ふるやの森
地球文明の再生に向かう
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山崎康彦

■日本の教育は洗脳教育である!

いつもお世話様です。                         
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰しております【市民革命派】ネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。

昨日火曜日(2016.04.26)に放送しました【YYNewsLive】の『今日のひとこと』を加筆訂正して【ブログ記事】にまとめました。

【ブログ記事】

■安倍政権と御用マスコミと御用学者が決して言わないこと!(No2)

⑤日本の教育は洗脳教育である!

それは宗教組織が教会で聖書と牧師を使って行う宗教洗脳と全く同じシステムである。

宗教洗脳を行う場所は町の教会だが、日本の洗脳教育は公立と私立の学校で行われる。

宗教洗脳で使われる聖書は、全知全能の神が預言者に言ったといわれる言葉をまとめたものだが、日本の洗脳教育では文科省が認定する学説を御用学者 が書いたものを集めた検定教科書が聖書の代わりに使われる。

宗教洗脳では、聖書を解説して信者に有無を言わさず一方的に説教して洗脳する役割は教会の牧師の役目であるが、日本の洗脳教育では検定教科書の学 説を生徒に有無を言わさずに丸暗記させて、定期的に○X式の試験で洗脳状態をチェックする役目は学校の教師である。

日本の教育が洗脳教育であることの証拠の一つは、日本の学校の授業では、教師と生徒の関係は対等な関係ではなく上下関係の一方通行であり、生徒が 教師に疑問や質問することが禁止されている。もしも生徒が納得いくまで教師に疑問や質問を繰り返せば、その生徒は授業妨害生徒とみなさて排除されるのだ。

教師と検定教科書を丸暗記して○X式試験に合格した記憶力抜群だが哲学なし、思考能力ゼロの『成績優秀者』たちは、【権力犯罪者養成所】である東京大学法 学部に入学・卒業して政治家、官僚、銀行家、大手マスコミ、学者、大企業経営者となり、日本国民を支配・搾取して米国支配層とユダヤ・ロスチャイルド国際 金融マフィアの利益のために働く権力犯罪者となるのだ。

(終り)

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【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】
情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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学校「教育」が洗脳刑務所であった歴史は、闇の勢力による人類奴隷支配が開始した太古にさかのぼる。

闇の勢力はアトランティス文明の高度な宇宙科学と秘教知識(スピリチャルな知恵)をエジプトピラミッドの地下室とバチカン宮殿の秘密倉庫に保存する一方で、一般民衆には自分たちの知る宇宙の真相を隠して、それを公開しようとする人々を「異端」として迫害を続けた。

人類奴隷支配は、ムー・アトランティス両大陸沈没後のシュメール文明にも引き続いた。

シュメール文明は、ムー大陸沈没後に生き延びたレムリア人の子孫がレムリア文明の遺跡に築いたが、アヌンナキの支配するアトランティスの闇の勢力がレムリア人に遺伝子操作を加えて能力を制約して奴隷化した。

奴隷化されたレムリア人はエジプトに捕囚されたが、日本で神道を修行して十戒石を天皇陛下に献上して承認を受けたモーゼがシュメール人を奴隷解放してパレスチナに連れ戻す。

しかし、闇の勢力は再びパレスチナを占領支配して、モーゼの律法を歪曲した悪魔崇拝の洗脳宗教にすり替える。

旧約聖書時代以降の人類の歴史は、この《乗っ取り⇒すり替え》の繰り返しだったのである。

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参照

隠ぺいされてきた巨人族(ネフィリム)の真相公開が近づいている

石川県宝達志水町には、「十戒」で有名なモーゼの墓がある。

古代世界の成り立ちが記された 『竹内文献』 によると、今からおよそ3430年前、不合(あえず)朝第69代神足別豊耡(かんたるわけとよすき)天皇の時代に、モーゼは船で日本の能登に渡来。

天皇に十戒を彫り込んだ「十戒石」を献上し、承認を待つ間、天皇の第一皇女である大室(おおむろ)姫を妻に迎えた。そして12年間、神道の修行に励んだという。

やがて天皇から十戒の承認を得たモーゼは、 天空浮船(あめそらうきふね)と呼ばれる古代世界に存在した飛行船に乗って宝達山を出発。イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡り、十戒を世界に広めるという大役を果たした。

その後、モーゼは余生を過ごすために再来日。583歳という長寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚に葬られた。それが現在も宝達志水町に残されているモーゼの墓である。

モーゼの墓

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戦後「教育」からの脱却 1:出発点で否定された祖国への誇り

<戦後教育を取巻く歴史>より


【1952年】
(日教組が「教師の倫理要綱」を決定)
・「教育の自由の侵害をゆるさない」「教師は労働者である」「教師は団結する」など10項目からなる。

【1957年】
(ソビエトが人工衛星スプートニクの打ち上げに成功)
・戦後復興をある程度成し遂げ、産業、工業国家として成長しようと経済界の発言力が増す。

【1958年】
(学習指導案改訂「告示」)
・経験を重視した教育から、教科ごとに体系化された知識を教える教育へ。

【1960年】
(池田勇人が総理大臣就任・・・・「所得倍増計画」)
・日本の経済は急速に発展、経済発展を支える人的能力の育成を掲げる
・全国一斉学力テスト(66年に廃止)・・・・業者テストによる学力評価が定着していく。

【1964年】
(東京オリンピック開催)
・先進国の仲間入り、大企業を中心とした企業社会へ。
・「いい学校を出て、一流企業に就職することが人生の幸福だ」という考えが浸透する。
・学歴社会の形成、偏差値の導入、受験戦争の激化。

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偏差値の生みの親・桑田昭三氏へのインタービュー(PDF)

Q:教育評価について関心を持つきっかけはどのようなことでしたか?

