ふるやの森

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闇の世界史 1:近代イルミナティーの成立

2013-04-27 13:05:04 | 闇の世界史

闇の世界史―教科書が絶対に教えないより抜粋

1784年、「神の御技」 によって継続中のサタンの陰謀が存在している証拠がバヴァリア政府に与えられた。教会法の教授で、かつてイエズス会士に教育されたアダム・ヴァイスハウプトは、インゴルシュタット大学で教えるかたわら、キリスト教思想を離れ、サタンのイデオロギーに帰依した。1770年になると(ロスチャイルド商会を設立したばかりの)金貸し業者がヴァウスハウプトを雇い、サタンのシナゴーグに世界の最終支配権を与えて社会支配権を与えて社会変革を起こしてのち、サタン的独裁支配を実施してサタンのイデオロギーを自らの民族以外のすべての人々に課すことを目論んだ大昔の「プロトコール」を時代にふさわしいものに改定させた。この仕事をヴァウスハウプトは1776年5月1日に完成させた。

この計画は現存する政府および宗教すべての破壊を求めた。そのためにはヴァウスハウプトがゴイム(家畜のような人間)と呼ぶところの増加し続ける大衆を、政治的、人種的、社会的、経済的問題などに関して分立させなければならなかった。そうすれば、彼らに武器をとらせることも、「事件」を誘発して互いに戦わせ、国家政府およびその宗教機関を破壊させつつ、彼らを弱体化させることも可能となるからだった。

1776年、ヴァウスハウプトはイルミナティーを組織して目論見を実行に移した。イルミナティーという言葉はサタンに由来し、「光を掲げるもの」を意味している。その目的は知的能力を実証された人々が世界を治められるよう、」世界単一政府を生み出すことであると嘘をついて、、彼は・・・美術、文学、教育、さらにはさまざまな科学、財政、産業の分野でもっとも聡明な人々を含む・・・2000人ほどの信奉者を集めた。そしてその後、大東社ロッジを創設すると、それを秘密本部とした。

ヴァウスハウプトの改訂版「プロトコール」は、以下のことがらを行ってその目的の実現に貢献するようイルミナティーに求めた。

① あらゆる政府および人間社会のすべての分野において、すでに高い地位を占めている人々を支配するために、金とセックスで彼らを買収すること。イルミナティーの嘘、ペテン、誘惑に一度でもひっかかったら、要人は政治のみならずさまざまな面で恐喝され、経済的破滅あるいは世間への醜聞の公表、さらには本人への肉体的危害、殺害にとどまらず、愛する者への危害さえほのめかされ、身動きのとれない状況に追い込められた。

② カレッジならびに大学職員のイルミナティーは、類稀な知的能力を持った学生に、国際性の強い名門一族の配下で国際主義の専門訓練を受けるよう勧めること。

この訓練は選ばれた学生に奨学金を認めて提供され、学生たちは世界単一政府だけが戦争や苦難の再発に終止符が打てるという見解を受け入れるよう教育、洗脳された。

③ ワナに陥ってイルミナティーの支配下に置かれた要人、専門教育および訓練を受けた学生を代理人として利用し、あらゆる政府を陰で操る「専門家」として配し、長い目で見れば、単一世界主義者の秘密計画に貢献し、その国家政府および宗教の最終支配を引き起こすような政策を上層行政部に助言させること。

④ イルミナティーは新聞および大衆に情報を伝達する諸機関の支配権を得ること。ニュースおよび情報は、世界単一政府こそ私たちの諸問題への解決策であるとゴイムが信じるよう歪めなければならない。

18世紀末、英国とフランスは二大勢力だったから、ヴァウスハウプトはイルミナティーに命じて英国を弱体化させるために植民地戦争を誘発し、フランスを弱体化させるためにフランス革命を立案した。フランス革命が1789年に開始されることは彼によって定められた。

