ふるやの森
地球文明の再生に向かう
(当ブログはリンクフリーです、また相互リンク先を募集中です)
 



(Google翻訳を修正)

日本社会は熱心に日本人の起源を議論しますが、彼らは依然として次のような質問をしています:

私たちは誰ですか?そしてどこから来たのですか?

多くの社会で尋ねられる質問ですが、本州北部の青森県で大きな先史時代の和解が発見されたとき、それはわかっているように日本を変えるでしょう。 日本の各新聞には、紀元前30,000年ほど前にさかのぼる最初の工芸品と道具が発見されたと報道しました。学者たちはこの発見が旧石器時代遺跡だと認めました。 北東アジアから日本、サハリアン、カムチャッカ半島、そして北米まで広がった文化。 これらのツールが発見された時期に、学者はこれらのツールが旧石器時代に使用された可能性があることを認識しました。 縄文人は、狩猟集会の中で陶器を開発していました。

新石器時代の猟師と採集者は粘土の工芸品を作った。 これらの陶器の年代は、中東のどの陶器よりも古く、世界で最も古いものの1つです。 この陶器が生まれた時期は、縄文時代と呼ばれます。 それが縄文時代と呼ばれる理由は、この時に作られた陶器を特徴付けるコードマーキング、または陶器でデザインされたロープのようなコードパターンによるものです。

第2部:この中空の小立像または女性の土偶は、東北地方のタイプを代表しています。 メトロポリタン美術館に展示されていますが、縄文時代の陶器の彫像が世界各地に展示されています。 大英博物館、大学美術館、東京藝術大学などには陶器の展示がありますが、主なものは青森県美術館です。 これらの博物館で紹介されている陶器は、大型の土偶の場合、2インチから最大2フィートまでの範囲です。 最終的な縄文時代から後期にかけてのこの特定の土偶は、高さが6½インチ、またはバスが16.5センチです。 この陶器の人形を見ると、その大きなコーヒー豆の形をした目をすぐに認識することができます。その目には、デザインにも同様の外見があります。 鼻と口はちょうど2つの小さな穴であり、土偶の目はゴーグルのように見えます。

このコンベンションの真の意味は不明のままです。なぜ、他のバージョンのデザインがより複雑であるかは、決して実際には理解されていないはずです。 他の陶器土偶は、このタイプのより完全な例を持っています。肉厚の丈夫な脚の上に裸の鼻を持つ肉厚のトソルを持っています。 これらの土偶の指摘された胸と寛大な腰に重点を置くことは、それらが妊娠のシンボルとして機能したことを示唆している。 これらの土偶のほとんどは、「認識可能な人間や動物の特徴を持つシンボル」として見られ、数千年前の日本では魅力的な歴史を持っています。

土偶は最も初期の陶器製造の歴史の中で進化しました。紀元前12,500年にまで伸びています。 土偶は日本列島を覆う温帯の森林の先史時代の住民である縄文人によって生産されました。 縄文人は季節に合わせて暮らし、豊かな自然の世界を精神で共有しました。 江戸時代(1615-1868)の土偶は、ほとんどが中東地域から来た工芸品で、日本全土の多くの場所から発掘されています。

第3部:山梨県の釈迦堂と青森県の三内丸山の2つの主要拠点のそれぞれから1,000以上の土偶が回収されました。 全国的に、現在までに報告された合計は約18,000(The)です。 そのような陶器を作るために使われた技法は、モデリング、粘土アップリケ、撚り合わされた植物繊維( johmon は 'cord-marked'を意味する)と バーニシング でマーキングしていました 芸術的で高品質の陶器は非常にユニークですが、謎はその使用です。

これらの土偶が崇拝され、崇拝された精神の体現に使われたという信念があります。 時には死人に埋葬されて次世代に導かれ、トロイア人が死人の目と口にコインを預ける方法の一種であるため、彼らは騎士チャロンに支払ってスティクスとして知られている地下河に連れて行くことができます。 日本国内の議論は依然として続いており、土偶の機能については、解釈のための多くの謎が残されている。

縄文時代の日本列島は、数多くの異なる集団や異なる社会によって占められていた。 彼らはおそらく、数多くの異なる方言を話し、巨大な陶器のスタイルを表現してきました。現在までに400種類以上の地元のスタイルが認められています。縄文の人々は季節に合わせて生活し、豊かな自然の世界を縄文時代の陶器の謎はイースターアイランドの頭の謎と比べることができます。

第4部:イースター島の頭部は悪霊を死者から遠ざけていると言われ、犬歯は死人に埋葬されたと言われたので、次の世界に案内されて、死者が平和に残っていることを確認する。 縄文人に関するさらに興味深い議論は、彼らを韓国人の子孫と結びつける理論または科学的問題である。 また、弥生と縄文の両方の遺伝子が現代の遺伝子プール(Tra)に寄与しているとのハイブリダイゼーションの研究もあります。 遺伝学的研究は、弥生と縄文人の間の交配を示唆しており、近代日本人への縄文の寄与は40%もある。 どうやら弥生言語が農業技術と共に普及したように見える。

縄文文化と弥生文化を学んだ研究者は、様々な日本語の方言を学んだ後、結論に至りました。 結論は、すべての日本人は、2200年前に日本の島に連れてきた創設言語から生まれました。   この発見は、日本人の起源についての新たな光を放つものであり、その言語は 朝鮮半島から 日本 に到着した稲作農家の言語に由来し、その 島に最初に住んでいた狩猟採集民からのものではない ことを示唆している 20世紀には、土偶は芸術的なインスピレーションの強力な源泉となり、最近数十年にはマンガ漫画やプレイステーションゲームにも登場しました。 先史時代の日本のシンボルとして、同時に彼らが奉仕することができるのは、土偶の力に対する証である。 アートの魅惑的な作品。 現代文化の主人公である。

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VIDEO

Dogu: Japans Mysterious Pottery Figures

https://www.youtube.com/watch?v=sJn_7zLEMG8

Tlanscript

Dogu: Japans Mysterious Pottery Figures

http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/5aa28da2833619163b0671a2f21941bb

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ワイタハ族長老のデポロハウ・ルカテコラコ氏によると、ニュージーランドの先住民族マオリ族が入る以前にニュージーランドに入っていたとされるワイタハ族は、日本人と同様にシリウスに起源を持ち、プレアデス星団を通ってムーの時代に地球に到着した。長老はすでに日本で活動を開始していて、GFLJメンバーのUEさんが6月6日の「お話会」に参加した報告を投稿している。

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ワタイハの長老が日本人に伝えたいこと、とは。。。

6月6日に、ニュージランドの先住民ワイタハ族の祭司であられるデポロハウ・ルカテコラコ長老のお話会に行ってきました。

その時にお話いただいたことや、過去に来日された時に伝えられたことなどを織り交ぜて、シェアさせていただきます。 

長老は4歳の頃にシャーマンになる為にシャーマンである祖父母に連れられて洞窟へ行き、地中の中に3日間埋められる「死の儀式」を受けました。また、長老の家系はルカ(イルカ)の種族であり、ワイタハに古くから伝わるドラゴンスクールの最後の生徒でもあり、さらに、ドラゴンのケアーテイカーでもあります。その長老がお話会で話された内容は「水」  

「水」は50年のサイクルで流れているそうです。長老の部族にとって今年は「ウォータードラゴン・水龍の年」長老達は水の記憶の50年サイクルを祝う為に10月15日~22日に集います。その集いに聖なる山々のマスターに来て頂いて、是非日本の水の道について語って頂きたいのです。  

では、私達はこの「水」時代の到来に、このエネルギーをどのように使えばよいのか?またどのように受け止めればよいのでしょうか?  

水はすべての記憶を保持しています。その水と繋がる事で、その場で起こったことを知ることが出来るのです。  

シリウスがルーツの先住民族レムリア水の民ワイタハ族のテ・ポロハウ長老は、幼少の頃からファトゥクラ(シリウスからの秘伝継承者)の修行を受け、ドラゴンケアテーカーとして、龍とコミュニケーションをとり龍の存在も見えるとのこと。彼らの民族は日本民族と同じシリウスから、龍と共に母なる大地「ガイア」へ降り立ったのだと言います。


日本は金龍、ワイタハ族は銀龍で、お互い兄弟分のような関係で類似点が多々あるようです。ちなみに金龍は何千年に1回しか生まれず、生まれた血統に引き継がれるそうです。ですから、日本人は大体、龍とご一緒のことが多いそうです。  

この世の何かに祈りを捧げるのではなく、私たちは「龍」に対して祈りを捧げています。なぜなら、そのようにすることによって、事が楽に進むことができるからです。日本の先祖達が、金龍界で修練をして修験者となっていった、その古代の山々を訪れるのを長いあいだ夢見ていたそうです。 


それは、古代のエネルギーを未だに維持しているドラコンの聖なる場所や山々です。ワイタハは、秘伝を長い年月安全に守ってきました。 

そして、私達は今、日本を訪れることが出来、自分の目で聖なる山々、聖なる滝を見て」、偉大なる場所の面倒を見てきた方々を訪れることができるのです。ファトウクラ(昔で言う王や祭司の役割をする人)の地位を継承した私の祖父ウイリアム ネフア カルパテネ ルカ テ コラコラは、2014年の桜が咲く時期とその翌月の五月は、聖なる教えの山々のエネルギーが最も高くなる時期で、その時に日本を訪れる事が出来たら幸運だと言っていました。


