東北地方で津波の発生を知ったのは、ベルリンのホテルに到着した日、テレビで知りました。
ポツダムツアーに翌日申し込み、ツアーの一員でパキスタンの男性(半年後に結婚するという、フィンランドの大学で経済研究している優秀な)アスランさんが津波が起きたことを知らせてくれました。
私の住まいも尋ねました。経済の歴史が専攻だそうで、名刺もあります。絵ハガキ収集をしているようです。
確かに、地理的条件により、何が過去に起きていたか、歴史を知るのは、海外で始める新しいプロジェクトのたたき台になりますね。研究調査を提出したばかりだそうで、会議出席のために、ベルリンに来たそうです。
彼が、津波のニュースを伝え、同行のツアー日本人グループ数名のうち、男性ひとりが携帯を実況してくれました。その後、他のツアーに参加しても、同じグループの
外国人は、「ヤーパン」とその悲惨さを私と視線を合わせるなり、投げかけているのを感じ取りました。
ドレスデンでは、有名な歴史的教会で見学中にミサがあり、バロックのオルガン演奏の後、司祭が日本のことを祈ってくれました。感謝を伝えて席を発ちました。
地震発生以前のケルン見学時では、たまたま入った教会でスウェーデンからのマグパイ演奏一行がお目見えし、仮装した人たちと好い音楽につつまれたばかりでした。
天変地異、その影響は計り知れないです。日本が世界への良いお手本になり、その復興が将来にわたって刻まれるでしょう。
今、被災地で昼夜携わっている方々、原発の危険阻止に従事している方々、十分ご留意くださいませ。