A: 私は,教員養成系の大学の出身ではないので、専門的に教育評価論や教育指導法を学んで来たわけではありません。ですから、教育評価に関心を持って「偏差 値」(注)を考えた訳ではなく、偏差値を追いかけている間に、いつの間にか、教育評価学が座右に来てしまったのです。日本の教育評価の思想は、主に戦後、 アメリカから移入されたものでした。昭和2 1 年、アメリカからやってきたG H Q - C I E(連合局最高総司令官総司令部民間情報教育局)の教育審議官は、教育評価活動が行われていない日本の教育に驚いたようです。

アメリカでは2 0 世紀の初め、心理学者のソーンダイク(E .L .T h o r n d i k e)が「教育測定運動」〈客観式の標準テスト問題を用いて学力を測定評価する運動〉を大々的に展開しました。日本にも1 9 3 0 年頃、こうした運動が芽生えましたが、伝統的で権威的な日本の教育土壌には不向きだったようで、根付くまでには至りませんでした。それまでの日本の教育は、中学から大学までテストは「試験」と呼ばれる論述式で、評価は担当の先生が結果を見て「よし」と判断したら合格、「駄 目」と判断したら不合格になるといういわゆる「絶対評価」をやっていました。つまり、私が偏差値利用を考えだすまで、教育現場にはテストの得点の教育的意 味や価値、評価のあり方などに関心を抱く教員はほとんどいなかったということです。

日本の教育現場に「論理的統計学的な考え方」が取り入れられるようになったのは、戦後の教育改革に伴い「相対評価」という児童生徒の学力評価の仕方が導入 されてからです。それは「平均的な人の学力と比べて、どれくらい優れているか、劣っているかを5段階で表示する」というご存じの評価方法です。しかし当 時、学校では指導要録や通信簿などの文書の記入以外では、「相対評価」を利用していませんでした。

つまり、試験をやり,順位を付け、それを学力の指標として指導に当たるという、戦前来の方法とあまり変わらない学力評価が行われていたということです。

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闇の勢力の中核を構成するイルミナティーは、無神論唯物論で人類を思想支配する世界共産主義体制(NWO)樹立計画を1776年5月1日に完成した。

闇の世界史 1:近代イルミナティーの成立

闇の世界史―教科書が絶対に教えないより抜粋

1784 年、「神の御技」 によって継続中のサタンの陰謀が存在している証拠がバヴァリア政府に与えられた。教会法の教授で、かつてイエズス会士に教育されたアダ ム・ヴァイスハウプトは、インゴルシュタット大学で教えるかたわら、キリスト教思想を離れ、サタンのイデオロギーに帰依した。1770年になると(ロス チャイルド商会を設立したばかりの)金貸し業者がヴァウスハウプトを雇い、サタンのシナゴーグに世界の最終支配権を与えて社会支配権を与えて社会変革を起 こしてのち、サタン的独裁支配を実施してサタンのイデオロギーを自らの民族以外のすべての人々に課すことを目論んだ大昔の「プロトコール」を時代にふさわ しいものに改定させた。この仕事をヴァウスハウプトは1776年5月1日に完成させた。

この計画は現存する政府および宗教すべての破 壊を求めた。そのためにはヴァウスハウプトがゴイム(家畜のような人間)と呼ぶところの増加し続ける大衆を、政治的、人種的、社会的、経済的問題などに関 して分立させなければならなかった。そうすれば、彼らに武器をとらせることも、「事件」を誘発して互いに戦わせ、国家政府およびその宗教機関を破壊させつ つ、彼らを弱体化させることも可能となるからだった。

1776年、ヴァウスハウプトはイルミナ ティーを組織して目論見を実行に移した。イルミナティーという言葉はサタンに由来し、「光を掲げるもの」を意味している。その目的は知的能力を実証された 人々が世界を治められるよう、」世界単一政府を生み出すことであると嘘をついて、、彼は・・・美術、文学、教育、さらにはさまざまな科学、財政、産業の分 野でもっとも聡明な人々を含む・・・2000人ほどの信奉者を集めた。そしてその後、大東社ロッジを創設すると、それを秘密本部とした。

