「撮らないでください」
先日、平壌市内の某スポーツクラブを取材した際、利用客にカメラを向けると、毅然とした口調で撮影NGを言い渡された。市内の某図書館を取材した際も同じようなことを言われた。
5年半ぶりの訪朝で平壌に滞在して、取材現場で写真撮影を断られることが以前に比べて多くなったような気がする。もちろん取材NGの場所ではなく、許可は取っているのだが、人々の素の姿を撮ろうとレンズを向けると、当惑した表情を浮かべて顔をそむけたり、ときには露骨に嫌な顔をされてその場から立ち去ったり―。プライベートな場であればあるほどその傾向は強い。
というか、それは朝鮮の人々が特殊なのではなく、ほかの国や地域でも多かれ少なかれそうだろう。プライベートな空間で見知らぬ人間からカメラを向けられて、そのようなリアクションが出るのは当然のことだ。これまでそのようなシチュエーションで写真撮影ができたのは、取材する側の立場が強く、海外同胞メディアという看板を掲げて多少強引にでも事を運べたという側面もあるのかもしれない。
他者のプライバシーに対する配慮の欠けた取材に対して明確にノーの意思表示をするケースが増えたことは一般的には望ましい傾向なのだが、取材する側としては取材自体をすんなりとあきらめるわけにもいかない。
平壌市民の暮らしの現場を文章と写真で紹介するという企画を例に挙げると、取材に協力してもらう市民を事前にセッティングしておくという方法もアリだが、「仕込み」なしのほうが望ましい。その場合、その場で本人たちに取材の意図を説明して撮影許可をもらうのはもちろん、邪魔にならないよう離れた場所から望遠レンズで撮るなど、さまざまな工夫が必要になる。そこで頼りになるのが、ともに仕事をする現地スタッフたちだ。市井の人々の機微を知る彼、彼女たちだからこその取材対象へのアプローチ、懐への飛び込み方はある意味「外様」である筆者には容易にまねできない。
冒頭で書いた市内の某スポーツクラブでの取材の成果は、2月12日付「朝鮮新報」に掲載されている。一度ならず何度か通って、じっくり時間をかけた。人々の日常を切り取った一枚の写真がどのように撮られたのか、その裏側を知ることで朝鮮をより身近に感じてもらえればうれしい。(相)