goo blog サービス終了のお知らせ 

for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

犬 猫 うさぎ

2012年05月31日 11時37分18秒 | 展覧会

博物館では、武士が犬を標的にして技を競う絵が巻き物に描かれていた。 英語を話す、たぶん学生を引き連れた先生(女性)が

写真に収めていた。 ひとりの青年(外人)がしきりに江戸時代の着物を写していた。

イギリスでは、猫を標的にしたゲームのCMや、芸能人まがいの誇張CMが悪評だと5・31朝、放送にあがった。 食べ物を口に含みながらおしゃべりする

CMが最も不評だったらしい。 有色人種だと気づいた。

最後のコメントが興味深い。「現実でもあるのです。」

(今更ながら、起用される肌の色を見ると、変わっていないんじゃないの、いいや、

御商売、御商売とも感じざるを得ないのです。)

取り立てて現象をちくちくする気は毛頭ないけれど、摘み取ったものから少しばかり、私にも見えてはきます。 

けれど、お互いに困った時にあ助け合っているねえ。それが、グローバル フレンドシップですね。


2012年05月31日 09時42分16秒 | 展覧会

年金対策のための増税、わからなくもないけれど、こう自然災害に見舞われ始めている島、ガードが固くなるでしょう!

竜巻を自分で見てからでないとシェルターに入らない心理が人間にあるように、サブプライムでぐずぐずして手遅れになった人のように、

この島に、安全弁は、あるのだろうかと、息を単発に何度も吐きたくなる。 中傷よりも、安全対策項目を流してほしい。

生活に、不便なんて、あるでしょうか、不意の災害を除いて。

売れないのは、不便がないからで、その不便をついて御商売をついているのが、見えてはきます。

「私、流行を追わないの」とか売り子さえ放ち、周囲を見れば、今黒洋服や縞やチェック柄の繊維品。

ちらりクロ?

 

 


世田文の印刷物は篤い内容

2012年05月25日 17時26分08秒 | お知らせ

ずぼらだから、印刷物を後で読もうと、ためておくことがある。

4月下旬に発行された 第40号を本日、やっと読んだ。出かけようとは思ったものの、当日は他用に当ててしまった。

多くが、友の会の会員の記事だとわかる。中でも、こうして書いておこうと思ったのは、「半藤一利氏講演 『坂の上の雲』に描かれなかった日露戦争」を聴いて」

と寄せられた藪田氏の寄稿だった。 

NHKのドラマに登場した秋山参謀が起草したそうな「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の解釈についてであった。記録資料は、晩年に昭和天皇が

「もうよかろう」と、宮内庁から防衛庁資料室に移管された結果によるものらしい。昭和天皇の言葉も意味深いし、作品を描いた司馬遼太郎さんも知らなかったことになる。

半藤氏の問題提起、藪田氏がつかみ取った日本現代史の新しい謎解き興味など、司馬文学愛好者として篤く寄せていた。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%97%A4%E4%B8%80%E5%88%A9

夕方、番組を見ているうちに、戦後の新たな資料は、いったいどのように公開され、知らされたのだろうか、(新聞購読をしていないから・・・)と反省やら想像をしていると、

本日書いた半藤氏が登場していた。本当に、ドンピシャの日にち。

戦禍は、こんなものと、よおく知りおく現在・未来への大事な資料。 母から聞いた話も、文字にできない部分がある。そうできないことこそ、事実で、どうにも仕方ない。

そういった光景を見て、母は昭和を生き抜いてきた。

 

40号には、「平清盛」にも言及した投稿があり、やはり当時の衛生観念をついていた。 


5月の祭りシリーズ

2012年05月22日 20時06分16秒 | 日記

i   5月はとても忙しい。 12日  母の上着身につけ ほらすごいでしょうと 身延山

故人の法要をしたくて、どうしても行きたかったのが、この身延山だった。 たった30分の自由時間では石の階段や周囲にあった療養施設の記憶が

あっただけだった。

 きっと驚いただろう、母は、「うわっ!」と声をあげたかもしれない、あの竜の天井画を見れば。

 

s   綿を播きながら、ああ 去年には種を差し上げようとブログに書いたけれど、種を水につけた後で、それを思い出した。

 

0  数日前、やっと手塚 治虫展に出かけた。 鉄腕アトムはテレビCMのチョコレート マーブルチョコに使われて、欲しくて店に出かけたっけ・・・、下敷きにもたくさんシールを張った。

あの可愛らしい声が懐かしい。 ウランちゃんなんていう妹は、初めの頃、いなかったように思う。だから、ウランちゃんを産み出してくれて嬉しかった。

さて、今回の展示では、マンガ作品の背景が掲示され、良くできていると感心した。「アドルフに告ぐ」

「医者からは、サジェスチョンを受けたいのですよ・・・」とか、いう意味のセリフをマンガで書いていた。これが、私にとって、印象的で、私が望む内容と同じ。

「奇子」というタイトルだっただろうか、A3ぐらいの大きさの紙に全てのドラマを描き切ってしまうマンガの表現に脱帽。俳句の世界のようなもの?

 幼いころからコマ表現をひとりで訓練していたから、スパッと画面に納めてしまう。 ユーモアも、おちゃらけも、読者サービスも何でもできうる。

それにしてもアトムが未来都市を飛んでいる時に、当時、ただ物珍しげに、あっけにとられて見ていたマンガだったけれど、今になってやっと手塚さんの表現に感嘆し、驚けるようになった。

「陽だまりの樹」のマンガがあったので、ドラマ展開では、どの辺りだろうかと、開いてみると、城内の一場面が一コマに描かれていた。本当にマンガの神様で、上手です。

マンガにも、文学と同じように、作者が負の部分を表現し、読者が共有し、お互いに自浄作用やストレスを緩やかにしている面もある。

それにしても、当時は負の局面や、やや暗い様相が多く描かれ、表現としてインパクトがあったのだろう。というか、表現者が社会に向けて著したいのは、そういった面でこそも

ありえるのかもしれない。 エネルギーのある時には、反発できるほどえぐれるのだろうか、と勝手に言葉を連ねる。 

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB

wikiを読むと、「陽だまりの樹」との繋がりがわかった。

 神田お玉ヶ池種痘所(現在の東京大学医学部の前身)を設立した人物の一人でもある。

手塚さんは、睡眠が少なくて、創作は掛け持ち状態だった。医師だったのに、会もたくさん入っていて、きっと鬱状態で暗くならざるを得なかったのではないでしょうか。

過去の遺産を再評価し、益にもできる。

 本当を知ることと、快活で健やかでいること、噛み砕いて滋養にするのは、咀嚼力によるでしょうか。 

g  フランスの大統領がオランドさんになった。 公約通り、女性を閣僚に登用した。その数も、半数。