ヴァウスハウプトの改訂版「プロトコール」は、以下のことがらを行ってその目的の実現に貢献するようイルミナティーに求めた。

① あらゆる政府および人間社会のすべての分 野において、すでに高い地位を占めている人々を支配するために、金とセックスで彼らを買収すること。イルミナティーの嘘、ペテン、誘惑に一度でもひっか かったら、要人は政治のみならずさまざまな面で恐喝され、経済的破滅あるいは世間への醜聞の公表、さらには本人への肉体的危害、殺害にとどまらず、愛する 者への危害さえほのめかされ、身動きのとれない状況に追い込められた。

② カレッジならびに大学職員のイルミナティーは、類稀な知的能力を持った学生に、国際性の強い名門一族の配下で国際主義の専門訓練を受けるよう勧めること。

この訓練は選ばれた学生に奨学金を認めて提供され、学生たちは世界単一政府だけが戦争や苦難の再発に終止符が打てるという見解を受け入れるよう教育、洗脳された。

③ ワナに陥ってイルミナティーの支配下に置 かれた要人、専門教育および訓練を受けた学生を代理人として利用し、あらゆる政府を陰で操る「専門家」として配し、長い目で見れば、単一世界主義者の秘密 計画に貢献し、その国家政府および宗教の最終支配を引き起こすような政策を上層行政部に助言させること。

④ イルミナティーは新聞および大衆に情報を伝達する諸機関の支配権を得ること。ニュースおよび情報は、世界単一政府こそ私たちの諸問題への解決策であるとゴイムが信じるよう歪めなければならない。

18世紀末、英国とフランスは二大勢力だったから、ヴァウスハウプトはイルミナティーに命じて英国を弱体化させるために植民地戦争を誘発し、フランスを弱体化させるためにフランス革命を立案した。フランス革命が1789年に開始されることは彼によって定められた。

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行動する右翼諸君。結論に入ろう。

君たちのホームページを眺めさせてもらったが、思想の貧困、理論の欠如にあきれ果てた。この点では私も元教師として、このような歴史に無知な若者を育てた自分の教育を反省しなければならない。

戦前の右翼思想家の著作をもっと勉強しなさい。右翼を自認するのであれば、若干30歳で刑死を遂げた吉田松陰先生の生涯と思想は諸君の必読書であるはずである。

吉田松陰先生はペリーの来航を知って1854年に伊豆の下田港に停泊中のポーハタン号に乗船して密航を訴えるが拒否され、当時密航を禁止していた江戸幕府に逮捕される前に自首して、伝馬町の牢屋敷に幽閉された。(吉田松陰 - Wikipedia) 

この時の松陰先生の勇気ある行動を記念して踏海の朝碑が下田市の弁天島公園に立てられている。

吉田松陰:踏海の朝碑

松陰先生はこの後、長州(山口県)の野山獄に移されて1855年まで幽囚される。野山獄に投獄された松陰は、獄中で囚人達を相手に「孟子」の講義を始める。右翼の諸君がよくスローガンに掲げる草莽崛起(そうもうくっき)は、松陰先生が孟子の言葉の中にある草莽(草木の間に潜む隠者)を「在野の人」と解釈して「在野の人よ、立ち上がれ」という檄文に使ったのが最初であるとされる。

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草莽崛起

「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。

安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて書いた書状の中で

「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて用いた。

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松陰先生は1855年に出獄した後、1859年に江戸で処刑されて30歳(満29歳)で生涯を終えるまで、萩の松下村塾で後進の指導を行った。この塾の史跡とその記録は今も山口県萩に記念されているから、ぜひ訪ねてほしい。

私が、松下村塾の記念館を訪れて感銘を受けた点は、この塾では時代に先がけて四民平等を方針に士族も町民も農民も対等に教育し、テキストには四書五経を用いていたことにある。大きな激変の中で幕藩体制の思想的な基盤であった論語や孟子などの古典を深く学ぶことの意義を見通していた松陰先生の卓見には改めて脱帽する思いを感じた。

行動する右翼諸君!行動する前によく学んで深く考えてほしい。

日韓関係は君たちが考えるほど単純ではない。竹島問題は、戦争を起こすために世界の裏側で人類をコントロールしている連中が仕掛けたワナだ!中国や韓国で反日教育を行って反日デモをあおり、日本国内では狭い愛国心をあおって反韓反中運動を広げようとたくらんでいる。戦争を待望する世論を広げながら、原発を再稼働して日本を核武装に持っていくシナリオだ。

行動する諸君。君たちは世界核戦争を計画している連中にだまされて利用されているだけなのだ。頭を冷やして勉強してから「行動」するならしなさい。せめて「廃炉」の漢字が読めるくらいに・・

☆F★

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関連記事

行動する右翼の諸君へ 1:脱原発は日本国民の悲願である

行動する右翼の諸君へ 2:戦争は紛争を本当に解決するか?

