goo blog サービス終了のお知らせ 

浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

王舎城の悲劇 - 因果の道理 

2019年09月25日 09時41分51秒 | 人生

 

仏教教室で、「王舎城の悲劇」というアニメを見たが、これは有名な実話らしい。釈迦の時代、マガダ国のビンバシャラ王は、世継ぎとなる子宝に恵まらず、行く末を案じて、占師にみてもらったところ、3年後に修行に励む仙人の生まれ変わりとして、太子を授かるとの答えに、その3年が待ち切れず、臣下に殺害させた。やがて、イダイケ夫人が懐妊したが、「生まれてくる太子は、王に恨みを持っており、後に必ず仇を討つであろう」という占師の言葉に恐れをなした王は、イダイケ夫人と共謀し、城の高殿から我が子を産み落とし、死産に見せかけることを企てた。しかし、奇跡的にも小指を一本折っただけで命を取り留めた。太子は、アジャセと名付けられたが、異常な凶暴性をあらわにしていく。


釈迦のいとこである「ダイバダッタ」は、釈迦をねたみ、教団を乗っ取ろうと野心の燃え、釈迦を二度殺そうとしたが失敗し、次はアジャセに取り入り、ある日、出生時の小指の秘密を暴露した。怒りに燃えたアジャセは、父である王を城の牢獄へ幽閉し、イダイケ夫人は、水や食べ物を夫の下へ運び続けるが、このことを知ったアジャセの逆鱗に触れ、母親までも殺そうと剣を抜く。「世継ぎ争いで、母親を殺したという太子は、未だかって一人もいない」と咎められたアジャセは、命を奪うことは止めたが、母をも王宮の奥深くに閉じ込めてしまった。


牢獄でのたうちまわるイダイケ夫人の悲痛な心の叫びが釈迦に届き、釈迦の訪問を受け、冷静さを取り戻し、自己中心的な生き方しかしてなかった自らの罪深さを改めて知らされ、救済されることになるが、愚痴の限りをぶつける夫人に、釈迦は慈眼を向け、「観無量寿経」の有名な無言の説法と説く。


この説法はよくわからないが、この実話は、因果の道理を明確に示している。因果とは原因と結果ということで、どんなことにも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は億に一つもないということである。因果の道理には「善因善果」「悪因悪果」「自因自果」の3つがある。「善因善果」とは、良い行いからは幸せという結果が起こり、「悪因悪果」とは、悪い行いからは、不幸せという結果が起こり、「自因自果」とは、自分がまいたタネは自分が刈り取らねばならないということである。王と夫人が生まれてくる子供を殺そうとしたことが原因で、自分達が殺されそうになるというまさに「悪因悪果」であるといえる。この言葉を因果の道理を全くわかっていない韓国の文在寅大統領に捧げたい。

アニメのさわり: https://youtu.be/x4CLRL1THAE





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生が二度あれば

2019年08月24日 21時08分48秒 | 人生

 

自分史の整理の一環として、人生を謳った音楽を整理していたら、井上陽水の「人生が二度あれば」の曲に行き当たり、その歌詞に愕然とした。1972年の曲だが、歌詞はこう始まる。


「父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり 仕事に追われ このごろやっとゆとりが出来た。。。。」


愕然としたのは、自分がもうとっくにこの年を過ぎているからである。1972年当時は、65才といったら、立派なおじいさんであったのかも知れないが、今の自分のことを考えるとゾッとする思いである。よく聴けば本当にしみじみとした人生の歌であり、文句なく、自分の人生ソングのアーカイブにリストされる。いろいろ終活整理をしていると、人生の機微にふれる心にジーンとくる曲も少なくない。自分の人生ソングとしてリストしている曲は、50曲ほどある。歌詞をじっくり味わってほしい。


「人生が二度あれば」の他には、「人生の扉」(竹内まりや)、「青春の影」(財津和夫)、「わが人生に悔いなし」(石原裕次郎)、「悲しくてやりきれない」(フォーククルセダーズ)、「想い出がいっぱい」(H2O)、「365日の紙飛行機」(AKB48)等々、しみじみと聴いていると涙があふれ出てくる曲ばかりである。50曲の多くは、YouTubeで連続視聴できるようにしているので、青春プレイバックしたい時にはよく聴いている。


