10月14日(金)、南九州市頴娃町の釜蓋(かまふた)神社に参拝しました。
神社の正式名称は「射楯兵主(いたてつわものぬし)神社」、薩摩富士の別名を持つ開聞岳を望む景勝地にあります。曇り空ながら見晴らしは良く、南海上には硫黄島(三島村)も見えました。
知覧特攻平和公園から番所鼻(ばんどころばな)公園西側を目標に車を走らせました。開聞岳に見とれながら適当に走っていたら東側へ行き過ぎ、20分程度遠回り。国道226号を西へ枕崎方向に進み、海岸側に少し入ると駐車場がありました。
神社まで歩いて5分程度の駐車場 海岸側からの風景
電柱の広告看板 魚屋さんではなく電気店でした
平日の16時過ぎで訪れる人は少なく、30分ほどの間に2~3人連れの数組を見かけた程度でした。
無人の100円店 農産地の道沿いで所々見かけます
売店 多客時間帯には営業?
訪れる人が多くなったのは5年ほど前からでしょうか。有名なスポーツ選手、芸能人などの参拝で話題になっています。
鳥居が見えてきました
小島のような場所にある釜蓋神社
釜蓋神社について地元南九州市のホームページから引用して紹介します。
南九州市の頴娃町別府大川地区にある神社です。
入り江の岩礁に突き出た場所に鎮座し,岩礁と海に囲まれた神社の裏からは,薩摩富士こと開聞岳と夕陽を眺めることができます。
また,周辺には,伊能忠敬(いのうただたか)が「天下の絶景」と賞賛した景観を誇る『番所鼻自然公園』や,タツノオトシゴを養殖・展示している『タツノオトシゴハウス』などがあります。
正式名称は,『射楯兵主(いたてつわものぬし)神社』といいますが,「釜蓋(かまふた)神社」と呼ばれています。
この「釜蓋神社」という呼び名は,神社の由来によるものです。
天智天皇とお妃の大宮姫が大勢のお供を連れて頴娃に住む臣下を訪ねることになり,臣下がもてなすために何十石という米を大釜で炊いてるとき,すさまじい風により釜の蓋が舞い上げられ,遠く離れた大川の浦に落ちました。
土地の人々はこの釜蓋を拾い上げて,「釜蓋大明神」と呼んで神様として祀り,神社を建てたと伝えられています。
これに古くから武(武士道・勝負)の神様として畏敬されるスサノオノミコトを配祀して,現在の「射楯兵主神社」となりました。
戦前は,武運長久を祈り,釜の蓋を被るなどして神社に祈願すると,敵の鉄砲の弾が当たらず無事に帰って来られると言い伝えが広がり,出兵者や家族が参拝に訪れていました。
現在では,頭の上に釜の蓋をのせ,境内の鳥居からお賽銭箱まで落とさずに参拝できたら,勝負事や開運・開拓・厄除け・武運長久にご利益があるとされています。(引用終わり)
こじんまりとした色鮮やかな社殿
釜蓋 2人用もありました
参拝者の色紙 右は鹿児島出身の宮脇咲良さん
昔の鳥居石柱
昭和26年のルース台風でさらわれた鳥居の石柱です。神社周辺整備の際、およそ60年ぶりに海底から引き揚げられました。
東に見える開聞岳 左は釜蓋風のベンチ
南国のため積雪することは殆どありません。海面から立ち上がる優美な山容、海と岩場の組み合わせはパワースポットにふさわしい絵のような風景です。
番釜海岸コース
番所鼻公園までは車で5分ほど、ここも開聞岳を望む景勝地。岩場の散策ができ、初冬にはツワブキの花がきれいです。元日頃は開聞岳山頂から朝日が昇るようです。港が近く漁船が通ることもあり、海と開聞岳撮影には一押しのスポットです。
釜蓋神社から番所鼻まで海岸を歩けるようなので、ゆっくり時間を取って再訪したいと思います。
バス駐車場横のきれいなトイレ 2014年整備
駐車場横の花壇
鶏頭、日々草、千日紅がきれいな花を咲かせていました。周辺は駐車場、トイレが整備されていますが常設的な売店は少ない感じです。多客時だけの営業でしょう。
この日は神社に管理の人はおらず、お札などは無人販売のようでした。地元の団体が神社の管理運営をしています。近くの人の話では満車になるほど参拝者で混雑することもあるとか。先月の台風16号では木の枝がかなり折れたそうです。
17時に帰路につき、知覧~平川~産業道路を経由して天保山まで2時間ほどかかりました。夕方のラッシュで産業道路が渋滞し予定より30分オーバー。ここを日常的に通行する人の苦労には同情します。ラッシュ時は指宿有料道路経由が良かったと反省することでした。
神社の正式名称は「射楯兵主(いたてつわものぬし)神社」、薩摩富士の別名を持つ開聞岳を望む景勝地にあります。曇り空ながら見晴らしは良く、南海上には硫黄島(三島村)も見えました。
知覧特攻平和公園から番所鼻(ばんどころばな)公園西側を目標に車を走らせました。開聞岳に見とれながら適当に走っていたら東側へ行き過ぎ、20分程度遠回り。国道226号を西へ枕崎方向に進み、海岸側に少し入ると駐車場がありました。
神社まで歩いて5分程度の駐車場 海岸側からの風景
電柱の広告看板 魚屋さんではなく電気店でした
平日の16時過ぎで訪れる人は少なく、30分ほどの間に2~3人連れの数組を見かけた程度でした。
無人の100円店 農産地の道沿いで所々見かけます
売店 多客時間帯には営業?