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私は人生の半分を高校教師とすごし、その半分は日教組(全教)の活動家として教育研究活動を中心にして活動してきた。受験偏差値一辺倒で過ごした自分の学生時代に代わる楽しくはりあいのある学生生活を生徒にすごしてほしいと願って仕事に没頭してきたと自負している。

しかし、組合幹部が校長・教頭になって組合を手先に使いながら、組合の作った学校づくり方針を捨てて、他大文系クラス・特進クラス設置に突き進んでいく姿に絶望して、組合を離脱するに至った。それは振り返ってみると、民主党マニュフェストを反故にして、消費増税とTPP加盟に突き進んでいった管直人・野田佳彦政権の姿とそっくりに重なり合って思い起こされる。

今、教師を自主退職して、本当に言いたいことを言いたいようにブログに書ける自由を味わっている。このブログは教師時代の終わりに作り始めたものだが、当時の勤務校では共産党系の組合が支配していたために、元校長のNに校長室に呼ばれて「親が見て苦情を言っている」と注意を受けたのが次の記事である。

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敗戦記念日に (2006年8月15日)

今は亡き祖父母・父上の御霊に尊敬と感謝の気持ちを込めて哀悼を捧げます。思えば祖父殿は支那で満州鉄道建設に尽力され支那近代化に大きく貢献されました。貴殿の尽力された満州国建設は決して共産中国の言う侵略戦争ではなくアジア諸国を近代化し共同体を建設しようとするすぐれた理念の実践でありました。

亡き父上は当時の上海にあった東亜同文書院に学ばれ、陸軍に参加してビルマを初め東南アジアで英米植民地主義勢力と勇敢に戦われました。結果として敗戦とはなりましたが、当時の皆様のご努力は今でもアジア各地に残り感謝を捧げる人々が少なくありません。

今後、教師として正しい歴史認識を伝える決意を誓うと共に重ねて皆様への感謝と哀悼を申し述べてご挨拶とします。

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当時の私は組合を離れた後、自分の思想的な根拠を探す試行錯誤を続けていた。8月15日に机の前でボーッとしていて、急に内側からこみあげてきたのがこの記事であった。父も母もすでに他界しているが、父母だけではなく戦争に自分を捧げた祖先のすべてに感謝することを学校は教えるべきではないかとこの頃から考え始めていた。

私たちの祖先が勇敢に戦った大東亜戦争は決して戦後の学校教育が教えたような「侵略戦争」ではなく、欧米列強の占領支配下に置かれ奴隷支配されていたアジアの同胞を解放して、資源封鎖で窮地に置かれた祖国を防衛するための尊い戦いであったことは、これまでの研究でも自信を持って断言できる。

行動する右翼諸君!ここで問題だ。

敗戦後の日本を占領した連合軍司令部は大日本帝国憲法を作り変えて、主権者を天皇から国民に改め、戦争を放棄する条項を加えた新憲法を公布するよう指針を示した。押し付けられたと言い換えることもできる。それでは、憲法9条は国家の自衛権を否定するアメリカユダヤ勢力の陰謀であり、解釈改憲で他国の領土での戦争に参加できるようにすることが正しいのだろうか?

 

☆F★

 



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今回の君たちの経産省前テント襲撃行動は脱原発派市民だけではなく、日本の未来を憂うる真の愛国者も心を痛める残念な事件であった。

諸君が、自分たちの主張を社会に受け入れてほしいと願うのであれば、なぜ原発の廃止が誤りであり、なぜ在日韓国人との間で紛争を起こす火種を作る必要があるのかを、根拠を示して納得のいくように説明する努力が必要である。その努力をせずに、「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」などというプラカードを掲げたり、「テント村のテントに上がって落ちてしまい中のものが壊れる」(せと弘幸BLOG)などという行動を軽はずみに行って、一体どれほどの国民が君たちの活動を支持すると思うのか?

もし君たちが脱原発運動自体を否定しようとするつもりなら、3・11以降の脱原発市民運動がどのように始まり、どのように各地で展開していったかを研究してほしい。それは、決して脱原発=左翼=売国奴などという単純な図式で割り切れる市民運動ではないのである。

3・11直後の日本は史上初めて体験する原発事故の発生にどのように対処すべきかをめぐって混乱状態に置かれていた。その中で、とりわけ、「世界一危険な原発」と呼ばれる浜岡原発の即時停止を訴えて立ち上がった静岡の若者たちの勇気ある行動は全国に反響を及ぼしたと言える。

浜岡原発はこの後に管直人元首相の指示で停止処置をされているが、まだ再稼働をめぐって静岡県内でも訴訟と市民活動が継続している。この時にパレードを主催した若者たちと懇談する機会があったが、「事故以前は浜岡に原発があることにすら気づかなかった」と語っていた。浜岡原発は福島原発とほぼ同時期に建設されて、同じ構造上の欠陥があることがわかっている。つまり、東海地震が発生した場合は同じ事故を繰り返す危険性が残されている。

経産省前のテント村の発端は私の記憶する限りでは、2011年9月に4人の若者が行ったハンガーストライキだった。

この時の若者たちの無事を見守るように高年者のテントが遠くに建てられていた。このテントがおそらく経産省前テント村の始まりだったと思う。

脱原発市民運動は政党や労働組合が始めた運動ではなく、無名の市民たちが寄り添うようにして声を国会に届けようとする試みを原点にする歴史的なイベントであることを理解してほしいと思う。

菜の花パレードの若者が「左翼も右翼もわからない」と語っていたように、私たちは思想やイデオロギーでくくることのできる運動ではなく、祖国の自然と子供たちの未来を守るために心を1つにしてマーチを続けている市民の集合体なのだ。