まさに人生一度きりしかないので、残り少ないが、後悔しないように謳歌したいものである。親鸞聖人の教えではないが、「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」(蓮如の白骨の章)である。明日はどうなっているかわからない年になっているので、やりたいことは先延ばしにしないですぐやる主義でやっていきたい。


「人生が二度あれば」(井上陽水): https://youtu.be/8nuJl6t7Jzg


 「心にしみる思い出の曲50選」(個人HP) 

  
          http://romanflight.web.fc2.com/LifeSong.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓮如上人の「白骨の章」

2019年08月18日 08時58分41秒 | 人生

 

8月17日に仏教教室に出席したが、今回のテーマは、蓮如上人の「白骨の章」であった。今までは、あまりよく知らなかったが、この「白骨の章」は、浄土真宗において、葬儀をはじめ、四十九日、一周忌などで最も多く読まれる有名な文章であるという。蓮如上人は、浄土真宗の中興の祖ともいわれ、親鸞聖人から200年後の15世紀に親鸞の教えを正確にわかりやすく信者に伝えるために簡単な文章で書き示した手紙を80通ほど残している(御文章または御文といわれる)。


この手紙の中で、「白骨の章」といわれる文章は、教義ではなく世の無常について書かれている。「朝には紅顔あって夕に白骨となれる身なり」などの名文としても名高いこともあって、宗派を超えて多くの人々に親しまれているので、知っている人も多いかもしれない。


意訳すると下記のようになる。


「人間のはかない人生をよくよく考えると、この世の中でおよそはかないものは、あっというまに迎える人生の最期である。いまだかって万年も生きたという話を聞かず、一生は早く過ぎるものである。現在でも百年を生きることは難しい。自分が先になるか、人が先になるか。今日とも明日とも知れない命で、遅れる人早く亡くなる人は、木の葉の露、雫の数よりも多い。そうであるならば、朝元気であった者が、夕方には死んで骨になるかもしれない。無常の風が吹いたら、たちまちのうちにまぶたは閉じ、呼吸も停止して、顔色がむなしく変って赤みを失う。そうなれば家族・親戚が集まって歎き悲しむが、蘇生効果はない。さてすべき事をしなければというわけで、遺体を野外に送り、夜中に火葬をして煙となれば、わずかに白骨のみが残るだけである。これはあわれというよりもおろかなことである。ではどうしたらよいかというと、人間のはかない命は老若の順とは限らないので、誰もが早い時期から死後の生の大事(後生の一大事)を心にかけ、阿弥陀仏に深くおすがりして、念仏すべきである。」


まさに、世の無常を説いた内容であるが、心にジーンと響く。無常の風は、目に見えないので突然に吹いてくる。老少不定で、年をとった人が先に亡くなるわけではないということも悲しいかな事実である。人生はあっと言う間に過ぎ去るが、そのスピード感覚は、10代は各駅、20代は快速、30代は急行、40代は特急、50代は新幹線、60代以降は、ブレーキの壊れた弾丸列車の如く過ぎ去ると講師は説明していたが、妙に納得。難度の海に放り出された我々は、小さな船の中で、丸太棒や板切れ(財産、健康、地位、名誉、仕事、家族等)に掴まりながら、何とか「どう生きるか(相対の幸福)」に必死であるが、その船は100%確実に滝つぼに向かっていることに気付いていないのである。いつ滝つぼ(死)に落ちるかも知れないのに、どう生きるかだけしか考えず、「なぜ生きるか(絶対の幸福)」を考えていないという。後生の一大事をいかに解決するかを教えているのが仏教である。


現在、自分の部屋に飾ってある掛け軸が何と蓮如上人である。妻の実家は、浄土真宗であるが、実家の片付けをしていた時に蔵からいくつかの掛け軸が出てきたので、我が家にもらっていたものの一つである。その掛け軸は蓮如上人が普及行脚する姿を描いたもので、親鸞聖人の仏教教室に通う前から偶然に掛けていたものである。お釈迦様の教えは奥深いと感じている今日この頃である。


