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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

沖縄と米軍基地

2011-10-16 09:00:00 | (愛)のブログ
さて、今回は沖縄本島に行って真面目に感じたことを少し書きたいと思います。

空港に降り立ち、そこから市街地へ行くバスに乗ると、
道路と並行して見える基地の鉄線。
そして空には、早速飛んでいる空軍機。

沖縄の北谷町美浜(ちゃたんちょうみはま)にある
アメリカンビレッジと呼ばれる観光地の近くに宿をとりました。
アメリカンビレッジは元々米軍基地だった跡地を
都市型リゾートとしてつくった場所だそうです。
そして、その近くには米軍施設もあるということで、
北谷町は沖縄というよりも、アメリカの町のようだという話でした。

滞在している間、びっくりしたのが、
「え!?この音やばくないか!?」というくらいの爆音で飛ぶ空軍機。
あまりに近くに飛んでいて、海の波しぶきまでが荒れていて、
窓を開けていては、あまりのうるささに頭がいたくなるほど。
話にはきいていたもののこれが日常のことだと思うと、やるせない思いでした。

近くのアラハビーチに知人を訪ねていくと、
あれ?ここは沖縄だったけ?と思うくらい、アメリカンな感じ。
夜にはガールズバーだという場所からアメリカ人の歌うカラオケが大音量で漏れてきて、
お店には水タバコをくゆらせる外人の姿。
ふらりとお店に現れてはビーチの方に自由奔放に消えていく外人も。
その地でお店をやっている方から話を聞くと、
アメリカ人は風習もなにもかも違うので、平気でふらりとお酒を持って入ってきては、
立ち飲み屋のように使われるから大変だと話していました。
それでも、ここらへんはアメリカ人向けのお店も
多いということです。
夜のビーチからは英語がどこからともなく聞こえてきたりして、
自分がどこに来たのか迷う感じでした。

あとで知ったのですが、北谷町は米軍による事件、犯罪が多数あった町でした(勉強不足でした)。

あ~やはり沖縄ってこういう地なんだと実感した次第です。
同じ日本に住んでいても、全然ちがう。
沖縄と米軍基地問題。
現在も根深く残っている問題を意識した北谷町の滞在でした。(愛)

お便り待ってます

2011-10-15 09:00:00 | (淑)のブログ


 毎月、イオ編集部には、読者からたくさんのお便りが届きます。
 イオ編集部に配属され早半年。編集部の仕事を一つひとつ経験し、学び、自省を繰り返す日々の中で、皆様からのお便りを読むのが楽しみの一つでもあります。
 ご意見は、誌面(P48「VOICE to VOICE」)でも一部紹介していますが、小学生からご高齢の方まで、たくさんの方からさまざまな意見が寄せられます。名前も、筆致も覚えてしまうほど、毎月欠かさず送ってくださる方々もいます。

 届けられた葉書を手にとり、一枚一枚読んでいると、うれしくなったり、ほっとしたり、はっとさせられたりします。

 ふっと、笑顔になってしまうのは、やはり小さな子どもからの葉書です。大きな字で書かれた、飾らない言葉からパワーをもらい、「また取材に来てね」「私たちのところにも来てください」という意見に、必要とされていることを実感し、本当にありがたいと思っています。
 それから、「家族みんなで楽しんでいる」という意見には、これからもずっと同胞たちの家族団欒の中にあるイオであり続けたいと、背筋を正される思いです。

 お褒めの言葉だけでなく、苦言ももちろんいただきますが、ご意見をいただけること自体が幸せなことだと噛みしめて、皆様のご意見を今後の誌面づくりに反映していきたいと思います。

 現在、イオ編集部は、11月号を校了し、12月号に取り掛かかりました。それに並行して、来年2012年度の企画会議を行っています。2011年度の総括をふまえ、どのような誌面をめざすのか、何に焦点を絞るのかなど、議論をしています。針路を定める上で、指針を示してくれるのは何より読者の皆様からの「声」だと思います。(淑)

人権侵害党、レイシスト党に改名すれば?

2011-10-13 22:52:35 | (相)のブログ
 「高校無償化」問題について。
 (K)さんも数日前のブログに書いていたが、民主党の若手国会議員らが党内で朝鮮学校に対する無償化審査手続き再開反対の署名活動を始めると産経新聞が今月9日、報じた。署名活動は花咲宏基、田村謙治両衆院議員ら5人が進める予定で、11日から始めて今月末までに100人を目標に集め、野田佳彦首相に撤回を申し入れるという内容だ。その11日になって、「当面は水面下で勢力拡大に努めたい」と署名活動を当面見送ることが伝えられたが、「首相が無償化適用を中止するまで活動を展開していく方針を確認」しているので、この愚かしい行為をやめる気はさらさらないようだ。要請文に拉致問題の早期解決を求める内容も盛り込むとか、今後は「地方自治体から朝鮮学校に支出される補助金のあり方を見直すことも求めていく」というのだから、開いた口がふさがらない。
 菅直人首相(当時)は8月末、辞任直前に審査手続きの再開を指示したが、その時に沸き起こったのは非難の嵐だった。その圧倒的多数は、理由ならぬ理由をつけて「無償化」適用をさんざん引き伸ばしたあげく、自らの退任時にやっとこさプロセス再開を指示したことに対する非難ではなく、朝鮮学校に対する「無償化」適用それ自体に反対する声だった。
 民主党が「高校無償化」の対象に朝鮮学校を含めると言ってから1年半以上が過ぎた。この間、無償化の方針を決めた当の鳩山首相は政権から退き、その後をうけた菅政権も無理筋の理由を持ち出して手続きを凍結した挙句、次の野田政権に丸投げした。その野田政権下では、まがいなりにも前首相だった人間が下した「手続き再開」の決断に対して、その母体である与党内部から公然と反対の動きが出る始末。迷走は続く。誰も真剣に取り組まず、誰も責任を取らない。見下げた人びとだ。
 ツイッター上では、今回の署名活動騒ぎを指して、「『私は人権侵害をしたいんです!』という署名だ」との指摘があったが、その通りだと思う。もし民主党執行部に良心が米粒ほどでも残っているなら、件の若手議員らの愚行を即時やめさせるべきだろう。もしこのまま野放しにしておくのなら、それこそ民主党は人権侵害党、レイシスト党と改名したほうがいい。

