あぁ、生きた証

日記、献血放浪記、気がついたり考えたりしたこと、地元清水エスパルスについて書いてます。

オールナイトニッポン50周年

2017-10-03 | 音楽・ラジオ
昨日10月2日がオールナイトニッポンが誕生した日だそうで。(1967年)


今年50周年にあたるということで、ニッポン放送も結構前からあれこれ企画が上がっていた。


そういえば、今年のGWに開催された「ラジオパークin日比谷公園」でのイベントでも、
オールナイトニッポンのブースがありそこでは記念Tシャツなども売られていたことを思い出した。



自分も学校に行っていた頃は深夜ラジオをよく聞いていたので、当時のことを振り返ってみようと思う。


ウィキペディア先生をググってみると、マニアックな記述も含め、興味深いことが書かれいる。
特に自分の場合は80年代後半から聴き始めているので、いわゆる安定期〜低迷し始めた頃まで
の期間特に熱中した事になる。


そもそものきっかけといえば、当時学研から販売されていた「中学コース」という雑誌があり、
小学生時代に毎月「学研のおばさん」で有名だった「科学と学習」を取っていた流れから、
何となく定期的ではないけど購入していた。


余談ではあるが、「科学と学習」は雑学的な面白い読み物と勉強のドリルみたいなもので構成されていて、
これが「中学コース」になると面白い読み物部分が芸能情報みたいなものに代わっていた。

この「科学と学習」の面白い読み物は、確かにすぐ学校の勉強に役立つものではなく、それこそ
大人になってから「子供の頃そんな記事を読んだ記憶があるなぁ」くらいに役立つ(?)

特に子供の頃は、今ほど娯楽もなく、外に出れば近所の友達と野球やサッカーをして、日が暮れるまで遊び、
家にいる時は、テレビゲームがあるわけでもないので、この「科学と学習」を本当に繰り返しては
飽きるまで読んでいた。

ただ根幹をなすもう一つの要素である「勉強のドリル」の部分は全く手をつけず真っさらの状態だった。
これが「中学コース」になると、例えば英語では教科書の訳とか、解説が載っていたり、数学、理科なども
ページこそ限られているので量はそれほど多くはなかったけど、結構良問が多かった記憶がある。
(これで、一時期予習する楽しさを覚えた)



話を戻して、そんな楽しい小学生時代の記憶から「中学コース」を購入したが、ここで気になったのが
記事として扱われていた深夜ラジオ。
(まぁ、昼間のラジオには触れられることはないので、夕方以降の時間のラジオしか載ってなかった。)


25:00〜27:00放送とかって何?
そんな時間に起きて聞いている人って存在するの?

と、まだ22時くらいには寝ていた自分にとっては深い深い時間帯はまさに未知の世界だった。


中学1年の冬くらいに家を増築し、自分の部屋を与えられたが、親の目からは離れている状態だったが、
テレビがあるわけでもなく、今ひとつ羽が伸ばせる感じでもなかった。

しかし、かつて父親が使っていたが物置の肥やしと化していたラジオをこっそり自分の部屋に持ってきて
この「こっそり」扱う感じにワクワクする感じを楽しんでいた。

ダイヤル式で、なかなかピンポイントで放送局が合わない。
ものすごくノイジーに聞こえるところと、割とクリアに聞けるところとがあるが、果たしてそれが本当に
聴きたい局なのかはサッパリだった。
(そう考えると、今のピンポイントで放送局を選択できるのは楽チンだ)


土曜日の夜。
多少夜更かししても大丈夫なこともあり、眠い目をこすりながら頑張って、謎の25時を目指したりもした。
しかし、そこまでの間に特にやることもないので、半ばただ待っているような感じでいつの間にか寝ていた。


まぁ振り返れば、それが悪しき習慣へとシフトしていく、いわば人生の堕落へ引き摺り込まれていく
きっかけだったのかもしれない。
(別にオールナイトニッポンがとか、深夜ラジオが悪いと言っているわけではない。)


中学、高校時代にもっと規則正しい生活を送っていれば、学校生活(特に勉強)にいい影響があったかと思う。

当時、その後ラジカセを買ってもらったりもしたが、タイマー録音できたりしていたら、リアルタイムで
毎晩聞かなくてよかったので、日々の生活も間違いなく変わっていたことだろう。
(ここら辺は「お金が無い」ことが大きかった。)

最大限頑張って、1時(25時)に録音スイッチを入れて、そのまま寝る。
ただし、オートリバースの機能が付いていなかったので、120分テープを使っても、前半1時台の60分が
精一杯だったのも苦い記憶である。


しかし、悪いことばかりではなく、むしろ楽しいことの方が多かった。
(そうでなければ聞き続けてはいなかっただろう)



そもそも深夜ラジオがメインではなかったが、色んな時間帯のラジオを聴くようにもなったし、
一番大きかったのは、大学で上京し、一人暮らしを始めた時、不安も沢山あったし、いきなり一人の寂しさもあった。
しかし、ラジオからは地元静岡で聞いていたのと変わらないラジオが流れ(静岡でもニッポン放送で聞いていたので)
「変わらないこと」への安心感があった。
(まぁテレビにも同じ効果はあるけれど)

生活の環境が大きく変化する中、戸惑いながらも、この「安心感」は心を落ち着かせるものでもあった。



しかし、自分の中にも大きな転機が訪れた。
90年代中期から長期低迷期に入るとウィキペディア先生も言っているが、時を同じくして、
伊集院光がTBSで深夜ラジオを始めたことをきっかけにTBSだったり文化放送のラジオも聴くようになった。
(なので、中高校生時代と同じ熱量でオールナイトニッポンを聞いていたのは大学1年くらいまでかもしれない。)


静岡では在京の放送局はニッポン放送以外は聞くに耐えられないくらいのノイズだったのが、
当然のことながら、都内ではものすごくクリアに聞ける。

単純にラジオを聞く番組の選択肢が広がったのと、そしてその後就職してからはそこまで遅く起きているわけにもいかず
どんどん足は遠のくばかりだった。


最近では、(是非は別として)YouTubeにアップされていたりして、聞くこともあれば
土曜日のオードリーだけは寝ながら聞いていたりもする。


オールナイトニッポンに限らず、ラジオ自体衰退をしつつある中、奇しくも災害時にはその存在感が改めてクローズアップされる。
現在、ラジオにはネットにSNSなども導入されているが、そもそもラジオは「オンタイム」で相互の
やりとりが出来て番組が成立しているところがあって、そこが面白かったところでもある。

今のそう言ったツールは、まさにツールこそ違えど、ラジオが古くから活用していた側面でもあり、
より上位互換したようなものであるので、不思議では無い。




ということで、このナイターオフシーズンは「オールナイトニッポンpremium」(月曜-金曜 19:00-20:50)
なるものが放送されるらしい。

そうそう、以前も書いたかもしれないけど、あまりにもオールナイトニッポンの冠が付いた番組がいわゆる
深夜の時間帯以外にも現れたことに違和感と残念な感じがしてならない。

やはりオールナイトニッポンは25:00〜であって欲しい。



そういえば、オールナイトニッポン25周年のジングルを当時よく耳にしたなぁと記憶が蘇ってくる。
このブログを遡ってみると「40周年の記念番組」についての記述があった。

漠然とではあるものの、何か記憶がある。
え?10年前の話か??3年くらい前のような気がしてならない。

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