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煩悩具足の凡夫(煩悩のかたまりの人間)

2019年03月23日 19時40分32秒 | 宗教

前回に次いで親鸞聖人にまつわる仏教教室を覗いてみた。今回は歴史の教科書にも出てきた「歎異抄」の一節の解説である。「歎異抄」とは、鎌倉後期に唯円という親鸞の弟子によって書かれた仏教書である。1~10条までは、親鸞の言葉を記し(口述筆記)、11~18条は、親鸞亡き後の異説の誤りを正している。親鸞の異説を嘆いた書という意味で、「歎異抄」と名付けられたとのことである。「歎異抄」は非常に誤解されやすい書物なので、「カミソリ聖教」ともいわれた。カミソリは、大人が使えば重宝でも、幼児が使えば、危険な道具になるように、親鸞の教えをよく知らない者が読めば、誤読の危険性が大きいとのことで、8代目にあたる蓮如上人は室町時代、この本を封印し、江戸時代は世の中に出回っていなかったが、500年後の明治時代の末になって、やっと封印が解かれ、今になって広く知られるようになったとのことである。

今回の仏教教室では、歎異抄にある「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。」という言葉を引用して、煩悩についていろいろ解説してくれた。「火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ」という意味で、親鸞聖人の教えは、要するに人間は煩悩のかたまりであり、その煩悩は 減らすことも、なくすこともできないという前提に立つ。

煩悩とは、「自分を苦しめる心」でウィキペディアでは「身心を乱し悩ませ智慧を「妨げる心の働き(汚れ)」説明されていた。全部で108個あり、その内、次の三毒の煩悩が最も悪いものとされる。

① 貪欲(とんよく)
② 瞋恚(しんに)(怒り)
③ 愚痴(ぐち)

貪欲には、五欲といって、①食欲 ②財欲 ③色欲 ④名誉欲 ⑤睡眠欲 の五つの欲があって、無くそうと思っても無くせないし、きりがないし、次から次へと増えるのである。瞋恚とは、怒りの心で赤色の鬼に例えられる。欲が妨げられると怒りがこみ上げる。愚痴とは、妬み、嫉み、恨みのことで、人の不幸を喜ぶようなことである。ある毒舌家は、「幸福とは、他人の不幸をみてよろこぶ快感」とも言っている。親鸞は、「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蠍のごとくなり」(悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。)とも言っている。

まさに、煩悩は、我々を悩まし、止めたくても止められないものである。親鸞は9歳から20年間、比叡山にこもって、修行を行ったが、どうしても煩悩をなくすことはできず、諦めて下山したのである。除夜の鐘は、煩悩が108個あるため、108回鳴らして煩悩を一つ一つ消し去り、安らかな気持ちで正月を迎えようとする儀式であるが、煩悩をなくすなんてそれは所詮不可能というのが親鸞の結論であり、彼の仏教は、それを前提としているのである。出家して修行を積んだ人だけが救われるというのは仏教の目指すところではないと確信しての布教活動であったのである。

「歎異抄」の一節に、「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。」という言葉がある。まさに、誰もが「煩悩具足の凡夫(煩悩のかたまりである人間)」であることを前提に、幸福を求める。「煩悩即菩提」といって、悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩はやがて悟りの縁となることである。

我々の生活に仏教用語がいっぱい入りこんでいるが、その意味を知らないことが多いのに愕然とする。講師の話を聞いていて、なるほどということばかりである。チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われないように、少し仏教教室にも通ってみようかと思っている。また、「歎異抄をひらく」というアニメーション映画が5月24日に封切りになるとの情報を得た。勉強にもなるが、面白そうなので、是非とも見に行きたいと思っている。


画像は、アニメ映画「歎異抄をひらく」
コメント
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