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月刊イオがおくる日刊編集後記

ウリ民族フォーラムin宮城、サイコーでした!

2012-06-25 09:00:00 | (里)のブログ
今日は【仙台発】でイオのブログをお届けします。
前もって準備していたブログがあったのですが、急きょ内容を変更しました!
昨日「ウリ民族フォーラムin宮城」が行われたのですが、私は取材で参加してきました。そのことについて書きたいと思います。


↑フィナーレ。東北同胞たちの合唱。



↑パネルディスカッションのようす。


↑全国の青商会の皆さま。二日酔いなのに真剣にディスカッションに聞き入る…。


↑フォーラムの実行委、スタッフたちがおそろいで着ていたTシャツ。すごく可愛いデザインに惚れました。


↑VTRで紹介された、昨年3月11日に生まれたウリ赤ちゃん。オモニいわく「コテコテの朝鮮人に育てたい」そうです。


↑こんな面白CMまで!


↑わが朝鮮新報社も、こんな展示&販売ブースを設けてちゃっかりアピールしてきました。


ウリ民族フォーラムは1995年に北海道で初めて開催されて以来、各地で年1回行われてきました。
開催地域の30代(40代も)同胞が一丸となって、同胞社会の現状と課題を考え、具体的な打開策を提示し実践に移していく、そんなイベントです。
最近では青商会メンバーのみならず、一般の同胞たちも各地から駆けつけるくらい、全国的な関心が寄せられるイベントとなっています。
それは、民族フォーラムが一言で「アツい」から、だと思います。
私も実はちゃんと参加したのは初めてで、すごく感銘を受けました。勇気ももらいました。
東北の同胞社会の未来のためのさまざまな提案がなされたのですが、それは東北以外の地に住む同胞たちにもたくさんのことを訴えくれました。
そして何より、「同胞社会っていいな」という気持ちでいっぱいになりました。
気持ちがホクホクになる、とでも言いましょうか。
もう少し付け加えるなら、同胞社会の今後というテーマを「本気で」考えて取り組んでいる、そんな人々の気持ちがよい意味で「飛び火」してくる感じなんだと思います。本気だからこそ、心を揺さぶられるんです。
フォーラム後に感想を話してくれた宮城の同胞は、「ただただ、『ありがとう!』って伝えたい」と、若い世代がフォーラムを通じて東北の同胞社会の道筋を必死に探ろうとしていることに胸いっぱいのようすでした。


「東北で民族フォーラムをしなければ…」。宮城青商会の柳会長がこう思い立ったのは3年前、東北ハッキョの高級部が休校となった出来事を受けてからだったそうです。
高級部の休校は東北の同胞社会に暗い影を落としました。
この状況をどうにかしたい、またしなければいけない。そんな思いが始まりだったといいます。
また同胞たちの努力によって、2008年には山形で、2009年には秋田で地域青商会が結成されて東北6県すべてに青商会が出来たことも、フォーラム開催を決心する追い風となりました。

しかし、昨年3月11日に状況は一変。「フォーラムは無理なのでは…」というムードも漂いましたが、「こんな時だからこそ」と東北6県の青商会が民族フォーラムに立ち上がったのでした。


私が一番印象に残ったのは、柳会長の次のような言葉でした。
「この間、大地はたくさん揺れました。でも本当に揺れていたのは、異国の地で民族の誇りと自負、未来への希望を失いかけていた我々のマウム(心)でした」
東北の同胞社会は震災が起きる以前から、さまざまな困難を抱えていました。
宮城のある同胞は「震災を機に、内在していた問題が噴出して、同胞社会が揺れていました」と話していました。
フォーラムではそれらに向き合って、さまざまな具体的課題が示されました。
現状ははっきり言って、依然として厳しいです。
東北ハッキョは校舎再建のめどが立っていません。福島は見えない放射能による不安に覆われています。若者が東北を離れていく傾向も多いです。
しかしフォーラムで勝っていたのは、そのような現実の厳しさよりも、「ハンマウム」、心をひとつにすることで持てる、未来に対する前向きさだったと思います。

詳しくは数日後に出る朝鮮新報、そして来月号イオを見てください。


来年の民族フォーラム開催地は埼玉。
「フォーラムプレート」が埼玉の会長(右)にしっかりと手渡されました。




とにかく盛りだくさん、な内容のフォーラムだったのでこのブログには詳しく書ききれませんでしたが、私がとりあえず今日言いたいことはひとつです。



これに尽きます!(全然説明できてなくてすみません。笑。イオの記事を見てください)(里)

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