 なぜこんなことがまかり通るのか。結局は社会が容認しているからだと思う。日本社会のマジョリティは在特会をはじめとする「草の根」レイシストたちの恥知らずな言動に対して見て見ぬふりをし、あるいは眉をひそめて嘲笑を投げつけるだけで、結果的に彼らをのさばらせている。最近では片山さつき氏に代表されるように、社会的に大きな影響力を持つ公人である政治家が公然とヘイトスピーチをまき散らしている。
(https://twitter.com/katayama_s/status/117805586627833856)
 かくして、ヘイトに対するハードルは下がるだけ下がった。他国では刑事罰に問われることもある歴史修正主義やヘイトスピーチが国家権力によって実質的に保障され、それを消極的であれ容認する雰囲気が社会にあまねく広がるという、世にも珍しいレイシストフレンドリーな国がこの日本だ。
 もちろん、虐げられている当の私たちは抗議の声を上げ続ける。いや、上げざるをえないという表現が正確かもしれない。いつまでたっても声を上げ続けなければならない徒労感、不正義のありかを明らかにし、世論を喚起する役目が常にマイノリティの側に課せられているような、ある種の倒錯的な状況をマジョリティの側は理解することができないのかな、と思ったりもしてしまう。
 「日本にとって朝鮮は、自らを省みる鏡だ」とはよく言われる話だ。日本はその「鏡」を壊して久しい。マイノリティに対して加えられる不正義や迫害を他人事として傍観する態度は、必ずやブーメランとなって自らに返ってくるだろう。
 「このナチズムというやつを、それが自分たちに対して猛威をふるうまでは許容し、免罪し、目をつぶり、正当化してきた。なぜなら、そいつはそれまでは非ヨーロッパ人に対してしか適用されていなかったからだ」(エメ・セゼール)
(相)

第1号の朝鮮ユチバン

2011-10-13 09:00:00 | (瑛)のブログ

 11月号の特集「ようこそ! ウリ幼稚園へ」の取材にかかわりながら、よみがえった記憶があります。

 日本で初めて創立された朝鮮幼稚園―鶴見朝鮮初級学校付属幼稚園のことです。1997年に新校舎が建てられ、デザイン性も兼ね備えた幼稚班の園舎に注目が集まったのですが、その時、創立当時に教員を務められた陳孝宣さんに出会いました。当時、双子のお孫さんが、園に通っておられました。


鶴見朝鮮幼稚班第1期卒園記念写真(1954年3月、同校HPから)

 陳さんは、民族教育史上、初めて朝鮮幼稚園の先生になった方です。設立された1953年当時は園児が48人で教員が1名。鶴見朝鮮初級学校が日本当局から閉鎖された後、公立小学校の分校として、かろうじて民族教育の灯火を守っていた時期でした。東京・狛江にあった朝聯の教員養成機関の第2期生だった陳さんは、当時、鶴見朝鮮学校の音楽担当教師だったといいます。
 「朝鮮学校の戦後史 ―1945~1972―」(金徳龍著、2002、日本評論社)には陳さんの発言が載っており、当時の同胞たちの生活がどうあったのかを知ることができます。

 …当時…ほとんどの同胞たちが「ニコヨン(日雇い労働者)」で今みたいな職業に当たっていなかった。そのニコヨンの状態でオモニたちが幼い子らを、そのまま家に置いておくことができないために、何とかならないかということから出てきました。…(幼稚園の創立は)生活のためだったんですね。

…学識のある一部の同胞(例えば当時の本部委員長とか)が率先して、何人かの人たちのところを回りながら「なんとかしなければいけないんじゃないか、こどもの将来も考えないと」ということで、それじゃお金のある方(リヤカーを引いて鉄クズを買い歩く古物商。オート三輪車は何軒かあった)にも言って協力を求めながら、だんだん輪を広めたわけですよね。一般同胞も「それならいいわよ」と言って、最低の生活の中でみんなして、お金を出し合って幼稚園を作ったんです。

