日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

イオ10月号が完成しました

2018-09-18 10:00:00 | (相)のブログ
 

 イオ10月号が完成しました。
 今月号の特集は「30代を探して」。
 今年で創刊から22年になるイオですが、30代、40代の在日同胞の方々にとくに読んでいただきたいと考えています。そこで10月号では「30代を探して」と題して、雑誌のメインターゲット世代でもある30代の在日同胞にスポットをあてました。仕事や家庭、子育ての悩み、将来への不安、そしてアイデンティティ…。かれ、かのじょたちの等身大の姿に迫りました。
 
 特別企画は、「大人なひととき~ほろ酔いBAR巡り~」です。王道のオーセンティックバーからカジュアルバー、ジャンルに特化した変わり種のバーまで、一言でバーといってもさまざま。今月号では東京、横浜、前橋、大阪、京都5ヵ所でステキなお店を紹介します。同胞バーテンダーにバーでのマナーやバーの楽しみ方についても聞きました。
 
 これ以外にも、8月から9月にかけてあったさまざまなニュースをフォローしています。
 8月20日から26日にかけて金剛山で行われた北南離散家族の面会を現地発の臨場感あふれる記事と写真で伝えます。北と南の統一チームが金メダルを獲得したことでも話題となったインドネシア・ジャカルタでの第18回アジア競技大会や、8月にスイス・ジュネーブで行われた国連人種差別撤廃委員会の日本審査についても詳報しています。
 また、朝鮮新報社と韓国のメディア「民プラス」などが共催した8.15解放73周年共同討論会「4.27板門店宣言時代と私たちの役割」、日本列島を襲った台風21号と北海道胆振地方での地震の被害についても伝えます。
 表紙は、サッカー・J3のFC琉球で監督を務める金鍾成さんです。(相)

大阪で遭遇した台風21号

2018-09-10 10:00:00 | (相)のブログ
 6月18日の大阪府北部地震、7月の西日本豪雨、7月~8月にかけての記録的な猛暑、そして9月4日の台風21号、そして6日未明の北海道胆振東部地震と、3ヵ月足らずの期間に大規模な自然災害が相次いで日本列島を襲った。
最近の台風21号では11人が亡くなり、292人が負傷、北海道胆振東部地震ではこれまでに39人の死亡と600人以上の負傷者が確認されている。
 短期間にこれだけの大きな自然災害が集中的に起こるのは前例がないのではないだろうか。

 台風21号が日本列島を襲った際、私は台風上陸ど真ん中の大阪にいた。
 その日の昼頃から新幹線で広島へ移動する仕事スケジュールを立てていたのだが、この日中に大阪に戻ってくる必要があったことなどさまざまな事情を総合的に考慮して、結局広島行きをキャンセルした。現地で予定されていた仕事は現地の協力を得て済ませることができた。
 その日は一日中ホテルに缶詰めになりながら原稿を書いたりしていたのだが、昼過ぎから天気が一変し、猛烈な雨と風が襲ってきた。部屋の窓越しからでもそのすさまじさがわかった。部屋を12階の高層階に取っていたのだが、部屋にいても風でビルが揺れているのが体感できた。今年初めに建てられた新しいビルが(いくら強いとはいえ)風で倒壊することはありえないとはわかっていても、建物が揺れれば怖い。食料その他を買い込むためにホテルから20~30メートル先のコンビニまで行こうとしたのだが、建物の外に出た瞬間、強風で看板やら自転車やら傘やらが四方から飛んでくるような状況にさすがに恐怖を感じ、すぐホテルへ引き返した。
 これまで東京やその周辺地域で台風に遭ったことは何度もあるが、電車が止まって通勤or帰宅難民になるくらいで、身の危険を感じたことはほとんどなかった。しかし今回は、外に出てみて、大げさではなく本当に命の危険を感じた。
 
 この台風被害によって、翌日に大阪市内で取材のアポを取っていた人が海外から日本に戻ってこられなくなり、取材を中止せざるをえなくなるなど仕事のスケジュールにも少なくない悪影響があった。その人は北京から関空に4日夜に戻ってくるはずが、結局7日夜まで北京に足止めされてしまったという。関空の被害状況を見ればそれもいたしかたないが、当の本人たちからすると災難以外の何物でもないだろう。「ご愁傷さま」としか言いようがない。
 台風がやってきて公共交通機関がストップすると、これまでは「なぜ止まる? 早く動かせ!」と心の中で毒づくこともあったが、今回を機にその考えを完全に捨て去った。自然災害の際は安全第一でストップさせるべきだし、無理して仕事場に行く必要もない。命あっての物種だ。(相)

関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼シンポジウム

2018-08-31 09:56:05 | (相)のブログ


関東大震災時の朝鮮人虐殺から明日9月1日で95年がたつ。
今年もまた、追悼行事をはじめとするさまざまな関連イベントが予定されている。
すでに各所で告知がなされてはいるが、今回のエントリを借りてあらためて、朝鮮大学校朝鮮問題研究センターの主催で9月22日に開かれる関東大震災95周年朝鮮人虐殺犠牲者追悼シンポジウムのお知らせをしたい。