さらになぜ原発がこれほど日本に建設されたかも知っておいてほしい。戦後、日本全国には54基の原発が建設されたのはアメリカ政府の要請によるものだ。そのすべてが現在停止していて、電力は全く不足していない。つまり、最初から必要の無い原発をわざわざ地震国日本の海岸上に建設し続けた政治的な理由があると考える他はないのだ。

ここでは、詳しい解説を省くが、次の動画を見てもらえば、その答えはおのずから明らかになるだろう。

 

君たち、行動する右翼諸君が考えている以上に原発問題の根は深い。君たちが主張する竹島問題を始めとする領土問題や北朝鮮拉致問題、歴史教科書と従軍慰安婦問題だけではなく、未解決の終戦処理問題が今の日本に山積みされていることは確かだ。なぜこれほどの未解決の問題が残されているのかも考えてほしい。この続きは、また明日話すことにする。

☆F★

 



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新しい教育の創造に向かう前に戦後日本の「教育」の歩みを振り返ってみたい。

<戦後教育を取巻く歴史>より

【1945年08月15日】(終戦)
・日本の戦後教育は「国のために命を捧げることを教えた軍国主義教育」への反省から出発

【1947年】
(教育基本法制定、日教組設立)
・戦後教育の理念「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」が謳われている。
・これを受けて、初めての学習指導要領が「試案」として発表され「児童生徒が自らの興味、関心をのばす教育の大切さ」が強調されている。


戦後の日本の変化は、まさに革命といえるものでした。「民主主義革命」です。一般に、政治や社会の永続する革命は現地の社会の中から、すなわち「下から」生まれてきます。
 
しかし、日本の戦後は連合国の占領・軍事的な支配による「上からの革命」として出発しました。これは世界史的にも異例でした。GHQはまず、45年10月4日、思想・言論規制法規の撤廃と政治犯の釈放を指令しました。自由で民主的な社会を建設するためには、思想や表現の自由がまずもって保障されなければならないことを物語っています。この権利は「下からの革命」の要石です。次いで同月11日、憲法改正を示唆するとともに、労働組合の助長、婦人解放、教育自由化などのいわゆる「5大改革」を指示しました。12月には、末弘厳太郎座長の委員会の諮問に基づき、労働組合法が制定されました。

その結果、45年から46年にかけて労働組合が急速に結成されました。46年8月には社会党の指導下にあった日本労働組合総同盟(組合員数86万人)と共産党系の産別会議(全日本産業別労働組合会議)(組合員数157万人)が創立されました。産別会議は、同年8,9月には国鉄(JRの前身)や海員の組合が首切り反対闘争を行い、10月には電産、新聞、通信、石炭などの組合の労働争議が始まりました。尤も、争議による作業量の損失はそれまでは1%以内に止まるものでした。労働組合は、12月には、生活を守るためには政治闘争が必要だとして、吉田茂内閣打倒を掲げ50万人を集めて国民大会を皇居前広場で開催しました。

法学館憲法研究所

この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買いかぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。
この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。

これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。

それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。

3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけです。共産国だとどうなったかしれません。

5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。警察も国家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。

それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨励ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。

アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策

【1950年】
(朝鮮戦争勃発・・・・東西両陣営の対立)
・GHQによる民主化政策は後退し、アメリカは日本に自衛と愛国心の教育を促す。
・文部省は教育委員会任命制と勤務評定(教師の勤務実績や能力を評価する)を実施、国の政策が教育現場に反映されるようになる。

【1952年】
(日教組が「教師の倫理要綱」を決定)
・「教育の自由の侵害をゆるさない」「教師は労働者である」「教師は団結する」など10項目からなる。

【1957年】
(ソビエトが人工衛星スプートニクの打ち上げに成功)
・戦後復興をある程度成し遂げ、産業、工業国家として成長しようと経済界の発言力が増す。

【1958年】
(学習指導案改訂「告示」)
・経験を重視した教育から、教科ごとに体系化された知識を教える教育へ。

【1960年】
(池田勇人が総理大臣就任・・・・「所得倍増計画」)
・日本の経済は急速に発展、経済発展を支える人的能力の育成を掲げる
・全国一斉学力テスト(66年に廃止)・・・・業者テストによる学力評価が定着していく。

【1964年】
(東京オリンピック開催)
・先進国の仲間入り、大企業を中心とした企業社会へ。
・「いい学校を出て、一流企業に就職することが人生の幸福だ」という考えが浸透する。
・学歴社会の形成、偏差値の導入、受験戦争の激化。


Q:教育評価について関心を持つきっかけはどのようなことでしたか?

