日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

8月14日「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」を国連記念日に

2013-08-09 21:12:03 | (淑)のブログ
 8月14日は、1991年に金学順ハルモニが日本軍「慰安婦」被害者として名乗り出られた日です。
 被害女性らの沈黙を破り、日本政府の責任を問い始めるきっかけとなった8月14日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とし、国連の公式記念日にしようという運動が韓国を中心に高まっています。第1回目となる日本軍「慰安婦」メモリアル・デーは折りしも水曜日。この日でソウル・日本大使館前でのデモは1087回目を数えます。
 この日を前後し、韓国や日本各地をはじめ、世界各国で様々な連帯行動が企画されています。明日、東京ウィメンズプラザ・ホールで開かれる国際シンポジウムには、フィリピンから2名のサバイバーが来日され証言されます。また、14日の第1回日本軍「慰安婦」メモリアル・デーには、18時から新宿アルタ前でのアクションも予定されています。
 さらに北南共同の動きも見られます。報道によると、朝鮮の「朝鮮日本軍性奴隷および強制連行被害者問題対策委員会(朝対委)」は今月29日、日本軍「慰安婦」問題に関する討論会の開催を「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に提案したそうです。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/08/04/0200000000AJP20130804000900882.HTML

 最近、韓国では、第二次世界大戦中にビルマとシンガポールの「慰安所」で働いた朝鮮人男性の日記が見つかり、「慰安所」従業員の日記の発見は日韓で初めてとのことで注目されています。日記には「慰安所」と日本軍との密接な関係を暴露する記述が多数あり、「慰安婦」否定論者を論破する上でも貴重な資料と言えます。

 国内外で波紋を呼んだ橋下発言から3ヵ月。参院選で日本維新の会は大敗を喫したものの、依然として責任を追及せず悠々と公職に居座ることを許容する日本。尊厳回復のたたかいは続きます。(淑)

■国際シンポジウム 戦時性暴力被害者から変革の主体へ
 歴史のねつ造は許さない!
 日本軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日に!!

 とき:2013年8月11日(日)
10:30 開 場
11:00~フィリンピンから日本軍「慰安婦」被害者証言
12:00~休憩
13:00~国際シンポジウム
16:30 閉 会
 場所:東京ウィメンズプラザ・ホール(渋谷駅徒歩12分、表参道駅徒歩7分)
 参加費:1000円
 主催:日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 8・14を国連記念日にしよう! キャンペーン


■第1回 日本軍「慰安婦」メモリアル・デー@東京
 とき:2013年8月14日(水)18:00pm
 場所:新宿東口 アルタ前
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おめでとう、李健太選手

2013-08-09 09:00:00 | (相)のブログ
 

 すでに報じられているように、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のボクシング・ライト級で大阪朝鮮高級学校の李健太選手が優勝しました。李選手は大会2連覇、2012年の選抜大会、インターハイ、国体、今年の選抜に続き、これで高校ボクシング5冠を達成したことになります。朝鮮高級学校の生徒としては初の快挙です。
 高校ボクシングの頂点を決めるインターハイ。今大会は、94年に朝高生が初めて出場してから20回目となる節目の大会でした。この間、インターハイで優勝した朝高生は李選手を含め5人。全員が大阪朝高の生徒たちです。連覇はもちろん李選手が初めて。5冠達成は掛け値なしの偉業でしょう。
 もはや「向かうところ敵なし」といった李選手ですが、やはり気になるのは高校卒業後の進路。彼ほどの実力と実績なら有名大学から引く手あまたのはず、それとも朝鮮大学校に進学? もしかしてプロ? などと勝手な想像を働かせてしまいますが、実は李選手、「将来は朝鮮代表としてオリンピックに出場したい」という夢を持っています。
 http://chosonsinbo.com/jp/2013/08/in-box-06/
 ということは、当面は大学に進学してアマチュアボクシングの道に進むということでしょうね。

 「右の拳には朝鮮人としてのプライドを、左の拳には同胞たちへ希望と夢を与えるという強い気持ちを込め」
 朝高のボクシング部の選手、監督を取材するたびに必ずといっていいほど聞く言葉です。背負ったもの(それはもしかすると、あえて背負わなくていいものかも)や周囲の期待を自分の力に変えることができるのが朝高ボクシングの強さの要因なのかもしれません(拳に物理的な力以外の何かが宿るという考え方はあまり好きではありませんが)。
 今秋に東京で行われる国体で優勝すれば6冠です。ここまできたらぜひ達成して、文字通りの伝説を作ってもらいたいと思います。(相)
 ※アップした写真は今年6月末に大阪朝高を取材した際、ボクシング部の部員、マネージャーと撮った写真です。後列中央の赤いTシャツが李選手
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無償化問題、広島も国を提訴