関東大震災95周年朝鮮人虐殺犠牲者追悼シンポジウム『関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任』
日時:2018年9月22日(土)13:00~18:00 (12:30開場)
場所:朝鮮大学校記念館講堂(4階)
参加費:1000円(学生、大学院生無料/事前申込要)
申込方法:①住所 ②氏名 ③所属を記載のうえ、メールかFAXで申込。(9月19日必着)
件名には「シンポジウム参加」と記入。定員になりしだい締め切り
お問い合わせ:朝鮮問題研究センター(KUCKS)
〒187-8560東京都小平市小川町1-700
TEL:(042)346-0414  
FAX:(042)346-0405
E-mail:kucks@korea-u.ac.jp

プログラム
1部:演劇と証言
詩劇「まとう人」
作:李英哲(朝鮮大学校准教授)
原案:朴英二監督・映画「まとう」/許南麒作・詩「君たちよ、もう目を閉じよ」、「追われる者のうた」ほか
    証言:尹峰雪さん
2部:シンポジウム
 【第1セッション:虐殺の真相究明と虐殺否定論】
   報告①朝鮮人虐殺に関する真相究明の現状―1100人の証言から見える虐殺の実態―
      西崎雅夫(一般社団法人ほうせんか理事)
   報告②虐殺否定論とその狙い
      加藤直樹(ノンフィクションライター)
   コメントと討論
   山本すみ子(関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会代表)
   林裕哲(朝鮮大学校助教)
 【第2セッション:虐殺の構造と植民地支配責任】
   報告③日本の朝鮮植民地支配と朝鮮人虐殺―義兵戦争、シベリア出兵、三・一運動から関東大震災へ―
      愼蒼宇(法政大学准教授)
   報告④「関東大虐殺事件」と植民地支配責任追及―解放直後在日朝鮮人運動の実践
      鄭永寿(朝鮮大学校助教)
   コメントと討論
    田中正敬(専修大学教授)
    加藤圭木(一橋大学准教授)


第1部で証言者として名前のある尹峰雪さんは、朝鮮人虐殺の目撃者で1999年12月に日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた故・文戊仙さんの娘。千葉県在住の尹さんはこれまで、母親から伝えられた関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する証言をさまざまな機会に行ってきた。日弁連は4年間の調査を経て2003年8月、当時の小泉首相あてに関東大震災時の朝鮮人虐殺について日本政府が責任を認めて謝罪することと真相調査を求めた勧告書を提出している。

主催者側は、本シンポを通じて、「最新の研究結果に基づきながら、とりわけ日本の朝鮮侵略、植民地支配の観点から朝鮮人虐殺の構造と責任を追及し、問題解決に向けた今後の課題について考えてみたい」としている。
あの虐殺から95年がたとうとする今も事件の全貌は明らかになっていない。そればかりか、「虐殺否定論」がはびこり、犠牲者追悼式典の妨害や追悼碑の撤去が公的な立場にいる人々から叫ばれている。
こうした時代だからこそ、しつこく声を上げていかなければならない。(相)

インパクト抜群のそば

2018-08-23 10:00:00 | (相)のブログ
 仕事やプライベートでさまざまな土地を回ると、その地域ならではのユニークな食べ物に出会うことも少なくない。旅に何を求めるのかは人それぞれだが、私にとっては食は旅の醍醐味の一つだ。
 先日、福島県の会津若松を訪れた際に出会った食べ物が最近ではダントツのインパクトだったので、今回のエントリではそれを紹介したい。
 
 現地のガイドを買って出てくれた某氏に連れられて、地域の観光スポット・大内宿を訪れた。大内宿は江戸時代の宿場町の面影がそのまま残っているような景観が特徴で、国の重要伝統的建造物群保存地区にもなっている場所だ。

 

 お昼時。
 大内宿の名物だという「ねぎそば」を食べようということになった。
 「ねぎそば」と聞いて、刻んだねぎがそばの上にのっているものを想像したのだが、テーブルに運ばれてきたのは私の想像力のはるか上を行く代物だった。

 

 大きな器の中にそば、大根おろし、かつおぶし、その上にねぎが1本のせられている。刻んだねぎではなく、1本まるごと!
 このねぎを箸のかわりにして食べるのだ。薬味も兼ねているので、ねぎをかじりながらそばを食べてもOKらしい(ねぎでは食べにくいという人のために、普通の箸ももちろん用意されている)。
 
 このねぎそば、大内宿にある食事処ではほとんどの店舗のメニューに載っている有名なもの。同じねぎそばでもお店によって味や具材はさまざまなのだという。
 日本各地にはさまざまなそばがあるが、箸の代わりにねぎ1本を使うというこの郷土料理には奇想天外という言葉がぴったりくる。
 そばはとてもおいしかった。そして、それ以上にビジュアルのインパクトが強く残った。(相)