 …開園当初はカリキュラムもなにもない状況でした。…自分でカリキュラムを組むのにどうしていいかわからないために、日暮里にあった「キンダー・ブック社」に行きました。
 …まずはこどもたちに歌をうたわせ楽しませる。しかし、その当時、幼稚園で歌うような朝鮮の唄がそれほどなかったから、小学校でうたうような歌で一番やさしいものを歌いました…

 …「アンニョンハセヨー、アンニョンハセヨー」というふうに挨拶をする。そうするとアンニョンハセヨーという言葉そのものがわからなくても、何回か繰り返しているうちに挨拶はこういうものなんだなーとわかってくるわけね、反復で一つの言葉を覚えるっていうか。だって、アボジ、オモニという言葉もわからなかったんですから…。(「朝鮮学校の戦後史 ―1945~1972―」から)

 朝鮮幼稚園の創立年を調べてみると、1960年代から幼稚園が続々と設立されていきます(閉園されたユチバンもあり、全貌は調べられませんでした)。

 来年40周年を迎える埼玉朝鮮幼稚園は1972年の創立ですが、成元根という方が民族教育は幼少期から始めなくてはならないと、ご夫婦で奮起して建設を進められたそうです。残念なことに成さんは帰らぬ人となってしまいましたが、畑には成さんの名前が書かれたサルスベリの木が青空に向かって伸びていました。



 貧しい生活を支えながら、手探りで作られてきた朝鮮幼稚園の歴史。その中には子育てのヒントがたくさん散りばめられている気がします。(瑛)




韓国で出版された「幸せな統一のはなし」と日本の朝鮮政策

2011-10-12 09:00:00 | (K)のブログ


 最近、写真の「幸せな統一のはなし」という本を読みました。韓国の月刊誌「民族21」の編集主幹である安英民さんが書いた本です。「民族21」は、2000年6月の初めての南北首脳会談と6.15共同宣言を受けて、朝鮮の統一のために統一のパートナーである北(朝鮮民主主義人民共和国)のことを韓国社会に知らせるため創刊された雑誌です。本書は、筆者が創刊当時から「民族21」の一員として何度も北を訪問し取材を重ねてきたことがらをまとめたものです。

 本書で筆者は、実際に何度も自分の目で見て感じた北について、いかに韓国で一般的に知られている「北」と違うのか、どのような視点で北を見なければいけないのかを率直に綴っています。そして、平和的な安定、経済的効果など複合的な要素、具体的な例を挙げながら、南北が統一すること(それ以前に南北が敵対せず仲良くすること)のメリットを、繰り返し語ります。本書はもともと朝鮮語(韓国語)で書かれ韓国で出版されたもので、韓国では少なくない反響があったようです。現在、筆者は様々なところから講演を依頼されているそうです。


 私は最近、日本語に翻訳されたものを手にとって読みました。言葉のニュアンスが違うので、朝鮮語でも読んでみたいと思っています。
 また、在日同胞が読んでもためになる本ですが、それより、多くの日本人に読んでもらいたいと思いました。


 最近の在日朝鮮人に関係するニュースで気になったものを二つあげてみます。

 一つ目は、自民党の河井克行衆院議員が9月27日の衆議院予算委員会で、平岡秀夫法務大臣が5年前の朝鮮大学校創立50周年記念祝賀宴に出席し祝辞をのべたことに対して、「公安調査庁の大きな役割は、言わずと知れた北朝鮮およびその関連団体の様々な動向を調査・監視することだと聞いております。その公安調査庁を所管する法務大臣が、わずか数年前に、監視調査対象の組織の宴会に出かけてお祝いの言葉を言った」と問題にし追及したというもの。

 二つ目は、産経新聞が10月9日にネットで報じた「民主党内で朝鮮学校無償化反対署名開始へ」というニュース。「菅直人政権が退陣直前になって朝鮮学校の高校無償化適用への審査手続きを再開した問題で、民主党の若手国会議員らが今週中にも党内で再開反対の署名活動を始めることが9日、分かった。今月末までに100人を目標に集め、野田佳彦首相に撤回を申し入れる。民主党内で朝鮮学校無償化審査の中止を求める動きが表面化したのは初めて」と伝えています。


 これらのニュースを見て思うのは、日本が朝鮮民主主義人民共和国を「敵である」と認識し行動しているということです。「意見が合わない」というレベルではなく、「攻撃対象」「なくすべきもの」として見ています。それが朝鮮学校や在日朝鮮人に対する様々な対応にも現れています。昔から根強く残る「朝鮮蔑視」と拉致以降に顕著化した「朝鮮憎し」が合わさって、国や地方自治体を動かす政治家も、まともで冷静な判断ができていない。

 普通に考えて、一番近い国の一つである朝鮮民主主義人民共和国と敵対するよりも仲良くするほうが良いのに決まっています。仲良くすることでメリットこそあれ、デメリットは何もない。アメリカの戦略の中でそのように仕向けられているという問題もありますが、日本側にまず、朝鮮民主主義人民共和国を正しく理解しよう、わかりあおうという姿勢がありません。

 そういう意味で、韓国人が書いた「幸せな統一のはなし」という本を、多くの日本人、政治家に読んでもらいたいと思っています。
 まず、敵対ではなく仲良くするという立場に立つ、敵対しても何もメリットは生まれない、朝鮮民主主義人民共和国を理解しようとする―このようなところからスタートしないと何も問題は解決しないし、結局、日本自身が(もちろん朝鮮も)損をすることになります。


 「幸せな統一のはなし」の中に次のような記述があります。
 「北に対する悪意に満ちた報道は、二〇〇〇年代に入り南北関係が改善され民間交流が活発になるにつれなくなった。理由は簡単だ。数多くの国民が平壌と金剛山、開城を行き来し、北の大地と人民たちに直接接する機会が大幅に増えたからである。また、そんな人々がこんな話、あんな話を周囲に伝えることによって反北報道は居場所をなくしてしまった。いくら保守言論と言えども従来の様な『作文』は出来なくなったのだ。」(k)

連休明け

2011-10-11 09:00:00 | (麗)のブログ
みなさん、連休はいかがお過ごしだったでしょうか?