2013-08-08 09:00:00 | (瑛)のブログ


 「高校無償化」から朝鮮高校が除外されている問題で、大阪、愛知に続き広島でも1日、朝鮮学園側が国を相手取って広島地裁に訴訟を起こしました。(写真提供=広島朝鮮学園)

 原告には、広島朝鮮学園とともに、広島朝鮮初中高級学校の卒業生と現役の朝高生ら110人が名を連ねています。
 

 取材にあたった朝鮮新報によると、広島朝鮮学園は、「拉致問題の進展がない」「国民の理解が得られない」などの理由で、日本政府が朝鮮高校指定の根拠となる条文を削除したことは違法であり、これは民族教育を受ける権利を含む学習権の侵害、朝鮮学校と生徒に対する差別だとしています。

 そのうえで、①広島朝鮮学園に対する就学支援金不支給の決定を取り消すとともに、②同学園を法律施行規則の規定に基づき「高校無償化」の対象として指定すること、③元・現生徒たちの学習権を侵害し、精神的苦痛を強いた慰謝料の支給を求めています。

 110人もの原告が裁判に立つのは民族教育史上初めてことです。弁護団には、26人が名を連ねています。

 進学や就職の不安を乗り越え、原告として名乗りをあげた現役朝高生や卒業生の思いはどんなものだったのでしょうか。

 「支給対象となっている当事者は私たち。だからこそ街頭宣伝や署名活動などできることはやってきた。だけどいつまでたっても結果が見えない。これ以上、どうすればいいのかもわからない。法廷闘争によって、前進できる機会が与えられるなら、自分が立ち上がらなければと思った」(高3男子生徒)

 「最初に裁判の話を聞いたときは正直動揺した。差別が横行する日本という国で裁判に関わって今後の就職や進学で何かあったら、という不安はある。両親もすごく心配していたけれど、これはお金のための裁判ではない。もし就職で差別をされたとしたら、そんな会社に入りたいとも思わないと決心を固めた」(高3女子生徒)

 高校無償化からの朝鮮学校排除を正す裁判は今年1月24日、大阪と愛知で始まりました。

 大阪の訴訟は朝鮮高校を無償化の対象に指定することを求める「義務付け訴訟」で大阪朝鮮学園が原告。愛知の訴訟は、制度除外に対する慰謝料を求めており、朝高生(当時)と卒業生が原告になりました。広島の訴訟は朝鮮学園側と生徒の両者が原告になっています。

 本来は外国人学校生徒にも適用されるべき高校無償化。安倍政権は、朝鮮高校を永久に排除するため、施行規則をも改悪しました。朝高排除から4年目の夏を迎えた今、日本政府はまったく是正の動きを見せていませんが、泣き寝入りするわけには行きません。

 広島では県と市の補助金が停止されるという事態も起きています。7月22日には同胞と日本市民が集めた補助金復活を求める2万6038筆の署名が広島県と市に提出されました。





 原爆投下の日から68年を迎えた8月6日には、朝鮮学校への差別是正を求めるキャンドルデモも行われました。

 全国の皆さん、広島にエールを!!!(瑛)
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夏休みまであと少し…

2013-08-06 09:00:00 | (麗)のブログ
ただいまイオ9月号の完成に向けてバリバリ制作中です。
原稿も次々とあがってきて、編集部にはいよいよ殺伐とした雰囲気が流れ始めます(笑)

さて、ただいま世間は夏休み真っ盛りですね。
日曜日にジブリの最新作「風立ちぬ」を観に行ったのですが、人の多さが尋常ではなかったです。
なんでもニュースでは、約60万8000人を動員し、2週連続で首位を獲得したそうです。
映画館まで足を運んだ時、その人の多さに「もののけ姫」の時のような超満員の映画館を思い出したのですが、こんな賑わいはそれ以来なんじゃないか?と勝手に思ってしまいました。多分気のせいでしょう(笑)

「風立ちぬ」も、日刊イオでのコメントに大変詳しい情報などを書いてくださったので前情報はバッチリでした。
映画の冒頭、二郎の夢のシーンで、飛行機に乗って空を颯爽と駆け抜けるシーンから墜落していくまでの10分程度でしょうか、そのシーンだけでもうすでに脱帽してしまい、ずっと鳥肌が立ちっぱなしでした。
ジブリはやはり空を駆け抜ける描写は素晴らしいな…と一人感動していました。