写真は、掛け軸の蓮如上人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難度の海を度する大船あり

2019年07月28日 13時23分08秒 | 人生

 

7月27日、アニメ映画「親鸞聖人物語」の第3巻を鑑賞した。第3巻は、親鸞が35~40才の時のエピソードで、朝廷を巻き込むスキャンダル鈴虫・松虫事件を発端として、権力者や比叡山延暦寺と興福寺の他宗派の攻撃を受け、法然上人は土佐に、親鸞聖人は、越後(直江津)に流刑された頃を描いている。鈴虫・松虫事件とは、後鳥羽上皇に仕えていた鈴虫と松虫という姉妹の女官が容姿端麗で教養もあって、上皇の寵愛を受けていたが、京の町で辻説法する法然上人の弟子の住蓮房と安楽房から仏法の教えを聞いて目覚めた。姉妹はある日出家したいとのことで、夜更けに、僧のいる門戸を叩いたが、それが上皇の怒りを誘い、説法していた二人が死刑、法然一門は解散、法然と親鸞が流刑にされた。(承元の法難 1207年)


仏法の教えの一つが「難度の海を度する大船あり」である。難度の海とは、我々の一生のことで、苦しみ悩み波の絶えない海のようなものが人生である。難度の海には、丸太ん棒や板切れが浮いている。お金、財産、健康、名誉、地位、妻子、迷信などがそれである。丸太や板切れは海に浮かんでいるから、風や波に悩まされたり、運よく、それに乗ったり、掴まったりしても、くるくる回転して失なったり、裏切られたり、潮水を飲んで苦しんだり、溺れかかったり、溺死したりする人もおびただしい数にのぼる。空と水しか見えない海で、押し寄せる苦しみの波に翻弄されながら、金や財産、地位や名誉などの丸太ん棒や板切れ求めて、必死に泳いでいるのが我々である。


そんな人たちに、懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、政治、経済、科学、医学、芸術、文学、スポーツ、法律などである。まさに、「どう泳ぐか」「どう生きるか」をコーチしているだけである。しかし、「どこに向かって泳ぐのか」「なぜ、生きねばならないのか」 肝心な泳ぐ方角、人生の目的が明らかにされていないのである。行く先を知らずに泳いでいる人は、やがて力尽きておぼれるだけです。しかし、難度の海には、大きな大きな船がある。誰でも乗れるし、70億、全人類が乗ってもいっぱいになることはない。そんな船を阿弥陀仏が作ってくれたのである。この大船のみが裏切らない、難度の海を明るく渡してくれる船なのである。その船に乗せることが阿弥陀仏の本願である。目的を知らずに生きている人は、死ぬために生きているようなものである。大事なのは、人生の目的、何のために生きるか、「なぜ生きるか」である。


飛行機に例えると、我々は飛行機に乗っている、生まれて気が付いたらもう飛行機に乗っている。この飛行機は、いつ墜落するかわからないが、100%確実に墜落する。襲ってくるトラブルを回避しながら、飛行を続け、機内では安全に快適に楽しく長く生活することをめざし、まさに「どう生きるか」に奔走する。飛行機は必ず墜落するが、いつ、どこにかが全くわからないため、不安な毎日を過ごすことになる。降りるところ(目的地)を見つけることが一番大事、後生の一大事であり、行先がわかれば、安心して生活できるというもの。人は必ず死を迎えるが、老少不定(老人が早く死に、若い者が後で死ぬとは定まっていない)なので、「なぜ生きるか」、後生の一大事を解決することが重要であるという。まだ、アニメ映画「なぜ生きる」を見ていないので、どうしたらよいかよくわかっていない。なるべく早い機会に映画を見たいと思っている今日この頃である。宗教の勉強って以外と面白い。


画像: 難度の海で連想したのが葛飾北斎のこの浮世絵。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は紙飛行機

2019年07月13日 21時14分19秒 | 人生

 

