for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

ことばで描く楽しみ 

2015年10月31日 11時23分19秒 | 日記

「書くことは自分を造ることです」とは、かつて派遣会社の仕事で貿易の事務に就いた時の課長が

履歴書を見て放ったことばだった。パソコンを扱う会社で、その後、便の良い港よりの場所に移り、今は学校になっている。

投稿にはまっている時期だった。

そんな言葉を久しぶりに思い出したのは、旅の記録を書き連ねたときだった。おしゃべりには登場しないだろうトピックスや字空間を

書き連ねているうちに自分自身を発見するときがある。

どうでもないことを言葉で好きに連ねていくのは、自分自身のための整理でもあり、目に見えない部分の私を形成しているのだろう。

ラジオ朗読で漱石の「硝子戸の中」をときどき耳にして、自分が書き留めた文章(女性の描写を思い出した。

自分自身の鬱状態が重なっていたのだろうか。視点を外に移すにしても、視野は大きく広まりはしなかったねえ。

 

 


2011年の夏だったんだねえ

2015年10月21日 13時46分44秒 | 日常の発見

<面白かったのが、博物館で見た「セノイ族」の映像です。 一族で林を切り開き、家を建て、屋根を葺き、どのように耕すか、男女が役割を分担している様子が、本当によく録画されていました。 部族は、

何かの危険を感じると、一族がかつて住んでいた一帯を離れてしまうのに、映像は長時間に及んで、かなり至近距離で丁寧に記録されていました。それが、不思議でした。

河合隼雄さんの本で「セノイ族」のことを知り、当時読んだ時には、裸族をイメージしていませんでした。 これが・・・とじっくり見てきました。 家長に当たる人が家族ひとりひとりの夢を話題にして会話を繋ぎ、制する人も罰する人もいないと書かれていたように思います。 夢に現れた話題を語ることで、心の中に起こっている何かがはっきりするから、その時点で解消し、他人にまで攻撃するには至らないのでしょうか。

「シ」に書かれたマレーシアとは、100年前では、インドネシアに当たるでしょうか。 数字の読み方のページを見せると、インドネシアだとホテルの女性は答えました。>

人々はサーロンを巻き、王様は胡坐で輿にかつがれ、従者が続く・・・書物の表現から、古いインドネシアの光景をロマン気味に想像していた。

当時のオプショナルツアーに出かけた時、バスひとグループのうち、マレーシアの古い映像(セノイ族)をたまたま話したところ、若者が「インドネシアはすごく面白いよ」と興奮気味に返したのだった。

その会話どおりに、多様の民族が島環境の中で、その時々の支配下の影響で文化がはぐくまれてきたのだと、「面白かった」と同じように感じた。

 ヒンズー教の影響なのだろうか、ウブドの家家には茶赤色の社があり、朝、サーロンを巻いた女性が家の前の道路や社に一日の挨拶をし、お供えをする。

それが茶道でもあるかのように花を指でつまみ、額にまでかざして数度繰り返して祈る。数時間の後に車の往来で供えられた花や供物がみぢんに散らばるとしても、土着の人々は同じ慣習をし続けている。

かつて、 昔の日本にもあった光景だ。(大みそかには、生活の基本となる恩恵に感謝した神様に白い紙を敷き、ごく小さなお供え餅と、ちょうど納まるようなみかんも、そのときだけは

供えられた。 お風呂を炊く炉の神様・水が出る井戸の神様・台所の神様・雪隠の神様等と餅搗きの後に拵えた小さな丸いお餅の行方が、供え場所に納まった。)

 

海岸の底でモーターバイクダイブ走行なんて・・・・コモドオオトカゲもいるし、

壁にぺたっと小さな爬虫類も静かにはりついて、海洋アクティヴィティも豊富で、楽しい南国だろう。

買い物をきっかけに森林学を山形大で留学希望している女性や、アメリカで心理学のMAを取得した30代の教官にあったりと、頼もしいイスラムの現地女性とも出合えた。

バタヴィアと呼ばれたオランダ主導の東インド会社の痕跡もあり、

確かに西洋があこがれたスパイスは、この地方に豊富だったに違いないと知る。

サッチャンと呼びたいのにセッチャンと呼ぶ真っ赤になる樹皮やら、ノニが毛髪染めに使われたりとか、土着の漢方や新たな植物の効能を市場で知ったりと、「本当?」と目を丸くしていた。

 その国の大地には、人々が必要としている自然の産物と共存共生しているのだと、つくづく感じます。 生活の営みとはそういうものなのですねえ。