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食育マイスターのひとりごと

食育マイスターが日常のひとりごとを綴っています。

実家の話⑭

2023-09-28 15:27:31 | 日常
久しぶりに暗くて重い話に戻ります。


夫を亡くして、女手一つで子ども3人を育てなきゃいけない母にとって
(実際、妹や弟の世話をしてきたのは私だけど)

私が子どもの頃から、私の行事で仕事を休むのが

何より嫌だった。

実際、入学式とか卒業式とか来てもらったことはないし

私の結婚式でさえ休むのが嫌で、文句を言われた。
(式は挙げていません)

じゃあいつも休まずに仕事をしていたのかと言うと

実はそんなことはない。

年に何度か旅行に行っていた。

今思えば、よく小学生の私に妹や弟を預けて…と思う。

(父方の)祖父もいたからだとは思うけど。

私としては、宿題をしただけで『家の事をやらないで!』と

ギャーギャーうるさく言われなくて済むから

母がいないことは、むしろ大歓迎だったが。

小学校の家庭科の教科書を開いて、ハンバーグとかを作っていた記憶がある。


母の旅行相手は、同業者の組合の人達や自分の姉達。

母は9人姉弟の7番目で、下2人が弟。姉が5人兄が1人いた。

姉達とは本当に仲が良かったみたいで。

今思うと、母はず~っと姉達に可愛がられる『末っ子』だったのだと。

私の結婚が決まった時の顔合わせに一番上の姉を同席させるくらい

姉達には色々と頼っていたみたいだった。

だからなのか、私にはとにかく『おねえちゃんでしょ~!!!』が口癖だった。

で、この姉達、実は私はほとんど会ったことがない。

一番上の伯母だけは知っているけど、他は母が仲良くしているだけ。

実は名前も知らない。

母が伯母さん達の話をする時は、住んでいる土地の名前を言って

例えば東京の伯母さんみたいにしか聞いていないから

名前を知る由もなかった。

父の姉妹の付き合いは私に押し付け

自分は姉達とよく旅行に行っていた。


私がアキレス腱を切った時に夫が助けてくれるよう頼んだ時は大激怒だったが

その後、宮城に姉妹旅行で来たから、家族で会いに来い!みたいに呼ばれたことがあった。

会いに行ったけど、日曜日だったし、顔を見せただけですぐ帰りました。

次の日から幼稚園始まるし。

まぁ機嫌がいいからいいか…で

その後、今のところに引っ越すことになった。


こっちに来たばかりの頃、私はどうしても受けたい講座があって。

安くないお金も払って、もうすぐ受講するという時になって

夫に仕事が入った。

小3と小4。土日2日間、朝から晩まで3人で留守番させるか…

出来なくはなかったと思うけど

引っ越したばかりだし、前に住んでたところよりも都会だし

母としては、ちょっと不安で…

安くないお金を払ったけど、諦めるか…

と、葛藤していたら、こっちに弟がいることを思い出した。

娘達は弟に会ったことがない。

弟も娘達には興味がないから、お祝い等も一切なかったし。

でも、一応おじさんにあたるわけだから

弟に電話をして、2日間こっちに来て家に居てくれないかどうか頼んでみた。

その頃はまだ、弟は電話に出てくれた。

娘達は自分のことは自分で出来るし

ご飯はちゃんと作っていくし、

ただ、娘達だけだと心配だから

同じ空間に居てくれるだけでいいから。交通費とか払うから!と。

が、なんで自分がそんなことをしなきゃいけないんだ!と

あっさり断られた。

もう講座を諦めるしかないかな…と思っていた時

たまたま母から電話があった。

最近弟に電話をして頼みごとをしたことを話したら

母は弟になんてことを頼んでいるの!!!と。

で、びっくりだったのが

私が(弟の代わりに)行くと言う…

娘達に話したら

娘達もびっくりで、ちょっと怯えた。

娘達は私がアキレス腱を切った時に母が来て怒鳴り散らしたことを覚えていた。

おばあちゃんに頼んだらダメだよ!とまで言う。
(怒鳴られたくないからね)