私は、大阪から遊びに来た両親と過ごしていました。
池袋でブラブラして近所の商店街のお店でのんびり過ごしたという感じです。

この間、常に部屋の掃除をしていたためずっと動いていた私とオモニ。
一応、両親が来る前に、「念入りに掃除したつもり」なんですが、まだまだ汚かったようです。

一人暮らしなので家では無口ですが、久々に家族と触れ合っていっぱい喋りました。
規則正しい、健康的な2日間になりました。


さて、今日はイオ11月号の締切日です。
(相)さんのブログ記事で編集部が「殺気立っている」と書いてあって吹き出してしまいましたが…。

今日も殺気立たせていこうと思います!(麗)

わたしの名前

2011-10-10 09:00:00 | (里)のブログ
先週の(K)さんに続き、私も「名前」について少し書きたいと思います。
ブログでは(里)としか書いていませんが、私の名前は里映と書いて「リヨン」といいます。
自分の名前のことはおおむね気に入っていますが、あえていうなら名前の漢字にもう少し華があればな…と思います。


ちなみに私の名前には、「とくに意味がない」そうです。笑
「響き重視でつけたんだよ」と親に言われた時は少しショックでしたが、
そういう家もあることでしょう。
昔ある人が、「ふるさとをわすれないようにご両親が名前をつけてくださったのね」と言ってくれたのですが、
本当に何となく字画を見て「里映」という漢字になったそうです。


人に名前の漢字を伝える時、
よく私は「『リ』は里いもの『さと』っていう字で、『ヨン』は映画の『エイ』って書きます」とか説明します。
「里」という漢字については、「里いも」と言えば、同音異義語もありませんし、相手に伝わりやすいと思ってます。
「映」については、追加で説明が必要な場合があります(なので、「映す」の「エイ」です、って言ってみたり)。


朝鮮語をわかる人になら、「마을 《리》자에 비낄 《영》자입니다.」(村をあらわす「リ」の字に、映る「ヨン」の字です)
という風に説明することもあります。


今まで、自分と同じ「リヨン」という名前の人物は何人かいました。
とくに今年に入ってから、取材先で、赤ん坊から高校生までの「リヨンちゃん」たちに3人も会いました!
でも不思議なことに、同級生の「リヨン」には、まだ一度も会ったことがありません。
私が高1の時、とあるクラスに同じ名前の女子が3人いるという珍事(?)もありましたが、
私はそういう経験がありません。
いつか会える日が来ることを楽しみにしています。笑


最後に、これは昔から言っていることですが、一度フランスのリヨンという都市に行ってみたい、
これが私のささやかな夢です。
一応同じ名前なのでシンパシーを感じているのです。
フランス第2の都市であるリヨン。歴史あり文化ありの素敵な場所だといいます。
「リヨン」で検索すると、125万件ほどの検索結果が出てきますが、
リヨンについての説明で、下記のような面白いものがありました。
「パリが東京ならリヨンは関西、ほんま、おもしろいでー」
「リヨン、着倒れ食い倒れ!」…。
どんなところなんだ、リヨン…(笑)。ますます行ってみたいです。(里)

沖縄離島で感じたこと

2011-10-09 09:00:00 | (愛)のブログ
今回、新婚旅行ではじめて沖縄にいってきました。
行ってきたのは本島と離島、
離島はドラマ「ちゅらさん」の舞台となった島、石垣島からまたフェリーで行く、小浜島というところです。
沖縄本島、そして、石垣島でも海がきれいだと感じたのですが、
小浜島という島は、もっともっともっときれい
透明度が高く、海の底の岩の影なんかもフェリーから見えて、 
空の青と海の青のコントラストが何とも美しい、まさに南の楽園でした。
世界の海に潜ってきたというガイドさんも、
どこの国の海よりもこのあたりの海が世界一きれいだと言ってました。

ある日、小浜島をサイクリングしてまわりました。


ドラマでも有名らしい「シュガーロード」
(私ドラマはみていません、見ていたらもっと感動があったやも)。
さとうきび畑が広がっています。


展望台から見る広大な自然。



畑に、ひょっこりといたやぎさん。飼い主さんは見えず…

草をむしゃむしゃ食べていました。


小学校の近くにはこんな看板も。右写真の看板の文字は、私の力ではもはや解読できません。




西表島から由布島という島に行き、水牛車にも乗りました。

張り切って一番前の席に乗ると、牛君は途中で立ち止まり、ぼとぼとと大便を。。。
(足に飛び散りました。。。)