ここではあまり言及しませんが、私はああいう悲恋な物語や夢で死んだ恋人と遭うというベタな設定に大変弱いもので、そういうシーンが出るとすぐ涙腺が緩くなります。笑 単純なもので号泣してしまいしました…。


イオの夏休みも来週になります。
9月号の校了を無事済ませて安心して帰りたいものです。
大阪行きの切符はまだ買っていないのですが、そろそろ買いに行かないと…(麗)




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セミの鳴き声

2013-08-05 09:00:00 | (理)のブログ
たまに実物のセミを見ると大学時代の思い出がフラッシュバックします。大学3年の夏で、祖国訪問を翌日に控えた夜でした。荷造りでてんやわんやな時に突然「ジリリリリリ・・・」という音。なにごとかとみんな手を止めて見たところ、友人のベッドのカーテンにセミがはりついていました。うるさいのといつ飛んでくるかわからない不安で作業は一時中断。長い棒で追い出そうと試みると、そのセミが部屋中を飛び回り大パニックになりました。ひとしきり叫んでいると出て行きましたが、こっちに向かってきた時の恐怖は忘れられません。そのせいで、今も近くの木から鳴き声が聞こえてくると少し警戒してしまいます。

セミの鳴き声自体は、聞くと「夏!」という感じがして好きです。風鈴とともに、季節を感じさせる音だと思います。あと花火の音も。ふと、ほかの季節にはそれを感じさせる音があったっけと考えました。ウグイスや鈴虫などいくつか思い浮かびますが、夏ほど象徴する音が多い季節は他にないような気がします。

一人暮らしを始めてから、自然と日常の音に耳を傾けることが増えました。でも反対に、実家や寄宿舎にいる時には気にならなかったちょっとした音にも過剰に反応してしまいます。特に私は怖がりなので、夜にピシッとかカタッという音がするともうどうしようもありません。そのくせ、朝はアラームの音になかなか気づかずよく寝過ごしてしまうから困ったものです。(理)
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夜会に参加

2013-08-04 09:00:00 | (愛)のブログ
昨日は初めて都内で行われた支部の夜会に参加した。
私の地元ではトンポが離れて暮らしているためか、集まりは専ら昼間で
夜に行われる「夜会」というものに参加したことがなかったのだ。

私は子どもも連れていったため、ミルクやらオムツ替えやらで
ゆっくり満喫とはなかなかできなかったものの、
それでも夏の夜風がふきぬけるなか、
七輪を囲み、トンポ同士乾杯をして、焼き肉をつまみ、
ウリノレ、ウリ音楽に浸れる空間はとても格別で、居心地のいいものだった。

そして昨日は絶好の夜会日和、
遠く離れた場所で行われた花火大会の花火まで見ることができて、
子育てで週末は引きこもりに近い生活を送っている自分にとっては
久々リフレッシュできた時間だった。

子どももいろんな人の腕から腕へと抱かれるほど大歓迎され、
(きゃっきゃっと大興奮!)
トンポの温かさを改めて感じた夜だった。

春には花見、夏には夜会、
名称は違えどトンポが集まる場所には、笑顔があふれ
人のつながりの温かさを感じられる。
初めて参加した子どもの笑顔がそれを証明しているかのようで、
そんなことを実感した夏の1夜だった。(愛)
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半年ぶりの出張

2013-08-03 09:00:00 | (淑)のブログ
 近畿・中国地方に出張に行ってきました。広島から東京へ戻る新幹線の中でこれを書いています。京都を出て、今滋賀県あたりでしょうか。
 地方出張は1月以来、半年ぶり。今回は1週間、大阪、兵庫、広島で全部で8件取材してきました。

 スタートは生野初級学校の納涼モイムでした。8・15を前後して日本各地の同胞コミュニティで開かれる夏のお祭りは、東京では「夜会」と親しまれていますが、大阪では「納涼モイム」と言うのが主流みたいです。私も母校で開かれる夜会に毎年欠かさず参加していますが、他の地域に参加したのは今回が初めて。日本最大の在日同胞の集住地域である生野区だけあって、毎年1200人くらい集まるそうです。屋台の数も、地元の夜会の倍以上ありました。
 グラウンドを歩きまわって写真を撮ってたら、生野の同胞たちからやれビールだ、かき氷だ、アイスクリームにタコせん(久しぶりに食べました)、枝豆、唐揚げ…と、いろいろと与えてもらいました(笑)。夜会のクライマックスといえば朝鮮歌舞団の民謡メドレーで広がるチュムパン(踊りの輪)ですが、生野では歌舞団ではなく、歌の上手ないち同胞がマイクを握って盛り上げていました。運動場が広いためステージからは距離のある屋台でも、仕事をしながらオッケチュムするオモニたちの姿が印象的でした。取るに足らない小さな出来事や光景、何気ない会話から見える「地域の色」があるから楽しい。8月号の特集で朝鮮半島南半部の各道の特徴を紹介する企画がありましたが、日本各地の同胞コミュニティバージョンを作っても面白いかもしれません。

