日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

日本人バス運転手さんの話し

2012-04-29 09:00:00 | (愛)のブログ
私が通っていた朝鮮学校は地理的に県が大きく、
他地域からひとつの学校に生徒が通うため、保護者が通学バスをだしたり、
電車で通ったりと、いろんな地域から学校に来る生徒がたくさんいました。
私も幼稚園年長組から中学3年生までの期間、1時間バスに揺られ、ひとつの山を越え、毎日まいにち通っていました。

バスの運転手さんは私が学生時代は二回ほど変わりましたが、どの方も日本人の運転手さんでした。
はじめの運転手さんは、ちょっとこわいけれど、実は優しい方。
通い始めのころは慣れないバス通学で何度も気持ちが悪くなり、
吐いてしまうこともしばしばでした。
その度、可能な限り小休止をとって降ろさせてもらい、新鮮な山の空気を吸いながら、学校に通っていました。
幼稚園、低学年のころは、早く授業が終わるものの、
高学年や中学のオンニ、オッパたちと皆で帰るため、部活が終わるまで学校で待たなくてはなりませんでした。
そんな時は一緒に遊具で遊んだりもしてくれました。

2回目のおじさんは背がひょろっとしていて、とっても優しいおじさんで、
一緒に遊んでくれたり、
本当にときどきでしたが、帰り際にラーメン屋に寄って、ラーメンをごちそうしたりもしてくれました。
そのラーメンのおいしいこと!おなかペコペコの私たちにとっては何よりのごちそうでした。
あるときは帰り道ちょっと遠回りして、山奥にあるお城みたいな場所まで連れていってくれたり。まるで冒険をしているようで楽しかったです。私たち子どもを楽しませるため、色々としてくれたんだと思います。

そのおじさんたちも残念ながらいまはもう亡くなってしまいました。
思えば、私たちの学校生活は教師以外にも本当にたくさんの支えがあり、
無事に巣立つことができたのだと思います。
春夏秋冬と、毎日まいにちバスで通った峠道。
冬も雪が積もるなか、安全に送り迎えしてくれたバス運転手のおじさんたち。
いまはもう伝えることはできないけれど、本当に本当に心の底から感謝しています。

時は流れ、現在は私のチョッカたちがバスで朝鮮学校に通っています。
現在は何代目かの日本人バス運転手さんです。
今年、地元の「朝・日友好親善新年会」の時、バスの運転手のおじさんも出席してくれて、
その席で毎日安全に送り迎えしてくれる感謝を込めて生徒たちから花束を贈っていました。
最初は緊張ぎみでバスの中で眠れなかった甥っ子も、今は爆睡しているみたいです。
朝早いけれど、安全な送り迎えのおかげで爆睡して休むこともできる、
本当に支えがあってこそのことだと実感します。感謝してもしきれない、朝鮮学校の裏方さんたち、
イオ6月号の特集は陰で支えているそんな方たちをたくさん紹介します!(愛)

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1 コメント

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バスの運転手さん (ポチョンボ電子楽団大好き)
2012-04-29 10:07:08
この記事を読んで、ふと、幼稚園の頃を思い出しました。当時、僕は車が大好きで、わざわざ前の席に座り、「この下には何が入ってるの?」と、タイヤの部分を指さして聞いてました。毎回のように聞くので、運転手さんも困ってました(笑)。愛さんの思い出も、聞いていて楽しくなりました。在特会のことなど、本当は書きたくありませんよね。僕も、こういう記事だけを見たいです。これからも頑張ってください!
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