そして、勇気を持って先祖のエネルギーの山々を私達のポウナム(石)を持って寺院を訪れ、長年の歳月が経った今でも私達はまだ彼らの事を覚えていると言う事を伝えなさい、と言っていました。私は、多くの伝承と教えを継承しています。 

それらを聖なる山々のキーパー達と分かち合い、そして私達の小さなグリーンストーンを山々に捧げたいのです。私はメッセージを伝え続けています。どうか目覚めて私達の先祖の教えを思い出して下さい。  

心を開き、貴方のマジック的なハートの空間を見つけることで、貴方の偉大なるパワーを思い出す事でしょう。これらのパワーは全て、貴方の素晴らしい国の聖なるエネルギー場と繋がっています。どうかこのメッセージを聞いて下さい。 

これらは全てあなた方先祖の教えの一部です。あなたのハートのスペースを開いて、あなたのマインドを再訓練させて思い出して下さい。 

あなたは、偉大なるドラゴンのエネルギーとドラゴンのマインドパワーを継承しているのです。 

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ワイタハ族の公式日本サイト:ワイタハ・ジャパンは、長老の次のようなメッセージを伝えている。

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テ ポロハウ長老 ロトルアのマラエにて

テ・ポロハウ長老は、ワイタハ族のルーツに ついてこう語りました。

ワイタハ族はシリウスに起源を持ち、そしてイルカ族にルーツを持っています。地球へ は、ムー(レムリア)の時代にやって来ました。

その後エジプト、シリアへと渡り、最終的に 神々によって、水の豊富な島であるアオテアロア(ニュージーランド)へと導かれたのです。

テ・ポロハウ長老によれば、シリウスにルーツを持つ人種はワイタハ族だけではないと言います。日本人、イタリア人、ドイツ人などの多くも、シリウスにルーツを持つことが、古い石版に記されたリストや言い伝えな どに残っているそうです。

ちなみに、シリウスからやって来た人々の特徴のひとつが、「洞窟文化を持っていること」なのだそう。

「私たちの祈りの場であり、教えの場という のは、洞窟を利用して作っています。なぜ洞窟を利用するかというと、大地のクリスタルを活用するためです。クリスタルはDNAに刻まれた未知なる力を加速させてくれるパワーを持っています。

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これまで私たち世界のライトワーカーが重要視してきたシェルダン・ナイドルやサ・ルー・サのメッセージはシリウスから発信されていたことを思い出してほしい。つまり、今敏感に地球の変化を感じ取って行動を開始している多くのソウルたちは、自分の起源であるシリウスとプレアデスのソウルと共振してメッセージに反応してきたことになるのだ。

テ・ポロハウ長老が、私たち日本人に語りかけようとしているメッセージの1つは、ワイタハ族と日本人の共通するルーツを思い出すことにある。私たちは特別な使命を持って、現在の地球に生まれてきている。その使命を果たすべき瞬間が今なのである。

☆F★

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TOCANA3/21,2015より抜粋)

http://tocana.jp/2015/03/post_6023.html

■謎だらけのパワースポット「押戸石の丘」に行ってみた

 ※写真はすべて筆者撮影

古代人のカレンダーだった!?  

筆者はこれまで、“聖地巡礼”と称して国内外で数百カ所の神社仏閣や教会を訪ねてきたが、2005年8月、「押戸石の丘」にも足を運んでいる。

阿蘇北外輪山の標高845mにある巨石群、「押戸石」――。

実際に訪れてみると、これらの巨石群が古代の人々によって“意図的に”配置されたことが分かる。

たとえば「はさみ石」と呼ばれる夫婦岩のような一対の岩では、夏至には岩の間から太陽が昇り、冬至には太陽が沈むという。

このような例は日本各地にあり、古代の農耕行事に必須な情報を得るためのカレンダー的役割を果たしていたと考えられる。

方位磁石が狂う!?

「押戸石の前では方位磁石が狂う」と言われている。そのため、筆者も持参した方位磁石で試したところ、確かに正しい方角を示さなかった。

しかしこの現象は、オカルト的な分析を持ち出すまでもなく、単に巨石に磁気を帯びた磁鉄鉱などの成分が含まれているということで

説明がつくかもしれない。

シュメール文字が刻まれている!?

岩石や洞窟の 壁面に刻まれた文字を「ペトログラフ(またはペトログリフ)」と呼ぶが、押戸石にはペトログラフとしか思えない文字の

ような線が刻まれているとの指摘がある。しかも、この押戸石のペトログラフは「シュメール文字」が刻まれたものではないかというのだ。

シュメール文字といえば、紀元前2600年ごろから古代 メソポタミアのシュメール人たちが使用していた楔形文字だ。

日本のペトログラフ研究の第一人者とされる吉田信啓氏の『日本のペトログラフ』(六興出版)によると、押戸石のペトログラフは、1988年に

南小国教育委員会の職員が発見したという。

ピラミッドのような形をした「太陽石」と呼ばれる巨石に、シュメール語で、「イルガガ(祈る・雨)」「神」「大地母神」「男神」など、原始信仰に

関わる言葉が刻まれているらしい。

昔はこの太陽石に登ると雨が降るとの言い伝えがあったというが、雨乞いなどにも用いられていたのだろうか。


【写真3】「太陽石」と呼ばれる高さ5.5mの巨石

しかし、どこにペトログラフがあるのか、筆者も同行者も見つけ出すことはできなかった。

岩全面に3本刃の熊手を立てたような線が刻まれており、それが下の 図で示す「男神」を意味する文字だったのかもしれない。

ただ、それにしては溝が深すぎる気もするので、自然の造形である可能性も否定できない。

【図】「押戸石 公式サイト」より。上段中央に男神のペトログラフがある。

・ シュメール人は日本に渡来した!?

それにしても、なぜ古代メソポタミアのシュメール人が使用していた楔形文字が、遠く離れた日本の岩に刻まれているのだろうか?

この謎に答えるものとして、「日本人の起源が古代シュメールにあった」という驚くべき説が存在する。

既存のアカデミズムからはトンデモ扱いされているが、「日本人シュメール起源説」の歴史は古く、元禄時代に渡来したオランダ人歴史学者、

エンゲルベルト・ケンペルが初めて提唱したものだ。日本史を研究した彼は、「高天原(『古事記』において、日本をつくった神々が生まれた

とされる場所)はバビロニアにあった」という結論に至る。

この説は、大正時代の原田敬吾氏、そして現代では民間研究者の一人である岩田明氏などに受け継がれた。

岩田氏は、著書『消えたシュメール人の謎』(徳間書店)の中で、「4000年ほど前に海洋民族であったシュメール人たちが海を渡り、

南インド~東南アジアを経由し、行く先々に根拠地をつくりながら日本に渡来したのだろう」と述べている。なんともロマンあふれる興味深い話だ。

Oshitoishi_5.jpg

 

【写真4】3と同じ「太陽石」いずれにしても、実写版映画『進撃の巨人』を製作中の樋口真嗣監督は、このような話があることを知ってか知らずか、「押戸石の丘」をロケ地に選んだわけである。ペトログラフや「日本人シュメール起源説」の真偽はともかくとして、それらを頭の片隅に置きながら映画を鑑賞すると、また別の楽しみ方ができるかもしれない。


百瀬直也(ももせ・なおや)
超常現象研究家、地震前兆研究家、ライター。25年のソフトウエア開発歴を生かしIT技術やデータ重視の調査研究が得意。ブログ:『探求三昧』、Web:『沙龍家』、Twitter:@noya_momose

※百瀬氏が企画・執筆したコンビニムック『2015予言 戦慄の未来記』(ダイアプレス)、大好評発売中!


【参考】:「押戸石 公式サイト」、ほか

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日本の各地に階段式ピラミッドが建設されていることが明らかになりつつある。

NHK8/13,2014:都塚古墳は“ピラミッド型”か      レーザー解析した黒又山ピラミッド

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昭和の初期に「日本ピラミッド説」を提唱して全国にピラミッド探索を展開した酒井勝軍(かつとき)は、キリスト教の牧師で古代ユダヤとエジプトのピラミッド研究に進み、天皇家と古代ユダヤ民族とに秘められた関係があることを直観して超古代史へと進んだ。

その結果、ピラミッドが、古代の日本で発祥したものであることを確信し、日本全国にピラミッド探査を開始。昭和9年、広島で葦嶽山(あしたけやま)を発見する。

この葦嶽山には、数々の巨石遺構が残っており、発掘調査の結果、2万3千年前、神武天皇以前のウガヤ王朝の時代に建造された、ピラミッドであると断定します。

この葦嶽山の存在を裏付ける、古文書が存在した。
それが「竹内文献」である。

その竹内文献の中の、御神宝と呼ばれる遺跡の中にあった、御神体石に神代文字で、次のように書かれていた。 


年イヤヨ円(まど)六日詔して 

吉備津根本国に 

大網手彦天皇霊廟 

亦名メシア 

日の神月の神 

造主神日来神宮 

この最後の一節の「日来神宮(ヒラミット)が、つまりピラミッドである。

日本のピラミッド

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酒井氏はピラミッドの条件として次の3つを上げている。

 