牛の運転手役のおじさんが言ってました。
水牛が海に糞をして、魚たちがそれをえさに食べ、そして自分らがその魚を食べると。
そうして食物連鎖をしていく。
全部島にあるものを食べる、そんな風に自給自足で生活しないと、ここでは生きてはいけないと。
そして、長らくこの観光案内の仕事をしているが、
やはりこの島の水位が実際に年々あがっているとも言ってました。
地球温暖化で北極や南極の氷がとけてきて、この島にも事実影響がでていると…。

何日かいるうちに気になったのが、そこかしこに見られた「エコ」という言葉。
タオルを頻繁に借りないでくださいという文字。
タオルを洗う洗剤は環境を汚してしまうので。
そして、公共トイレになぜかおかれたチラシの数々。
なぜだろうと思っていると、あるトイレで謎が解けました。
チラシが封筒のようにきれいに折られていて、「汚物はこれに包んでください」という文字。
離島は物の供給が頻繁ではないので、トイレットペーパーは重要なんだそうです。


島の生活はほんとうに時間がゆるやかで、
夜には明かりも少なく、まっくらになり、お店も大体閉まってしまうので、
夜は早いうちに寝て、朝日とともに起きる。
この島にいる期間だけでしたが、
そんな自然な生活を本当に久しぶりにできた気がします。
不便さやエコ的な問題などありますが、
そういった生活が昔は当たり前で、
少しの我慢でこのきれいな自然が成り立てば
それはそれでいいじゃないかと、強く思いさえしました。

便利というものを追及して、原発ができ、3.11の原発事故が起きてしまったという事実。
一瞬の便利でいろんなものを、壊していくよりも、
不便とともにあっても、きれいな自然が長く残っていくほうがやはりいいなと。

そう思うと、目の前に広がる自然が愛おしくなりました。


ということで、沖縄で見たこと、感じたことについて、また来週書きたいと思います。(愛)

Google+はじめました

2011-10-08 09:00:00 | (淑)のブログ


 私は最近、Google+をはじめてみました。
 Google+は、その名のとおりGoogleが提供するソーシャルネットワークプロジェクトで、今年6月に新しく登場しました。
 当初は限定されたユーザーだけに、メールでの招待制という形でスタートしたのですが、先日一般開放したので、私はもともとGoogleのアカウントを持っていたこともあり、新しいもの好きというのもあり、さっそくポチッと登録。
 このGoogle+、いま驚異的な早さでユーザーを増やしているそうです。私みたいなミーハーが大多数だと思いますが。ちなみに私は、Twitter、facebook、GREE、mixiとアカウントを持っています・・・無駄に…。

 ではGoogle+、既存のものと何が違うのか?

 一つ目はサークル。
 既存のSNSでは、すべてひとつの括り(たとえばTwitterだったら「フォロー・フォロワー」、facebookでは「友達」)にまとめていたのが、Google+では、友だちや家族、同じ趣味を持つ仲間など、関係に応じて自由にグループ分けをし、サークルに登録したユーザーとだけ情報を共有できます。たとえば「イオ編集部」というサークルを作って、イオ編集部限定で情報を共有、といった感じです。

 もう一つはSparksといって、自分が興味のあるトピックを登録しておくと、そのトピックに関連した情報をウェブ全体から探し、取得できるというもの。提示される情報もニュースやブログだけでなく、ビデオや写真、本など多岐にわたります。

 といっても私はアカウントを開設して写真を数枚アップしただけで、いまはもっぱら「見てるだけ」(ほかのSNS活用においても大差ありませんが…)。サークルにもまだ5人くらいしかいません。

 他のSNSユーザーの中でよくある意見で、最初は内々で始めたのが時間が経つにつれ、つながりが拡大して、気づいたらよく知らない人だらけ…みたいなことがあります。特に同胞の場合は、同胞というだけで親近感が湧いたり連帯感が生まれたりするので、誰も彼もみんな友達に…(笑)。または知り合いが増えすぎて、自由に発言しづらくなる、プライバシーを守れない(というのはいささか矛盾を感じますが)というケースも。Twitterに関しては裏アカウントを開設して、内緒のつぶやきをする人も…。
 ソーシャルメディアをどういった目的で使うのかは自由。人それぞれ、自分の好きなように使えばいいと思います。いろんな人とつながったり、思いがけなく旧友なんかと再会できるのがソーシャルメディアのメリットでもありますが、同時にそれがデメリットになる人もいるよう。後者にはGoogle+が向いてるのかなと思います。もっともWeb上に保存する以上、データはどんなところからでも洩れる。プライバシーが完全に安全にプロテクトできるわけでは、もちろんありませんが。

 とりあえず私は放置している複数のSNSたちをいい加減どうにかしたいと思います。(淑)

フェイスブックはじめました

2011-10-07 10:53:28 | (相)のブログ
 現在、イオ編集部は11月号の編集作業の真っ最中です。数日後の締切を前にして、みな殺気立っています。そんな中で、私は自分の担当する原稿を一時脇に置いて、ブログを書いています。すみません。

