日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

美術展「在日は必要だった」を見て

2013-08-02 09:14:06 | (相)のブログ
 

 先週日曜日、東京都小平市にある朝鮮大学校を久しぶりに訪ねた。同大美術科研究院予科2年生のグループ展「在日は必要だった」(7月25日~8月5日)を観ることが目的だった。
 開催を知ったのはTwitterやfacebookなどのSNSを通じて。刺激的なタイトルも相まって、少なからず興味を抱いた。そして7月28日、休日を利用して大学に足を運んだ(距離的に決して近くはないので、気軽には決断できないのです)。

 今回の展示会に出品したのは同大美術科研究院予科2年に在籍する鄭裕憬さん、鄭梨愛さん、李晶玉さんの3人。10数点の作品が展示されていた。アクリル画に油彩、フォトショップで加工した素材を「主観的輪郭」を技法として描いた作品など、技法も3者3様。「手」の描かれ方が印象的な作品、祖父をモデルにした作品など、現代に生きる在日朝鮮人の若い表現者でなければ発想できないであろう作品が並んでいた、ように思う。私は美術に関してはまったくの門外漢なので、作品それ自体に対する評論は避けたい(というか、そのような技量もない)。興味のある人は一度、展示会に足を運び、自分の目で確かめてほしい。

 
 
 日曜ということもあって来場者は平日より少なめ。私が会場に入ったときには、私以外に観覧者は一人だけ。おかげで、学生たちから作品に対する説明はもちろん、このたびの展示会の趣旨や開催にいたった経緯、準備過程の苦労などさまざまな話をうかがうことができた。
 朝大美術科のウェブサイトには今回の展示会について次のような説明がある。
 
 私たちは作品を発表すると同時に、この企画が美術においてどういう意味を成すのか問い、その問いによって新たなコミットの場や対話の場を築き、美術の未来を模索していきたい。私たちは私たち自身の立ち位置を再確認すると共に、その場を構築すること自体を美術的行為、社会的行為へ展開できると考えます。

 在日朝鮮人にとって美術とは何か。美術という表現行為を通じて在日の若者が現実へのコミットメントの回路をいかに築くのか―。展示会の場での対話を通じて、出展者らの美術に真摯に向き合おうとする姿勢を強く感じることができた。
 そして、グループ展のタイトル「在日は必要だった」は橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」から取ったという。多くの人々を呼び込むためには皆の気を引くインパクトのあるタイトルが必要だった。いうなれば、「『在日は必要だった』は必要だった」ということだろうか。したがって、彼・彼女らが「在日は必要だった」という認識に到達したわけではなく、展示会を「在日が必要だった」かどうかを議論する場にしたいということでもない(議論自体を拒否しているということではないと思うが)。今回出品された作品群についても、直接的に「在日」をテーマにしたり、「在日」に関するメッセージが込められているわけでもない。しかし一方で、展示された作品からは在日朝鮮人の表現者としての彼・彼女らの立ち位置というか問題意識がにじみ出ていたようにも思えた。
 大学生らしく荒削りで少々前のめりな姿勢が何だかほほえましかった。一方で、その真摯さに私自身も刺激を受けた。展示会が終わった後、あらためて話を聞いてみたい気もする。

 SNSを通じた宣伝が奏功したのか、学内のみならず学外からも多くの人々が訪れているという。当初は31日までの予定だったが、好評につき8月5日まで延長されることになった。開催は今日を含めて残り4日。一人でも多くの人々が足を運び、作品に触れてほしい。そして、出展者の学生たちとの間で多くの対話が生まれることを願っている(相)

 詳細は展示会のフェイスブックページまで。
 https://www.facebook.com/events/302547226555752/?ref=22