でも母は、私が弟に頼んで、それが弟の負担になるくらいなら

私が行く!と譲らない。

講座の日程まではあと少し。

来るなら3泊4日。

双子の出産の時も、アキレス腱を切った時も

あれだけ不機嫌で、手伝ってくれたことなんてなかったのに

大事な大事な弟の負担にならないためなら

あっさりこっちに来るんだ!と驚いた。

で、本当に来て、機嫌よく過ごし、帰って行った。

私としては助かったけど。


娘達も、その時に来てくれたことで

おばあちゃんが怒鳴り散らしたことが帳消しになった。


私としては、母が4日も店を休めたことにびっくりだった。









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実家の話⑬

2023-09-07 15:37:51 | 日常
双子が年長の時、夏にお泊り保育があって。

持ち物を用意していたんだけど

『タオルケット』、どうせなら新しいのを持たせようかな…と。

1枚は使っていないのがあったんだけど、双子なので2枚必要。

で、実家の押し入れに使っていない『タオルケット』が眠っていたことを思い出した。

何かを買って!とか、○○を送って欲しいとか

母にはちゃんと頼んだことがなかったけど
(私が頼んだところで、文句を言って怒るだけ)

『孫』の為の元々家にある『使っていないタオルケット』ならいいかな?と

一度だけお願いをしたことがある。

母に、こちらからお金を渡さずに

何かをお願いしたのは

結婚してから後にも先にもこの一回だけ。

別に『着払い』で良かったんだけど。

『私』じゃなくて『孫』のため。


私からの頼みごとが相当に面白くなかったのか、またまた激怒。

欲しかったら、買えばいいでしょ~!!!
(使ってないでしょ)

送料がもったいないでしょ~!!!
(着払いでいいって言ってるじゃん)

それだけ送るなんて、宅急便としては小さすぎるでしょ~!!!
(小さければ送料少なくて済むでしょ)

あんた達にあげて、みんなが来た時に足りなくなったらどうするの~!!!
(何枚もあるじゃん)

とにかく、大騒ぎ。

結果的に送ってくれたんだけど。

そもそも、私が何か頼みごとをすることが許せない。


母は宅急便を送るのは好きだけど

それは自分のペースで自分の送りたいものならOK。

例えば、母が野菜をご近所からもらったら、

我が家には元々実家にある古いものを送り付けてくる。

捨てられない人なので。

こっちのことはお構いなし。

私が娘達に荷物を送る時は、いつが大丈夫か必ず聞くんだけど

母は母が送りたい時に送りたい。

要らないと言っても、箱が大きいから!と。

花が咲きかけのブロッコリーとか、芽が出たジャガイモとか。


ある時は、枝豆を採った。(祖父が遺した畑がある)

じゃあ枝付きのまま送って?と頼むと(そっちの方が鮮度が保たれる)

わざわざ茹でて送ってくる。

枝豆は夏。

しかも、もったいないってことでクールは使わない。

かぼちゃもある!

かぼちゃは要らない!