 今日はソーシャルメディアについて思うことをいくつか。
 ツイッター、フェイスブックなどのソーシャルメディアは最近ますます普及の度合いを深めています。私の周辺でもユーザーが増え続けています。ツイッターに比べると少なかったフェイスブックユーザーも、ここ数ヵ月で爆発的に増えています。
 ちなみに、私がツイッターを始めたのは3月11日、東日本大震災が起こった日です。利用を始めて、もう7ヵ月近くが経ちました。震災の日から始めたのはまったくの偶然で、他の編集部員に薦められてアカウントを取得したところ、その日の午後にあの大地震が起こったというわけです。
 一方のフェイスブックは始めてまだ2ヵ月半ほどです。始めて間もないですが、実名登録というのと、基本は友人、知人同士のサークル(在日同胞の中でも身近でかなり限定された内輪のつながりがほとんどです)なので親近感というかプライベート度数が高く、交流を深める上ではツイッターなどよりもいいかもしれません。まだまだ初心者なので、十分に活用しているとは間違っても言えませんが。

 ここで、フェイスブック初心者が利用して思った「フェイスブックあるある」を一つ。共通の友だちが40人、50人といるのに、お互い直接知らないという関係性がある(あるいは、片方が知っていても、もう片方が知らないとか)。ページ上に「友だちかも?」といって、プロフィール上の共通点などをもとに、知り合いであろうユーザーを紹介してくれるのですが、共通の友人が数十人いても「誰それ?」な人がいます。もちろん、相手の画面上にも私のことが紹介されているはずなので、あっちも「お前誰やねん? 知らんわ」と思っているかもしれません(あくまでも想像です)。

 あと、フェイスブックユーザーのみなさんは、古くからの知人に友だち申請をしたのに承認されなかった経験ありますか? 私は何度かあります、承認されなかったときは結構へこみます。相手が近しい存在だとなおさら。
私は、基本的な素性を了解していることはもちろん、直接言葉を交わしたことが過去に何度もあり、かつ相手も私のことを少なくとも顔見知り以上の存在として認識しているという自分なりの確信がある相手にしか「友だち申請」をしません(もちろん例外もあります。「友だち申請」が来た場合はその限りではありません)。まあ、それもあくまで自分の基準でしかないわけであって、相手にもさまざまな事情があるでしょう。私も、知り合いであるがゆえに、また自分が置かれている諸々の状況ゆえに、あまり自分のプライベートの部分をさらしたくない相手もいます。「これこれの理由で承認しないけど、ごめんねー」みたいなメッセージを相手に送る機能があればいいのにな、と思ったりもします。

 ツイッターやフェイスブックなどソーシャルメディアが普及するにつれて、いろいろなトラブルや事件が報告されています。発言が物議をかもして炎上したり、個人情報が流出したり、何となしに書き込んだ内容が大きなトラブルに発展したり、など枚挙にいとまがありません。政治家や芸能人など社会的に影響力が大きい人びとだけではなく、一般の人もネット上で愚行が晒されたりします。ツイッター=バカ発見器とも言われているようですが、確かにソーシャルメディアは、そこでの発言の内容はもちろんですが、利用する当人のふるまいだとかセンスというか、そういうものがもろに出てしまうメディアだと思います。

 ツイッターでTPOや自分の立ち位置を考慮せずにつぶやいているような人がいますが、あまりにも危機意識が欠如しているのではないでしょうか。また、フェイスブックも完全にクローズドな環境ではありません。
 誰が見ているかわからないので、発言には十分に気をつけましょう。「そういうお前はどうなんだ」という声が聞こえてきそうですが、私はどうでもいいような、しょうもない発言しかしていないので大丈夫です、たぶん。(相)

17年ぶりのウリハッキョ②初の合コン

2011-10-06 09:00:00 | (瑛)のブログ

 学校というものに大分慣れ始めてきた頃、息子は小一時間ほど先にあるウリハッキョの1年生たちと「合コン」をして帰ってきた。その時の生き生きとした表情といったら!!!
 息子のクラスは男子のみ。訪ねたクラスは女子だけのクラス。異性だったことも新鮮だったのだろう、心底楽しんできた様子で、学校が持たせてくれた記念写真には、見たことのない照れの入った笑顔が抜き取られていた。

 「合コン」はこの1回で終わらず。秋も深まった昨週には、低学年同士のキャンプが企画された。12月には合同授業を予定しているそうだ。

 先週(里)さんが書いていた「セッピョル学園」のように、今朝鮮学校は、サッカー大会や課外活動などの場を工夫しながら、子どもたちに出会いの場を作っている。私が学生の頃は、東京朝鮮中高級学校高級部が一学年400人いた時代で、最初に入学した頃は人の波に飲まれそうだった。今振り返っても、運動にしろ、勉強にしろ、人を笑わせる才能にしろ、バラエティに富む同級生たちには大きな刺激を受けたし、文句なしに楽しかった。それから20年近い月日が経ったいま、生徒の数は大きく変化している。

 今、朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の多くが、クラスメートが少ないことに頭を悩ませているはずだ。

 こう書く私もそんな一人だった。入学式を前に最終的な人数を確認したときの思いは、「集団性が培われない」という「理性的な思い」ではなく、「寂しい」という一言に尽きた。実際、ハッキョに通わせたくても、生徒数が少ないことをマイナス要因に捉えてハッキョをあきらめる例は数知れず。数を越える「何か」を固く持ち得ない限り、「数問題」は乗り越えられない。ハッキョの近くに転居する保護者も多いが、環境を変える「力」も持たなければ最終的に教育を断念せざるを得ない。