 出張に行くと、毎日新しい場所に赴き、毎日新しい人と出会います。生野だけでなく、今回もたくさんの同胞との出会いがありました。地方で在日同胞と出会うと必ず、人生でこの人ともう一度会えるだろうか、と思います。今さっき出会って、もう二度と会わないかもしれない、それなのに同胞という共通項だけで温かく迎えてくれる。同胞コミュニティが全国にあるということを人々との関わりで直に感じることができます。

 それにしても広島からだとさすがに遠い。一眠りして、ブログを書き終えてもまだ着きません。(淑)
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美術展「在日は必要だった」を見て

2013-08-02 09:14:06 | (相)のブログ
 

 先週日曜日、東京都小平市にある朝鮮大学校を久しぶりに訪ねた。同大美術科研究院予科2年生のグループ展「在日は必要だった」(7月25日~8月5日)を観ることが目的だった。
 開催を知ったのはTwitterやfacebookなどのSNSを通じて。刺激的なタイトルも相まって、少なからず興味を抱いた。そして7月28日、休日を利用して大学に足を運んだ(距離的に決して近くはないので、気軽には決断できないのです)。

 今回の展示会に出品したのは同大美術科研究院予科2年に在籍する鄭裕憬さん、鄭梨愛さん、李晶玉さんの3人。10数点の作品が展示されていた。アクリル画に油彩、フォトショップで加工した素材を「主観的輪郭」を技法として描いた作品など、技法も3者3様。「手」の描かれ方が印象的な作品、祖父をモデルにした作品など、現代に生きる在日朝鮮人の若い表現者でなければ発想できないであろう作品が並んでいた、ように思う。私は美術に関してはまったくの門外漢なので、作品それ自体に対する評論は避けたい(というか、そのような技量もない)。興味のある人は一度、展示会に足を運び、自分の目で確かめてほしい。

 
 
 日曜ということもあって来場者は平日より少なめ。私が会場に入ったときには、私以外に観覧者は一人だけ。おかげで、学生たちから作品に対する説明はもちろん、このたびの展示会の趣旨や開催にいたった経緯、準備過程の苦労などさまざまな話をうかがうことができた。
 朝大美術科のウェブサイトには今回の展示会について次のような説明がある。
 
 私たちは作品を発表すると同時に、この企画が美術においてどういう意味を成すのか問い、その問いによって新たなコミットの場や対話の場を築き、美術の未来を模索していきたい。私たちは私たち自身の立ち位置を再確認すると共に、その場を構築すること自体を美術的行為、社会的行為へ展開できると考えます。

 在日朝鮮人にとって美術とは何か。美術という表現行為を通じて在日の若者が現実へのコミットメントの回路をいかに築くのか―。展示会の場での対話を通じて、出展者らの美術に真摯に向き合おうとする姿勢を強く感じることができた。
 そして、グループ展のタイトル「在日は必要だった」は橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」から取ったという。多くの人々を呼び込むためには皆の気を引くインパクトのあるタイトルが必要だった。いうなれば、「『在日は必要だった』は必要だった」ということだろうか。したがって、彼・彼女らが「在日は必要だった」という認識に到達したわけではなく、展示会を「在日が必要だった」かどうかを議論する場にしたいということでもない(議論自体を拒否しているということではないと思うが)。今回出品された作品群についても、直接的に「在日」をテーマにしたり、「在日」に関するメッセージが込められているわけでもない。しかし一方で、展示された作品からは在日朝鮮人の表現者としての彼・彼女らの立ち位置というか問題意識がにじみ出ていたようにも思えた。
 大学生らしく荒削りで少々前のめりな姿勢が何だかほほえましかった。一方で、その真摯さに私自身も刺激を受けた。展示会が終わった後、あらためて話を聞いてみたい気もする。

 SNSを通じた宣伝が奏功したのか、学内のみならず学外からも多くの人々が訪れているという。当初は31日までの予定だったが、好評につき8月5日まで延長されることになった。開催は今日を含めて残り4日。一人でも多くの人々が足を運び、作品に触れてほしい。そして、出展者の学生たちとの間で多くの対話が生まれることを願っている(相)

 詳細は展示会のフェイスブックページまで。
 https://www.facebook.com/events/302547226555752/?ref=22
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東京第6夜会、大成功!