一つ、整然とした三角形の山である事。それは自然 ・人工を問わない。 

二つ、頂上付近に球形の太陽石と、それを取り巻く環状の列石がある。 

三つ、本体の本殿とは別に、遥拝するための拝殿がある。

日本のピラミッド

ピラミッドが霊廟ではなく祭祀場であるという酒井氏の理論によれば、日本各地に建設あれたピラミッドは他の各地のピラミッドや神社とレイラインで結ばれると共に、ピラミッドの周辺に配置された巨石建造物や神社とも強く連結されて、磁場を高める働きをしていたことになる。実際に、各地のピラミッド・神社を結ぶレイラインが発見されている。

 八幡山はピラミッドか

黒又山ピラミッドを中心とする東西南北のライン上にも神社が整然と配置されている。

 Okunomichi

これまで私たちが考察してきたように、大和政権成立を遡る数百万年前の超古代に宇宙から地球上に降り立った種族が、計画的に日本を始めとする世界各地に巨石建造物を建設して、宇宙文明の移植を行っていた。1万2千年前の大洪水の時期に、彼らは一旦地球から避難するが、残された生存者たちが新しい文明の再建を開始した一万年前頃に地球に戻ってきて、農耕や建設を始めとする文明再建の指導を行った。そのために、アイヌ民族が神として祀ったオキクルカムイと共通する文明指導者の姿が世界各地の民族の神話に今も残されているのである。

☆F★ 

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日本の古墳は世界の各地に建設されている。

アメリカ・イリノイ州(BC3000-)   イギリス(紀元前)   スコットランド(BC2500-)

Kofun

アメリカ大陸の各地で発見されている「マウンド(塚)」の代表的な1つがオハイオ州に残された「サ-ペントマウンド(Serpent Mound)」(蛇塚)である。

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Serpent Mound in Peebles, Ohio and its Ancient Symbolism

サーペント・マウンド(Serpent Mound)は、アメリカ合衆国オハイオ州、アダムス郡、ブルシュ=クリーク河谷(Brush Creek Valley)の東岸、川からの比高差30mの段丘上にある全長約404m(蛇に見立てた場合のマウンドの全長は、約435m)、墳丘の高さ1 - 1.5m、「胴部」の幅6mに達する蛇の形をした形象墳(effigy mound)である。アメリカ合衆国内で最大規模の形象墳と考えられている。

サーペントマウンド - Wikipedia 

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GFLJ5/29,2014:縄文文明の謎の解明が宇宙への飛躍の扉を開く 

アメリカでマウンドビルダーと呼ばれる遺跡は、日本の古墳と共通の技術的特徴を持っている。

オハイオ州のマウンドからはハンコ(印鑑)が発見され、スミソニアン博物館は、アメリカ大陸の各地にマウンドを建設したのは、古代の日本人であるとした。 

2014年1月17日に「火星上に日本の前方後円墳が発見された」という驚くべきニュースが発表されている。 

Japan Kofun Era Tomb Like Structure Found On Mars

 

 

 

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これまで一般に考えられてきた「古墳=4世紀頃から建設された豪族の墓」という定説は、上の2つの事実によって完全に覆される。

1 紀元前数千年に世界各地で古墳(に類似する建造物)が建設されている。

2 火星上に前方後円墳が実在する。

残された解釈は1つしかない。「古墳」は地球人類以外のメンバーによって、墓とは異なる目的で数千年以上前に地球の各地に建設された宇宙文明の遺跡である。地球外生命体は宇宙船を発着させる宇宙港(スペースポート)として「古墳」を使用していたと考えられる。

上の仮説は引き続いて検証していきたいと思う。

☆F★

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NHK8/13,2014:都塚古墳は“ピラミッド型”か

奈良県明日香村にある「都塚古墳」が、石を階段状に積み上げたピラミッドのような極めて珍しい形をしていた可能性が高いことが地元の教育委員会などの発掘調査で分かりました。

研究者からは、古代の「高句麗」の王族のものとみられる墓に形が似ていることなどから、渡来人と関係が深かった豪族の蘇我稲目が埋葬されたのではないかという説も出て、今後、議論を呼びそうです。

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レーザー解析した黒又山ピラミッド

 

 秋田県の黒又山はクロマンタとも呼ばれ、縄文遺跡として多くのネットサイトで紹介されている。平成3年、環太平洋学会の調査で階段状のピラミッドと断定された。

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「古墳=4世紀頃から建設された豪族の墓」という認識を根底的に疑いなおさなければならない時期に私たちはある。今回の階段式ピラミッドの発見を研究者は「珍しい形をした方墳」としているが、これは「古墳」ではなく世界各地に残された「階段式ピラミッド(stepped pyramid)」の1つとして理解するべき遺跡であることは自明である。

 

Pyramid structures from around the world 

戦前のピラミッド研究家である酒井勝軍(かつとき)はピラミッドについて「祭壇(神殿=祭祀遺跡のこと)であって「霊廟(お墓のこと)ではない」と明快に言い切っている。

( 【読書会】日本超古代文明のすべて )

はやし浩司氏は最近投稿された動画で静岡県磐田市で発掘されたUFO型土器を報告し、古墳を発着台として宇宙と行き来した宇宙船のモデルであると説明している。

古墳=ピラミッド=宇宙船発着台という新しい視点に世界の研究者は移行しつつある。太古の地球上で宇宙文明とのコンタクトが行われたという真相はもはや否定できない事実として私たちの目の前に示されている。

☆F★

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御所市の森脇に一言主神社というお社(やしろ)がある。一言主神社に祀(まつ)られている神さまは、一言主大神。この神さまは、託宣(たくせん)の神で、良いことも、悪いことも一言で託宣を下す神さまである。『古事記』にこんな話が載っている。

雄略天皇が葛城山に行幸した時の話。お供をしていた多くの役人たちは、皆紅い紐を付けた青摺(あおずり)の衣を着ていた。その時のこと、谷を隔てた向かいの山の尾根を登る人びとがいた。それがまったく天皇にお供でつき従っている人びとそっくりで、区別すらできない。そこで、天皇はこう言った。「この大和の国に、我のほかに二人と王はないはずだぞ。今このように行くのは誰なんだ(けしからんではないか。同じ装束を着て歩くなどとは)」と。すると、相手の答えて言う様子も、天皇の言葉と同じではないか。天皇は怒って弓に矢をつがえ、お供の者たちもみな弓に矢をつがえた。すると向こうの人びとも同じように矢をつがえるではないか。

そこで、天皇は、「お前の名を名乗れ。そしてそれぞれ名乗りあってから矢を放とうではないか」と言った。これに対して、相手は「自分が先に尋ねられたので、まず自分が名乗りをしよう。自分は、悪いことも一言、良いことも一言、事を定めて託宣する神だ。葛城之一言主之大神だぞ」と言った。天皇はあわてて、「畏れ多いことです。神さまとは気付きませんでした」と言い、身に着けていた御刀と弓矢をはじめ、役人たちの着ている衣服を脱がせて、一言主大神に献上したというのである。
 

この話で重要なことは、天皇と同じ衣を着用することは古代においては不敬とされたことである。もう一つ考えねばならないのは、まるで鏡に映し出された自分を見るように、相手が自分と同じ行動をとるということであろう。そこに、神の恐ろしさが表現されているのであろう。この話は『日本書紀』にも、ほぼ同話が載っている。天皇の力を上回る葛城の神の出現を描いた話であろう。

記紀に親しむ:一言主神社

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これまで、「日本神話」として語られてきた物語を日本人の祖先のETコンタクトの記録として読み返してみてはどうだろうか?

先住民族(アイヌ人)を蝦夷(北海道)と琉球(沖縄)に駆逐しながら大和政権は領土を拡大して、統一国家を形成していく。雄略天皇が在位したとされる5世紀後半は大和政権の確立期であった。大和葛城山で雄略天皇とコンタクトしたETI(地球外知的生命体)は「自分は、悪いことも一言、良いことも一言、事を定めて託宣する神だ。葛城之一言主之大神だぞ」と自己紹介をしている。「事を定めて託宣する」という意味は、「言葉(コトダマ)で現実を創造する」力を備える神=高次元のマスターであるという意味に解釈できる。古来、大和が「事挙げせぬ国」とされてきた理由もここに秘められているかもしれない。

1950年代から60年代にかけて、日本で先がけてレベルの高い宇宙考古学の研究を開拓していたCBA(宇宙友好協会)は、次のような分析を発表している。

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宇宙考古学では、遮光器土偶の胴体は、ずばり宇宙服です。

この考え方は、なぜか歴史上広く流布していた気配もあり、例えば「西遊記」の孫悟空は遮光器土偶的な渦巻きデザインを持つ膨らんだ衣服を着て“金ト雲”で飛行しているし、一言主神も遮光器土偶をモチーフにしたかのような衣服を着て“雲”に乗り空を飛んでいます。

まさにこの”“縄文スーツ”が、雲のような物に乗って飛行する者が、身に着けるべき衣服であることを示しているかのようです。

さて、一言主神というのは、明治期に出版された『日本の神様』という本で紹介された雄略帝が大和の葛城山で出会った神のことで、その挿し絵を見ると、一柱の神が、雲に乗り遮光器土偶と同じ衣服を着用しているところが描かれています。 

宇宙考古学★縄文土偶のUFOLOGY その5  

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一言主の神=アラハバキ=遮光器土偶というイメージが、明治時代の作家のインスピレーションであったとしても、この「神」が宇宙から地球に降臨したとすれば、実際に描かれたようなデザインのスペーススーツを身につけていた可能性は高いと思われる。