でもある!いや要らない!じゃあどうするの?と

絶対に譲らず、最後には私がうなずくまで会話は止めない。

それなら丸ごと!というと、ぜ~ったいに切って袋に入れてくる。

届くころには生のまま溶けてる。

なんでもビニール袋に入れて送るから

ものによってはビニールの臭いが移ってることも多く…

ある時に、実家でジップロックを大量に買って置いていったのだけど…

(私に送る)ジップロックがもったいない!と

宅急便には使ってもらえず。


陶芸にハマっていたこともあり、趣味を持つことは良いことだと思っていたんだけど

頼んでないのに、大量に作品が送られてくることもあった。

自分で作った物が大好きだから、母にとっては自信作。

要らない!と言っても、聞いてはくれない。

良かったら使うけど…お世辞にも良くはなかった。

引っ越しの時に捨てました。


冬は必ず長芋を送ってくる。

どれだけ要らないって言っても。

買わなきゃいいだけの話なんだけど。

少しでいいから!と言えば言うほど多く送りたくなるみたいで。

周りに配ればいい!とか言うんだけど、

私は一応、野菜の目利きが出来る。

そして、なぜか私に送ってくるのは、古そうな、人に送れないようなものばかり。

長芋の箱は他の箱よりも高いんだから!と言うんだけど

買わなきゃいい話。


長芋を買って、箱も特別に買って送り付けてくるのに

『タオルケット』1枚でそこまで文句を言われるとは…

毎回、前回以上のガッカリ。

まぁ祖母と言えど、ぜったいに孫が可愛いわけではないんだな…と思えた出来事でした。







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実家の話⑫

2023-09-05 11:20:43 | 日常
前にも書いたけど

実家は県道沿いで商売をしていたこともあり

とびこみのセールスなんかも本当に多くて。

母子家庭で子供3人。

お金がなかったのは本当だと思っていたんだけど…

私にかけるお金はないんだけど

ミシンに20万とか。たまに母が使うお金の単位は高額だった。

一番心配したのは、スピリチュアル系。

幸せになるシールとか。

夫婦仲は良かったから、突然最愛の人を亡くした悲しみは

計り知れないものだと思ってはいたんだけど。

私の学校の行事には激怒するくせに

『いたこ』に話を聞きに行く…とかでお店を休むことはOKだった。


結婚してアメリカに住んでいた頃に

送ってもらった荷物の中に何やら変な文字を書いた紙が。

これは何だ?!と聞いたら

お守りだという。

ある日ハンコ屋さんがセールスに来て、幸運になれるハンコを買って

その人に書いてもらった文字なんだそう。

絶対に幸運が舞い降りるというから、いやいや

そんな胡散臭い人が書いた文字なんかで幸せになれるのなら

この世界、戦争なんて起こらないと思うけど?

何を言ってるの!!!そのお守りのおかげであんたがアメリカで無事に過ごせるんでしょう!!!

これは、何を言ってもダメだ。

私の分のハンコも作ってくれたという。

金額を聞いたら、1本10万円。家族全員の分を作ったと言う。
(40万円?!)

自分のハンコならとっくに持ってる。
(結婚して名字が変わった時に)

10万円なんて、絶対に騙されてるって!!!

そんなわけないでしょ!!運気が上がるんだから!!と、話は聞いてくれず。

今さら10万円のハンコを買ってくれるなら

結婚した時に、現金で5万円のお祝いをもらえた方が嬉しかったけど。
(結局、お祝いは何もなかったし)

で、帰国した後に渡されたけど

母に目を覚まして欲しい私は、そのハンコは受け取らずに返しました。


アキレス腱の傷があまり気にならなくなった

双子が年長の頃に

私宛に何やら確認の書類が届いた。

なんと、母は、私が返したハンコを使い

私が契約したことにして、受け取りを母にして

子ども達に学資保険をかけていた。

私のサインは母が代筆したみたいで…

これは、犯罪になるんじゃないの?

母の言い訳は

今まで(お金がなくて)私達にお金をかけてこられなかったから

貯金と思えばいいし、

郵便局員が親戚だから、変なことにはならないし…

なんだそれ?

お金は自分で払うんだからいいでしょう?と譲らない。

確かにそうなんだけど

私の名前のハンコで、私のふりしてサインをする、その行為がどうなのよ!

と言ったところで、母が納得する訳もなく…

満期になったら、お祝いを送れるし!の一点張り。

『生命保険』じゃなくて『学資保険』だから、いいのか?