2013-08-01 09:00:00 | (瑛)のブログ






 7月28日、東京・千鳥町の東京朝鮮第6初級学校で夜会が行われ、例年の1.5倍になる1000人の同胞や地域の日本市民が参加してくれました。

 隣に住むおばさんは、お孫さんを連れて出店の料理をたくさん買ってくれましたし、いつも最寄り駅から学校に向かう子どもたちを見守ってくれているサツマのおじさんは、ビールをたくさん買ってくれたうえに、「たのしい時間をありがとう」と手を握ってくれました。娘が通う保育園のママにもお礼を言うと、ご実家が東京朝鮮第9初級学校の近くだったそうで、いつも第9ハッキョの夜会に遊びにいってたとのこと。また、いつも息子に声をかけてくれる3軒隣のおばさんは、数日前に「校舎壊しちゃうの?」と声をかけてくれては、「先生方も本当に熱心ね」とほめてくれました。私はまだ大田に来て6年ですが、それよりずっと前から第6ハッキョはこの土地の人たちに守られてきたんだ~と感じられる「心温まる出会い」がたくさんありました。

 夜会の数日前、近所のオンマが、「このご時勢に『朝鮮学校』と自然に言えるご近所さんがいるって、すごいと思わない? 新校舎建設を機に地域にハッキョを根付かせていきたいね」と話していましたが、今までも、そしてこれからも、地域の人たちとともに歩んでこそのハッキョだし、子どもたちを見守る応援隊を増やしていきたいと感じました。

 
 今回は例年以上の人たちに来てもらおうということで、地域の同胞たちは、地元はもちろん、神奈川県にまで足を運び、夜会のチラシを配りました。実行委員会がチラシにクジをつけたのも、「一人でも多く」との思いが込められています(写真下は実行委員長の金昌洙さん)。



 夜会のクライマックスを飾ったマンプンニョン。現役のアボジオモニや保護者OB、この地域のウリハッキョを卒業した10代、20代の青年たちが舞台に立ってくれました。

 観客の皆さんは舞台から目を離さず、ジッと私たちを見守ってくれ、最後に大きな拍手を送ってくれました。

 夜会の後、1000人を迎え入れるために奔走したオモニ会の申会長の目からはずっと涙がこぼれていました。「1世の映像、教え子たちの顔、ハッキョに来てくれた人たちを見てたら…」。感無量の思いに周りもジーン…。

 いつもの1.5倍に及ぶ人たちは、どんな思いでハッキョに来てくれたのでしょうか。
 新校舎建設の寄付を託していった方、卒業したハッキョを久しぶりに訪れた若い卒業生たち、この学校で教鞭をとった先生方、夜会に総動員だったオモニ、アボジたちに代わって子守りを引き受けてくれたユチバンの先生方や祖父母の方々、そして貧しい暮らしの中で旧校舎を建ててくれた先輩たち。。。小さな運動場を埋めた人々の姿をしっかりと心に刻みたいと思います。



 東京都内には東京朝鮮第1、2、3、4、5、6、9ハッキョに東京中高、西東京に2つ、計10つのウリハッキョがあります。東京第7、8ハッキョが門を閉めた後は、東京第6ハッキョが西南地域の民族教育全般も担うことになりました。現在、広い地域にハッキョの通園・通学バスが走っています。

 今年は4.24教育闘争65周年を迎えましたが、第6ハッキョも他地域と同様に弾圧を受けました。しかし、地域の同胞たちは、廃校となった東調布高等女子学校を買収し、1949年10月から「東京都立朝鮮人第6小学校」の看板を掲げ民族教育を続けました。55年3月、校名は東京朝鮮第6初級学校に改称され、60年から94年までは中級部も運営しました。

 夜会では、第6ハッキョの草創期にアボジが教員をしていたというオルシンや、東京第7ハッキョのために人生を捧げてきたオモニ、第8ハッキョの懐かしい写真も流れました。映像を通じてこの地域の歴史を初めて「体感」できた気がします。

 
 校舎の解体が始まった今、東京・西南地域の同胞たちは、校舎建設という大きな目標に向かって本格的に動きだしました。

 暑い夏に応援に駆け付けてくれた皆さんの気持ちにこたえるためにも、必ず立派な校舎を建てたいと思います。(瑛)


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