これまでの考察では、遮光器土偶=アラハバキ=オキクルカムイ(アイヌ人=縄文人の守護神)という仮説を固めつつある。アイヌ人を駆逐しつつある倭人の王とコンタクトしたアラハバキは、アイヌ人に対するのとは違う威厳のある態度で雄略天皇に接したのだと思われる。

アラハバキ=オキクルカムイは倭人が日本国を統一支配することを予測しながら、自分が「神」として天皇の上に君臨することを示そうとしたのではないだろうか。

☆F★

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Exopolitics Japan より

「来訪者」あるいは「至高存在」は「異人」の様々な表現。我々現代人は、古代人や自然民族による造形作品に対して、現代人の価値観からそれらを命名しますが、それらを作った人々の心中深くに侵入し、その真の「意味」を悟ることは容易ではありません。

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2008年9月14日奈良百年会館演題「アイヌと空飛ぶ円盤」要旨   天宮清(抜粋)
 
■アイヌ文化の祖
言語学者金田一京助氏は、東京帝国大学の学生時代にアイヌ部落を訪れ、彼等が今に伝える伝承を取材した。伝承というものは、親から子へ、子から孫へと人から人へ伝えられてゆく。民族が絶滅しない限り、伝承は続くから、彼らの血液、遺伝子のようなものである。

 さて、我々は子供の頃に歌った小学校唱歌をよく覚えていると思う。たとえ歌詞の意味はわからなくても、だ。例えば「荒城の月」という歌がある。「はるこうろうのはなのえん。めぐるさかずきかげさして」と我々は記憶しているが、歌っている当時はその意味がわからなかった。ところが大人になって、ふと歌詞を思い出し、高殿で花をめでる宴会が開かれ、さぁさ一杯どうぞ、という具合に杯が人が人へ巡る、そこに月光が差す、ああ、この情景なのか、と気がつく。

 アイヌの伝承者は、親から聞いた言葉を正確に覚えて次に伝えた。たとえ意味がわからずとも、伝承者の家族は、囲炉裏のそばで、囲炉裏の縁をたたいて調子をとりながら謡う親の言葉を何回も何回も聞いて覚えた。そのアイヌ語の伝承に出会った金田一京助氏は、伝承者から歌を聞き、それをローマ字で筆記し、「これで良いか」と伝承者に確認をとった。そうしたら伝承者はぶったまげた。我々の仲間でさえ、何回聞いても覚えないものを、この先生は一発で覚えた、凄い先生だ、と。

 金田一氏のほうは、その構成が、あの世界的に有名なホメロスの叙事詩と同じであることに気付き、「アイヌとは、このような叙事詩を伝える優れた民族なのだ」と気がついた。
しかし、金田一氏のやった仕事は、アイヌ語を正確に日本語にする翻訳であった。そこに何が物語られているか、その辺まで踏み込むことはなかっただろう。

 その翻訳された叙事詩を読んだ現代のUFО研究家が、「これは世界共通の宇宙人来訪の事実の反映ではないか」と解釈した、つまり何が物語られているのかを探り当てたのである。
■アイヌ伝承の中の空中機械
 ここで言うアイヌの伝承とは、「ユーカラ」或いは「カムイユーカラ」とは少し違う「オイナ」という人文神自身の語る物語である。

 つまり主語はアイヌ文化の祖といわれる「オキクルミ・カムイ」自身なのだ。東京帝国大学講師・文学士の肩書きで、金田一京助氏が大正12年(1923年)に出した『アイヌ聖典』「カムイ・オイナ」の冒頭にはこう記されている。

 「神の工(たくみ)の山城の 我を育てし山城の 東の軒 山城の西の軒
 日輪の象(かたち)をえがき、そのおもて 二重(ふたへ)の明光
 三重(みへ)の明光 差し延(は)へて 山城の際 照りわたり
 輝きわたる」
つまり、カムイの住む城には、今日で言えばネオンサインのような印が、同心円のように輝いていた、というのである。

 この「輝く同心円」というシンボルは、アイヌに限ったことではないらしい。というのは、九州の装飾古墳といわれる墳墓の内部には、この同心円を中心にした意味不明の彩色紋様が描かれているからである。

 そして、彼オキクルミ・カムイが敵地に赴くときに、使用したのが「シンタ」という乗り物である。 
 シンタとはアイヌ語で「揺り篭」のこと。赤ん坊を入れて天井から吊るす揺り篭のことだが、世界のどの民族でも、このように日常の道具や生き物の名前で、そうした神の乗り物を表現している。
 
次の文句を見ていただきたい。

「アウンチセヘ わが家の
エンカシケ 真上に
オシンタアッテ  乗る所の神駕を 駐め」
※「シンタ」とは館の上空でホバーリングする能力を持つようだ。
「カニシンタ 金の神駕
オカヒケ 在りけるが
シンタウプソロ 神駕の内へ
アチェシタイキ われ飛び乗り
シンタヅカ 神駕の 柄を
アテクサイカレ われつかむ」
※「シンタ」とは、人間の身体を中に入れる大きさを持つもののようだ。

「カンナニシサム 天際に
チオリキンカ のぼりゆき
イマカケタ さて後に
ペケンレラネ 光風の如く
アツイソクルカ 海づらかけて
アマウノイェレ われ飜りゆく
ヅペシクシクネ 数々の波紋の如く
レペシクシクネ 数多の波紋の如く
ウラコチュプ 相もつれ
ウマウコノイェ 相もつれ」
 
UFОを目撃した人なら、円形の物が、回転しつつ飛行する場合、「波紋の形がもつれながら」という表現に、「なるほどな」という思いを生じないだろうか。少なくとも私個人は、この個所を読んで、自分のUFО目撃を連想した。ちなみに「光風の如く」の解説を、金田一氏は「目にもとまらず、軽く疾く行く意」としている。 

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縄文土偶が異星人とのコンタクトの記録であることをアイヌ神話が証明している。私たちの祖先である縄文人=アイヌ人は、異星人を文明へ導く指導者として崇拝し、その気持ちを縄文土偶に表現していた。土偶に限らず縄文時代の遺跡は、私たちが置き忘れてきた太古の宇宙文明との遭遇の記憶を今に伝える重要なメッセージなのである。

☆F★

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遮光器土偶(spaceman clay figurine)の目が異様に大きいのはがつけるシベリアのヤマロ・ネネツ族等が用いていた遮光用のアイマスクをつけているためだと考えられてきた。

また土偶が身につけているコスチュームは遮光器土偶が制作されたとされる縄文時代晩期(3,000~2,300年前)頃のこの頃の戦乱に明け暮れていた春秋戦国時代の中国で着用された甲冑(明光鎧)に似ていると思われていた。

亀ケ岡

亀ケ岡遺跡にみられる遮光器土偶のモデルは甲冑姿の渡来人だった?にみ亀ケ岡遺跡にみられる遮光器土偶のモデルは甲冑姿の渡来人だった?られは冑姿の渡来人だった?

しかし、日本はもとより世界の各地で何故同じ(類似する)遺物が発見されているのかは、この説では説明できない。

宮城県多賀城遺跡         山形県杉沢遺跡             ギメ東洋美術館(フランス)

  

アマゾン、先コロンビア時代      バルカン半島シャコマン           パキスタン(BC3000-)

したがって、「異星人が宇宙服とスペースゴーグル(遮光器)を身につけて、宇宙船で各地を訪れていた」と解釈するのが最も理解が可能な方法である。

宇宙考古学者のエーリッヒ・フォン・デニケンは昭和50年(1975)に来日した際、集まった記者団にこう語った。

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デニケンは集まった取材記者に向かってとんでもない話をして話題になった・

太古の昔、少なくても1万年前、宇宙人が光速なみの高速宇宙船に乗って地球を訪れ、地球の原住民を遺伝子操作などによって人種改良し、文明の発展に取り組ませた、と主張したのである。

デニケンは「ソ連の作家アレキサンドル・カザンチェクの自宅で見せられた3体の日本古代人形も宇宙飛行士のいでたちをしていた」と語っている。

それに魅せられて来日したのかどうか、それはわからないが、いずれにしろ、カザンチェフは、その際、「秋田県の床舞で出土したもので、紀元前の作品だ」と説明したというのである。

 

高さ60センチ。両肩から出て体にぴったりくっついたベルトが膝の上で交差し、さらに尻に近い大腿部で再び交差していた。また、鋲(びょう)のついた幅広のベルトが別に腰を閉めている。身に着けている衣服はふくらみがある。頭に乗せたヘルメットもリボン状のもので胴体にぴたりと結合されていた。それに、斜めにレンズをつけた大きなメガネをしていた。

誰が見ても、それは遮光器土偶だったとわかる。しかし、それが「宇宙飛行士だった」などと指摘したのはNASA(アメリカ航空宇宙局)の研究者とデニケン以外にはいない。

 【読書会】日本超古代文明のすべて

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もはや結論は出たと言えるのではないだろうか。遮光器土偶は縄文時代に地球を訪れた異星人の像で、縄文時代の日本人(アイヌ人)は、彼らを指導神(アラハバキ)として崇拝して礼拝していた。

アイヌ民族の神話に残されたオキクルミカムイ伝説は異星人が原始状態に退化したムー文明の子孫を文明の復活に導いた記録なのである。

☆F★

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インドのチャッティースガル州で宇宙船と異星人の姿を描いた壁画が発見されたとインドのタイムズオブインディア紙が2014年7月15日に伝えた。同州の調査機関はNASAとIsroに調査の支援を要請している。