 そう考えると、1時間圏内に通える朝鮮学校が3校あるだけでも、地方都市に暮らす同胞に比べて私は幸せものだ。通わせるハッキョがあるだけでも。。。そう考えて私は子どもをハッキョに送り出した。

 民族教育に託した部分を大切に育みながら、大人として何を補ってあげられるだろうか。

 保護者となったハッキョは、異年齢の交流が盛んなこともあり、数が少ないことは、当初に比べて大きな悩みではなくなった。皆がきょうだいのようにケンカしてボールを蹴って…。時々見る運動場の光景には毎回心が温まる。

 目と鼻の先には日本の小学校もある。子どもにたくさんの出会いを! 大人の出番だ。(瑛)


名前のこと

2011-10-05 09:00:00 | (K)のブログ


 このブログはイオ編集部の部員たちが交代で書いていますが、名前全部を出さずに(愛)などと一字だけ使い、区別しています。私だけが(k)と英字で、後は全部漢字。
 日刊イオの読者には、(k)こと私の本名を知っている人も多いけれど、日本の方を中心に本名を知らない人も多いことでしょう。本体の雑誌の月刊イオには編集部全員の名前が目次に明記されていますが(写真)、日刊イオは読んだことがあるが、月刊イオは手にしたことがないという人もいることと思います。イオを手にとる機会があれば、ぜひ目次を開いて編集部員の名前を確認してください。

 ということで、今日は名前について書きたいと思ます。名前は基本的に一生、その人についてまわるものです。たいへん重要なもの。しかし、自分で自分の名前をつけることはできません。物心がついて、自分の名前が気に入らなくてもどうしようもない。
 私もそうです。自分の名前をあまり気に入っていません。理由は特にないのですが、ありふれているという感じがしています。朝鮮人の名前としてよく使われる字が2文字合わさってできた名前だからです。しかし、面白いことに、私と同じ名前の人とは、これまで4~5人しか会ったことがありません。漢字までまったく同じ人とは一人も会ったことがない。ついでに書いておくと、私は名前の2番目の漢字をよく間違えられます。「哲」ではありません。


 私が自分の本名を使うようになったのは9歳から。それまでは「日本名」を名乗ってました。しかし、「本名を使うようになった」といっても、そのときは名前の漢字を日本式に読んでいたので、本当の意味で本名を使っていたとは言えません。朝鮮語読みの本当の本名を使うようになったのは大学に入った18歳からでした。
 だから、幼少の頃から私を「日本名」で呼んでいる親戚はいまだに「日本名」で呼ぶし、高校時代の知り合いと会うと日本式の読み方で呼びます。
 大学に入って本名を名乗るようになった時の経緯や心境を書くときりがないので書きませんが、本名に変えた瞬間から、何の違和感もなく、「自分の名前」だという感覚というか感情を持つことができました。逆にものすごく解放感を感じました。不思議なものです。そのときにはすでに、「創氏改名」のことを知っていたからかもしれません。本人よりも、子どもの名前の呼び方を変えなければならなかった親の方が戸惑ったことでしょう。今度、どういう心境だったか聞いてみたいと思います。

 朝鮮が解放されて(日本が敗戦して)60年以上が経ちますが、今も多くの在日同胞が「日本名」を使っています。それは本人の問題もないわけではありませんが、多くは日本社会に問題があります。朝鮮名を使うと「不利」になる状況が日本社会にあるからです。


 芸能人が芸名を使ったり作家がペンネームを使ったりして、本名とは違った名前が世間で広がって、そういう状態で何十年も暮らしているという場合がありますが、そういう人たちは、芸名(ペンネーム)と本名の折り合いをどのようにつけているのでしょうか? 芸名で呼ばれる方が圧倒的に多くなると、それが本当の名前のように思えてくるということもあるのではないかと思います。それとも、仕事と私生活できっちりと名前に対する感覚もわけているのでしょうか?

 最近、気がつくと、私の周りの日本人で、本名とは違う名前を日常的に使う人が何人もいるようになりました。ネットという世界が広がってからだと思います。「自分の名前が気に入らないから」という人も多いでしょうが、ネットで何かを主張する時に、ペンネームのようなものを使うようになり、それを日常生活でも使うようになったというパターンは確かにあるようです。
 また、いろんな主張をもった人たちにとって、日本社会が在日朝鮮人が思っているのと同じように住みにくいというか、より圧迫を感じる社会になっていて、それも本名とは違う名前を使う理由なのではないかと考えています。
 戸籍制度にはじまり、日本社会のこれまでの枠組みに抵抗するひとつの手段として別名を名乗るという、そんな感じも受けたりします。

 私は現在、どんな場合にでも本名の朝鮮名を使いますが、それも日本社会に対する私なりのひとつの抵抗でもあります。
 そう考えると、名前というのは面白いものです。(k)

