for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

韓国の人

2014年11月23日 03時26分48秒 | 旅行

幸先の良い旅のスタートで、数年前の南山での肋骨骨折とは段違いだった。

店に入ると、「日本人!」と店主がスタッフに声を放つ。それが良いのか悪いのか、対応次第に応えが生じる。

駅構内で出口方向を尋ねると、「日本人?」と、スマホで作業についていた若者が調べてくれた。

車内では、背中に触れたのを察すると、男性が「席が空いているよ、日本人!?」と、声をかけてくれた。韓国の人とは似ているのに、すぐにわかるようだ。

日蓮宗だそうで、身延山を知っていた。snnnyannhadaと、ページから見つけて放つ。少しばかり日本語がわかって、会話すると、メモに「生命 明るい」と、ご愛敬を返してくれた。

(韓国語の文字表記は、自分の声の出方に注意を向けると、文字表記に繋がる。車内放送で駅名を聞くと自分なりに文字を浮かべて到着駅で確かめるのだが、鼻濁音はなかなか難しい。)

別の日、乗り継ぎ駅で確かめると、ご婦人グループの一人が、「私と同じ方向だから、連れて行ってあげる」とか、韓国語で話しているのが場面からわかって、

言葉に甘えた。探した言葉に、tajyannhada  snnnyannhada を放つと、重くもない紙袋に手を差し伸べて、車内の座席で膝の上に置いた。こんな暖かい場面を、日本で受けたことは、とんとない。

手を振りて なおも嬉しき 異国かな

が、駅近くの八百屋を覗き、軽いからと乾燥物を探し、良く干した割り干し大根の袋と、山菜だろうかと小さな袋を買うと、irubonnni と笑われもした。

自宅で戻してみると、どうやら小さな袋の中身は茶葉のようで、これも漬物にするのかと、考えあぐねている。と、学園祭で茶葉の漬物があり、刻んで塩漬けになるアジアンヴェジになるのだろうと、異国の野菜の保存利用をめぐらしている。

島ありて ありがたきかな 食材満ちるじゃぽん


韓国

2014年11月22日 21時28分29秒 | 旅行

韓国語のラジオ番組を聞いてもわからないのに、紀行文の音調にどこか惹かれて、ツアーで出かけた丹陽が浮かんだり、歴ドラの自然風景に誘われ、思い立って出かけてきた。

ソウルに着いた夜、テレビのチャンネルを操作していた。BBCだっただろう、アジアで開かれた国際会議だったか、オバマさんが、"every people are equal"皆人は平等じゃないか、と

あの少しばかり口の中でこもるような低めの声で、スーチーさんの背に手を当てて放った画面を目と耳で、確かに私は受け取った。日本のどの放送局がその視線を切り取るだろうか、と

いつもながらの手つなぎポーズ場面が脳裏に浮かんだ。 これも、カメラマンと編集者が成し得た報道の一部である。放送関係者には、志向・思想性という基準が求められているだろうはずだ。

それが、公共放送に求められている。そんなことを考えていた旅先のスタートだった。

バスで長時間揺られた日の次は市内見物をし、バランスをとりながら気ままに行動した。

博物館での模様。KBS社のボランティアガイドさんは、「時間がありますか?」と断りを経てから説明を始めた。初めは、彼がボランティアとは知らず、王宮博物館の歴史の生き字引だと感心して

いたくらいだった。 「王宮の両側にある獅子を見てごらんなさい。これが、外から来る人を受け入れる愛です。これが、元からあったのです。」石造の獅子のお腹の下には乳を飲む赤ちゃんが

いた。大抵の人は気づかないそうだ。 王妃の手紙について、当時は中国語で書くのがハイソ社会の通例だったけれど、ハングルで書かれたのは珍しいそうだ。「王様、贈り物を有難く頂戴しました。嬉しかったけれど、心寂しくなりました。」 古文だから当の韓国人でさえ、わからないそうだが、説明してくれた。「王様、私は直接にお目にかかりたいのです。」とは、本音をしたためた文だったのだろう。