10,000-year-old rock paintings depicting aliens and UFOs found in Chhattisgarh

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与那国島海底遺跡の発見は、地元の日本よりも欧米人に大きな反響を呼び起こしたと言える。これは、1つには欧米人にとって「失われた大陸:アトランティス」への郷愁が根強いためであると思われる。もう1つの理由は、日本に比べて欧米の学界には、従来の定説を覆すような新しい発見と理論に対する受容度が高く、4大文明をはるかに遡る超古代文明への関心が古くから高く、研究の蓄積も豊富であるからだと思われる。

「3500年(以上)前のシュメール(メソポタミア)文明が世界最古の文明である」としてきた、これまでの定説は,1万年以上前の世界最古の遺跡であると認定された与那国島海底遺跡の発見によって根底から覆ることになる。

さらに、与那国島海底遺跡が注目を集めている点は、この遺跡の構造が中南米に残るマヤ文明の遺跡とほとんど同一であると見なされる点にある。研究者の中には、ペルーにあるマチュペチュ遺跡の建造物が与那国遺跡の海底神殿と同一の建築であると考える人々もいる。

 

 与那国島遺跡                   全体図

 

 サクサイワマン遺跡(ペルー)          サクサイワマン遺跡神殿

サクサイワマン遺跡はペルーの中心部の街:クスコに隣接した平野部にあり、マチュペチュ遺跡は山岳部に、ナスカラインは海岸部に、その北部にはイカストーンで名高いイカの街がある。サクサイワカン遺跡とマチュペチュ遺跡はインカ文明の中心として栄えた「インカの聖なる谷」にある。

 

クスコ・ナスカ・イカの位置            ペルー海岸部

インカの聖なる谷                  イカストーン

与那国遺跡とマチュペチュ遺跡の類似性を説明できる理論が1つだけある。

それは、かつて一万年以上前に、巨大な石造建築を建設することが可能なテクノロジーを備えた文明が地球全体にわたって活動していた。彼らは陸路や海路を通らずに、高速で上空を飛行する交通手段を保有していた。

そして、与那国遺跡が沈没する以前に、共通の文明が中南米から東南アジアにかけて同じ巨大な太平洋上の大陸の上で栄えていた。

それが、ジェイムズ・チャーチワードが1926年に出版した「失われたムー大陸」で発表した伝説の巨大大陸:ムーである。

 

チャーチワードのムー大陸             ムー大陸のシンボル

私たちの探求の旅はまだまだ始まったばかりである。一万年以上前に高度な宇宙文明が地球上に実在したと考える以外に説明のつかない発見が次々に世界中で報告されて、その意味が理解されかけてきたのは、ほんの最近になってからだからである。

地球外に高度な宇宙文明が実在し、はるかな過去から地球を訪れてきたことに気づかせてくれたチャネリング・メッセージのおかげであることを、私たちは感謝しなければならないだろう。

☆F★

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参照

 

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『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は、青森県五所川原氏在住の和田喜八郎氏が、自宅を改築中に「天井裏から落ちてきた」古文書として1970年代に登場して、マスコミにも報道されて、大きな反響を呼び起こした。

編者は秋田孝季と和田長三郎吉次(和田喜八郎の祖先と称される)とされ、数百冊にのぼるとされる膨大な文書は、古代の津軽地方には大和朝廷から弾圧された民族の文明が栄えていたとされる内容である。また、アラハバキを「荒覇吐神」としたうえで遮光器土偶の絵を掲載して、アラハバキのビジュアルイメージが遮光器土偶であるという」いう印象を広めた。

東日流外三郡誌 - Wikipedia

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私たちがこれまでに体験してきたように、支配権力は自分たちに都合の悪い情報をあらゆる手段を用いて、隠ぺいし封殺しようとしてきた。先がけて異星人とのコンタクトに成功したジョージ・アダムスキー氏とビリーマイヤー氏も発表した写真や映像を偽造としてペテン師扱いを受けたのである。

したがって、「東日流外三郡誌は偽書である」というキャンペーンを権威のある学会が展開したとしても、それは竹内文書が偽書扱いを受けたのと同様の隠ぺい工作と見なすべきだと考える。

重要なことは、太古の日本に高度な国際文明が実在したという事実を裏付ける遺跡が日本の各地に残されていて、それは弥生文明をはるかに超えるレベルと規模の文明が実在した可能性が高いという事実なのである。

これまで東日流外三郡誌に好意的な研究者も、縄文時代に宇宙文明とのコンタクトが行われていた可能性に言及する者はほとんどいなかったが、私たちGFLJは、アラハバキ=遮光器土偶を異星人信仰の遺物としてとらえる解釈を確立しつつある。

遮光器土偶を宇宙服を着た異星人であるとする説は、ソビエトのSF作家アレクサンダー・カザンッツエフ氏が1950年代に発表して以来、世界中の宇宙考古学者の注目を集めるようになったとされる。

一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第836話 「遮光器土偶」

「古代宇宙飛行士説」は1970年代になって、エーリッヒ・フォン・デニケン氏の『宇宙の記憶』がベストセラーとなり一大宇宙超古代史ブームを引き起こし、一般的に広まった。

 未来を見つめて

デニケンが「縄文土偶のほとんどは宇宙人だと考えられる」と示唆した仮説を最近の動画発表で精力的に検証し続けているのが,はやし浩司である。

1950年代に活動した宇宙友好協会【注】は、縄文土偶のUFOLOGYで詳細な検証を発表している。 

 

 CBAは、デニケン氏が活動を始める以前にアレクサンダー・カザンッツエフ氏とほとんど同時に古代宇宙飛行士説を発表していたことになる。活動が思わぬ展開でとん挫したことは残念であるが、久保田八郎氏が1961年(昭和36年)に設立したアダムスキー公式研究団体:日本GAPは今もなおネット上で当時の研究成果を保存して今に伝えている。

戦後の日本におけるETコンタクト活動の歴史は思われている以上に長く、真剣な研究が行われてきた。戦後初期の1950年から戦勝国のアメリカ・ソビエトの研究者によって縄文宇宙文明の遺品が奪い去られて、情報の隠ぺいが行われてきたことは、推して知るべきものがある。

アメリカ政府と(旧)ソビエト政府はすでにこの時期に異星人とコンタクトを行っていて、月と火星上に基地を建設し始めていたという事実が、明らかになりつつある。つまり、米ソは宇宙文明の真相をどうしても日本人から隠しておくために、遺物を隠して、真実を伝える記録を「偽書」扱いするように日本政府や日本の学界に指示していたのである。

真相公開(ディスクロージャー)のたたかいは、すでに日本敗戦時から始まっていたのである。

☆F★

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【注】

宇宙友好協会(Cosmic Brotherhood Association、通称:CBA)は、 1957年(昭和32年)8月、航空ジャーナリストの松村雄亮によって設立される。設立には久保田八郎、小川定時、橋本健らが参加して、空飛ぶ円盤(およびその搭乗者である宇宙人)との接触と交流を目的としており、テレパシーで空飛ぶ円盤に呼びかける観測会を開いていた。 

しかし、創立者の松村が宇宙人とのコンタクト成功を主張し始めた1959年(昭和34年)頃より、彼を「種子」と呼び神格化するカルトと化してゆく。

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参照

東日流外三郡誌の世界

多元的古代研究会

納得できる古代史ー素晴らしき古田史学(一般向けにわかりやすく解説)

「あらはばき」とは  荒脛巾神社やアラハバキの原点とは

 (注:上のHPは東日流外三郡誌を偽書としている)

東日流外三郡誌をめぐる真偽論争は社会全体を巻き込んで裁判にまで発展していった。偽書であるという主張もその根拠を示す綿密な内容で、一般の市民には判別が困難である。ここでは、真偽の決着を急ぐよりも、この発見が示唆する意味を深く考えていくことが大切である。

遮光器土偶がアラハバキ=異星人である可能性に目を向けることが、縄文文明の謎を解く有効な手がかりになると私は考えている。

☆F★

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2014年1月に発表された「火星上に日本の前方後円墳が発見された」というニュースはネット上で大きな反響を集め、数多くの分析が動画で投稿された。

Japan Kofun Era Tomb Like Structure Found On Mars – UFO Blogger : Exclusive UFO 2014, Flying Saucers and UFOs Sightings Videos

GFLJ1/29,2014:イベントは今私たちの前で起きている

火星上に発見された前方後円墳の遺跡について米航空宇宙局(NASA)は、「現在の形状は断層運動によって持ち上げられ、数十億年かけて沈没して侵食された結果である」としているが、構造上の大規模な浸食にもかかわらず形成は顕著な対称性を示している。

プロジェクト・アヴェロン・フォーラム5/19,2015は、この発見に注目して日本の古墳を紹介する資料とNASAの説明を疑問視するデイビッド・アイク氏のコメントを掲載している。

日本の古代遺跡と酷似する火星上の建造物

2015年5月19日 デイビッド・アイク

古墳とは3世紀から7世紀初期の期間に建造された日本の墳丘墓である。

日本では3世紀初めから6世紀にかけての期間を古墳時代として区分している。古墳の中には多くのカギ型の前方後円墳が見られる点が古代日本特有である。(ウイキペディア)

私たちが見ることのできる古代日本特有の建造物には、豪族の墓以上の意味が含まれているのだろうか?日本の古代建造物と火星の遺跡との間に何らかのつながりがわずかでも、または別次元的なレベルであるのだろうか?答えはYESであると私たちは信じている。

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Ancient Structure in Japan similar to structure on Mars

new Tuesday 19th May 2015 at 09:06 By David Icke
Kofun are megalithic tombs or tumuli in Japan, constructed between the early 3rd
century and the early 7th century AD.
They gave their name to the Kofun period (middle 3rd century to early-middle 6th
century). Many of the Kofun have distinctive keyhole-shaped mounds (zenpo
-koenfun (前方後円墳?)), which are unique to ancient Japan. – Wikipedia.
The structure we see in Japan is unique, sharp edges and unique patterns define
this incredible construction built in ancient Japan. But is there something more to
this construction? Is there a small possibility that the structure found in Japan has a
mysterious connection, a otherworldly connection perhaps? We believe the answer is Yes.

