for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

まだ大人以前の大人並! →→→

2023年08月26日 09時17分07秒 | 日記
お人形を持って写真館に出かけた母、二十歳前であることは間違いない。それも日本で写したわけでもなく、幻の日本で、当時の社会事情に置かれた年頃娘に沸いていたむしゃくしゃからこの写真を撮ったのだという。

提灯袖と呼んだパフスリーブのブラウスも自分で作ったそうだ。

ミシンは当時の値段で3000円 1940年以前のことだが、これは支度品プレゼントともいえる。

ストレスやうっ憤晴らしで写真をたくさん手にし、隊列で行進する兵隊さんにあげたのだとか!手を指し伸ばして欲しがる代物、笑っている写真でなによりです。

昭和50年平壌楽浪海30周年記念の住所録には吉本好太郎(毛糸・裏地・裁縫用具)墨田区大平という住所に本人の丸囲みマークがあり、当時現地で贔屓にしていた店主だろうか。―

読者からの続き希望があり、おまけです。

大人の母のおままごとみたいだわ

2023年08月18日 08時02分04秒 | 日記
ナスとキュウリにまこもの脚をつけた馬の写真を,お盆の頃にネット上で見た。

私は母と墓参りに行き、提灯を下げ、小川の端の上にナスとキュウリを置きならべた。母は手を合わせた。確か、それは盆送りの頃で、暑い盛りのお盆の最中に、お出でになった我が家の魂を再び送る母なりの季節の風習だった。

亡き人がいらした頃に提灯に灯りを付けて、お墓からお迎えして我が家に行くころだった。「ろうそくの明かりを消さないように」とも聞いていた。あの盆踊りとは、何なんだろう。あの音響と浮かれ様は、と子供心にいつもと違って神妙な心地でいるのに、沸いた感情だった。

そして、お盆の時の様変わり。どこか母は嬉しそうで、いそいそと仏壇を居間に置き替え、赤いほうずきで飾り、3ヶ日は小さな陶器の器に朝晩に食事を備えていた。赤いほうずきの実はお腹の虫下しになる、とか聞いたこともあり、中の実をとりだした後に、舌に当ててほおずきで音を鳴らした。そんな遊びを初めて知ったが、母のように上手にはできなかった。

思えばそんな他愛のない話を交わせたのは、床に伏していた父が亡くなったから時間がそうさせたのだろう。(反対に男兄弟は父がいなくなって、なぜこれほど取っ組み合いのけんかをするのだろうか。と母が二人の仲に入ってけんかを止めようと必死だった。それまで静かだった和室にやまい人のいなくなった家庭の居間に、私はうんざりしながら感じていたこともあった。)

そしていつだったか、和室に母と布団を敷いて寝ていたが、ある晩、ある朝?母が私を覗き込んで「パバちゃんに似ている~」だなんて、泣き声を私の聞こえる枕元で発した。ロウティーンエイジャーが父に似ているなんて・・・ああ、これは母の大いなる哀惜ゆえの錯乱なのだ、と今になって思う。寝ていたのに聞こえてしまい、そのまま今に至る。

盆だなのそうめんなんて、下げる時にはかちかちになって器にはりついていた。それまでお供えしていた、普段口にするナスやキュウリに脚をつけてバランスよく立つ馬にするのには、少しばかり目をぱちくり、わくわくもしていた。

いったいいつ頃までそう母なりの行事を続けていたか、私は確かめようもないが、お盆の頃になると浴衣を着て盆踊りに入り込んでいたのは覚えている。

今になって感じるのは、あのお盆の、いつもと違った居間の空間は特別で、どこか母のおままごとのように、今になって感じている。

そうした風習は私の細胞で再び仏壇で再現されることもあった。








あああ、暑いこと、雪の中に入り込みたいわ~

2023年08月17日 08時16分30秒 | 日記

稚子金盆脱晓冰,彩丝穿取当银钲。
  敲成玉磬穿林响,忽作玻璃碎地声。
  ——杨万里《稚子弄冰》  

これもだいぶ涼しそうな本日の発見。氷と絹糸の関係がわからなかったけれどyutubeを見ると分かった。そんな子供の遊びがねえ。ウルトラ初心者でもパソコン先生は天晴です。
森を突き抜けるような音だなんて、涼しそう、おしゃれだわ。想像する感覚だけでも心地よい。そして創作者の視線が暖かい。

33度-35度の8月17日。
厳しい気温による心身バランスには、どうでもない想像もどうやらプラスに働きそうな気がする。