関東大震災時の朝鮮人虐殺から95年―小池都知事は今年も…

2018-08-09 10:00:00 | (相)のブログ
 東京都の小池百合子知事が、毎年9月1日に横網町公園(東京都墨田区)で営まれる関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典に、昨年に引き続いて今年も追悼文を送らない方針だという。
 これまで式典には歴代の東京都知事が追悼文を寄せていたが、小池知事は昨年、「すべての犠牲者に哀悼の意を示しており、個別の形での追悼文は控える」として送付を取りやめた。今年も同じ理由で追悼文は送らないという。
 これに対して、式典を主催する日朝協会などの市民団体メンバーが昨日、東京都庁を訪れ、小池知事に対して今年の追悼式への追悼文送付を求める署名を提出した。
 「都知事としてすべての震災犠牲者に哀悼の意を示しているのだから、朝鮮人犠牲者に対してだけ別途追悼文を送ることはしない」ということなのだが、これが日本の首都・東京都のトップたる知事の認識なのかと昨年に続いて暗澹たる気持ちになる。
 「震災の犠牲者と、人の手で虐殺された死は違う。その事実を認めず、埋没させるのは負の歴史を反省せず、現代において民族排外主義やヘイトスピーチの容認にもつながる」(日朝協会都連合会の赤石英夫さん)。8月2日付東京新聞に掲載された記事中のコメントがこの件の本質を言い当てているので、ここに引用する。
 昨年、小池知事のこの方針が伝えられると、多方面から批判が噴出した。小池知事は関東大震災時の朝鮮人虐殺の事実関係をめぐる自身の認識を問われると、「さまざまな見方がある」「歴史家がひもとくもの」などとのべて、最後まで虐殺の事実を認めず、自らの見解も明らかにしなかった。当時、知事のこの発言に接して憤りとともに恐ろしさも感じたが、それは今も変わっていない。

 関東大震災から95年になる今年9月1日を前に、朝鮮人虐殺に関連した行事が東京の各地で開かれている。新宿区・新大久保にある高麗博物館では7月4日から「朝鮮人虐殺と社会的弱者―記憶・記録・報道」というタイトルで企画展が開催されている(12月2日まで)。
 7月21日から8月5日まで世田谷区にある劇場「ザ・スズナリ」では「九月、東京の路上で」が上演された。加藤直樹さんの同名の本をもとに劇団「燐光群」を主宰する坂手洋二さんが作・演出したものだ。
 朝鮮人虐殺について文化人や市井の人々が残した記録をまとめた『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(筑摩書房)も出た。編者の西崎雅夫さんは30年以上にわたって関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を記録し、追悼する活動を続けてきた。一昨年には『関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言』を出されている。これは500ページ以上で価格も1万円に迫る大部の本だが、今回の証言集はコンパクトな文庫で手に取りやすい。

 9月1日を前に、あらためて歴史の声に耳をかたむける。この国にはびこる歴史修正主義とヘイトスピーチに打ち勝つためにも。(相)

2017年7月28日

2018-08-01 10:00:00 | (相)のブログ
 日本列島を西に向かって横断するという異例のコースをたどった台風12号が関東地方に接近した7月28日。奇妙奇天烈な台風が運んできた雨と風が猛威を振るうさまを仕事場の窓越しにながめながら、ちょうど1年前の出来事を思い出していた。
 
 2017年7月28日、大阪朝鮮高校無償化裁判で原告・大阪朝鮮学園側が全面勝訴。
 大阪地裁前、「勝訴」「行政の差別を司法が糾す」の旗出し、湧き上がる歓声、抱き合い喜びの涙を流す学校関係者と支援者、チマチョゴリ姿で笑顔の女子生徒たち―。今でもふとした時に、インターネット上にアップされている動画を見ながら、あの日に思いをはせることがある。
 私は地裁前ではなく、判決を聞くために法廷の中にいた。
 正直に言うと、期待はしていなかった。国の露骨な朝鮮学校外しの違法性は明白だったが、大阪に先立って判決が言い渡された広島の裁判では原告側が全面敗訴となった。その年の1月には、大阪朝鮮学園が大阪府と大阪市を相手取って補助金不支給処分の取り消しと交付の義務付けを求めた裁判で原告全面敗訴の地裁判決が下された(この結果を受けて原告側は控訴したが、今年3月にはまたしても高裁で原告敗訴となった)。
 頭の中ではこちら側に理があるとわかっている。普通なら、こちらが負けるわけはない。しかし、戦後補償裁判から朝鮮学校関連の裁判にいたるまで、こちら側の主張が認められたことなどごく少数の例外を除いてほとんどないという事実の前に、なかば諦めていたというのが正直なところだった。おまけに、これは国を相手取った裁判だ。「今回もだめだろうな…」。頭の片隅では敗訴バージョンの記事の展開を考えていた。
 しかし、結果は違った。原告全面勝訴。こんな誤算ならいくらでも歓迎だ。
 判決言い渡しの日は奇しくも自分の誕生日の翌日だった。最高の誕生日プレゼントをありがとう―。歴史的な場に立ち会えた幸運に感謝した。

 あれからもう1年。
 国側が控訴して高裁に舞台が移された裁判は3回の口頭弁論を経て今年4月27日、結審した。控訴審の判決は9月27日、大阪高裁で言い渡される。
 控訴審判決の言い渡しを2ヵ月後に控えた大阪では、7月26日に府内7ヵ所で朝鮮学校関係者、裁判支援者らによる一斉街宣行動が行われた。
 声を上げ続けること―たとえそれが小さくか弱い声だとしても。その愚直なまでの取り組みが実を結んだのが一審の勝訴判決ではなかったか。

 9月27日は今よりも涼しくなっているだろう。
 昨年7月28日のような喜びの声を、また聞きたい。(相)

西日本豪雨、被災地での復旧・支援活動(1)