声をかけられたのが、写真が掲げられていたパネルを見ているときで、その中に日本人と思われる女性の顔を見つけていた。その他にも、彼の貴重な説明に感謝している。

夜間まで開館している曜日があって、博物館に帰りに出かけたけれど、歴ドラで登場する高句麗の映像は見かけられない。聞いてみると、北だから、分からないのだそうだ。

全州は、観光づいていたけれど、小高い地点から眺めた墨色の屋根の連なった家屋郡は、期待通りの光景だった。 シャトルバスを知っている人は、多くの人が全州で宿泊したのか、日帰りで市内に戻る人は多くはなかった。

朝鮮王朝の王の背面にはとがった五つの山が描かれている。「ペルシャの細密画」でも「森林飽和」でも語られたように、自然がそう描かせていたのだと、バスの車窓の景色を見ながら納得していた。

朝から救仁寺行きを目指し、3時間の走行。山は岩でできているようで、韓国には地震がないと以前ガイドの話しを聞いたことがあるけれど、木々は岩から根を張って育っている。山の岩肌には

ところどころ茶色や、白い部分も見えて、シンボルの絵の山をひとり思い浮かべていた。

まだ紅葉はまだらで変化があって目に楽だ。濃い緑、オレンジ色の樹木、赤く染まったのも混じり、気候が影響しているからだろうか、違った紅葉樹木の風景が広がる。

樹木琳は河原まで続き、これなら、地崩れは起こらないのだろう。人家は平地が開けた辺りに見えてきた。

それでも、バスが走る岩山の側面では、ひとりで防御ネットを補修・管理してる人もいた。 日本列島と、アジア大陸の生成は違うのだろう。と、思い出した。

 

 

 


バフラム王とは Bahram

2014年11月06日 11時40分48秒 | 図録 ニザミ

ササン朝ペルシャのBahram V(406~438)38歳ぐらいの生涯で王位に18年つき、東ローマに遠征し、エフタルを滅ぼして中央アジアに名をとどろかせ、

コインになったり、英雄譚が記録されている。 ニザミ(1141~1209)が5000句余りで 作品 「七王妃物語」(「バフラメ ナーメ」「セブン ビューティーズ」は同じ題名)を1197年に綴った。56歳に当たる。

 

              狩をしたり

               竜を退治したり、

ライオンと戦った後、ライオンから王位を受けたり、(ライオンが冠を奪われる表情が人間感情になって生き生きと表現され)

何かが欠陥だったのか、犬を叱って木に逆さにつるしたり、それでも勝利の宴を音楽と一緒に楽しみ、

7人の城を7人の姫の為に造ったり、とお話に描かれる。絵画の多くは、サファビー朝(1501~1736)

the digital walters より

 

 Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported License and the GNU Free Documentation License.

図録には、黒い肌で、全身を白いベールで覆った老婆が矢を集め、バフラムにささげている絵があります。それほど親しまれたのでしょう。

「王書 (シャーナーメ)」Ferdowsi(940~1020)が980年ごろから30年かけて完成した60000万句に及ぶイランの民族叙事詩を元にニザミは創作。尚、シャー ナーメは映画にも製作されているようです。

ferdowsi  940 生      980(シャーナーメ進行)   1010(完成)  1020没 80歳

nizami                                                      1141 生    1197(七王妃物語) 1209 没 68歳

他著作は省略。

    

 

 

 