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日本の古墳は、世界に分布する墳丘墓の1つに分類されるが、前方後円墳は日本特有の形状である。それが火星上に発見された遺跡やクロップサークル、中東の地上絵、バチカン宮殿に見られるのは何故だろうか?

 Nakako Yamamoto added 3 new photos.

Notice that the entire Vatican is in the shape of a keyhttp://themurkynews.blogspot.jp/2008/07/introduction-connecting-current-events_08.html:

 Notice that the entire Vatican is in the shape of a key

私たちの謎解きの旅はまだ始まったばかりである。古代日本の前方後円墳がその形の通り、「カギ」を握っているのかもしれない。

☆F★

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国特別史跡の三内丸山遺跡(青森市)で、約5千年前の縄文時代前期末ごろのものとみられる大規模な直線状の溝が見つかったことが1日、青森県文化財保護課への取材で分かった。同課は「大規模な人工の道の跡である可能性がある。確認できれば、この時代では国内初の事例ではないか」としている。

 同課によると、溝は遺跡西部で見つかった。幅約4メートルで南西から北東方向に延びており、これまでに長さ約20メートルが確認された。周囲から最大約1メートルの深さまで掘り下げられ、大規模な工事だった可能性がある。溝から見つかった土器などから、時代を推定した。

 同課は9月末までの調査で、溝の規模や形状などを明らかにするとともに、これまで同遺跡で見つかっている道の跡との関連も調べたいとしている。

 三内丸山遺跡に直線の溝 大規模な人工道か(MSN産経ニュース8/1,2014)

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私たちは、今自分たちの国の歴史への認識を大きく変更するべき瞬間にある。これまで、私たちGFLJは、日本には存在しないと一般には考えられてきたマヤやシュメールの巨大石造建築物がかつて太古に存在して、宇宙文明とコンタクトを行っていたという認識を強めてきた。

 オープンコンタクト予定地「岐阜県恵那市・笠置山・岩村城跡」下見報告8/12,2012

ニュージーランドのワイタハ族長老は、日本民族の起源がワイタハ族と同様のシリウスにあると語っている。これは、日本の神話や竹内文書を始めとする古史古伝が伝える天孫降臨説と一致している。

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テ・ポロハウ長老は、ワイタハ族のルーツに ついてこう語りました。

ワイタハ族はシリウスに起源を持ち、そしてイルカ族にルーツを持っています。地球へ は、ムー(レムリア)の時代にやって来ました。

その後エジプト、シリアへと渡り、最終的に 神々によって、水の豊富な島であるアオテアロア(ニュージーランド)へと導かれたのです。

テ・ポロハウ長老によれば、シリウスにルーツを持つ人種はワイタハ族だけではないと言います。日本人、イタリア人、ドイツ人などの多くも、シリウスにルーツを持つことが、古い石版に記されたリストや言い伝えな どに残っているそうです。

ちなみに、シリウスからやって来た人々の特徴のひとつが、「洞窟文化を持っていること」なのだそう。

「私たちの祈りの場であり、教えの場という のは、洞窟を利用して作っています。なぜ洞窟を利用するかというと、大地のクリスタルを活用するためです。クリスタルはDNAに刻まれた未知なる力を加速させてくれるパワーを持っています。

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この情報を裏づけるように、日本の各地では縄文宇宙文明の姿を浮かび上がらせる遺跡が発見されつつある。

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 キトラ古墳天文図複製陶板より、北斗七星付近

黒又山はクロマンタとも呼ばれ、縄文遺跡として多くのネットサイトで紹介されています。また平成3年、環太平洋学会の調査で階段状のピラミッドと断定された山です。

レーザー解析した黒又山 

 地中探査レーダーとは20~2万サイクルの電波の束を地中に向けて発射し、戻ってきた電波を捉えて地中構造を解析するもので、掘る前に使える。当時はまだ認められていなかったが、私は積極的採用を進言した。力丸さんは、土木測量などで利用されるあらゆる技術を環境評価技術として動員し、巧みに組織して役立てるのが得意な人だった。 

この2人が調査団に加わったことによって、考古学や民俗学だけでは判らない画期的発見があったことは、すでに知られている通りである。くり返すことはしないが、主だったことを簡単に整理すると次の通りである。 

1 表面の堆積土層の下に階段状の構造物が隠れており、階段式ピラミッドになっていることを明らかにした。

2 山頂部地下にも古墳の石室のような空間があり、人工施設になっている可能性があることを明らかにした。

3 黒又山周辺の神社と山の位置関係を測量したところ、正確に春分秋分の日、夏至や当時の日の出地点、日没地点にあることを確認し、距離関係を測量したところ、一定の比率を保って配置されていることが判った。 

 「クロマンタの思い出 6」

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私たちGFLJは宇宙とのコンタクトを実現することを目的に活動を進めてきた。しかし、そうするうちに何かに導かれるように、日本の先史文明の探求に向かわざるをえなくなってきた。このことは何を意味するのだろうか?

私たちの遠い祖先の縄文人(アイヌ人)は自分たちの起源が宇宙にあることを知って、その知識と知恵を子孫に伝承してきた。それが縄文土偶の真の意味である。その忘れ去られた記憶を呼び起こすことが、宇宙文明への移行のカギを秘めているのである。

☆F★

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◆記紀以前の歴史書:古史古伝とは?

古史古伝 - Wikipedia

古史古伝(こしこでん)とは、日本古代史で主要資料とされている「記紀(『古事記』と『日本書紀』)」などの史料とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称。種類が多い。また超古代文献超古代文書ともいう。なお、古史古伝は今のところ、いずれも学界の主流からは偽書とみなされている。

古史古伝は、

    1 写本自体が私有され非公開である、などの理由で史料批判がなされる予定がなく、史料として使えないものも多い

  2 超古代文明について言及されている

  3 漢字の伝来以前に日本にあったという主張がある神代文字で綴られている

  4 上代特殊仮名遣に対応してない(奈良時代以前の日本語母音が8個あったが、5母音の表記体系である)

  5 成立したとされる年代より後(特に近代以降)の用語や表記法が使用されている

等々の理由で古代史研究における歴史学的な価値は非常に低く、古代からの伝来である可能性もまず無いと考えられている。しかし、古史古伝は種類が多く1〜5の特徴もすべての古史古伝に共通しているわけではなく、それらの諸点についての度合いは各書ごとに様々である。江戸時代成立とみられる文献もあり、それらには江戸時代的な特徴はあるが近代以後の用語などは当然存在しない。

ただし、いずれの「古史古伝」においても『偽書である「古史古伝」ではなく、真書である』と主張する人々はかつて存在したか、もしくは現存している。

第2次世界大戦前には「神代史」「太古史」など言われ、戦後(1970年代頃まで)には吾郷清彦が「超古代文書」と呼んでいた。また同じ頃、武田崇元(武内裕)は「偽書」「偽史」「偽典」などといっていたが、「偽書」「偽典」は用語としてすでに確立した別の定義が存在しており紛らわしいので、やがて「偽史」という言い方に統一されていった。

「古史古伝」という言い方は、吾郷清彦が著書『古事記以前の書』(大陸書房、1972年)で最初に提唱したもので、この段階では「古典四書」「古伝三書」「古史三書」とされていたが、著書『日本超古代秘史資料』(新人物往来社、1976年)では、「古典四書」「古伝四書」「古史四書」「異録四書」に発展した。 初期の頃の吾郷清彦は「超古代文書」という言い方を好み、「古史古伝」とは言わなかった。あくまで分類上の用語として「古伝四書」とか「古史四書」といっていたにすぎない。1980年代以降、佐治芳彦がこれをくっつけて「古史古伝」と言い出したのが始まりである。

吾郷清彦による分類

古典四書

『古語拾遺』を除いて「古典三書」ともいう。この「古典四書」(または古典三書)という分類は、異端としての超古代文書に対して正統な神典としての比較対象のための便宜的な分類であり、「古典四書」はいわゆる超古代文書(古史古伝)ではなく、通常の「神典」から代表的・基本的な四書を出したもので、実質は「神典」の言い替えにすぎない。(神典の範囲をどう定めるかは古来諸説があるがこの四書に加えて『万葉集』『古風土記』『新撰姓氏録』などをも含むことが多い)。

古伝四書

「カタカムナ」を除いて「古伝三書」ともいう。

この「古伝四書」は全文が神代文字で書かれているという外見上の体裁による分類であって、内容に基づく分類ではない。

古史四書

  • 九鬼神伝精史」(いわゆる「九鬼文書」。『天津鞴韜秘文』(あまつたたらのひふみ)は九鬼文書群の一部である)
  • 竹内太古史」(いわゆる「竹内文献」。「天津教文書」「磯原文書」ともいう)
  • 富士高天原朝史」(いわゆる「富士谷文書」(ふじやもんじょ)。「宮下文書」「富士宮下古文献」ともいう)
  • 物部秘史」(いわゆる「物部文書」)