2018-07-20 10:00:00 | (相)のブログ
 先週のエントリでもお伝えしたように、今月上旬の西日本を中心とした記録的な豪雨によって、西日本各地の在日朝鮮人住民家屋や店舗、朝鮮学校などにも少なくない被害が発生した。被災各府県の総聯本部が把握する限りでは同胞の人命被害はなかったものの、岡山県や広島県などで家屋や店舗が被害を受けた。和歌山朝鮮初中級学校や岡山朝鮮初中級学校などでも雨漏りの被害があった。
 7月20日付朝鮮新報によると、岡山県倉敷市では10戸の被害が報告されている。とくに、町の大部分が浸水した真備町に住む人々の被害は大きく、家屋の全壊を含めた甚大な被害があった。
 総聯岡山県本部では9日に岡山県同胞災害対策委員会を立ち上げ、▼復旧作業の支援、▼炊き出しなどボランティア活動、▼支援物資の提供、▼義援金の募集を行うことなどを決定。この決定にしたがって、翌日から総聯活動家や朝鮮学校教員らが被災同胞宅を訪ねて復旧作業を行った。14日から16日にかけては県内外の有志も加わった支援隊による集中的な復旧作業が行われた。

 

 
 (写真はいずれも朝鮮新報提供)

 おりしも、先週末から命の危険も指摘されるほどの記録的な猛暑が被災地を含めた日本各地を襲った。朝鮮新報電子版に掲載されている被災地発のルポ記事によると、厳しい暑さの中でも必死の作業を繰り広げた結果、被災家屋から瓦礫やゴミ、たまった泥の多くが搬出されたという。
 対策委員会では、被災した同胞たちが一日でも早く日常生活を取り戻せるよう、当面の復旧作業に加えて、義援金や支援物資の募集、被災地での炊き出しなど中長期的に支援活動を行っていくという。(相)

 あらためて、義援金の募金先の情報を。

 総聯広島土砂災害対策委員会 韓政美
 ・朝銀西信用組合 天満支店 (普) 1077357
 ・広島銀行 江波支店 (普) 3079214

 岡山同胞災害対策委員会 呉信浩(オシンホ)
 ・朝銀西信用組合 本店営業部 (普) 1087971

西日本豪雨、朝鮮学校や同胞家屋にも被害発生

2018-07-13 10:00:00 | (相)のブログ
 

 西日本各地を襲った豪雨によって、各地に甚大な被害が発生している。
 被災地域の朝鮮学校や在日朝鮮人の家屋、店舗にも少なくない被害があった。
 現在までの被災状況や救援活動については、以下の報道がくわしい。
 http://chosonsinbo.com/jp/2018/07/009-2/
 
 http://chosonsinbo.com/jp/2018/07/0012/

 http://chosonsinbo.com/2018/07/0012-9/
 http://chosonsinbo.com/2018/07/009-6/


 被災地域の総聯本部が集計したところによると、現在までのところ同胞の人命被害はないが、広島では土砂崩れによって土台が流されて全壊状態の家屋があり、岡山県倉敷市の真備町では家屋の床上浸水の被害が報告されている。
 和歌山朝鮮初中級学校では深刻な雨漏りが発生し、3階の教室が使用困難な状況となったほか、寄宿舎の食堂の天井が抜け落ちるなどの被害を受けた。しかし、児童・生徒の保護者、学校関係者、地域同胞、日本人有志、県外から駆けつけた支援人力を中心に集中的な普及作業を展開、学校は9日から正常に運営されている(トップの写真は和歌山朝鮮初中級学校での復旧作業。提供=総聯大阪支援隊)
 岡山朝鮮初中級学校でも、1階と2階の教室が雨漏りを起こした。雨漏り被害は、ほかに福岡や京都の学校でも報告されている。
 西日本のほとんどの朝鮮学校では臨時休校措置が取られた。

 被災地域では公共交通機関や道路も被害を受けたことで、現地へのアクセスが容易でない状況にある。そのような状況でも、広島、岡山など豪雨被害が発生した地方では10日に災害対策委員会を設置し、被害状況の把握と被災者に対する支援活動を行っている。

 支援募金については以下の通り。

 総聯広島土砂災害対策委員会 韓政美
 ・朝銀西信用組合 天満支店 (普) 1077357
 ・広島銀行 江波支店 (普) 3079214

 岡山同胞災害対策委員会 オシンホ
 ・朝銀西信用組合 本店営業部 (普) 1087971

 今後、イオ編集部でも被災地域への記者派遣を含めて豪雨被害関連の情報収集につとめ、ニュースを随時発信していきたい。(相)

今年の訪朝期間中に食べた、「平壌冷麺以外の冷麺」

2018-07-02 09:47:27 | (相)のブログ
 先日のエントリで(麗)さんも書いていたが、現在編集作業真っ最中のイオ8月号では冷麺に関する企画を準備している。

 本誌ではこれまで何度か冷麺に関する企画をやってきたが、先の板門店での北南首脳会談をきっかけに平壌冷麺にスポットライトが当たったこともあり、本格的な夏到来を前に冷麺をあらためてフィーチャーすることにした次第だ。

