日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

ブレヒトの芝居小屋で最後の観劇

2019-04-02 09:32:00 | (K)のブログ


 先日、東京演劇アンサンブルの演劇「クラカチット」を観にいきました。場所は「ブレヒトの芝居小屋」。ブレヒトの芝居小屋は東京演劇アンサンブルの本拠地で西武・武蔵関駅近くにあります。ですが、移転することとなり、現在の場所での公演は今回が最後、私にとっても最後の芝居小屋での観劇となりました。

 芝居小屋に初めて足を踏み入れたのは、2012年3月です。しかし、その時は観劇ではなく、韓国の芸術家で光州民衆抗争の時に文化宣伝隊で活動した洪成潭さんの作品展「5月版画展 ひとがひとを呼ぶ」の取材でした。芝居小屋が会場となっていたのです。
 東京演劇アンサンブルが上演する作品は、沖縄やパレスチナ、原発など様々な問題をテーマにしています。また芝居小屋はいろんなイベントの会場としても使われてきました。昨年4月には在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会が主催する「4.23アクション いま、日本軍性奴隷問題と向き合う~被害者の声×アート~」が催され、二人芝居「キャラメル」も上演されました。その他、憲法集会なども行っており私も参加しています。

 私が芝居小屋によく足を運ぶようになったのは、劇団の役者である洪美玉さんを2014年に取材し月刊イオで紹介した後からです。東京演劇アンサンブルの作品で最初に観たのが音楽劇「はらっぱのおはなし」で、その後、入院していた期間を除いて芝居小屋で上演された作品はすべて観ていると思います。一番、印象に残っている作品はナチスドイツが台頭する過程を描いた「第三帝国の恐怖と貧困」(2015年)でしょうか。
 作品自体もいつも素晴らしいのですが、驚かされるのは会場の作り方です。作品ごとに舞台と客席の位置や形が違っており、趣向を凝らした空間が作られてきました。そういうことが可能だったのも、自前の小屋があったからでしょう。
 演劇を観た後、芝居小屋で交流会というか飲み会が始まることも多くありました。その過程で劇団の人たちと顔見知りになることができました。

 実はブレヒトの芝居小屋、実際に訪れる以前からその存在を知っていました。小屋の近くに松乃湯という銭湯があって、息子が学校に上がる前、日曜日などによく通っていたのです。銭湯に行く時は車で小屋の横を通るのですが、芝居小屋だとはまったくわからず、普通の工場だと思っていました。劇団の関係者の皆さんとは、銭湯の中で知らないうちに顔を合わせていたかもしれません。
 芝居小屋から自宅へは歩いて45分ほどで、よく酔っぱらって歩いて帰っていました。最終公演の時も飲んでふらふらになりながら歩いて帰りましたが、もうそういうこともできないのかと思うと寂しいものがあります。



 芝居小屋で観る最後の公演「クラカチット」は、新しく開発された原子爆薬をめぐる物語で、3時間を超える大作でした。1924年に出版されたカレル・チャペック(戯曲「ロボット」で有名です)の同名の小説が原作ですが、1917年のロシア革命の影響を受けているように感じましたがどうでしょう。実際に原子爆弾が製造される何年も前に書かれた小説ですが、大量破壊兵器を作ってしまった科学者の苦悩がよく表現されていたと思います。ぜひ原作を読んでみたい。
 自分は安全な所にいてボタンひとつで何万人という人間を一瞬で殺戮してしまえる現在社会。そのボタンを押すことが人間に何をもたらすのか、ということを問いかけているようでした。舞台の作りも素晴らしかった。

 芝居小屋がどこに移転するのか、まだわかりませんが、これからも東京演劇アンサンブルの芝居は見続けたいと思っています。(k)

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