A: 私は,教員養成系の大学の出身ではないので、専門的に教育評価論や教育指導法を学んで来たわけではありません。ですから、教育評価に関心を持って「偏差値」(注)を考えた訳ではなく、偏差値を追いかけている間に、いつの間にか、教育評価学が座右に来てしまったのです。日本の教育評価の思想は、主に戦後、アメリカから移入されたものでした。昭和2 1 年、アメリカからやってきたG H Q - C I E(連合局最高総司令官総司令部民間情報教育局)の教育審議官は、教育評価活動が行われていない日本の教育に驚いたようです。

アメリカでは2 0 世紀の初め、心理学者のソーンダイク(E .L .T h o r n d i k e)が「教育測定運動」〈客観式の標準テスト問題を用いて学力を測定評価する運動〉を大々的に展開しました。日本にも1 9 3 0 年頃、こうした運動が芽生えましたが、伝統的で権威的な日本の教育土壌には不向きだったようで、根付くまでには至りませ
んでした。それまでの日本の教育は、中学から大学までテストは「試験」と呼ばれる論述式で、評価は担当の先生が結果を見て「よし」と判断したら合格、「駄目」と判断したら不合格になるといういわゆる「絶対評価」をやっていました。つまり、私が偏差値利用を考えだすまで、教育現場にはテストの得点の教育的意味や価値、評価のあり方などに関心を抱く教員はほとんどいなかったということです。

日本の教育現場に「論理的統計学的な考え方」が取り入れられるようになったのは、戦後の教育改革に伴い「相対評価」という児童生徒の学力評価の仕方が導入されてからです。それは「平均的な人の学力と比べて、どれくらい優れているか、劣っているかを5段階で表示する」というご存じの評価方法です。しかし当時、学校では指導要録や通信簿などの文書の記入以外では、「相対評価」を利用していませんでした。

つまり、試験をやり,順位を付け、それを学力の指標として指導に当たるという、戦前来の方法とあまり変わらない学力評価が行われていたということです。

偏差値の生みの親・桑田昭三氏へのインタービュー(PDF)

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敗戦後のアメリカ占領軍による日本破壊戦略は、戦後に始まるわけではない。GHQの背後にあったのと同じ勢力がフランシスコ・ザビエルの来日以来、着々と計画して進めてきた陰謀であった。

イグナチウス・ロヨラの親密な友人の一人で、イエズス会の創始者は、フランシスコ・ザビエルと呼ばれました。彼はロヨラのようにスペイン人宣教師でした。彼らは、パリの大学で同じ部屋に住み、イエズス会のザビエルの後に続いて、「キリスト教のメッセージを伝えるため」広く旅しました。

ザビエルは、1542年、アジアへの伝道に向けてのイエズス会士としてロヨラによって選ばれ、ポルトガルの彼の基盤を去り、1549年8月15日の日本到着の前に、インド、マレーシア、スパイス諸島へ向かいました。彼はロヨラに手紙を書きました。

「私は良き権威者から、中国の近くに日本と呼ばれる国があるのを知りました。その居住者は無宗教で、イスラム教またはユダヤ教にもまったく触れておらず、聖なるものと自然なもの両方を学びたいと強く望んでいます。私は、できる限りすぐにそこへ行くことを決めました。」

それがイルミナティの日本支配「奮闘」と、日本の独自性をのちに西洋化と呼ばれる画一的な奴隷状態に吸収する始まりでした。その計画の完成に何世紀もかかるでしょうが、確かに今、日本に実在しています。

宗教、教育、戦争、そして西洋化、いかにイルミナティは東洋を征服したのか?

故太田龍氏は船井幸雄氏との対談でこう語っている。

私は、フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が1549年に日本に来て以降、一貫してユダヤ・イルミナティの日本に対する戦争は継続していると考えています。フランシスコ・ザビエルというのはイエズス会の創立メンバーの一人で、イグナティウス・デ・ロヨラ(1491~1556)につぐナンバー・ツーです。ザビエルとロヨラが2人で相談して、ヨーロッパとアフリカと新大陸はロヨラが、インド以東アジアはザビエルが布教するというふうに協定したのです。・・・そのとき以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。つまり、精神的に日本を日本人でないようにするための方針、アジアに対しては武力による侵略を行使するという方針を立てます。最終的に、米軍が日本を占領して原爆を投下して、恐怖に陥れるわけです。アメリカや西洋の文化を押し付け、日本の歴史を否定し、頭脳を変えてしまいました。

いまでもこの方針は続いています。精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物などすべてにわたって日本的なものを全部変えてしまうわけです。そして抵抗するものは排除します。そういうふうにして日本に対する一貫した工作が行なわれているということを、日本人は知らなければならないと思うのです。
 
日本人が知らない「人類支配者」の正体  

日本人を闇の勢力がコントロールしやすいように作り変えることに、戦後「教育」の隠された「目的」があった。そのためには、与えられる「知識」に疑問を持たず、スピーディーに吸収する能力によって選別を行うために、それを「科学的」に測定する基準を開発する必要があった。

戦前に権威を持った「旧帝大」に代わって、もてはやされるようになった「偏差値の高い」学校とは闇の勢力が自分たちに代わって国民をコントロールする部下の養成機関なのである。

「受験体制」とは、「偏差値ランキング」などというわけのわからない序列の中に日本人を組み込んで、ランキング上位大学の出身者が権威を持つように仕組んだ心理的なトリックなのである。

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VIDEOこれが日教組教育だ!?