どうして

2014年11月04日 17時48分24秒 | 日記

ウォルフ レンという人の名前が浮かび上がったのか、今になって検索をかけた。キーワードはダブルスタンダード。

当時、たぶん?、養老 先生が書評を書いていたので題名に惹かれて読んだのだろう。やっぱり、忘れていた本の題名が出てきた。

それを都立短大の聴講、「文化国際」という科目を受けた時に男性の先生が担当した講義から、「もの・こと」とともに、二重価値を図でプリントに説明した。

そしてその先生は最後の授業の時に学生側に座っていた。体育の先生は学生たちを相撲見学に引率したト、生徒の面前で話していた。

(私には、それが何を意味しているのか、何も分からなかった。議員さんの家が火事になったりした事件や、トイレに札束が置かれたり、「サルにお金をあげた」などという会話も、

私には奇妙な話題だった。)

それ以前に、国際弁護士を探したり、情報に餓えていたり、犯罪被害者に関心を寄せたり、人権の規定を探していたりした。(同じシンボルを使うのは、個人を特定することになる。)

弁護士に3,4度会ったのは、放送の影響からでもあり、yahooで記しただろうけれど・・・1.2.3がわかっていることだろう。

喪中においてしなくてもよいことの数々、そそのかしてくれるあれこれ、職場においても労働基準監督署の人が「それはひどいですね」と返った事実。

参列したクリスチャンも当初の同情からごく一般に並び、放送メディアという権威の力が及びうる、一般の市民を攻撃していた報道に抗した私の動きだった。

だから情報技術研究所という市民夜間聴講にも出かけたのだろう。yahooで記したように「か」からだろう、「院内感染を経験した人は?」と質問した先生もいた。

M市の夜間女性起業講座に出かけもしたけれど、おかしなことが起こる。漫才もあったけれど研究所だけがまあ納得がいく指摘をしていた。典子さんが、ロボットに知能対応を訓練したそうだ。

が、10年経ち、人が変わっても言わなければ分からない番組製作者がいるから影響された視聴者や同級生が「京都だ」とのたもう人がごまんといる。まったくどうしようもないとため息つかせ、記す。

「映像も活字も切り取られた編集よ」と、言っても、会議はどこまで躍ったか?

番組で人が変わって対抗しようとするのは、同じことの繰り返しになる。ともyahooで綴っただろう。横柄で認めようとしないのだから。

それも、過去時点のスタート時に、物事を判断しきれない家族さえも遣ってね。

安易な創作しているんでしょうかね。

 


アレクサンダーが隠者の庵で

2014年11月04日 14時12分35秒 | 図録 ニザミ

唯一、ターバンの先に金色のスティックをつけているのがアレクサンダーで、他の従者は赤い留めをつけている。

アレクサンダーは他の誰よりもはっきりした衣装の色で描かれ、緑の衣をかけ、数珠(どんな背景?この数珠は)のようなものを右手に持った隠者と向き合っている。

アレクサンダーの馬らしいが、淡いグレーの豹柄模様で、馬具もとりわけ美しく、細かく模様が描かれている。

馬のすぐそばには立派な衣装の高位の従者だろうか、カラフルな模様の衣装だ。

サファビー朝のタブリズスタイルとある。 Bekhzad ベフザード 作   描かれた大きさに注目すると、12x19cmという絹素材に描かれたようで、

図録の方が拡大されて大きく見やすく、一枚に詩も入り、建築物の壁・戦具の詳細表現を考えるとため息が出てきます。

「アレクサンダー投げ縄で戦士を捕まえる」 という作品も同上作者のようで、当時のアレクサンダーは大人気だった様子が伝わります。

捕まった戦士は武具らしいものは着けておらず、アレクサンダーの従者が戦闘のシーンに喝采をあげているのさえ描かれているのですから。

現代の作家が描いているようで、ネット上で探すこともできます。著作権上の理由回避から紹介しません。残念。

原文がわからないので、絵解きのおもしろさがあるけれど、それには文字文芸のアプローチが必要になるのだろう。

と、やっぱりmy paso君、TEDを視聴後、話者が示したデジタルサイト Digital Waltersを覗くと、検索後、貴重書がお目見え!

わなでロシア兵を捉えたアレクサンダー