仙台の実家に帰省してきました(3/21(金)~3/22(土))
今回は、知人の義妹さんの3回忌のお墓参りを兼ねて、
友人4人との賑やかツアーでした
義妹さんは、3年前の大震災の時に気仙沼市内の自宅にいて、
津波の被害に遭いご逝去されました。
ちょうど、地震が来た日の夕方に子どもや兄弟が住む東京に
出発する準備をしていたとのことです。
知人によれば、前日か当日の午前中に出発していればと・・・。
運命の別れ道だったようです。
さて、今回の日程です。
当日は、仙台~利府~塩釜~仙台。
翌日は、仙台~一関経由~気仙沼のコースでした。
仙台駅に到着して、そのまま市内近郊でお墓参をしてきました。
お彼岸の時期なので、たくさんの方々がお参りに来てましたよ。
お花も新しく供されてました。
その後、塩釜に行きランチ
3年前にも同じコースで塩釜のすし店(「亀喜寿司」)に行きました。
今回は、味比べも兼ねて別のお店に行ってみました。
店内は満席で入店待ちの方々もいましたよ。
美味しかったですが、単品での握りや刺身が注文できなく、
セットのみしかダメとシャットアウトでした・・
やはり、前回の『亀喜寿司』がダントツで良かったですね。
単品での注文も可能で、店内や板前さんなどのスタッフの
応対が明るく爽快でしたよ
プロ野球の楽天の選手やそのほか、多くの芸能関係の
お客さんも多いとのことで、「サービス業」に徹してましたね
夜は、久々に牛タンの老舗「太助分店」へ
初めて食べた友人も絶賛してました
肉厚で柔らかく美味でした☆
最後は、国分町でカラオケ祭り~
翌日は、新幹線で一ノ関駅に行き、そこから車で気仙沼へ。
前日の大雪で停電になったと報道されていたので心配してましたが、
翌日には回復したので安心しました。
ただし、仮設住宅の方々は、石油ストーブは危ないので使用してなく、
ファンヒーターやこたつで「暖」を取っていた方が多いので、
停電になると暖房器具が使えなく、寒さが身に染みるとのこと
電気のありがたさ、依存の大きさに考えさせられますね。
気仙沼までの途中の峠道では、山や道路脇が雪で真っ白に積もってましたよ
到着後、最初に震災遺構が常設展示されている「リアス・アーク美術館」
を見学してきました。「東日本大震災の記録と津波の災害史」。
広域行政事務組合が運営しているので無料で入館できます。
(ちなみ25年度は無料)
学芸員らが取材した記録写真や収集した被災物などが
展示されて解説されてます。来月には図録が発刊予定。
今のところ、美術館での販売になる予定なので、
ホームページを要チェックしてくださいとのことでした。
気仙沼市内で震災遺構が常設されていることは、
地元の方に案内されて初めて知りました。
昨年、神戸市に研修で訪れた際に
「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」を
見学して、3階にある「震災の記念フロア」で震災遺構が
展示されていたのを見て、宮城県内にも必要だと感じてました。
その願いが叶っていて良かったです。
気仙沼版は神戸版より、規模にかなりの差がありますが、
貴重な情報伝達の発信地だと思いました。
神戸市にあるセンターは、シアターなどもあり、修学旅行生が
多く見学されるとのこと。
気仙沼の美術館も修学旅行生を含めて多くの方々に訪問してほしいですね!
その後は、話題となっている渡辺謙さんが作った『K-port』に行って来ました。
店内は満員で予約をしてないと入れないと
せっかく東京から来たので諦めないで、お客さんが出るまで待ちますと
頼みましたが、苦い対応で、渋々という感じでOKとなりました
お目当ての「シューport」は売り切れでしたが、
パンケーキとコーヒーと頼んで歓談しました
『美味しかったです』
リーゾナブルな料金で、店内やトイレもおしゃれでしたよ
そのあとは、仮設市場などを回りましたが、14時過ぎだったため、
ほとんど「準備中」で昼食が食べれませんでした。
または、売り切れとか・・。
地元の方に聞くと、お客さんが少ないので食材も少なめだから、
すぐに売り切れになるとのこと
最近は街全体でも平日は観光客が少ないそうです。
津波で被害にあった建物などは、ほとんど片付いており、
見るところがないためではと。週末は、若者の観光客が多いそうです。
地元の方によると、まだまだ復興とは言えない状況で先行きが見通せなく
不安な毎日を過ごしているとのこと。
気仙沼は、他市町に比べて復興のスピードが遅れているとのことでした。
防潮堤の高さを決める議論が長引いていることも一因と。
高さが決まらなければ、住宅地の場所などが決められなく、
計画が中断しているとのことでした。あとは、人件費や材料費の高騰も。
この夜、岐路、東京へ
今回の帰省で久々に気仙沼を訪れましたが、
まだまだ復興の道のりが遠いと痛感しました。
様々な支援方法にも賛否が分かれていますが、
必要なのは地域を活性化させることだと思いました!
今の自分には現地を訪問することしかできませんが、
コツコツと帰省して現地の状況を伝えていきます