今週月曜日(23日)から東北地方を訪れています。
昨年の東日本大震災から来る3月で丸1年。イオでは、震災から1年が過ぎた被災地の同胞社会の今を探るための企画を準備しています。その企画の担当が私に決まり、宮城、岩手、福島の被災各県を回る旅に出ているわけです。
昨日まで3泊4日で宮城を訪れました。現地の同胞たちは今何を考え、どのように暮らしているのか、震災被害からの復旧はどれだけ進んでいるのか。仙台、石巻、女川などを回り、さまざまな人びとと会って話を聞きました。
自分の頭の中で取材した内容をまとめきれていないので、詳細は次回のブログ、そしてイオ3月号で書きたいと思います。
上の写真は女川町立病院から見た女川町の様子です。津波で町が丸ごと流された女川。今では瓦礫は撤去され、かつて町だった場所はいくつかの建物を除いて一面の更地と化していました。
女川や石巻、気仙沼など津波の被害を受けた沿岸部の同胞たちの中にはいまだ仮設住宅で暮らす人たちもいます。震災で肉親をなくした人、廃業した人、家をなくした人、お店を再建した人、他県で新たな暮らしを始めた人、結婚した人、子どもが生まれた人など。当然ですが、さまざまな境遇の人々がいて、同胞社会の中でも「被災者」とひとくくりにできるほど単純ではありません。自分が勝手に想像していた被災地同胞社会の姿というものが「裏切られる」場面にも何度か出会いました。
以前、あるライターの方が話していました。「自らが書こうとした内容と矛盾するようにみえる事実に出会った時こそ、ライターの正念場だと思う」と。
ジャーナリストの故斉藤茂男氏は著書の中で、取材とは「事実を発見することによって一種の自己変革を起こさせる性質のもの」であり「記者は事実によって鍛えられるしかない」のだと指摘しています。
今日から岩手県に入ります。明後日からは福島に行きます。東北3県取材も残すところ数日ですが、これからも現場に身を置いて、事実によって鍛えられてこようと思います。(相)
昨年の東日本大震災から来る3月で丸1年。イオでは、震災から1年が過ぎた被災地の同胞社会の今を探るための企画を準備しています。その企画の担当が私に決まり、宮城、岩手、福島の被災各県を回る旅に出ているわけです。
昨日まで3泊4日で宮城を訪れました。現地の同胞たちは今何を考え、どのように暮らしているのか、震災被害からの復旧はどれだけ進んでいるのか。仙台、石巻、女川などを回り、さまざまな人びとと会って話を聞きました。
自分の頭の中で取材した内容をまとめきれていないので、詳細は次回のブログ、そしてイオ3月号で書きたいと思います。
上の写真は女川町立病院から見た女川町の様子です。津波で町が丸ごと流された女川。今では瓦礫は撤去され、かつて町だった場所はいくつかの建物を除いて一面の更地と化していました。
女川や石巻、気仙沼など津波の被害を受けた沿岸部の同胞たちの中にはいまだ仮設住宅で暮らす人たちもいます。震災で肉親をなくした人、廃業した人、家をなくした人、お店を再建した人、他県で新たな暮らしを始めた人、結婚した人、子どもが生まれた人など。当然ですが、さまざまな境遇の人々がいて、同胞社会の中でも「被災者」とひとくくりにできるほど単純ではありません。自分が勝手に想像していた被災地同胞社会の姿というものが「裏切られる」場面にも何度か出会いました。
以前、あるライターの方が話していました。「自らが書こうとした内容と矛盾するようにみえる事実に出会った時こそ、ライターの正念場だと思う」と。
ジャーナリストの故斉藤茂男氏は著書の中で、取材とは「事実を発見することによって一種の自己変革を起こさせる性質のもの」であり「記者は事実によって鍛えられるしかない」のだと指摘しています。
今日から岩手県に入ります。明後日からは福島に行きます。東北3県取材も残すところ数日ですが、これからも現場に身を置いて、事実によって鍛えられてこようと思います。(相)
そういう風景が日常なら安心しました。
私も、朝鮮人と知り合いたいです・・・。
被災地で日本人・朝鮮人が助けあう姿があったら、報じていただけると嬉しいです。