最初は不思議だった朝鮮幼稚園

2011-10-04 09:24:59 | (麗)のブログ
先週のブログでも書いていた通り、11月号の特集は朝鮮幼稚園です。

突然ですが、私もウリ幼稚園出身です。日本の保育園から編入し、一年間だけウリ幼稚園で育ちました。
保育園からウリ幼稚園に変わったとあって、友達も先生もなにもかもガラリと変わり、戸惑いがあったことを今でも覚えています。
この当時から私の人見知りは発揮されます。

ウリ幼稚園ではチョゴリを来て誕生日祝いをしたり、写真を撮るときに独特のポーズを撮ったり、
前の保育園では体験しなかったことを最初は不思議に思い、
子供ながらに「何でいちいちポーズとらなきゃいけないの?」と疑問と不満で嫌々やっていました。

その証拠に、私の幼稚園の頃のアルバムは顔がひきつって口も一文字に閉じて頑なにその意志を表現しています(笑)

いま思えばこれはチョゴリが嫌だとかポーズうんぬんより、単にカメラ嫌いな子どもなだけだったと思います。

でもウリ幼稚園に行ったおかげで朝鮮語や朝鮮の歌も自然と身に付き、幼稚園からの仲の友達ともいまだに親交があります。

最近は肌寒くなってこの特集を組むこともあり、幼稚園で流れいた「乾布摩擦の歌」が頭に何回も流れてきます。(麗)

誰のための「復興」?

2011-10-03 09:00:00 | (里)のブログ
先週の9月30日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて指定されていた
「緊急時避難準備区域」の指定が解除されました。
緊急時避難準備区域とは、"緊急時に"屋内退避あるいは別の場所に避難する必要がある地域のことで、
福島第一原子力発電所の半径20キロ以上・30キロ圏内の地域のことを指します。

政府が解除に踏み切ったのは、原子炉の冷却が安定的に進み、緊急事態が発生する可能性が極めて低くなったと判断したためだといいます。
これから、子どもや要介護者の帰還や教育施設の再開、
仮設住宅の建設などが認められるようになります。


政府系機関である原子力安全・保安院が公表した今回の解除にまつわる資料には、
「原子力安全委員会からも緊急時避難準備区域の解除について
『差し支え無い』旨の回答があったことから、本日、同区域解除の
指示及び公示を行うこととする」

という一文がありましたが、これには思わず突っ込まざるを得ません。
原子力安全委員会は、いままで「原発は安全」という宣伝をずっと後押ししてきた政府系組織です。
その原子力安全委員会がOKを出したあたり、とても前向きに受け取ることができません。

ふるさとに帰りたい住民の方たちの切実な気持ちは想像に難くないですし、
何としても帰宅が実現されるべきと、心では思うのですが、
まず第一に、解除される地域の安全はどうなっているのか、と強い疑問を感じます。


日本政府は原発事故後いままで、「20ミリシーベルトまでは安全だ」とし、
それを超える地域だけに避難指示を出しています。
緊急時避難準備区域は年間積算放射線量が20ミリシーベルト未満だとされていますが、
そもそも20ミリシーベルトという放射線量はきわめて危険な水準です。
20ミリシーベルトに満たなくても、1ミリシーベルト以上となるのは確実、というわけですから
放射線に対する感受性が高い子どもなどが戻るのは、まだ駄目だと思うんです。

「反原発」派の学者である小出裕章さんは著書「原発はいらない」の中で、
福島第一原発から少なくとも半径30キロ圏内の放射能汚染は、
チェルノブイリ原発事故で強制避難させられた汚染に匹敵する
と指摘しています。


「復興」の足がかりとなるようにと決定された今回の解除。
でも、人の命の問題が軽く扱われている気がします。
そんな空っぽな「復興」ではいけないと思います。(里)

「在日同胞の結婚式」

2011-10-02 09:00:00 | (愛)のブログ
私事ですが、私このたび「民族結婚」しました。

女子の夢、結婚式といえばリゾートウェディングやハネムーンウェディングなど色々夢みると思いますが、
今回私はといえば、どんな結婚式にしたかったかというと、
「在日同胞の結婚式」をするのが夢でした。
結婚式にあまり夢もなかった小さなころの私でしたが、
この歳になり、いろんな結婚式に参加していると、
やはり王道の「在日同胞の結婚式」がいいなと思ったのです。

チョゴリを着て、宣誓文を読み、列席者の方におおいに祝ってもらい、
ウリノレを皆で歌い、民謡にオッケチュム、
最後に全員で肩を組んでまわる一体感溢れた「統一列車」。
今回「統一列車」の際には騎馬も何騎も出現し、
予想をはるかに越えて、夢を叶えることができました。
本当にすべての方に感謝です。

私が子供のころは花見などで、外で同胞たちがケンガリやチャンゴを打ち鳴らし、
オッケチュムを踊っては歌い、楽しく過ごす光景が見られました。
同胞が大勢集まって楽しく過ごすという場が少なくなったいま、
そのぶん、在日同胞の結婚式の場がありがたく感じられます。

日本人の結婚式に比べると、在日同胞の結婚式となると、
確かに大規模で準備などもかなり大変(気が狂いそうでした)ですが、
終わってしまうと、いい思い出だけが残ります。
「民族結婚」がだんだんと少なくなっているのが同胞社会の現状ですが、
「在日同胞の結婚式」は残り続けるといいなと思う今日この頃です。(愛)