そうじゃないよね~

本当に、毎回毎回、がっかりさせられることばかりで。


怖いのは

お金にだらしない妹の借金関連で、私のフリしていないかどうか。

母が『(私が)お姉ちゃんなんだから、何とかしてくれるでしょ』という

昔っからの変わらない考え方で。

もちろん、何かあったら、徹底的に闘うつもりでいたけど

今のところ大丈夫そうだけどって、

普通、こんなことしないよね…


結局、学資保険がどうなったのかは分かりません。
(満期になったからお祝い~なんてなかったし)

お金を出したのも受け取るのも母だし。

大きくお祝いをもらえた記憶はない。

そもそも、娘達にもケチだった。

誕生日のプレゼントは、お金がかからないものというから

毎回本にしてもらい、でも小学校を卒業すると同時に終了。

誕生日おめでとうもなし。


さすがに、やりすぎかと思ったのか

珍しく娘達の入学用のランドセルは買ってあげたいという。

なのでなるべく安い、でも軽くてちゃんと6年持つランドセルを

あちこちで探して。

イオンのランドセルをクーポン使って買って、2つで52000円。

で、52000円もらいました。

1人3万円包んでこれで買って!ではない。


うちの実家はすっごく貧乏だったから…と娘達に言い聞かせ
(お金がなかったのは本当だけど)

夏に遊びに行けるだけでも楽しいね!という雰囲気を作り

おばあちゃんはお金ないのに、ランドセルは買ってくれたね~と母を持ち上げ…


実家から遠いところに住んで、手助けは一切なかったけど

関わる時間が少ない分、母の仮面もはがれることもなく

娘達は田舎大好きに育って、これはこれで良かったのかなぁって今でも思っています。

でもやっぱり、改めて思い直しても

ハンコとサインの偽造は許せないかなぁ…










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実家の話⑪

2023-09-04 10:52:34 | 日常
双子が3歳になる少し前に

福岡から宮城に転勤することになった。

長女は地元の幼稚園の年少組に通っていたんだけど

迷惑だった上司の奥さん

頼んでもいないのに、

お弁当持参で勝手に園の運動会に来たり…
(迷惑だったので、我が家は一切口付けず)

夫が出張でいない時は

その奥さんから連絡がつかないように

家の電話線を抜いて無視していたら

部屋の明かりはついているのに(カーテンから漏れていた)

連絡がつかないなんて!!と大騒ぎになったり(笑)

私も色々と抵抗をしていたから、転勤が決まってスッキリ。

一応、携帯電話を持ち始めた頃だったから

引っ越す時に、その奥さんの連絡先を消したんだけど

2年後くらいにまた宮城で一緒になるという…(^^;

もうその頃には、娘達も幼稚園に通っていて、私も役員をやっていたから

最小限の付き合いでOKでした。

もちろん、園の運動会には絶対に誘わなかった(笑)
(後から、言ってよ~って言われたけど)


宮城での生活が慣れた頃に

付き合いで町の体育館でバドミントンをしていて

私はなんと、アキレス腱を断裂してしまった。

その頃の娘達は、スイミングに通っていたから

娘達のスイミングの時間に合わせて、同じ施設でジムを利用していたから

全く運動してなかったわけではなかったんだけど。

シューズもそれなりのを履いていたんだけど…

バドミントンって、バドミントン用のシューズが必要だったみたいで。


部分麻酔で手術したんだけど…

なぜか血圧が低下して、気が遠くなって…

とにかく大変だった。私は入院しないといけなくて。

その頃、パニクった夫は、うちの実家の母に連絡。

私が入院するから来て欲しいと頼んだらしく…

手術後、病室でその話を聞き、

なぜ勝手に母にそんな連絡をしたのか?!

産後だって手伝ってくれなかった人が、今更手伝うわけないでしょう?と。

って、夫が娘達の世話をするという考えに至っていないのも腹が立つ。

その話を聞き、私は無理矢理退院することにしました。

手術後、とにかく痛みが激しかったので、痛み止めの坐薬までもらって。


夫に頼まれたってことで、母が来たんだけど…

案の定、大激怒!!!誰に頼んでんの~!!!

来てやったんだから、もてなせ~!!!