本日(7月13日)、テレビを見ていたら、「音楽の日」2019として、TBS系列で長時間の生放送番組をやっていた。てっきり、今日が、「音楽の日」と思いきや、単に番組のタイトルであった。調べてみたら、2011年の東日本大震災に関連し、「一つになって歌の力でニッポンを元気づける」ことをコンセプトに第1回の音楽番組が始まり、その後、毎年、7月中旬頃に生放送で開催されているようで、今年は第9回とのことであった。今年のテーマは、「汗」ということで、8時間近くにわたって、100組を超えるアーティストが熱い熱唱やパフォーマンスで日本中にエールを贈っていた。長渕剛の「乾杯」の大合唱で、ピークに達していた。
とても全部通して見るほどの元気はないが、ちらちら見る限り、テーマをしっかり据えて大いに盛り上がっているように見えた。知っている曲も多く、それなりに惹きつけられるものがあるが、我々世代にはちょっとついていけない感もある。人生模様に思いを馳せながら、番組中に急に思い出したのは、AKB48の「365日の紙飛行機」という曲である。2017年の人生応援ソングで、AKB48の山本彩さんが歌っているが、歌詞が実にいい。あの秋元康さんの作詞であるが、人生を紙飛行機にたとえ、人生の妙をうまく表現しており、とても気に入っている。歌詞の内容にまったく同感するので、聴いていると胸にジーンと響く。


一番好きなところは、


「人生は紙飛行機 願いを乗せて飛んで行くよ 風の中を力の限りただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ さあ心のままに365日」


人生100年時代とか言うけれど長生きすることだけが幸せであるなんていうことはない。若くして、いろいろな事情で人生を終える人がいるかも知れないが、だから不幸せということにはならない。その人の人生において、どんなことをどんなふうにやってきたかが一番大切である。まさに、「その距離を競うより、どう飛んだか、どこを飛んだのか、それが一番大切なんだ」ということである。「しあわせはいつも自分のこころがきめる」と相通じるものがある。自分なりにどうやってきたか、これからどうやっていくかが大事だと考えている。やりたいことを好きなように自由にできたら、別に長生きできなくても満足できると確信する。自分のこころが決めるのである。親鸞聖人の教えも同じではないかと勝手に解釈している。元気が出ない時、一人ぼっちを感じる時、思い通りにならない時は、歌詞を噛みしめながら、この応援ソングを聴いたり、歌ってみたい。


365日の紙飛行機:

  
https://www.youtube.com/watch?v=yhjuDX0jBwo

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの日に帰りたい

2019年07月12日 19時21分00秒 | 人生

 

荒井由実の曲で「あの日に帰りたい」という歌があるが、自分史整理の一環として、自分にとって、「あの日に帰りたい」というのは、いつ頃であるか考えてみた。あの頃といっても、いろいろな時代があったので、何とも難しい選択ではあるが、勝手に、振り返ってみると、


第1位 1985~1989年 37~41歳 


  ドイツ駐在中で、仕事も面白かったし、旅行三昧等の生活も充実していた。また、子供も幼稚園~小学校低学年で、可愛い盛りであった。


第2位 1978~1983年  29~35歳


  新婚時代(1978-)、子供が生まれた頃(1980/1983)。卓球で中国へ遠征(1983)したり、インターライン卓球大会(第4回大会-250人参加1983)を企画・オーガナイズした頃。


第3位 2008年~2018年  60~70歳


   定年後、オーストラリアのブリスベンとカナダのビクトリア大学に語学留学。この10年間で、海外旅行33回、新たな訪問国数42か国、全訪問国数は102か国(ヨーロッパは53か国完全制覇)達成 他に卓球三昧、HP・自分史作成等自由人生活謳歌。


第4位 1998年~2007年 50~59歳


    あるスポーツ連盟に派遣され、9年間、国際業務を担当。海外出張も多く、国際的に交友関係も広がり、トップアスリート等とも一緒に仕事をする機会に恵まれた。


また、年単位で見ていくとどうも10年の節目単位でピークが訪れていたようである。


1968年 成人式 大学生活謳歌(勉学 卓球クラブ活動)
1978年 結婚
1988年 ドイツ駐在最盛期 文化・スポーツイベント多数
1998年 インターライン卓球大会(第19回)のオーガナイズ  あるスポーツ連盟への派遣
2008年 定年 還暦 ブリスベン・ビクトリアへ語学留学
2018年 ルビー婚 古希 孫誕生 海外旅行102か国


