社会福祉総合相談・ささき社会福祉士事務所(一般社団法人ゆうてんじ社会福祉士共同事務所)

がんばっぺ 東北・宮城・仙台
『出会い』から新たな一歩が始まります☆彡

帰京

2011年04月28日 | つぶやき
東京に戻って来ました

25日に新幹線で仙台に向かいました。
一旦、郡山駅で降りて、三春町の滝桜を見学して、福島県にエールを送りました。
その後、郡山駅に戻ったら、なんと停電で新幹線がストップしてました。
原因は、地震の影響で架線を修理した場所が再度たるんでしまいショートしたとのこと。
やむなく、東北本線に乗り換えて、のんびりと仙台へ。

翌日は、気仙沼に行きました。
仙台駅を朝8時に出発して、東北本線で一ノ関に行き、
そこから大船渡線で気仙沼へ
延べ約3時間の旅でした。

気仙沼駅に降りたら、駅舎にいる人も含めてほとんどの方がマスクをしてました。
アスベストが飛散しているので、予防をしているとのこと。
駅は高台にあるため家屋は倒壊してませんでした。

知人の親類宅も高台にあり、土台を補強して建築したので、
倒れる物はなかったとのこと。
海岸沿いに移動すると周囲は一変してました。
埋立地に造成していたため、住宅やお店、工場などがすべて流されてました。
大型の船が陸地に上がっていたり、車がひっくり返っていたりと、
信じられない光景でした。津波の影響が甚大だったとのこと。

知人の妹さん宅を探しましたが、土台しか残ってなく、
手がかりとなる小物などは全て流されていて皆無でした。
安否はいまだに不明ですが、皆でお祈りをしてきました。

近くの場所では、重油が流失して火事になった影響で、
あたり一面が真っ黒になった焼け野原状態でした。
足場が悪く泥で覆われているので、長靴を履いても釘などが足に刺さって、
破傷風になり東京の病院に搬送される方もいるとのこと。
市内の病院は、被災者の手当てをしていて満杯なので。

案内をしてくれた現地の知人によると、連日、知り合いが発見されて、
毎日、数人のお葬式がある状況とのこと。
数百キロ離れた葬祭場まで行っているとのことでした。

その後、午後になり仙台に戻りました。
現地の方々は、まだまだ生活が不安定な状態であり、
ご負担をかけないように早めに戻ることにしました。

最終日は、郷里の仙台市内を訪ねました。
親類の自家用車で東部自動車道を仙台市内から山元町にかけて往復しました。
ここでも津波の影響で家屋が倒壊していたり、自動車が横転していました。

東部自動車道や近くの一般道は、地震の影響で道路がゆがんでいたり、
穴が開いているところが何箇所もありました。
また、海岸付近では場所によって津波で流されていたところがあったり、
新築住宅の一角がそのまま残っているところもありました。
津波の流れ方で被害に遭われた地域が異なったようです。

仙台市内では、ホテルや駅近くのレンタカーはほとんど空きがないとのこと。
復旧工事の関係者や津波で車が流されて方々が長期に利用しているようです。

仙台駅も正面の壁は全てシートで覆われていて工事中でした。
まだまだ、時間はかかりますが、「負けないぞ」という『東北魂』を
感じることができました。


『がんばっぺ 宮城』
アーケードの柱に貼付してあった誓いです。
今回は、駆け足の訪問でしたが、今後も定期的に帰郷して、
地元に活気を与えて、その現地情報を東京に発信していきます。
「できること」から応援していきます!








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