 おいしい冷麺を食べられるお店の紹介がメインの企画となっている。先日の近畿出張の際には、本企画の取材のため、神戸市長田区にある元祖平壌冷麺屋を訪れた。
 

 冷麺のメッカといえば平壌。平壌冷麺は冷麺の代名詞的存在だし、平壌冷麺の名店・玉流館は先の北南首脳会談を機にあらためて脚光を浴びた。

 しかし、朝鮮で冷麺は、いわゆる平壌冷麺以外にもさまざまな種類があり、おいしい冷麺を食べられるお店も玉流館だけではない。

 そこで、今回のエントリでは、私が今年1月から4月にかけて朝鮮に滞在した期間に食べた、平壌冷麺以外の冷麺を、食べた際の簡単なエピソードとともにいくつか紹介したい。

 

 まずはこれ、ノンマクッス。ノンマクッスとは、ジャガイモの澱粉を原料とする冷麺のことで、平壌冷麺と双璧をなす咸興冷麺がノンマクッスの代表格だ(ちなみに、平壌冷麺の麺は「メミル(蕎麦粉)」が原料)。咸興地方でしか食べられないわけではなく、ジャガイモの産地(白頭山が位置する両江道など)ではポピュラーだし、もちろん平壌でも食べられる。写真のノンマクッスは、2015年に建造された大同江クルーズ船「ムジゲ」号内のレストランで食べたものだ。

 

 2つ目の冷麺もノンマクッス。これは、南浦市内の某水産事業所を取材で訪れた際にごちそうになったもの。事業所の支配人の急な都合で取材時間がおして1時間近く待たされていた時に、「これでも召し上がって待っていてください」と出されたのが写真の冷麺だった。

 時刻は午後3時過ぎ。取材前に昼食は済ませてきて、空腹ではなかったのだが、麺料理なのでスルスルとお腹に入ってきた。街中のレストランで出されたものではなく、職場の食堂で出される、いわば一般の従業員が普段食べる「サラメシ」としての冷麺は具材もシンプルで、素朴な味が印象に残った。

 

 3つ目は、在日朝鮮人旅行客の定宿となっている平壌ホテルのすぐ隣にある烏灘トウモロコシ専門食堂で提供されているトウモロコシ冷麺。昼時には行列ができる人気店である同店で提供されているトウモロコシ100%の麺は一見、中華麺に似ているが、トウモロコシの香ばしさや甘み凝縮された細麺が特徴だ。酸味の利いた薄味のスープに別皿のナムルとキムチの汁を絡めて食べる。ここのトウモロコシ麺は絶品だ。(相)

墓前で接した首脳会談

2018-06-18 10:00:00 | (相)のブログ
 6月12日、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国間の史上初となる首脳会談がシンガポールで開かれた。
 仕事柄、このような大きな政治的イベントがあった際はテレビモニター(あるいはパソコン)にかじりつくか、「街の声を拾う」的な取材に出かけることが多い。今から11年前の2007年10月、2度目の北南首脳会談が行われた際、某新聞で朝鮮半島問題を担当していた私は職場に備え付けられたテレビ画面とデスクのノートパソコン画面を交互に見ながら、平壌から送られてくる記事と写真をキャッチする作業に没入していた。今年4月27日の北南首脳会談の時は近畿地方に出張し、パブリックビューイングや祝賀会の会場、商店街などを回りながら、在日同胞の声を取材した。

 そして今回の歴史的な朝米首脳会談がシンガポールで行われていた同時刻、私は職場や取材の現場ではなく、祖母と父が眠る墓の前にいた。
 この日は祖母の命日。昨年6月12日に96歳で亡くなった祖母の一周忌法要に参加した。
 家族、親戚一同が集まった場の話題は、亡き祖母の思い出と急進展する最近の朝鮮半島情勢。当然ながら、同時刻に行われていた朝米首脳会談も話題にのぼった。
 家族史と首脳会談。一見、何の関係もなさそうだが、年老いた叔父、叔母が話す家族史をそばで聞きながら、私の家族が歩んできた歴史は朝鮮半島の近現代史と分かちがたく結びついているということをあらためて実感した。

 祖母がもし生きていたら、朝米両首脳の握手を見て何と言っただろうか―。
 祖母の命日と首脳会談の日程が重なったのはもちろんまったくの偶然なのだが、祖母がもたらしてくれたこの偶然に感謝した。(相)

戦争から平和へ、分断から統一へ

2018-06-07 10:00:00 | (相)のブログ
 今から10数年前、2000年代の半ばから後半にかけての6年ほどを某新聞の朝鮮半島問題のセクションに身を置いていた関係で、この間、日本と朝鮮を行き来しながら取材活動を行っていた。
 朝鮮での取材活動は非常にやりがいのある仕事だったのだが、中にはあまり気乗りしない取材現場もあった。離散家族の面会行事だ。「気乗りしない」と言うと仕事のやる気がないみたいに誤解されそうなのだが、その場にいるのがつらいというか、半世紀ぶりに再会できるという喜びと数日間の再会の後にまた別れなくてはいけないというより大きな悲しみが交錯する場に身を置きながら無力感に苛まれるというか、要は離別の場面があまりにも悲しかったのだ。
 「見たか。これが民族分断の痛みの象徴だよ」
 何回目の離散家族面会行事の取材だっただろうか。取材を終えて平壌に戻る車中、仕事でタッグを組む現地ガイド氏に言われた一言が今も胸に残っている。
 今月の中旬に発行されるイオ7月号の特集を作る過程で、朝鮮半島現代史のさまざまな場面を切り取った写真を収集した。離散家族の面会をはじめ過去に自分が取材して書いた記事が載った紙面を見返しながら、さまざまな思いが胸に去来した。