宮城に引っ越してからは、毎年夏に帰省していて。

1週間弱だったら、母も機嫌が良く。

私が一緒だったこともあり、母と娘達の壁になっていたこともあり

母の本性は娘達には見せないようにしていたんだけど

今回ばかりはどうしようもなくて…


夫には、ほら見たことか!!!

娘達は、何だかよく分からないけど、自分達の世話をするために来たはずの

おばあちゃんがものすごく怒っている…


子ども達が産まれた時点で考えていたんだけど

私にとっては、嫌な母だったけど

娘達には、『田舎』の『おばあちゃん』って必要なんじゃないかと。


このままでは、娘達も『おばあちゃん』のことが大嫌いになってしまう…

夏休みに、こっちとは全然違う環境の

いわゆる『田舎』を訪ねるのは、子ども達にとっては楽しみでもある。

これ以上、母の嫌な部分を見せたくなかったので

一泊で帰ってもらいました。

やっぱり、私は休める環境にはない。


さすがに坐薬は自分では出来なかったけど

双子の後産の痛みよりはマシかも…と

痛みに耐えながら、自宅で何とか過ごすことにしました。

朝頑張れば、娘達は日中幼稚園に行ってくれているしね…

送り迎えはご近所のママ達がしてくれたし。

『遠くの親戚よりも近くの他人』

夫は本当に役に立たないし(怒)いつか覚えておけ~!!!と思いながら。


そんなことがあったから

私の足の傷の治りが遅くて遅くて。

1カ月で外れるはずのギブスが

3カ月以上かかってしまいました。







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実家の話⑩

2023-09-01 10:35:10 | 日常
双子は成長が遅かったので、本当に本当に心配した。

早産だったから元々の予定日で計算をすると言われたけど

それにしても遅かった。

母に聞かれ、遅いというと、普段の日常を知らないくせに

『それはあんたが…』と私に全ての罪があるような言い方をしてくるし。


双子が1歳を過ぎた頃、何にもしなかった義母と義祖母(義母の母)が

福岡に来るという。

もちろん、行くんだから、もてなせモード。

ただでさえ大変な日常なのに、何にもするものか!!と

うちには泊まらせませんでした。

夕ご飯は1回作ったけど。

3人とも体が弱かったから、あんまり連れ出したくないのに

夫がいい顔するもんだから、

しょうがなくみんなでショッピングセンターに出かけ

風邪引いて、結局病院通い。

予定よりも1日早く帰ってもらいました。

怒ってたけど、知るか!!!子ども達の遊び相手も出来ないくせに。


そして、妹が結婚することになった。

福岡からみんなで仙台に来いと言う。

行くなら飛行機しかないんだけど…

双子はまだちゃんと歩けない。

飛行機って、2歳未満は無料だけど

それは、大人1人に子ども1人を膝に座らせる場合。

双子でそれをすると、当時2歳の長女が余る。

家族5人で行く場合、2歳の長女は1人で座らないといけない。

ビビりの長女が初めての飛行機で、それができるとも思えず…

もし、うちの娘達がそういう状況だったら

私だったら、大変だろうと迎えに行こうと思うんだけど

母にそんな考えがあるわけもなく…

ふと、もし双子を実家で産んでいたら

私は2年以上も身動き取れない状況だったのかも…なんて

想像してゾッとしたりして。


おめでたいことだけど

とにかく、娘達を連れて行くのは無理だ。

でも、普段育児に参加していない夫に3人を預けるのも不安。

レンチンだって出来ないのに。
(覚える気もなし)

で、夫1人に行ってもらうことにしました。


その妹の結婚式に

親族代表で挨拶するはずだった弟がとんでもなく遅刻して来て…

なぜか、夫が代わりに挨拶をしたという…


冒頭の話に戻るけど

必要な書類にサインをしてなくて居留守を使っているんじゃないかという

夫の話はここからきている。


普通、結婚式って、そんなに遅刻するのはアリなのか?!

