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for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

上海の按摩

2010年06月13日 08時20分38秒 | 日記
今、私の背中の左側はこんもりと盛り上がってはいません。それまでは、「張っていますね」が通例の言葉で、ひどい時は、「これでは、食事が採れないでしょう」もあって、執筆中の頃だった。

滞在先の住まいの近くで「足浴」という看板を見つた。不動産屋・修理屋・花屋などといろいろの店が連なった一区画だった。

まず足のマッサージを行った。店はまるで一件長屋のようで、間口は広くなく、奥に広がりがある。緊張をほぐすのに、覚えたての言葉でおしゃべりしてね。

ある日、とても疲れていたので、同じ店に寄って体のマッサージを希望した。オイルを使わないマッサージを望み、奥のベッドの上に仰向けになった。眉間のところから始まり、初めての体験にじっと効果を味わっていた。ヘッドマッサージを行い、面白いのは、前頭部あたりの毛髪をひとつかみして時折引っ張るのだが、これがとても気持ち良い! 

肘をたて、手の平をそのままでマッサージし始めた。こんなポーズは初めてで、この按摩に感激していた。普段行わえない刺激が按摩の快感なのでしょうね。

体を含め、1時間の按摩に、とても感激し、「この人を日本に連れて行きたいくらいだ!」と感想を話したことがあった。

美容院に出かけた時も、上海の美容師さんは、按摩を知っていて、按摩がされたくて、シャンプーを兼ねて出かけたこともあったくらいです。

その後、近くの街の按摩に数回出かけたけれど、だんだん手を抜いてきた。けれど、何も言わなくても、彼女のマッサージはピカイチで、私の左側の弱さを知っていて、だまっていても肩から足まで按摩をしてくれた。

雑誌に掲載されていた場所を紹介され、出かけたことがあったけれど、街の按摩士とは、比較にならなかった。場所や施設の贅沢料に相当したかもしれない。

街を歩きながら「足浴」を見つけて入ったこともあった。男性で、一時間のマッサージだった。彼は20代ぐらいだったでしょう。日本のマッサージを受けるような感じだったけれど、手からは熱心さが伝わっていた。

盲人の按摩を比較したかった。部屋に呼べるらしいけれど、許可が必要なので、それは控えた。

風邪をひいて一日は静かに部屋にいて、翌日にマスクをつけて玉仏寺に出かけた。駅で方向を確かめてタクシーを拾って出かけたけれど、見学が終わると脚がだるく、風邪が悪化しそうな気配だったので、タクシーで盲人の按摩の場所を示し、お願いした。

着いたところは、日東健身保健と言うところで、ガイドブックにあった日東指圧だろうと思った。体調を考慮し、ドアを開けると、特別なセールの時間らしく、2時間をお願いした。日本のお客さんが多いらしく、ご主人は日本語を話す。「常盤貴子さんも来ましたよ」とお話した。

案内された部屋で、初めて日本語放送の番組を見た。


マッサージは若い女性で、足・体とも1時間ずつの按摩だった。農家の出身だそうで、純朴そうな可愛らしいお嬢さんで、1年経過しているようだ。彼女の体のマッサージは丁寧だった。脚の筋の細かく凝った部分・背骨の関節あたりをひとつひとつ指圧した。

按摩が効いたのでしょう、体が軽くなり、終わった頃は2時を過ぎ、少しばかり移動して食事を採ると、確かに帰りには歩いても、風邪の症状から解放されているのに気付きました。

按摩をして、腕が細くなったり、体が軽くなったり、活力がわくほどの効果がありました。

あれほどの効果を日本で欲しいとは思うのですが、疲れていたからでしょうか。

ブラボー! 按摩 です。(マッサージよりも、按摩の方が効きそうですが、昨今では、衰退語になっているかしら。)