 史上初となる朝米首脳会談の開催が近づいている。
 長らく敵対関係にあった両国のトップが対話のテーブルにつく。65年近くにわたって朝鮮半島を規定してきた不安定な停戦体制と朝米対立の構図を解体し、この地が世界で唯一残った冷戦の軛から解き放たれる可能性が眼前に広がる。これが持つインパクトの大きさを果たして(私も含めて)どれだけの人が理解できているだろうか。たとえば、上記の離散家族の再会という人道問題に関しても、面会事業の定例化とともに書信のやり取りなど継続的に連絡を取り合うことを可能にするためには、戦争終結と平和体制の構築が必須になるだろう。
 北南首脳会談のときに感じたようなエモーショナルな思いは朝米首脳会談ではたぶん感じないかもしれない。しかし、会談(とその結果として訪れるであろう変化)に対する期待は朝米の方がはるかに大きい。
 ともかく、まだ会談が始まってもいないのに、まだ結果が出てもいないのにあれこれ言ってもはじまらない。行方を静かに見守りたい。(相)

禁煙から2年

2018-05-29 10:00:00 | (相)のブログ
 20数年間吸い続けてきたタバコを絶ってから2年が経つ。
 奇しくも、一昨日の5月27日がちょうど禁煙2周年にあたる日だった。
 当たり前に喫煙していた時代は、「タバコを吸わずに原稿書くなんて絶対無理。大病を患ってドクターストップがかからない限り禁煙なんてできない」と考えていたのだが、今となれば「ああ、何だかんだやればできるものだな」と思うのだから、人間なんて勝手なものだ。
 喫煙習慣がなくなったことで、自分の身体の健康におよぼす好影響は言うに及ばず、これまで吸ってきたタバコがだいたい1日1箱(価格は1箱440円)として、禁煙してからの2年間でざっくりと32万1200円を節約することができた計算になる。

 この間、つくづく感じたのは、禁煙には周囲の環境が大事だということ。周りに喫煙者が少なかったり喫煙環境が整備されていなかったりすると禁煙の取り組みは成功しやすい。逆に、周囲に喫煙者が多く、タバコにやさしい環境があれば禁煙の試みの前には大きな障害が立ちはだかる(当たり前すぎて、活字にするのもはばかられるくらいなのだが、そこらへんはご容赦を)。そういった部分で、自分は恵まれていたのだと思う。

 今年1月半ばから4月半ばまで、仕事の関係で朝鮮民主主義人民共和国に滞在した。5年ぶりということで、この間大きく変わった状況に仕事の面で対応できるのかという一抹の不安を抱えながらの訪朝となった。そしてもう一つ、喫煙習慣が復活してしまうのではないか、という恐怖もあった。朝鮮は、「世界有数のタバコフレンドリーな社会」と言っていいのかどうかは留保がつくが、少なくとも日本よりは格段に喫煙者にやさしい環境であることは間違いないのだ。そんなところで果たして禁煙を維持できるのか、と正直不安がなくはなかったが、結果的に杞憂に終わった(正直に告白すると、人付き合いや酒席などのいかんともしがたいシチュエーションで数本吸ってしまったのだが、喫煙習慣が復活することはなかった)。あの環境で耐えられたのだから、今後、日本で喫煙習慣が復活することはないはずという妙な自信をつけて戻ってきた次第だ。

 明後日の5月31日は世界保健機関(WHO)が定める「世界禁煙デー」だ。(相)

広島無償化裁判、控訴審始まる

2018-05-17 10:00:00 | (相)のブログ
 

 国が朝鮮学校を高校無償化の適用対象から外したのは違法として、広島朝鮮初中高級学校を運営する学校法人広島朝鮮学園(金英雄理事長)と同校卒業生らが国に対して処分の取り消しや損害賠償などを求めた訴訟(広島無償化裁判)の控訴審が5月15日、広島高裁で始まった。
 裁判は2013年8月1日の広島地裁への提訴から始まり、17回の口頭弁論を重ねて昨年3月8日に結審。広島地裁は7月19日、原告全面敗訴の判決を言い渡した。原告側は8月1日、地裁判決を不服として控訴した。
 それから約9ヵ月。ついに控訴審の第1回口頭弁論が開かれることとなった。
 この日の控訴審のスタートに合わせて、原告側の学園関係者と広島朝鮮初中高級学校卒業生、弁護団、支援者、そして在校生らが横断幕やのぼりを手に入廷行動を行った。

 控訴人側(原告側)は昨年10月31日、85ページからなる控訴理由書を裁判所に提出。今年5月8日付では、朝鮮学校が制度適用の対象として認められることが前提となる制度設計をしていたとする前川喜平・前文部科学事務次官の陳述書を基にした準備書面も提出した。ほかに、原審では採用が認められなかった朝鮮学校に対する検証を申し出、前述の前川前事務次官らの証人尋問も申請した。
 一方の被控訴人側(国側)も控訴理由書に対して反論する答弁書などを提出した。

