先日、とある学習会で遠い親戚と偶然再会した。
母の叔父の妻にあたる人で血縁関係にはないのだが、その母の叔父という人が少々思い入れのある人なので、とてもうれしくなったのだった。
この思いがけない出会いは、私にとって大叔父との「邂逅」でもあった。
大叔父は1998年、私が中学2年の時に心筋梗塞で他界した。61歳だった。
だから彼との思い出は数えるほどしかない。数少ない記憶で思い出されるのは、彼の還暦のお祝いをした1997年2月のこと。
彼の生年月日は1937年2月17日で、私の誕生日も同じ2月17日なのである。重ねて干支(丑年)まで同じということで、彼は私をとても可愛がってくれた。
還暦祝いの席で彼が私にプレゼントしてくれたキリンのブローチ(吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳が綺麗で、私はそれをいたく気に入ったのだった)は、ピンが折れてしまってもう使うことはできないが、今でも宝石箱に大切にしまってある。
彼の名前は鄭京黙。親戚らは親しみを込めて“京ちゃん”と、私たちきょうだいは“キョンムギアジェ”(正確にはアジェ(叔父)ではなく、大叔父なのだが)と呼んだものだ。
“久保覚”といえば読者の中にも知る人がいるだろうか。彼は数々の重要作を編集・刊行した編集者であり、文化活動家・研究者であった。
甚だ恥ずかしながら、私は彼のペンネームをつい先日まで知らなかった。ペンネームどころか、彼が著名人であったことは生前母から聞かされていたが、彼がどのような思想の持ち主でどんな研究や活動をしていたのか、全く知らなかったし、知る由もなかったのだ。
学習会で彼の知人が、2000年に発刊された彼の遺稿集を持ってきて見せてくれた。その中の著作の一部を紹介したい。
・「半島」の舞姫-崔承喜論のために
・やっかいな芸術家-「故事新編」の思想
・花田清輝全集刊行の言葉
・広場の思想-バフチーンとロシア・アヴァンギャルド
・書評『ベルトルト・ブレヒト演劇論集』
・朝鮮賎民芸能のエートス-流浪芸能集団「男寺党」をめぐって
・小野二郎よ、安らかに眠れ!
・アンゲルス、ノーヴス--三木卓について
・群読の意味
・文化戦線の形成にむかって
・点字で書かれた人と犬への手記-佐々木たづ『ロバータさあ歩きましょう』
・コンピアントの精神--『種子を粉にひくな-ケェテ・コルヴィッツの日記と手紙』
・〈水晶の精神〉のメモワール-ルイーズ・ミッシェル『パリ・コミューン』
・アイルランド文芸復興の母-『グレゴリイ夫人戯曲集』
・先駆的アイルランド文学紹介者の最後の書-片山廣子『燈火節』
・愛、そして詩的想像力への生きた讃歌-アントニオ・スカルメタ『イル・ポスティーノ』
・打ち砕かれた心と生の回復のために-ジュデイス・L・ハーマン『心的外傷と回復』
・〈絶筆〉21世紀への投瓶通信(上)--ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』
(「収集の弁証法―久保覚遺稿集」/久保覚遺稿集・追悼集刊行会編集・発行/影書房)
このように彼の研究領域は広範だが、それらの底流にあるのが抵抗の文化であることは、浅学未熟な私でも想像に難くない。
この知らざる大叔父の事績を知ったのは、折りしも彼の誕生日の翌日だった。この日、彼の活動の一端を知って、彼の生前、幼すぎた自分が悔やまれるとともに、私は彼へのシンパシーを強めずにはいられなかった。いま彼が生きていたら、聞きたいことが、話したいことがたくさんある。また、曲がりなりにも同じ編集者の端くれとして活動する私の姿に、大叔父は喜んでくれただろうか・・・。背筋が正される思いだった。
遺稿集の写真で、久しぶりに大叔父の顔を見た。顔中ひげに覆われていてもわかってしまう優しい目。生前何を思い、活動をもって社会になにを訴えたかったのだろう。彼が残した数々の書物でその面影を探し、遅まきながら彼と出会いなおしたい。(淑)
母の叔父の妻にあたる人で血縁関係にはないのだが、その母の叔父という人が少々思い入れのある人なので、とてもうれしくなったのだった。
この思いがけない出会いは、私にとって大叔父との「邂逅」でもあった。