5/31 本当に良く歩いた

2010年06月08日 16時18分11秒 | 日記
bank of chinaで用を足そうと観光名所のバンドに出かけた。

地下トンネルを走るケーブルカーのような乗り物で反対側の岸に着くと、外灘(バンド)に着いた。

建築群を眺めながら銀行を探し、用を足した。防犯上の理由からなのでしょうか、手洗いはありません。女性の窓口で作業を終えると、催促がありました。何やらこちら側のそばにあるボタンをおしてほしいようです。彼女の作業満足度のようで、3種類あって、「あれか、これか」とやり取りしていると、「一番良いのを押してくれ」との希望でした。面白かったですねえ。

その後、バスに乗って蓬莱公園で降りて公園を歩き、民間収集品を陳列している展示館に出かけました。

商業の神様だそうな「Matsu」女神にご対面となり、何やら心持うれしく、「家名が似ているのですよ~」と、主衛のおじさんとおしゃべりしながら笑いこけてきました。展示館の女性・男性ともとても親切で、次の目的地でもある骨董市場への行き先を丁寧に教えてくれました。バスに乗るまで見守っていてくれ、本当に感謝しています。不慣れなバス乗車にしても、降車場所のメモを見せると、運転手や女性の集金係が覚えていて合図してくれます。(丸ボタクシーの災難が影響していたのでバスが安心でした。)

どのような品が偽で骨董になっているのか知りたくて出かけたまでですが、あちこち寄りながら進むとどこかで見たような・・ああ、豫園でした。売り子さんは、「first customer」「お友達」を繰り返しながら、売り込み合戦を繰り広げます。ものは、試しと、こちらも「おともだち」を使って別の売り場に行こうとすると、札の値段は、どれほど適切だろうか、と疑うくらいの値段になりました。品物の値段がわからないのですが、四分の一になりました。実体価格はいくらのでしょう。「なんなのですか!」_と、あきれ顔で購入しました。

歩き疲れてタクシーを拾おうとしました。まだ後遺症があり、駅に続く方向を確かめてから車を拾おうとしました。中年の夫婦がいたので、訊ねると、あちらですと指さし、近くかと思い、歩いて行きました。二人も一緒でした。「私たちもそちらに行きます」と言いました。おじさんは、がっしりした体形で背中はまっすぐです。そのうち、歩きながら鼻歌がきこえてきました。

南京東路という地下鉄だったでしょうか、夫婦と一緒だったので歩いたけれど、本当に良く歩きました。二人は更に前進し、歩いて行きました。もう少し先のホテルだったのでしょうか。

お陰でアンチ・メタボ対策にはなったでしょう。靴の中敷きで、クッション性を持たせるプラスチックの部分が、だいぶ消耗しているのにも、旅の終いに気付きました。

良く歩きました。(アントワープでも歩き通してしまったけれど、進むも留まるも、本当に気ままです。)

母の夢

2010年06月06日 08時55分48秒 | 日記
滞在中に3度母が夢に現れた。たいていどんな時に夢に出るか、心理状況から関係を推察できる。そんな時、母が守っていると私は思うのだった。

菊ちゃんのお母さんもでてきた。

ある時は、寂聴さんが数人のメンバーと小説の読書会をしていた。私自身は、めっきり小説を読まなくなったのに、夢の話題は興味深かった。具合でも・・と、翌朝思った。

( 成田で荷物を待っている時に、どこかで見たようなtvのタレントのような婦人を見かけた。年長者で、でも良く似ていた。)

3度目に現れた母はお話をし、ちょっぴり寂しかった。いつもの母らしくなく、私自身の内側が創ったような会話だったのかもしれない。「お別れに来たんだよ」と告げたのだった。それは、私の中で何かが吹っ切れたような自分自身の心理の変化ともいえるのかもしれない。

生前、第三子出生後、体調を崩し風邪から、子宮内膜炎で苦しんでいた頃に、突然母から電話があり、「お前が苦しんでいるようだったから・・・」と電話をかけてきた。音沙汰のないのは、状況下、たいていは、心理が夢に形になって現れ、現実の忙しさから本来のメッセージを発して人に行動を繋げてくる。

夢は真理ともいえそうだ。けれど、私は母と逢えるのをとてもうれしく思っている。