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参照 

アダム・ヴァイスハオプト

 バイエルン王国1776年に、インゴルシュタット大学英語版実践哲学教授アダム・ヴァイスハオプト英語版啓蒙主義的な Perfektibilismus(人類の倫理的完成可能説)を謳い、Perfektibilisten の同盟をつくり、のちに、イルミナティと改名した。原始共産主義を志向する側面と、内部の位階制の側面が同居している。ヴァイスハオプトからのキリスト教批判はあるが、それは倫理的完成へと向けるもので、他教への転向などを訴えるものではなく、ユダヤへの関連で語ってはいない。最盛期には各国に支部が置かれ、会員は貴族大富豪政治家インテリなど2,000人に及んだという。1777年、ヴァイスハオプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。 

通説では1784年にバイエルン王国がフリーメイソンリー、イルミナティを含むすべての秘密結社を禁止するまで続いた。1785年ローマ教皇ピウス六世はイルミナティがカトリックの教義になじまないと明言し、異端とされて、結社としての活動は1785年に終わった。

ウイキペディア:イルミナティより転載 

バイエルン王国

10/14/2000 作成
01/14/2001 現在

ここでは、ドイツの歴史ではなく、あえてバイエルン王国の歴史として
まとめてみました。
1117年オットーⅠ世に始まる「ヴィッテルスバッハ家」は
1806年バイエルン王国となりました。
その後1918年ルトウィック(ルードヴィヒ)Ⅲ世
が退位するまでの間、6代に亘って王国として存在しました。


 歴史           

時代・年代 バイエルンの出来事 バイエルン王家
962年 正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と言う(第一帝国とも言う) ドイツ人というのは存在せず、プロイセン人、ザクセン人、バイエルン人という形であった。
12世紀 公国として存在する バイエルンの ヴィッテルスバッハ家 
オーストリアの ハプスブルグ家
プロイセンの ホーエンツォレルン家 
以上、当時の御三家
1516年 ビール純粋令公布 ウィルヘルムⅣ世
1589年 ホーフブロイハウスミュンヘンに創設 ウィルヘルムⅤ世
17世紀 「ドイツ帝国」とも呼ばれたが、300もの領邦国家(13世紀以降ドイツ連邦を構成した地方国家で、高級貴族が支配領域を領邦にまとめ上げ、領邦君主(ユンカー)として君臨した。)
名目上の皇帝は、ハプスブルグ家
 
1806年 バイエルン王国初代国王 マクシミリアンヨーゼフⅠ世
1810年 ルトウィック(ルードヴィヒ)皇太子結婚(オクトーバーフェストの始まり)  
1825年 バイエルン王国2代国王 ルトウィック(ルードヴィヒ)Ⅰ世即位
  バイエルン・ビアガルテン法施行  
1848年 バイエルン王国3代国王 マクシミリアンⅡ世即位
1864年 バイエルン王国4代国王 ルトウィック(ルードヴィヒ)Ⅱ世即位
メルヘン王・狂王により国家財政圧迫
1871年 ドイツ帝国の1州となる プロイセン主導でドイツ統一(ビスマルク)
1886年 バイエルン王国5代国王 オットーⅠ世即位
1912年 バイエルン王国6代国王 ルトウィック(ルードヴィヒ)Ⅲ世即位
1918年 王国としての存在は、この年まで ルトウィック(ルードヴィヒ)Ⅲ世退位
     
参考HP「系図の迷宮



地理
現在のドイツ   バイエルン州

(これで分かるように、ブルクレンゲンフェルト市は、オーバープファルツに
属しています。)

     

バイエルン王国はドイツ南部に位置し、
現在で言うと、バイエルン自治州とプファルツ州をあわせた地域を統治していました。

山地、丘陵が多く、全面積の3分の1は、森林です。

首都は、宮殿のあったミュンヘンで、現在もバイエルン州の州都です。

 

 バイエルン王国より転載



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