う。そして彼女は「こんなことが行われていたとは知らなかった」と言う。「知らなかった」という言葉を吐くとは、ジャーナリスト失格である。その無知が彼女の無邪気さをもたらしている。無知ゆえに明るく無邪気で差別意識も持たないリベラルで優しい白人女性。だが、そんな彼女こそがある意味、かの国の不幸を今も引きずるのだろう。おそらくアナは永遠に被害者には寄り添えない。彼女はどんなに黒人と仲良くなろうとも彼らの気持ちを理解することはできないし、黒人にはなれないのだ。だからこそ彼女はこれからも苦悩を抱えて生きていく。

 何度か黒人達がゴスペルを歌う場面が見られ、これがなかなか聞き応えがある。本作が劇場未公開とは残念だ。このような社会派作品は当たらないと配給会社が二の足を踏んだのだろうか? この映画を見て「遠い夜明け」を再見したくなった。(レンタルDVD)

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イン・マイ・カントリー
IN MY COUNTRY
製作国 イギリス/アイルランド/南アフリカ、2004年、上映時間 104分
製作・監督: ジョン・ブアマン、製作総指揮: クリス・オーティほか、原作: アンジー・クロッグ、脚本: アン・ピーコック、音楽: マーレイ・アンダーソン
出演: サミュエル・L・ジャクソン、ジュリエット・ビノシュ、ブレンダン・グリーソン、メンジ・“イグブス”・ングバネ