 法廷では、控訴人側から卒業生と朝鮮学園理事長が意見陳述を行った。
 2011年3月に同校を卒業した男性は、学生時代に受けた自身の差別体験について語り、高校無償化の適用対象から除外されたことで言葉では表せないほどショックを受けたとのべた。男性は、裁判所が原告の控訴を棄却すれば、国側は裁判所の判断を盾に、これまでにも増して朝鮮学校に対する差別と圧力を強化するだろうとの懸念を表明。「政府による差別を裁判所が容認すれば、私たちはどこに救済を求めればいいのか」とのべ、今回の裁判が朝鮮学校やそこに通う生徒たちに対する日本政府や世間の差別意識を大きく左右するものであることを踏まえて、裁判所が正義と良心に従った正当な判決を下すことを求めた。
 広島朝鮮学園の金英雄理事長(広島朝鮮初中高級学校校長)は、原告全面敗訴となった昨年7月の地裁判決を法廷で聞いて、「怒りと憤り、司法に対する不信が募った」と当時を振り返った。金理事長は、生徒、卒業生たちは結論ありきの不当判決に落胆し、それと同時に、権利獲得はあくまでも戦うしかないとの思いを強くしたとのべた。また、子どもたちの教育への権利は何人も侵すことのできない万国共通の平等な権利であり、国や自治体が政治的理由を口実にして朝鮮学校に高校無償化法を不適用にし、補助金を停止するようなことは決してあってはならないと強調、裁判官に公正で公平な判断を下すことを求めるとともに、朝鮮学校への訪問も要請した。

 続いて、控訴人側の代理人である足立修一弁護団長が控訴理由について意見陳述を行った。
 足立弁護士は、朝鮮学校を不指定とした国側の処分(原処分)の理由(①規定ハの削除、②規程13条に適合すると認めるに至らなかった)についてあらためて整理するとともに、理由①について沈黙し、理由②については、文科大臣の判断に裁量逸脱、濫用はないとした地裁判決(原判決)の問題点を指摘した。
 足立弁護士は、控訴理由について、原判決が▼規定ハ削除についての判断を脱漏していること、▼朝鮮学校が「不当な支配」を受けているとの認定根拠も薄弱、▼他の外国人学校、日本学校と対比して不均衡な取り扱いがなされている、▼無償化法が教育の機会均等を趣旨とすることを前提に置かない判断をしていること、などを挙げた。また、原判決は高校無償化法の趣旨・構造を無視しているとし、無償化法の基本的理解について説明した。とくに、同法に国籍条項がないこと、教育の機会均等をはかるというのが同法の趣旨であることなどを強調した。
 足立弁護士は、▼朝鮮学校は「高等学校の課程に類する課程」を置くと認められる各種学校であるので、就学支援金支給対象としての要件を満たす、▼したがって、朝鮮学校を無償化の対象と認めず指定しないのは違法であり、▼朝鮮学校で学びたい生徒の教育の機会均等を侵害していると主張。さらに、▼朝鮮高校は「高等学校の課程に類する課程」を有しているのに、「不当な支配を受けている」「適正な運営がなされていない」といった懸念を問題として不指定にするのは誤りである、▼ほかの外国人学校および日本の学校の生徒は規程13条の審査を受けずに就学支援金を受給している。朝鮮学校のケースと比べてここには著しい不均衡があるが、原判決はこれを説明できていない、▼規定ハにあてはまるほかの外国人学校と比較しても、政治的な問題を考慮したり、単なる懸念を問題とするなど規程13条の審査事項・基準が均衡を欠いていて、本来あるべき裁量の範囲を逸脱して不指定処分がなされたが、この著しい不均衡について原判決は合理的な説明ができていない、などとのべた。
 足立弁護士は、朝鮮学校だけが不指定となったのは、同じ基準で判断せず、ダブルスタンダードを用いているからだとし、原判決最大の問題点として、審査方法、審査基準における不均衡を見逃したことを挙げた。また、厳密な意味での真実性がない事実で「不当な支配」を認定し、朝鮮学校に通う生徒たちの権利をはく奪したとのべた。そのうえで、規定ハ削除は無償化法の趣旨・目的に反し、裁量権を逸脱しており、憲法の平等原則にも違反している、規程13条は無償化法の委任の範囲を超え、無効であり、仮に有効だとしても朝鮮学校は13条の要件を満たすと主張した。

 今回、裁判所は控訴人側が申請した証人の採否を留保。控訴人、被控訴人とも2ヵ月後をめどに追加の主張書面を提出することになり、裁判所はその結果を見て、証人採否を判断するとした。
 控訴審の第2回期日は9月4日15時からに決まった。

 口頭弁論終了後、弁護士会館で報告集会が開かれた。弁護団から今回の期日に関する報告があり、法廷で意見陳述を行った2人のほかに韓国の支援団体・モンダンヨンピルの金明俊さん、山本崇記・静岡大学准教授らが発言した。

 









 控訴審に先立ち、13日には朝鮮学校の現役生徒、卒業生、教職員、関係者、地域同胞、日本人支援者らが参加して「朝鮮学校ええじゃないね! 春の平和パレード」が広島市内で行われた。雨の降るあいにくの天気となったが、参加者らは朝鮮高校に対する就学支援金支給、広島県・広島市の補助金交付の再開などをアピールしながら市内の通りを元気にパレードした。(相)