逆に、あの日に帰りたくないを振り返ってみると、1963年(15歳-母が死去)と1965~1966年(16~17歳-大学受験の暗黒時代)ということになりそうである。過去には戻れないので、これからに期待したいところであるが、先は限られている。長生きもしたいけど、老後2000万円も不足するようでは、良し悪しである。「しあわせはいつも自分のこころがきめる」ことにしたい。

「あの日に帰りたい」 荒井由実  

https://www.youtube.com/watch?v=36d-SKvLh4o

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60才から年金生活に入って大正解

2019年06月14日 20時35分25秒 | 人生

 

70才定年制とか人生100年時代とか、年金だけでは定年後30年で2000万円不足するとかの報告書が公表されたり、政界、経済界、マスコミ等で大騒ぎになっているが、自分の定年後を振り返って、60才から年金生活に入って大正解であった。政府は、65才どころか70才まで年金生活に入らないように誘導することに躍起になっているが、とんでもない話である。70才からの年金支給をもくろみ、現行の年金制度維持に必死であるようである。我々を70才まで働かせようとしているが、男性の健康寿命は72才であることをちゃんと理解しているのであろうか?男性の平均寿命は、81才であるが、72才から81才までは、生きてはいても、健康的な生活はできていないのである。寝たきりとか要看護とか認知症を患っているかとかが落ちである。健康を保ち、旅行に行ったり、好きな趣味活動したりできるのは、平均的には、72才までという現実を直視すべきである。


自分の定年後の10年間を振り返ってみると、60才で自由時間を得ることができたおかげで、念願の海外留学もできたし、海外旅行も10年間で30回以上、43か国もの新しい国々に旅行することができたし、大学時代にやっていた卓球、会社に入って始めたテニスやゴルフも好きなようにやることができた。このような精力的な活動は、60才からの10年だからこそできた話で、70才からでは、到底無理な話である。


年金だけでは、生活資金としては不十分であることは十分認識しており、退職金や預貯金の確保にも努めているが、年寄りにとってはお金よりも時間の方がもっと大切である。時間というのは、自分でコントロールできる自由時間である。現役時代は、お金はあっても、自由時間がないので、好きなことを自由にやることは相当制限される。海外旅行だって、頑張っても1週間程度が落ちであるが、自由を得た定年後は、1カ月を超す旅行も何回か経験できたし、留学を含む海外ロングステイは5カ月にもわたって貴重な経験をすることができた。70才を過ぎてから始めようと思っても、とてもそんな元気は出てこない。


仕事以外に何も趣味がない人だったら、70才まで働いてもいいが、たった一度の人生、後悔することなく、好きなことをやってみたいと思っているのであれば、できるだけ若い時に自由生活に入ることが望ましい。昨今は60才を過ぎても働いている人も多いが、できれば、60才で自由人になりたいものである。60~70才は、人生で一番好きなことができる時であり、この10年間の過ごし方が人生の分かれ目である。何となく仕事を続けるか自由奔放に好きなことをやるかでは雲泥の差がある。この間に病に倒れる人も少なくないが、健康を保っていても仕事で自由時間を謳歌できないのであれば、人生を後悔する結果となる。いざこれからという時に病に倒れる可能性は決して少なくない。まさに「後悔先に立たず」である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いの整理学 

2019年05月25日 06時20分52秒 | 人生

 

外山滋比古氏の「老いの整理学」を図書館で借りて読んだ。外山氏は、現在95歳の有名な言語学者、エッセイストで、ベストセラーの本も多数書かれている。つい数ヶ月前にテレビでお目にかかった時から惹きつけられるように彼の本も読んでいる。といっても、図書館で借りての話なので、若干流し読みの感もある。本を予約して待っている人の数も多いので、その人気ぶりがよくわかる。