上の動画の投稿者はこのように説明を加えておられる。

軍国主義の理念と利害 sm9266839

こんな授業を1時間もやられたら、たまったもんじゃないな・・。
トンスル左翼論者の特徴
①当時の世界状況について、ほとんど触れない
②欧米の植民地化政策について触れない
③日本が悪かったの結論づけの為に、話をすすめる
④悪意のある極端な日本語の解釈
⑤一級資料を元に話をすすめない
その他色々あると思いますが、みんなも騙されないようにね。


敗戦後の日本で行われた「歴史教育」とは、戦勝国による占領政策を美化・正当化するためにねつ造された歴史認識の強制に他ならない。さらに、日教組(全教)の組合員教師は占領軍に押しつけられた自虐史観にマルクス主義の階級闘争史観をつけ加えて教えることになった。60年代ー70年代当時のアメリカー(旧)ソビエトの冷戦構造と朝鮮戦争・ベトナム戦争を社会背景として、社会主義を理想視する傾向がマスコミと出版物によって助長されると共に、公然と教室で「教え」られる傾向が強まっていった。

全共闘 東大安田講堂事件 - 1969 を始めとする学園紛争のルーツに日教組の教育があったことはまちがいがない。それは、60年安保闘争が社共指導部の裏切りによって革命未遂に終わったとする新左翼理論によって導かれると共に、「スチューデントパワー」を天まで持ち上げて若者を煽ったマスコミを使って闇の勢力が意図的に作り出した混乱だったのである。

機動隊の導入によって「暴力学生」を「沈静化」するシナリオがねらいとしたものが何かが、今明らかになろうとしている。

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Where there is a will, there is a way.

授業を再開するにあたり、まずこの言葉を君たちの心に刻みたい。これは、以前の勤務校のラグビー部監督の口癖だった。運動施設に恵まれない東京のチームを全国優勝に導いた監督が、不利な条件を逆にバネにするように自分自身と生徒を発奮させようとして言い続けた言葉だったのだと思う。
自分の将来を真剣に切り開こうとして受験勉強にこれからチャレンジする君たちをサポートするために、私は教壇に戻ってきた。実業高校で英語の時間数が少ないという困難を克服して自分の夢を実現するために努力を継続してほしい・・・という願いをこめて、この言葉を始めに贈りたい。ノートの最初のページに書きとめておいてほしい。
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真実を他の人に説得しようとしてもできるものではありません。もしその真実が本当に確かなものであるなら、それは無理に知らせようとしなくても、自ずから明らかになるものです。人々が自分の思い違いに気づいた時に、正しい認識の仕方を示してあげればよいのです。
It is not necessary for you to try to convince someone else of the truth. When a truth is absolute, its own reality will speak for itself, and will not need any demonstration. Sometimes you wish to help people in seeing their errors, and show them the best way.
あなたが、他の人が災いに陥らないように気づかうのは立派な心がけです。でも、どの道を歩むかはそれぞれの人の自由選択なのです。このようにして(自分の選んだ経験を通して)人々は教訓を学んでいくのです。生活そのものが人を教育していると言いかえてもよいでしょう。
“However, even when wishing to keep someone from suffering is noble, it is not really possible to avoid the experiences they need to live. It is everyone’s individual decision as to the road they will follow. When something is learnt this way, it is never forgotten, due to the emotional and experiential load that comes from learning something by living it.
ですから、(たとえあなたの知る真実とは違っていても)人々が自分の信じている信念や理論を語る時にはじっと耳を傾けていなさい。 ときどき、質問をして考えさせてあげてください。そうすれば、真実が人々の心にひらめくでしょう。自分の判断を加えずにそれを聞いてください。聞いている間、答えに誘導しようとしてはいけません。その人が語っている言葉に含まれている真実を聞き逃さずにくり返して認めてあげればよいのです。
“So, let others talk to you about their beliefs and their theories. Pose questions that force them to think, and evaluate, so the truth will start to illuminate their hearts. Learn to listen without judgment. Pay attention without trying to formulate an answer while you are listening. Also, never forget to show the truth contained in the ideas of others.”
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3年間の高校生活を終えて巣立つ君たちは、港から海に向かう船乗りたちのようだ。港に残る私たち教師は、さしずめ船乗りを育てるインストラクターといったところか・・
先生は君たちに教える立場にあるが、教えようとすることを通してずいぶん多くのことを学ぶことができたことを感謝している。自分が高校時代にしないできたことを教師として体験できたことがその最大の学びだった。そのひとつにクラブ活動がある。10年前に男子ソフトボール部の監督になったが、自分自身野球はおろか、運動部の経験がまったくなかったために、30番のユニフォームを着てベンチに座っていても何をしたらよいのかわからない始末だった。でもやっているうちにだんだんコツが飲み込めてきて選手交代と打ち合わせのタイミングや選手への声のかけかたがスムーズにできるようになってきた。やっと最近になってわかったことは、野球は攻めることが基本だが、ソフトボールは守ることが基本であるということだ。だから、ソフトボールのバッティングは転がす、たたくことがヒットになる。練習も守備練習が中心になる。
何よりクラブ顧問をして学んだことは、グランドでは偏差値は関係ないということだ。うちの生徒たちが、東大進学を誇る高校の生徒たちや私大の雄を誇る大学の付属高校の生徒たちと互角に戦う姿を見て、先生は本当に誇らしく感じてきた。着ているユニフォームが違うだけで、みな同じ高校生なのだと実感できるようになったことは、教師としての大きな成長だったと思う。
君たちが3年間の経験をもとに、これからの人生を充実した豊かな日々として生きることを願っている。そして最後に言いたいことは、高校を卒業してもその後の人生こそが君たちの学校であり、学びが終わることはないのだということだ。先生が現在まで学び続けているように君たちも自分の人生から学び続けてほしい。