「物部秘史』を除いて「古史三書」ともいう。

異録四書

『神道原典』を除いて「異録三書」ともいう。

「異録四書」は古伝四書や古史四書に含まれないものをひとまとめにしたもので、いわゆる「その他」の枠であり、古伝四書・古史四書のように四書全体に通じる共通の特徴があるわけではない。

吾郷清彦による分類の発展

東亜四書

吾郷は「新しき世界へ」誌(日本CI協会刊)に寄稿した際「東亜四書」という項目を追加している。

泰西四書

  • ウラ・リンダの書』(『オエラリンダ年代記』ともいう):自身を由緒正しい古フリーズ貴族の末裔に違いないと信じていた大工コルネリウス・オヴェル・デ・リンデが偽造した、先史時代までさかのぼる年代記。フリーズ人はキリスト教以前に独自の一神教を持つとし、万物創造の唯一神ヴラルダを讃え、ザクセン人やフランク人を見下しフリーズ人の優越性を説く。1872年にオランダで出版され、偽造であるとばれて事件は終わっていたが、ナチズムの台頭の中、1933年にドイツの先史学者ヘルマン・ヴィルトがユダヤによる旧約聖書以前の本物の古文書であると主張し、北方人種の栄光ある過去を創造する道具として利用しようとした。[13]ヘレナ・P・ブラヴァツキー神智学における根源人種論の元とも言われ、ニューエイジにも影響がある。
  • Oahspe: A New Bible』:オアフスペ、オアースプ等いろいろに読まれる。1882年出版。
  • モルモン経
  • アカーシャ年代記」(「アカシックレコード」ともいう[14]

他にジェームズ・チャーチワードが実在を主張した「ナーカル碑文Naacal)」、ヘレナ・P・ブラヴァツキーが実在を主張した『ドゥジャーンの書』、「エメラルド・タブレット」、「トートの書」等がある。また『ネクロノミコン』は当初から小説の中の存在として発表されたが、実在と信じる人にとっては超古代文書の一種である。

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◆古史古伝は「偽書」か?

封印された超古代日本史~「古史古伝」の世界

「古史古伝」とはいったい何なのか? これは、「日本最初」の歴史書、『古事記』(ふることふみ)・『日本書紀』(やまとのふみ)(両者を合わせて、通称『記紀』)よりも、遙かに古い「日本の歴史書」群の総称です。それらの代表的な物を列記すると、

  • 竹内文書
  • 九鬼(くかみ)文書
  • 宮下文書
  • 上記(うえつふみ)
  • 秀真伝(ほつまつたえ)
  • 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)

等です。

 Hotsuma Tsutae Document Tree by Torii

これら「古史古伝」と呼ばれる歴史書は、残念ながら現在の史学界ではその存在自体が認められていない「異端」(「鬼っ子」と言った方が正しいかも知れません)です。その理由はと言うと、

  1. 『記紀』や、聖徳太子時代に編纂されたと言う『天皇記』(すめらみことのふみ)・『国記』(くにつふみ)よりも成立年代が古い。
  2. 『記紀』等の正統な史書は神武天皇を「初代」とするが、「古史古伝」の多くが神武天皇以前に数十代から数百代の天皇を載せている。つまり、「古史古伝」では神武天皇は初代ではない。
  3. 「古史古伝」の多くが漢字渡来以前の古代日本文字「神代文字」によって書かれているか、もしくは、「神代文字」を載せている。

と言った感じで、史学界からすれば、もしこんな「シロモノ」を認めてしまったら、従来の日本史大系が根本から崩壊してしまう訳で、絶対に認められないと言う訳です。この辺は、カトリックの総本山・バチカンが、『死海文書』を「正統」と認めないのと同じです。さて、そんな「古史古伝」ですが、具体的にはいったいどの様な事が書かれているのでしょうか?

万世一系天皇制

戦前の旧憲法(大日本帝国憲法)では、「日本は「万世一系」の天皇がこれを統治する」と書かれていました。「万世一系」とは初代・神武天皇から現代まで一度も断絶することなく(王朝の交替もなく)連綿と続いてきたと言った意味ですが、現在は「騎馬民族征服王朝説」等によって「否定」されています。ところが、「古史古伝」-特に『竹内文書』の世界では、「万世一系」どころか、それを遙かに越える「億万世一系」の天皇制が描かれています。

 

ガヤフキアエズ王朝

『記紀』に登場する神武天皇の父・ウガヤフキアエズ尊(ミコト)が、「古史古伝」では73(又は72)代、あるいは51代続いた「王朝」とされています。又、ウガヤ朝の歴代天皇は皆、「ウガヤフキアエズ尊」の諡号(死後に贈られる称号)を代々世襲した共されています。この辺りは、歌舞伎の名門・「市川団十郎」が名跡を「襲名」しているのと同じです。

国大変動

「古史古伝」の一つ、『竹内文書』には、「ノアの大洪水」を思わせる「万国大変動」・「万国土(ドロ)の海」と言った天変地異が幾度と無く世界を襲い、その度に「五色人(イツイロヒト)全部死す」等と言った「人類滅亡」の危機に見舞われた事が記されています。又、これら世界規模の天変地異によって、高度に成熟した超古代文明が衰退していった模様も記されています。

之浮船(アメノウキフネ)

これも同様に『竹内文書』に出てくる物ですが、読んで字の如く、「天(空)に浮く船」です。一日に千里万里を行くその性能からすれば、旅客機かはたまたUFOか・・・と言った感じでしょうか? ちなみに、古代インドの聖典にも「ヴィマーナ」(「飛行車」の意味)と呼ばれる飛行物体が存在した事が記されています。

ヒイロカネ

更に『竹内文書』に出てくるのが、謎の金属「ヒヒイロカネ」。純粋な物は純金のように柔らかいが、ひとたび合金にすると、プラチナ(白金)よりも堅くなる希少金属。全体として「ひんやり」としているが、時として表面から「オーラ」のような「ゆらぎ」を出す。超古代天皇の皇居の屋根は「ヒヒイロカネ」葺きで燦然と輝いていた・・・「ヒヒイロカネ」で鍛造した宝剣・・・等の記述があちこちに出てきます。ちなみに、アトランティスの「オリハルコン」(太陽のような輝きを発する)や、古代中国の「金+昆」等の古代希少金属は、「ヒヒイロカネ」と同じ物ではないかと言われています。(「金+昆」を「日に比する金」と解釈すると、正に「ヒヒイロカネ」となる)

だまだ「古史古伝」には、『記紀』等の「正統な歴史書」には無い様々な内容がちりばめられています。しかし、史学界はあくまでもこれを「異端」として認めていません。中には『竹内文書』の様に、国家権力が狩野亨吉博士(故人 元・京都大学文学部長)等、当代の碩学を総動員して「偽書」の烙印(レッテル)を押した物もあり、言論・研究・思想の自由が保障された戦後日本の現代でさえ、名のある歴史学者は、未だに手を出そうとはしません。よほど、狩野亨吉博士の下した「偽書」鑑定が効いたと見えますが、「古史古伝」は果たして「偽書」なのでしょうか?

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◆古史古伝を見直す意義

これまで「神話」とされてきたムー大陸・アトランティス大陸の実在を裏付ける沖縄・与那国遺跡を始めとする海底遺跡の発見が次々に発表されている。「偽書」として封印されてきた竹内文書(たけのうちもんじょ)が伝える太平洋上の失われた大陸「みよい・たみあら」の信憑性は、21世紀の現在、ますます高まっている。

<竹内文書に描かれた「ミヨイ・タミアラ」>

<修正した画像:先史文明研究

地球外の文明が太古の地球を訪れて、古代文明の建設に関与してきた証明が、数多くの研究者による報告が現在、報告されている。漢字以前の神代文字で記述されているという理由で「正統派」の学会から斥けられてきた、竹内文書を始めとする古史古伝の史料的な価値を私たちは見直すべき時期にあるのではないだろうか?

