for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

予防接種とアナフィラキシーショック

2021年03月27日 12時31分29秒 | 日記
接種後に亡くなった人が2名報告されている。
記事によると、悪反応も女性に現れているように思い出す。
亡くなった場合、どんな保障があるのでしょう。予想しない事故に私たちは
どんな対応をすべきでしょう。

⇒ワクチン接種の影響により健康被害が生じてしまった場合は、予防接種法15条「救済措置」の規定により、国による補償の対象になるそうです。(ワクチン分科会2020/10/20 資料3より、さる誌面報告より知る 2021/04/01)
 

遺言・○○ノート 考えるだけでため息がでます。
けれど、コロナウイルスに罹患された人が面会もされずにこの世から亡くなった
のは事実です。
予防接種、春のお花見お出かけ様態など、緊張しながらの気晴らしが必要なのでしょう。(見ていると、やっぱり緩みがちなのはお年頃なのだから、どうにもこうにもなんとも。十分自覚した方が良さそうです。)日頃の体調や既往症、家族歴など大まかに把握して伝えましょう。




やっと1年経ったばかりです。

性格なのでしょうねえ

2021年03月26日 20時58分53秒 | 日記
「一緒に行きましょう~」と駅の待合室で
何気ない会話から声をかけられた。私よりも年長者の4人グループだった。目的地まで一緒に出掛け、お弁当を広げだしたので、その後挨拶をしてその場を離れた。(2+2男女 異年齢飲み仲間 ひょっとしたらオール単身者?)

過去に「一緒に行きましょう」とまだ喪鬱顔の時にグループツアーで声をかけられたのも、年長者からだった。

それも見ず知らずの初対面なのだから、思い出しながらふたりの女性の性格を想い計っている。姉御肌・親分リーダー気質・男前?

本当にいろいろな人がいる。ちらり見婦人だったり、オウム返し婦人だったり、くったくなし若女子だったり、おひとりさま配慮ウォーカーだったりも。

ああ、そうだわ職場のOさんを誘ったんだわ、あそこに、と車内から見えた看板が目に入り、思い出した。クレパスをいただいた春のイベント参加だった。

山肌の桜は、もやいだ枝の張り具合に自分で桜色をそこに置くような具合だった。思い起こせば、枝垂桜が終わっていたから、今年堪能できた枝垂桜の時期では、山々の桜ペイントはもう少し先の時期になるのだろう。楽しみだ。

残り雪 今年も桜を待ちながら 気化して上空より 堪能す!



唐詩 my セレクション 7

2021年03月17日 18時03分40秒 | 日記

                   
《雨过山村》  王建

雨里鸡鸣一两家,竹溪村路板桥斜。

 妇姑相唤浴蚕去,闲着中庭栀子花。

山村に雨が降ってきて 鶏の鳴き声がある家から聞こえている。

竹溪村の山路の坂に板きれの橋が斜めに掛かっていた。

嫁さんとお母さんが「お蚕さんを水浴びさせよう」と呼び合っていた。

庭にはクチナシの花が忙しさをよそに咲いていた。

初めこの詩を読んだときにクチナシを見つけて香しく惹かれた。が再度読むと、蚕を水に浴びさせることが書かれていて、当時のある地域では、蚕が蛹になる前に水に浸かわせて汚れを落とすのだろうか(?)、と想像している。

蚕を育てる時は、数週間の間桑の葉を棚に敷いて大きな蛹へと養蚕する。農家では、夜寝静まった時にさわさわと桑の葉を食べる音さえ聞こえる、と聞いたことがある。とても忙しい時期で、この詩にあるようにクチナシが香り良く咲いているのさえ、気づかない農家の繁忙期でもある。ちょうど雨が降ってきたので、頃合いを見つけて女同士が声を掛け合い、川に蚕の水浴びに出かけるのだろうか。と風俗を想像して楽しんでいた。

韓国でも養蚕を尊ぶ儀式があったようだし、皇室でも現に皇后が特別な蚕を育てている。

そして、中国から蚕の密輸を命じたのは、ビザンチン帝国のテオドラ王妃で、二人の僧侶が杖の中に蚕の卵を隠し持ち運んだそうだ。ブルサは絹製品の産地だったように思いだす。古い都市で、円形状の建築物には市場があって、古書店もあった。 ちょっとネットで訪ねるのも楽しみです。

と、知る楽しみは身銭と行動と記録を繰り返し、そのうちに都市が新たに発展していく。

唐詩 my セレクション 6

2021年03月13日 15時26分35秒 | 日記
李商隐 《嫦娥》

云母屏风烛影深,长河渐落晓星沉。
嫦娥应悔偷灵药,碧海青天夜夜心。

衝立の向こうから差し込む蝋燭が、飾りの雲母に陰りを帯びさせ、ほの暗い。
銀河も微かに見えるほどで、明けの明星も降りてきた。

不老不死の薬を密かに手に入れた嫦娥は悔やんでいるに違いない。
月の宮に住み、青い海と空にひとり御遣いし、心は毎夜震えている。

この詩で神話を知りました。ファンタジーともいえる中国の仙女の登場です。西王母が最高の至高神で、息子が后裔。その妻がこの詩の主人公に当たる。嫦娥は西王母が息子に与えた不老不死の薬をくすねたために月の宮に追いやられてしまった。(夫后裔が離れ離れになってしまった妻嫦娥を見るために月に供え物をしたのが、月見の由来になるそうです。)
当時は道教が盛んになったようで、唐王朝で女性もその傾向に進んだようだが、入道するや、厳しくて通常の恋愛にも支障を及ぼしたようです。

李商隐の見た社会や、宮中に置かれた婦人の心情をこの詩に託して読むのも、作者の温かみではないか、と独断で楽しんでいます。


 霜月

初闻征雁已无蝉,百尺楼高水接天。(楼高 一作:楼南 / 楼台)
青女素娥俱耐冷,月中霜里斗婵娟。

というのもあり、雁が南に飛びたち、セミの声も聞こえなくなる晩秋、
高い楼にのぼれば、遠く彼方まで見える。海と空がひとつに交わっている。
霜の女神・青女と月の女神・素娥=嫦娥は寒さを耐え、綺麗な玉に劣らない美を競っている。

晩秋にもなると高楼からの眺めは秋の色から冬へとかわり、遠くの方まで透き通った大気で見遥かせる。高台に昇るとこのようにイマジネーションで遊べるのでしょうか。女神の競いを誘うなど、浮世に楽しみを生ませてくれます。
味がある人だと感じました。

意味は独断です。