もちろん、甘々な母に注意されることはなかったそうだが。

あとから親族で撮った写真が送られてきて。

そこには挨拶をバックレた弟はちゃんと映っていました。

母は写真の中心立ち、意地悪な父方のおばさま方も一緒に。

あ~母は本当は私の結婚式でもこれをやりたかったんだ…と。

結構派手な結婚式だったぽいけど、

その後妹は10年と持たずに離婚してました。


妹は、昔からとっても金遣いの荒い子でした。

努力をするのも嫌い。

口癖は『おねえちゃんはいいよね~』

人にいい顔できるから羨ましいのだと。

私だって、好きで嫌いなおばさん達の相手をしているわけではない。

それに、成績が良くて優等生っぽくしているのも気に入らない。

性格が母そっくりで、母とは仲が良い。

勉強するのが嫌いだったから、名前を書けば受かるレベルの高校に行き…

付き合う友達は高校生から喫煙をするような子達。

いつだったか、旅行に行くと言い、当日にドタキャンされて大泣き。

母が可哀そうだと、店を閉めて一緒に旅行に行ってました。

私の入学式には文句をいうくせに、妹の為には店閉めるんだ…と思った。

バイトはしていたけど

働いた分、パッと使っちゃう。

我慢が出来ない。


高校を卒業して専門学校(2年)に行ったけど

最初はお金がかからないように寮にいたけど、1年で退寮。で、一人暮らし。

専門学校に行ってから、利息付きの奨学金を借りられることになったけど

返済ができずに、母が肩代わり。


まだ私も独身の頃の年末

実家に帰ったところで、妹がお金がないから実家には帰れないという。

母はみんな揃って過ごしたいから、私に何とかしろという。

何とかって言われても…

電話で何とか説得して、交通費は母が出すことになり

実家に戻ってきた時に

もう働いていた私はお小遣いをあげた。

そしたら、年が明けた2日に

『初売りに行くから~』とあっさり仙台に戻るような子。

車の免許を取るのに、運転が上手くいかなくて

追加でお金を払い続け、44万円になったところで

教官にブチギレて、それ以降自動車学校には通わず…
(数年前に仕事で必要で、取り直したらしいが)

私はアメリカで安く取って日本で書き換えたから

『いいね~おねえちゃんは。安く取れたんでしょ~アメリカって簡単なんでしょ~?』

いやいや、英語だから。私、勉強したから。


社会人になってからも、手取りが私の方が多いと

母や妹は私に文句を言ってくる。

でも、東京の方が家賃が高く、結局家賃を引くと

妹と私の手取りは変わらない。

妹や母の考え方は、『できる』ってことは『楽』ってこと。

私は節約してたし、お金の使い方だって毎日ちゃんと考えてた。

なのに『いいね~』って何だ!!!

私は好きなアーティストのライブだって行ったことないのに

妹は追っかけみたいなことをしてたし。

妹は20代の頃から100万単位の借金があったみたいで。


母としては、私に

『お姉ちゃんなんだから』妹を助けて欲しかったみたいだけど…

どうせ私の話を聞かず、私に文句ばっかり言う妹の借金を被るのはまっぴらごめん。

お金があったら、それは娘達に使いたい。

妹とは早々に距離を置くことにしました。

お金にだらしないのは、どうしようも出来ない。


その後

双子は1歳半を過ぎてようやく歩けるようになって…

その頃は本当に本当に心配したんだけど

今思えば、双子が歩けないことで、やらなくて良かったこともあって。
(義母をもてなすとか、妹の結婚式に出るとか)

小児科の先生に、この子達はのんびりしているだけだから大丈夫!と言われ

その時は心配過ぎて信じられなかったけど

そこからの追い上げがすごくて。

自転車の補助輪が外れたのは3歳。

足も速い方だったし、泳げるし、むしろ運動神経は人より良かった。

私の気持ちを汲んでくれていたのだろうか…

その頃、大変だった分、成長してから

あっさり独立しちゃったけど。



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