☆F★

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Japanese society Italy debated their
origins they still ask questions such as
who are we and where did they come from
a question that is asked in many
societies but when a large prehistoric
settlement was discovered in a moral
Prefecture in the far north of Honshu it
would change Japan as we know it it was
a story that would be found on every
newspaper in Japan the earliest artifact
that dated back from about , BCE
tools were discovered to scholars
thought dated back to an Old Stone Age
culture that spread from Northeast Asia
into Japanese suck sakeni on kimitaka
peninsula and even to north america
adorn the time these tools are
discovered scholars realized detour
these tools will possibly use during the
Old Stone Age these tools developed
pottery within the hunting and gathering
society neo mythical hunters and
gatherers created figures of clay these
pottery figures would be one of the
oldest in the world older than any
pottery in the Middle East the period
discipline the period this pottery came
from would be known as jomon period or
from the german society the reason why
would be called the jomon period is due
to the cord markings that characterized
the ceramics made during this time or
the rope-like chord patterns designed on
the pottery
this hollow figurine or doogal of a
female is representative of the type
found in Tohoku region is displayed at
the Metropolitan Museum but many of the
german pottery figures are displayed all
over the world there are party figures
that can be found at the British Museum
the unit the University of Art Museum
the Tokyo University of Arts and many
others but the main one in my opinion
would be the perpetual amore Museum of
Art the pottery figures that are
featured in these museums range from
sizes  inches up to nearly two feet for
the larger Dougal this specific dogo
from the late to final jomon period is
six-and-a-half inches in height or
sixteen point five centimeters looking
at this pottery figure you can
immediately recognize those big coffee
bean shaped eyes it's almost has an
aenean like aspect to its design as well
the nose in the mall for just merely two
small holes and doing those eyes almost
look like goggles the true meaning of
this convention remains unknown while
other versions of the figures are more
complex and never really supposed to be
understood other pottery figures have
more complete examples of this type have
fleshy torsos with bare navels above
dick sturdy legs the emphasis on the
pointed breasts and generous hips of
these figures suggest that they function
as fertility symbols most of these
figures were seen as symbols with
recognizably human or animal features
they have a fascinating history in japan
dating back thousands of years Google
evolved within the earliest dated
continuous tradition of pottery
manufacturer in the world stretching
back to about , bc they were
produced by the German people
prehistoric foragers in the temperate
forests that covered the Japanese
acapella jam own people lived in tune
with the seasons and shattered and
shared their rich natural world with the
spirits since the Edo period
Dougal have been excavated from many
sites through throughout Japan the best
example is coming from central and
eastern regions from where most of the
current exhibits are drawn more than
, Dougal have been recovered from
each of the two major sites shokudo in
yamanashi prefecture in san e maria ma
in a morir prefecture mostly in
fragments nationwide the total reported
to date is about eighteen hundred
thousand the techniques used to make
such pottery were modeling clay
applicate marketed with twisted plant
fibers and varnishing the artistic and
high quality potteries are very unique
but what is what is a mystery is its use
there's a belief these Dougal were used
for the embodiment of spirits venerated
and revered sometimes buried with the
dead to guide them to the next world
sort of how the children's will put a
coin on the eyes or in the mouth of
deceased so they can pay the ferryman
Sharon to ferry them throughout done the
world River known as sticks but i did
bad i digress the debate between
japanese still continues the functions
of the Dougal are open for
interpretation to jack up the japanese
acapella during the jomon period was
occupied by a large number of different
groups of people or different societies
they probably spoke a number of
different dialects and express
themselves through a huge range of
pottery styles over  local styles
have been recognized today ja mon people
lived in tune with their seasons and
shared a rich natural world with the
spirits the mystery of the german
pottery figures could be compared to the
mystery of the Easter Island heads
although the two are entirely different
objects they share similarities though
they
the Easter Island heads were said to
keep the evil spirits away from dead and
Dougal or said to be buried with the
dead one so they can be guided to the
next world creating a symbol meaning for
both of these objects especially when it
came to making sure the dead remained in
peace and even more interesting to bake
turning the German people is a theory or
scientific matter that links them to be
of Korean descent they have also been
studies of hybridization saying that
both yo-yo and Jomo engines have made a
contribution to contemporary gene pool
genetic studies have suggested
interbreeding between the yo-yo and your
own people with a gem own contribution
to modern Japanese being as much as
forty percent apparently a yo-yo
language prevailed along with the
agricultural technology researchers who
have studied German and yoyo cultures
came to the conclusion up to studying
various dialects of Japanese the
conclusion was all Japanese are
descended from a founding language taken
to the Japanese islands  years ago
the finding sheds new light on the
origins of the Japanese people
suggestion that their language descended
from that of the rice-growing farmers
who arrived in Japan from the Korean
Peninsula and not from the
hunter-gatherers who first inhabited the
islands some , years ago in the
th century Dougal served as a potent
source of artistic inspiration and in
recent decades they have featured they
have been even been featured in manga
comics and PlayStation games it is
testimony to the power to do gold I can
that they can serve simultaneously as
symbols of prehistoric japan japan
entrancing works of art and protagonist
in contemporary culture here are my
citations now not all my citations are
here which is why i have a google doc
link in the bottom them I recommend you
go and check that out that's where all
my citations up are as well as the
lecture I just gave word for word most
of the citations are used we're mainly
for pictures
the main domain websites i use for my
research were the museum websites that i
provided here thank you and i hope you
enjoyed this lesson

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Speech Excerpt/Work Citied

https://docs.google.com/file/d/0B3ztV...

Dogu: Japans Mysterious Pottery Figures

Japanese society heatedly debate their origins, they still ask questions such as: Who are they and where did they come from? A question that is asked in many societies, but when a large prehistoric settlement was discovered in Aomori Prefecture in the far north of Honshu, it would change Japan as we know it. It was the story that would be found on every newspaper in japan, the earliest artifact that dated back from about 30,000 B.C.E. Tools were discovered, tools scholars thought dated back to an Old Stone Age (Craig). Culture that spread from northeast Asia into Japanese, Sakhalien, Kamchatka peninsula, and even to North America. During the time these tools were discovered, scholars realized these tools were possibly used during the Old Stone Age. These tools developed pottery within the hunting and gathering society.  Neolithic hunters and gatherers created figures of clay (Ron). These pottery figures would be one of the oldest in the world, older than any pottery in the Middle East.  The period this pottery came from would be known as the Jomon Period or from the Jomon Society. The reason why it would be called the Jomon period is due to the "cord markings that characterize the ceramics made during this time (JOM),” or the ropelike cord patterns designed on the pottery.

Part 2:  This hollow figurine or dogu of a female is representative of the type found in the Tohoku region. It is displayed at the Metropolitan Museum, but many of the Jomon pottery figures are displayed all over the world. There are pottery figures that could be found at the British Museum, The University Art Museum, The Tokyo University of Arts and many others, but the main one in my opinion would be the prefectural Aomori Museum of Art. The pottery figures that are featured in these Museums range from sizes two inches up to nearly two feet for the larger dogu. This specific dogu from the Late to Final Jomon Period is 6 ½ inches in height or 16.5 centimeters (Bus). Looking at this pottery figure you can immediately recognize those big coffee bean shaped eyes it almost has an alien like aspect to its design as well. The nose and the mouth are just merely two small holes and dogu’s eyes almost look like goggles. The true meaning of this convention remains unknown, why the other versions of figures are more complex is never really supposed to be understood. Other pottery figures have more complete examples of this type have fleshy torsos with bare navels above thick, sturdy legs. The emphasis on the pointed breasts and generous hips of these figures suggests that they functioned as fertility symbols (Bus).  Most of these figures were seen as symbols “with recognizably human or animal features, (sic) they have a fascinating history in Japan, dating back thousands of years (Pow).” Dogū evolved within the earliest dated continuous tradition of pottery manufacture in the world, stretching back to about 12,500 BC. They were produced by the Jōmon people, prehistoric foragers in the temperate forests that covered the Japanese archipelago. Jōmon people lived in tune with the seasons, and shared their rich natural world with the spirits. Since the Edo period (1615–1868) dogū have been excavated from many sites throughout Japan, the best examples coming from central and eastern regions -- from where most of the current exhibits are drawn.

Part 3: More than 1,000 dogū have been recovered from each of two major sites, Shakadō in Yamanashi prefecture and Sannai Maruyama in Aomori prefecture mostly in fragments. Nationwide, the total reported to date is about 18,000 (The).  The techniques used to make such pottery were modelling, clay appliqué, marking with twisted plant fibres (jōmon means ‘cord-marked’) and burnishing. The artistic and high quality potteries are very unique, but what is a mystery is its use.  There is a belief these dogu were used for the embodiment of spirits, venerated and revered; sometimes buried with the dead to guide them to the next world, sort of how the Trojans would put a coin on the eyes and mouth of the deceased, so they can pay their ferryman Charon to ferry them through the underworld river known as styx, but I digress. The debate between the Japanese still continues, the functions of the dogu are open for interpretation, “the Japanese archipelago during the Jomon period was occupied by a large number of different groups of people, or different societies. They probably spoke a number of different dialects and expressed themselves through a huge range of pottery styles - over 400 local styles have been recognized to date (Stone)."Jōmon people lived in tune with the seasons, and shared their rich natural world with the spirits (Pow). The mystery of the Jomon pottery figures could be compared to the mystery of the Easter Island heads. Although the two are entirely different objects they share some similarities.

Part 4:The Easter Island heads were said to keep evil spirits away from the dead and dogu’s were said to be buried with the dead so they can be guided to the next world creating a symbol or meaning for both of these objects especially when it came making sure the dead remained in peace. An even more interesting debate concerning the Jomon people is a theory or scientific matter that links them to be of Korean descent. There have also been studies of hybridization saying that both Yayoi and Jomon genes have made a contribution to the contemporary gene pool (Tra). Genetic studies have suggested interbreeding between the Yayoi and Jomon people, with the Jomon contribution to modern Japanese being as much as 40 percent. Apparently the Yayoi language prevailed, along with the agricultural technology (Wade). Researchers who have studied the Jomon and Yayoi cultures came to a conclusion after studying various dialects of Japanese. The conclusion was all Japanese are descended from a founding language taken to the Japanese islands 2,200 years ago.  The finding sheds new light on the origin of the Japanese people, suggesting that their language is descended from that of the rice-growing farmers who arrived in Japan  from the Korean Peninsula, and not from the hunter-gatherers who first inhabited the islands some 30,000 years ago (Wade). In the twentieth century, dogū served as a potent source of artistic inspiration, and in recent decades they have even featured in manga comics and Playstation games. It is testimony to the power of dogū that they can serve, simultaneously, as symbols of prehistoric Japan; entrancing works of art; and protagonists in contemporary culture (POW).

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