予約待ち数か月で手元に届いたのが「老いの整理学」の文庫本である。文字が小さく、拡大鏡か老眼鏡が必要なので、読むと疲れる。我々年寄りにとって参考になることがいっぱい書かれているが、特に、気になったキーワードやポイントを紹介すると、


・忘れるがカチ ・人をもてなせ ・招待を断るな ・大人多忙 小人閑居 ・怒ってよし ・泣くもよし ・威張ってよし(自慢話は体にいい)  ・ゆっくり急げ(緩急のメリハリ)  ・横臥第一、睡眠第二(眠れなくても横になるだけでいい) ・おしゃべり 等々


年をとっても、ぼけずに元気に過ごすことができるヒントが満載で、まさに、老いの整理学である。そんなにボリュームはないので、あっという間に読める。人に嫌われても老いて元気に生きるか、人に気を使いながら老いてよれよれに生きるか、どちらの道を選ぶのが正解であろうか?順調に知的に老いたければ是非一読をお薦めする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジタル自分史の印刷・製本化の模索 

2019年05月20日 10時37分23秒 | 人生

 

2004年11月からホームページを作成しているが、そのオンラインデータをそのまま印刷し、一つの書籍として製本化できないか検討を開始した。ホームページ上には、自分史も掲載しているので、自分史の製本化を視野に入れている。オンラインデータだと、パソコンを使って、自由自在に様々なページを閲覧できたり、写真や映像や音楽を同時に楽しんだりできるが、パソコンが使えない人にとっては、意味を成さないのといつかデータが消失してしまうのではないかという危惧もある。


そこでデジタル自分史の製本化をめざし、ホームページ全体を印刷し、原稿を整理してみることにした。自分でデータを作成したものを中心に、音楽シリーズ、初物シリーズ、旅行シリーズ、品川シリーズ、卓球シリーズ、その他シリーズ及び自分史シリーズのデータを印刷したところ、データ量が多く、すでに原稿の枚数は500枚を超えている感じである。旅行アルバムだけでも、海外旅行回数が150回を超えているので、原稿枚数は約150枚となる。近年では、国内の旅行アルバムも作成しているので、枚数は当然増える。


ネットを見ていたら、たまたま、幻冬舎ルネッサンス新社という出版会社が無料出版セミナーと無料相談会をやっているとの情報を得て、21日に参加することにした。セミナーのタイトルは、「楽しく正しく書きたい人のための自分史制作講座」となっている。無料なので、自分史出版の売り込みを受けるかも知れないが、何らかのヒントを得たいと思っている。但し、お金をかけて本としての出版することは考えていないので、何とかデータの製本化が安くできないか模索したい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の満開を迎え、「人生の扉」が心にしみる

2019年04月04日 22時15分02秒 | 人生


今年も、桜の季節がやってきた。毎年のことだが、満開の桜を見るたびに、竹内まりやの「人生の扉」の歌が脳裏を駆け巡る。

心にしみる歌詞は、こう続く。

「春がまた来るたびひとつ年を重ね、目に映る景色も少しずつ変わるよ。。。信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら、どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ。。。満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるだろう。ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ、ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ。。。。。」

今年は、上野恩賜公園、旧芝離宮恩賜庭園、飛鳥山公園、染井霊園、六義園、池上本門寺、目黒川、品川海上公園の桜を見に行った。昨年は、浅草、隅田公園、千鳥ヶ淵、日比谷公園、皇居乾通りの桜等に加え、伊豆河津の河津桜まで見ているので、そこそこ有名な桜の名所はカバーしている。

どこへ行っても、満開の桜を見るたびに、涙が浮かび、「人生の扉」の歌を口ずさんでしまう。年をとったという証明になってしまうが、なぜか、自分にとっては、満開の桜=人生の扉で、自然と感傷的になってしまうのである。本当にあと何回見ることができるか?来年は見られないかも知れないと考えると真剣に満開の桜を見るようになる。まだ、あと数日は満開の桜を見ることができると思うので、他のスポットにも足を運んでみたい。是非「人生の扉」の歌をしみじみと聴いてみてほしい。

「人生の扉」(竹内まりや): https://youtu.be/smDCdceVtIc

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする