ナスとキュウリにまこもの脚をつけた馬の写真を,お盆の頃にネット上で見た。
私は母と墓参りに行き、提灯を下げ、小川の端の上にナスとキュウリを置きならべた。母は手を合わせた。確か、それは盆送りの頃で、暑い盛りのお盆の最中に、お出でになった我が家の魂を再び送る母なりの季節の風習だった。
亡き人がいらした頃に提灯に灯りを付けて、お墓からお迎えして我が家に行くころだった。「ろうそくの明かりを消さないように」とも聞いていた。あの盆踊りとは、何なんだろう。あの音響と浮かれ様は、と子供心にいつもと違って神妙な心地でいるのに、沸いた感情だった。
そして、お盆の時の様変わり。どこか母は嬉しそうで、いそいそと仏壇を居間に置き替え、赤いほうずきで飾り、3ヶ日は小さな陶器の器に朝晩に食事を備えていた。赤いほうずきの実はお腹の虫下しになる、とか聞いたこともあり、中の実をとりだした後に、舌に当ててほおずきで音を鳴らした。そんな遊びを初めて知ったが、母のように上手にはできなかった。
思えばそんな他愛のない話を交わせたのは、床に伏していた父が亡くなったから時間がそうさせたのだろう。(反対に男兄弟は父がいなくなって、なぜこれほど取っ組み合いのけんかをするのだろうか。と母が二人の仲に入ってけんかを止めようと必死だった。それまで静かだった和室にやまい人のいなくなった家庭の居間に、私はうんざりしながら感じていたこともあった。)
そしていつだったか、和室に母と布団を敷いて寝ていたが、ある晩、ある朝?母が私を覗き込んで「パバちゃんに似ている~」だなんて、泣き声を私の聞こえる枕元で発した。ロウティーンエイジャーが父に似ているなんて・・・ああ、これは母の大いなる哀惜ゆえの錯乱なのだ、と今になって思う。寝ていたのに聞こえてしまい、そのまま今に至る。
盆だなのそうめんなんて、下げる時にはかちかちになって器にはりついていた。それまでお供えしていた、普段口にするナスやキュウリに脚をつけてバランスよく立つ馬にするのには、少しばかり目をぱちくり、わくわくもしていた。
いったいいつ頃までそう母なりの行事を続けていたか、私は確かめようもないが、お盆の頃になると浴衣を着て盆踊りに入り込んでいたのは覚えている。
今になって感じるのは、あのお盆の、いつもと違った居間の空間は特別で、どこか母のおままごとのように、今になって感じている。
そうした風習は私の細胞で再び仏壇で再現されることもあった。
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