ふるやの森

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闇の世界史 6 :ユダヤ商人のイギリス浸透

2013-04-27 13:03:07 | 闇の世界史

闇の世界史―教科書が絶対に教えないより抜粋

ユダヤ人による通商支配は、違法のものも合法的なものも含め、確たるものになっていた。それは広い地域に及ぶようになり、ヨーロッパ諸国の経済そのものが彼らの手中にほぼおさまった。ユダヤ風の銘刻の刻まれたポーランドやハンガリーの硬貨は当時、金融の事象にユダヤ人の権力が行使されていたことを如実に物語るものである。また、通貨の発行および管理を行うためにユダヤ人たちがとりわけ奮闘した事実は、1694年に英国銀行の支配権を確保できた理由をアムシェル・マイヤー・バウアー(1743-1812)が陰謀者仲間に説明するのに引き合いに出す以前から、金貸し業者は「国家の金を発行、管理させてくれたら、誰が法をつくろうとかまわない」というスローガンを掲げていたとする見解を裏付ける。

アーリア人主義の指導者である男爵たちはユダヤ人によるヨーロッパの通商および金の支配を打ち破ろうと考え、この目的をもって1095年にキリスト教徒支配者の一部から支持を得て、十字軍(宗教戦争)を開始した。1095年から1271年にかけて8回の遠征が組織された。正式には、それは聖墳墓を訪れ、パレスチナにキリスト教支配を樹立することを願う巡礼者の安全を確保するために行われた武力遠征だったが、実際には、ヨーロッパの人々を2つの陣営、すなわち「親ユダヤ集団」と「反ユダヤ集団」に分立させるために誘発された戦争だった(また、近年でも「秘密権力」は、白人種を「親ユダヤ集団」と「反ユダヤ集団」に分立させている)。

成功に終わった遠征も、失敗した遠征もあった。1271年、キリスト教世界の国々が莫大な資金、財産を注ぎ込んで十字軍に戦費を融資し、莫大な人々の生命を犠牲にして宗教戦争を戦ってきたにもかかわらず、パレスチナは依然として異教徒の手中にあるという最終結果が示された。そして奇妙なことに、ユダヤ人金貸しがかつてなかったほど裕福になり、強大な力を持つようになった。

後年生じた結果をめぐって、その原因が研究するとき、十字軍には見落としてはならない一局面が存在する。1215年、ローマ・カトリック教会の支配層は第4回ラテラノ公会議を開き、主としてヨーロッパ諸国におけるユダヤ人の侵略ぶりについて話し合った。この時期、ローマ・カトリック教会の支配者層と国家支配者は協力体制を採った。しかるべき検討を加えた結果、教会支配者層は十字軍の継続を支持することを表明すると同時に、不当な利益をあげて非ユダヤ人同業者を出し抜くための高利貸しおよび非倫理的な通商活動を禁じ、非道徳的かつ腐敗しきった慣習も根絶させる法令を起草、可決した。第4回ラテラノ公会議に出席した高位聖職者は、この目的を実現するために、近い将来ユダヤ人は居住区域を限定されることになると布告した。また、彼らはユダヤ人がキリスト教徒を使用人として雇うことを厳禁した。というのも、ユダヤ人金貸し業者および商人は共同出資会社の原理に基づいて、つまりキリスト教徒を雇い、キリスト教徒を表看板にして自らは背後に潜んで指示を与えて、事業を営んでいたからである。このやり方は、何か不始末が生じても、咎めや罰を受けるのは表看板であるキリスト教徒で、ユダヤ人業者自身は無関係でいられるため、彼らにはまったく都合のいいものだった。

さらに、法令はユダヤ人がキリスト教徒の女性を家庭や組織に雇い入れることも厳禁した。証拠が実証するように、ユダヤ人は若い女性をそそのかして売春行為に関わらせ、そうした女性を利用して要人に対する支配権を獲得していたからである。他にも、ユダヤ人による多くの商業活動が禁じられた。

それでも教会権力は、国家のキリスト教徒官僚の大部分から支持されていたにもかかわらず、金融男爵を法の支配下に置くことができなかった。結果として、法令はキリストの教会に対してイルミナティーがいだいてきた憎しみを増長させ、政教分離のための継続的運動に着手させただけだった。そしてこの目的のために、イルミナティーは世俗主義の思想を持ち込んだ。

1253年、フランス政府はこの法令に従わなかったとしてユダヤ人を国外追放処分とした。追放されたユダヤ人の大部分は英国に渡ったが、1255年にはユダヤ人金貸し業者が多くの高位聖職者およびほとんどの貴族に対する絶対支配権を手に入れていた。

このような金貸し業者、ラビ、長老がイルミナティーに属していたことは、1255年にヘンリー3世が聖ヒュ・ーオブリ・リンカーン(司教)の儀式殺人について命じた調査結果から明らかである。この事件では18名のユダヤ人が容疑者として逮捕され、裁判の結果、処刑された。

参照

OTTO (962 - 973), tin replica of a Frankish coin. Hand casted with patina. Size: approx. 2.3 cm in a diameter.

medieval coins

国家の金を発行、管理させてくれたら、誰が法をつくろうとかまわない 

Permit me to issue and control the money of a nation, and I care not who makes its laws!

メイヤー・アムチェル・ロスチャイルド(1744-1812)の言葉 。その主要なソースは知られていないが、1935年に
ガートルードM.クーガンが著書「マネー·クリエーター」で用いている。英語のことわざ「私に国歌を作らせてくれるなら、誰が法律を起草しようとかまわない」のパロディーだと思われる。

Attributed to Mayer Amschel Rothschild (1744 - 1812). No primary source for this is known and the earliest attribution to him known is 1935 (Money Creators, Gertrude M. Coogan). Before that, “Let us control the money of a nation, and we care not who makes its laws” was said to be a “maxim” of the House of Rothschilds, or, even more vaguely, of the “money lenders of the Old World”. This is a play on an English proverb, Let me make the songs of a nation, and I care not who makes its laws.

Wikiquote: Conspiracy

VIDEO Who Controls the World? A History Of the Rothschild Criminal


 

 

 

 

 

 



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