訪れる人が多くなったのは5年ほど前からでしょうか。有名なスポーツ選手、芸能人などの参拝で話題になっています。
鳥居が見えてきました
小島のような場所にある釜蓋神社
釜蓋神社について地元南九州市のホームページから引用して紹介します。
南九州市の頴娃町別府大川地区にある神社です。
入り江の岩礁に突き出た場所に鎮座し,岩礁と海に囲まれた神社の裏からは,薩摩富士こと開聞岳と夕陽を眺めることができます。
また,周辺には,伊能忠敬(いのうただたか)が「天下の絶景」と賞賛した景観を誇る『番所鼻自然公園』や,タツノオトシゴを養殖・展示している『タツノオトシゴハウス』などがあります。
正式名称は,『射楯兵主(いたてつわものぬし)神社』といいますが,「釜蓋(かまふた)神社」と呼ばれています。
この「釜蓋神社」という呼び名は,神社の由来によるものです。
天智天皇とお妃の大宮姫が大勢のお供を連れて頴娃に住む臣下を訪ねることになり,臣下がもてなすために何十石という米を大釜で炊いてるとき,すさまじい風により釜の蓋が舞い上げられ,遠く離れた大川の浦に落ちました。
土地の人々はこの釜蓋を拾い上げて,「釜蓋大明神」と呼んで神様として祀り,神社を建てたと伝えられています。
これに古くから武(武士道・勝負)の神様として畏敬されるスサノオノミコトを配祀して,現在の「射楯兵主神社」となりました。
戦前は,武運長久を祈り,釜の蓋を被るなどして神社に祈願すると,敵の鉄砲の弾が当たらず無事に帰って来られると言い伝えが広がり,出兵者や家族が参拝に訪れていました。
現在では,頭の上に釜の蓋をのせ,境内の鳥居からお賽銭箱まで落とさずに参拝できたら,勝負事や開運・開拓・厄除け・武運長久にご利益があるとされています。(引用終わり)
こじんまりとした色鮮やかな社殿
釜蓋 2人用もありました
参拝者の色紙 右は鹿児島出身の宮脇咲良さん
昔の鳥居石柱
昭和26年のルース台風でさらわれた鳥居の石柱です。神社周辺整備の際、およそ60年ぶりに海底から引き揚げられました。
東に見える開聞岳 左は釜蓋風のベンチ
南国のため積雪することは殆どありません。海面から立ち上がる優美な山容、海と岩場の組み合わせはパワースポットにふさわしい絵のような風景です。
番釜海岸コース
番所鼻公園までは車で5分ほど、ここも開聞岳を望む景勝地。岩場の散策ができ、初冬にはツワブキの花がきれいです。元日頃は開聞岳山頂から朝日が昇るようです。港が近く漁船が通ることもあり、海と開聞岳撮影には一押しのスポットです。
釜蓋神社から番所鼻まで海岸を歩けるようなので、ゆっくり時間を取って再訪したいと思います。
バス駐車場横のきれいなトイレ 2014年整備
駐車場横の花壇
鶏頭、日々草、千日紅がきれいな花を咲かせていました。周辺は駐車場、トイレが整備されていますが常設的な売店は少ない感じです。多客時だけの営業でしょう。
この日は神社に管理の人はおらず、お札などは無人販売のようでした。地元の団体が神社の管理運営をしています。近くの人の話では満車になるほど参拝者で混雑することもあるとか。先月の台風16号では木の枝がかなり折れたそうです。
17時に帰路につき、知覧~平川~産業道路を経由して天保山まで2時間ほどかかりました。夕方のラッシュで産業道路が渋滞し予定より30分オーバー。ここを日常的に通行する人の苦労には同情します。ラッシュ時は指宿有料道路経由が良かったと反省することでした。
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