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国際基督教大学(ICU)の創設にあたり、財団の名誉理事長として尽力した。戦後の民主化政策とあいまって、アメリカ型の高等教育機関であるリベラルアーツ・カレッジを設置することにより、共産主義勢力への戦略的牽制を図ろうとしたと考えられる。
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880年1月26日 - 1964年4月5日)
教授陣は全員がクリスチャンコードを持ち、「神と人に奉仕する」人材の育成を建学の精神とする。当時左翼系の教授がアカデミズムの主流を占めた日本の大学の中でアメリカの大学で教えている構造言語学・カウンセリング理論・実験社会心理学・行動主義心理学などをフルブライト留学などでアメリカに留学して学位を取得された先生方が講じられていた。もともとはICUファミリーと呼ばれる家族的な少人数の大学であったが、ベトナム戦争中の不幸な数年間の紛争の後はなごやかな雰囲気は失われていた(今は知らないが)。全国で初めて機動隊を導入して紛争の解決を行った大学でもあった。
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私が教師になるまで 1

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1945年日本が敗戦し無条件降伏をして調印を強いられたのがポツダム宣言である。宣言の骨子は下記のとおりである。(ポツダム宣言

日本軍の無条件降伏、及び日本国政府によるその保障(十三条)
カイロ宣言の履行(八条)
領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定(八条)
戦争犯罪人の処罰(十条)
日本を世界征服へと導いた勢力の除去(六条)
ポツダム宣言(翻訳)全文

その後に続く占領政策の基本は3R、5D、3S政策であった。中心的な眼目は天皇を中心にして国民全体が一つになって協力する伝統を廃絶し、日本男子の特質である武士道精神を骨抜きにして、再び自分たちに歯向かう事のできない国家に改造することであった。その先兵を務めたのが自称「平和」勢力である。国家間が緊張して紛争が生じた場合、国家は紛争解決の手段として軍事行使を行う権利を有することは国際法で認められている。彼らが学校教育で愛国心を重視することに強く反対するのは日本が自己防衛力を備えた真の独立国家として国際的な影響力を持つようになるのを阻止したいからなのである。
伝統的国際法においては、戦争は国家の権利であったが、現代国際法においては武力行使の禁止に伴い、戦争そのものが禁止されている。具体的には,1928年の不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)および国連憲章2条4項により、武力行使は違法化されたが、以下の場合を除く。
1 自衛の場合(同51条)。
2 安全保障理事会において認定された「国際社会の平和と秩序への脅威」に対する強制行動(第七章)
3 地域的取極や地域的安全保障枠組みにおける強制行動(第八章)。
Wikipedia
参照
アメリカの占領政策
マッカーサーの爆弾発言
大東亜戦争フラッシュ
マッカーサーが作った大学
憲法9条改正問題
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アメリカ人は星条旗の前で敬礼し「星条旗よ永遠なれ」を歌う。フランス人は誇りを持ってラ・マルセイユーズを歌う。世界中で愛国心が悪いことのようにされたのは日本だけである。自分の祖国に高いプライドを持って堂々と国歌を歌おうではないか。
卒業式当日にまでプロパガンダを行う最低人間の集まり。


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本年は、中東戦争の泥沼化・北朝鮮のミサイル発射、核実験という世界情勢の緊張の中で発足した安部政権が教育基本法を改正して戦後日本の本格的なリフォームに着手した年であった。国内では社会格差の拡大に伴う失業者の増加と家庭崩壊の進行が加速した。現在の状況が求めているものは日本人がこころの原点にもどり、本来の日本文化と伝統の価値を見直すことから再出発を図ることであると考える。教育現場においては、秩序の再構築と学校の正常化を行うことが第一である。生徒数の確保・受験実績などは、教育の充実にともなって表れる二義的な問題であり、HRと授業の確立こそが、教師のとりくむべき課題であることを胸に刻んで、困難な新年度に向かいたい。生徒諸君の学習と諸活動への真剣な取り組みを期待し、保護者各ご家庭の幸せを願いつつ、平成18年度の結びとする。
来るべき年が日本と世界全体にとっても明るい未来への飛躍の準備の年であることを願いつつ・・・

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英語Ⅰと英文法のファイルの更新を完了した。Furuya's Room が混んでいてファイルが開かない場合は下からアクセスしてみてほしい。
英語Ⅰ
英文法


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