大叔父は1998年、私が中学2年の時に心筋梗塞で他界した。61歳だった。
だから彼との思い出は数えるほどしかない。数少ない記憶で思い出されるのは、彼の還暦のお祝いをした1997年2月のこと。
彼の生年月日は1937年2月17日で、私の誕生日も同じ2月17日なのである。重ねて干支(丑年)まで同じということで、彼は私をとても可愛がってくれた。
還暦祝いの席で彼が私にプレゼントしてくれたキリンのブローチ(吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳が綺麗で、私はそれをいたく気に入ったのだった)は、ピンが折れてしまってもう使うことはできないが、今でも宝石箱に大切にしまってある。
彼の名前は鄭京黙。親戚らは親しみを込めて“京ちゃん”と、私たちきょうだいは“キョンムギアジェ”(正確にはアジェ(叔父)ではなく、大叔父なのだが)と呼んだものだ。
“久保覚”といえば読者の中にも知る人がいるだろうか。彼は数々の重要作を編集・刊行した編集者であり、文化活動家・研究者であった。
甚だ恥ずかしながら、私は彼のペンネームをつい先日まで知らなかった。ペンネームどころか、彼が著名人であったことは生前母から聞かされていたが、彼がどのような思想の持ち主でどんな研究や活動をしていたのか、全く知らなかったし、知る由もなかったのだ。
学習会で彼の知人が、2000年に発刊された彼の遺稿集を持ってきて見せてくれた。その中の著作の一部を紹介したい。
・「半島」の舞姫-崔承喜論のために
・やっかいな芸術家-「故事新編」の思想
・花田清輝全集刊行の言葉
・広場の思想-バフチーンとロシア・アヴァンギャルド
・書評『ベルトルト・ブレヒト演劇論集』
・朝鮮賎民芸能のエートス-流浪芸能集団「男寺党」をめぐって
・小野二郎よ、安らかに眠れ!
・アンゲルス、ノーヴス--三木卓について
・群読の意味
・文化戦線の形成にむかって
・点字で書かれた人と犬への手記-佐々木たづ『ロバータさあ歩きましょう』
・コンピアントの精神--『種子を粉にひくな-ケェテ・コルヴィッツの日記と手紙』
・〈水晶の精神〉のメモワール-ルイーズ・ミッシェル『パリ・コミューン』
・アイルランド文芸復興の母-『グレゴリイ夫人戯曲集』
・先駆的アイルランド文学紹介者の最後の書-片山廣子『燈火節』
・愛、そして詩的想像力への生きた讃歌-アントニオ・スカルメタ『イル・ポスティーノ』
・打ち砕かれた心と生の回復のために-ジュデイス・L・ハーマン『心的外傷と回復』
・〈絶筆〉21世紀への投瓶通信(上)--ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』
(「収集の弁証法―久保覚遺稿集」/久保覚遺稿集・追悼集刊行会編集・発行/影書房)
このように彼の研究領域は広範だが、それらの底流にあるのが抵抗の文化であることは、浅学未熟な私でも想像に難くない。
この知らざる大叔父の事績を知ったのは、折りしも彼の誕生日の翌日だった。この日、彼の活動の一端を知って、彼の生前、幼すぎた自分が悔やまれるとともに、私は彼へのシンパシーを強めずにはいられなかった。いま彼が生きていたら、聞きたいことが、話したいことがたくさんある。また、曲がりなりにも同じ編集者の端くれとして活動する私の姿に、大叔父は喜んでくれただろうか・・・。背筋が正される思いだった。
遺稿集の写真で、久しぶりに大叔父の顔を見た。顔中ひげに覆われていてもわかってしまう優しい目。生前何を思い、活動をもって社会になにを訴えたかったのだろう。彼が残した数々の書物でその面影を探し、遅まきながら彼と出会いなおしたい。(淑)
こんなブログもあったんですね。
それにしても久保覚さんの親族の方とは…。
すごい叔父様をお持ちですね。
私の本棚にも1冊、あります。
コメントありがとうございます。
月刊イオを読んでくださり、また、当ブログにいらしてくださりありがとうございます。
「日刊イオ」は、月刊イオの編集部員が曜日毎に毎日更新しています(月曜は、担当の(里)さんが現在長期出張中のためしばらくお休みしています)。
よろしければたまに覗いてみてださいね^^