私たちは日常の中からほっとしたものを見つけ出そうとしている。
まさにあああ 自然災害 紛争 事件記事 無力感 コロナ健在
伝えられ やるせなく 開かずの間に一瞬収納する
節分にどんどんと合図のように空に向かって音が飛び出し、神社で
火渡りでも始まるのだろうか、豆もイワシも恵方巻も用意せず、SNSでセツブンソウを知る。
子育て中はこの時とばかりに、ひとにぎりの大豆を(少しばかり惜しみながら)外に向かって大声を発し投げたものだった。が、私は家の中に「福は内」と言って投げ放っただろうか?年齢分だけ食べる、と子供と共有したが、どれほど面白かっただろうか、忘れてしまった。子供にせがまれ友達も同乗した神社の節分帰りのことである。夜になって路を間違え、凍った雪に苦労した時もあった。
飛び散った豆 畳敷で拾いあう親と子 可笑しさ楽しさ 今何処
豆まきの前は畳の塵を払ってから誇らしげに投げたものだった。
炒った大豆は豆茶になったり、甘味噌と絡められたり、砕いて呉汁にもなったりした。家の戸口には目刺しがきちんと刺さっていた。どして?子供にとっては面白い風習。寒風を浴びて厄払いの用となった。おかあさあ~ん!
(自分が体験したことは面白風習として受け継がれ、郷愁遺産になるものだと実感。親に感謝)
さて江戸のさるお宅の台所からは 山椒・梅干・黒豆の入った鉄瓶からは湯茶の湯気が立ち昇っている。
こんな所の豆まき、爽快だろうにねえ!抽選貸し切りで着物着用とすれば、どうしましょう。
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