「タクシー運転手」を観て考えたこと

2018-05-08 10:00:00 | (相)のブログ
先日、公開中の韓国映画『タクシー運転手-約束は海を越えて』を劇場で鑑賞した。
1980年5月に韓国の光州で起こった光州民主化闘争(光州事件)を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描いた本作は2017年に韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録した。日本でも4月下旬から東京、大阪など各地の劇場で公開中だ。
本作は公開直後から私の周辺でもSNSなどを通じて話題となっていた。ストーリーに加えて、韓国を代表する名優ソン・ガンホが主演となれば面白くないはずはない。実際に鑑賞してみた感想は、前評判にたがわぬ面白さだった。
本作鑑賞後、政治的な出来事をめぐる表現(とくに文学や映画などのフィクション)はいかにして可能なのか、また、どうあるべきなのか、といったようなことを、(ちゃんとした答えなど出せるわけないのに)なんとなく考えている。

映画を見終わった後、無性に読み返したくなった本があり、職場の書架から取り出した。韓国の作家・韓江(ハン・ガン)の『少年が来る』(井手俊作訳、クオン、2016)だ(原書は、한강 《소년이 온다》【창비、2014】)。
本書は『菜食主義者』で韓国人初の「マン・ブッカー賞」を受賞した著者が自身の故郷でもある光州で起きた光州事件を題材にした小説で、全6章+エピローグからなる。それぞれの章は「5.18」に関わったさまざまな立場の人々のエピソードで構成されている。
読後感はずっしりと重い。ジャンルを超えて、近年読んだ本の中でもトップクラスで衝撃を受けた作品かもしれない。
本作が胸に迫ってくるのは、光州での出来事という枠を超えた、国家暴力の被害者の物語につながる普遍性を持っているからではないかと考えている。朝鮮語が読める人はぜひ原書で味わってもらいたい。(相)

大阪無償化裁判控訴審が結審、9月27日に判決

2018-04-29 10:00:00 | (相)のブログ
 一審の大阪地方裁判所で原告・大阪朝鮮学園側の全面勝訴判決が下された大阪朝鮮高校無償化裁判の控訴審第3回口頭弁論が4月27日、大阪高等裁判所202号法廷で行われた。
 80あまりの傍聴席を求めて130人を超す同胞、日本人支援者らが裁判所にかけつけた。大阪朝鮮高級学校の生徒たちも傍聴に訪れた。
 昨年7月28日に地裁で原告勝訴の判決が言い渡された大阪無償化裁判。控訴審は12月14日に始まった。今年2月14日の第2回口頭弁論で結審が見込まれていたが、裁判長が、文部科学大臣が朝高を就学支援金支給の対象として指定しなかった処分の根拠になった規程13条の適合性についての判断に行政側の裁量があるのかないのか、とくに教育基本法16条に関わるところの『不当な支配』についての裁量の有無やその範囲について控訴人(国側)、被控訴人(朝鮮学園側)双方の主張を求めたため、今回の期日が設けられた。
 今回、国側は第2準備書面を提出。朝鮮学園側も第2準備書面を提出した。朝鮮学園側からは高等学校設置基準と専修学校設置基準、各種学校規定、石井拓児・名古屋大学准教授の意見書などが証拠として提出された。
 朝鮮学園側の代理人である金英哲弁護士が第2準備書面の要旨陳述を行った。金弁護士は、本件規程13条適合性に関する文科大臣の裁量の有無、および教育基本法16条にかかる「不当な支配」の判断に関する大臣の裁量の有無について整理し、規程13条に適合すると認めるに至らなかったとした本件不指定処分が違法であることを主張した。
 最後に玄英昭・大阪朝鮮学園理事長が代表意見陳述を行った。玄理事長は、「就学支援金支給制度から朝鮮高級学校10校だけが除外されたことによって、これまでの8年間に930人を超える大阪朝高の生徒たちが制度の適用を受けることなく悔しい思いを胸に卒業していった」とのべた。昨年7月28日、地裁での勝訴判決言い渡しの後に開かれた集会で舞台に上った大阪朝高のある女子生徒の、「やっと私たちの存在が認められた。この社会にいていいんだと言われた気がした」という発言を紹介すると、涙で言葉を詰まらせた。玄理事長は、就学支援金の受給権は生徒たちにあること、朝高生たちに一日も早く就学支援金支給制度の適用がなされるべきであることをあらためて強調するとともに、裁判官に向けて「迅速かつ公正で平等な判断」を求めた。
 陳述終了後、裁判長が弁論終結を宣言し、結審となった。判決言い渡し期日は9月27日15時に定められた。
 口頭弁論終了後、大阪弁護士会館10階で報告会が行われた。
 報告会では、弁護団からこのたび裁判所に提出された準備書面やこの日の口頭弁論でのやり取りに関する報告がなされた。
 裁判を傍聴した大阪朝高生もマイクを握り、発言した。
 丹羽雅雄弁護団長は、控訴審は結審したが、判決の日まで何もしないのではなく、世論を喚起する取り組みをはじめたたかいを続けていくべきだと訴えた。
 この日、裁判所に集まった人々の間では、板門店で行われていた歴史的な北南首脳会談も話題に上った。一方、傍聴の抽選が始まる14時には、名古屋から愛知無償化裁判での原告敗訴が伝えられた。
 激動の一日となったこの日、裁判所に集まった同胞、日本人支援者らは控訴審でも必ずや勝利を手にしようと誓い合っていた。(相)