for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

マイペースで綴って

2014年03月29日 17時21分24秒 | 旅行

台湾旅行のことを記録しておこうと思った。 

故宮に出かけると展示物にいつも圧倒される。明四大家特別展が開催され、沈周の作品が気にいり、ラビットさんを思い出し、月刊誌を購入。(

京都国立博物館が所蔵している作品が誌面に掲載され、宮崎市定さんの師、内藤湖南の写真 、他にも長尾雨山・林 堂 らが登場している。)

(すでにこのような部類はご存じだろう。) 帰りに温泉に寄ると、高台の風呂からは辺りが見渡せた。

旅行者向け3日有効新幹線切符をJTBまで出かけてやっと入手し(台北駅では購入できませんでした)、

高雄に宿泊してから台南・台中に出かけた。 初めて高雄に降り、宿泊先に向かうと、辺りは、風が暖かく気持ちよい。南国の空気なのだろう。

幸せな心地にさせてくれた。 

日本統治下の影響を知る建築物や駅周辺は交通が激しく、長居はできず、建築予定の地盤工事が見えた。

 地下鉄は最新式に整備され、私が知る都内の地下鉄よりも明るく綺麗だと感じるぐらいだった。 メディアから知るパリやニューヨーク・ローマの地下鉄は、ガイドさんがしきりに注意するように、

実際には薄暗くてどこか気味が悪い。けれど、それもかつて道の上を進む恵まれた人と道の下を進む人を分けた交通機関の発展なのだろうと、交通手段の歴史の差異がもたらしているのだろうか、とも高雄の地下鉄を見て、ひとり思った。

台南では鄭成功の活躍を知る。日本人女性と縁があるらしいことを知った。 

高雄で按摩をお願いすると、男女どちらが良いか問われたので、上手な人をお願いした。 盲人の男性がホテルマンの誘導で部屋にやってきた。

彼は、体が冷えているのを察知した。(私はその二日後に風をひき、久しぶりに高熱に見舞われた。) 首が固く、その後施術を観察していた。

パソコンによる凝りや首の運動不足が生じたのでしょうか。 男性は腕の筋をもみ、体側に手を当て、強い力で圧するでもなく終わった。

首は楽になっていた。 凝りを緩めるやや遠い部位の原因個所を対処すれば、良かったのです。 空港で受けた助言とマッサージとは違った、的を得た施術だったと

実感している。

それにしても、暖かい地域は食べ物が柔らかすぎる。気候による影響なのだろうか。 海鮮お粥も茶漬けのようで、ことこと煮ではなかったから・・・

ではあるけれど、ドアも開け、冷蔵庫管理陳列でもない店で、惣菜おかあさんの店が活躍し、庶民の台所が楽しめる。味見してから、阿里山の旬菜と何品かを購入。お店でおしゃべりしたのがきっかけで、散歩のついでにと、ご夫婦が道々おしゃべりをしながらホテルまで案内してくれるほど、好待遇を受けた。 大抵の人が「親日的」と返すのを実体験したわけである。

もっとゆったりと滞在しなくては、タウンウォチングもあまりできないが、旅先でのストレスもなく、 地元の人と交わえたのは、けがの功名とでも呼ぶだろうか。


たくさんのふしぎ こんなこともあった「シ」

2014年03月21日 11時53分22秒 | 鑑賞

片づけながら、とっておいた絵本をお蔵離れするのに、もう一度広げてみた。

☆ 10才のとき  さりげなく私たちの歴史を子供に伝えられる。

            年代の異なった大人が10才を回想し、時々の歴史を庶民の感覚から拾いあげている。戦争・民主主義 etc

            秋田の小正月には綱引きもあったそうだ。

            (そういえば、綱引きが復活した町もあったそうだと、思い出す。)子供に伝えながら、実は大人にも十分楽しめる。1991年出版

            実際のところ、子供がこの本をどう楽しんだだろうか・・・

            「つぎは、10才になる君の番だ」とは、「せいめいのれきし」の締めを思い起こす。

☆魔女に会った  1993年出版 写真が楽しめる。 ドイツの祭りからベルギーのイーペルの祭り、そしてルーマニアの魔女にまで著者は会いに出かけた。

            何やら魔女お気に入りの植物名があり、名前に惹かれて調べてみると、なんと、それは「シ」で知ったマンドレイクらしい。

            創作にも度々登場している。 

            反応をもたらす植物だったようで、人から生まれ変わるなんて、グロテスクでもある。 

            そういえば、日本にも「桜の木の下には・・」と文筆家が創造したのもあったと、思い出し、

            美意識やら同じ人間として抱く恐れやらを垣間見ているようでもある。

            現代はさっぱりしていて、爽快な心境にさせてくれる。

            さて、近未来で創造される暮らしは? 

 

 ☆ わたしが外人だったころ  鶴見輔 文

            改めてページをめくる。ハーバードに留学した、戦争を挿んだ時期を描いていらっしゃる貴重な声です。

            「わたしはアメリカにいた時、外人でした。自分の底にむかっておりてゆくと、今もわたしは日本人の中の外人です。地球上のさまざまな外人にとりかこまれている日本人の中の外人です。」

            けれど、終いにはタイトルを著者は真っ向から否定し、「本の題から、わたしは、はみだしています。日本人本意に考えるのでは、地球上に

すみにくくなります。」と、すがすがしく元気になっています。 こうした感慨は、当時、 著者ひとりではなかったはずです。

 (鬱の時に河合先生がマンガを薦めたように記憶しています。) 「たくさんのふしぎ」は、かなり高尚な要素があると、今更ながら、気づかされます。            1995年 124号

 読者向けを意識した締めなのでしょう。すがすがしい締めにしなければ、大人向けの訴える声になりそうです。創作は出版側の意図や計画で益効果を生むために遂行されるのでしょう。

            

                     


君の名は?

2014年03月20日 07時04分44秒 | 日常の発見

また会ったね

同じ時刻だっただろうか

他とは違って、優雅な飛行に目を奪われた

その小さくなっていく姿を探したり、旋回して再び姿を現し・・・

けれど翼を小刻みに動かしもせず、空に浮いている

土壁色で黒茶のバーコード柄も見えた

グライダーだったら、君と同じような飛び方をするだろうか

気持ちいいだろうなあ、その背中からの視界は