八角形墳である可能性が高い古墳です 撮影日;2011.01.09
3段築成の古墳です
南北に46m、東西前面60m、背面30mの台形の基壇(三段目)の上に30m程度の台形の墳丘下段(二段目)を造り、その上に16mの方形の墳丘を造っています
(一次調査では二段築成の古墳と見られていました)
広大な墓域の造成と斜面に段々に築かれた墳丘は、段ノ塚古墳「現舒明天皇陵」と形態が似ています
前室から榛原石が多数見つかっていることなどから、被葬者は段ノ塚古墳の被葬者と何らかの関係があったのではないかと推測されています
舒明天皇の皇子・古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)の墓ではないかとも考えられています
盗掘と中世墓として再利用されていたため埋葬時の遺物は不明です
羨道埋土や撹乱土の中から鉄釘、鉄鋲、須恵器などが出土しています
花崗岩製横口式石槨(内法:長さ2.24m、幅1.1m、高さ0.9m)
羨道(長さ8.8m、幅1.6~1.9m、高さ1.6m)
築造時期は石槨の構造や出土遺物などから7世紀中頃と見られています
★所在地;高市郡高取町大字寺崎
★交通;近鉄「飛鳥」駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-52-3715(高取町教育委員会 )
3段築成の古墳です
南北に46m、東西前面60m、背面30mの台形の基壇(三段目)の上に30m程度の台形の墳丘下段(二段目)を造り、その上に16mの方形の墳丘を造っています
(一次調査では二段築成の古墳と見られていました)
広大な墓域の造成と斜面に段々に築かれた墳丘は、段ノ塚古墳「現舒明天皇陵」と形態が似ています
前室から榛原石が多数見つかっていることなどから、被葬者は段ノ塚古墳の被葬者と何らかの関係があったのではないかと推測されています
舒明天皇の皇子・古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)の墓ではないかとも考えられています
盗掘と中世墓として再利用されていたため埋葬時の遺物は不明です
羨道埋土や撹乱土の中から鉄釘、鉄鋲、須恵器などが出土しています
花崗岩製横口式石槨(内法:長さ2.24m、幅1.1m、高さ0.9m)
羨道(長さ8.8m、幅1.6~1.9m、高さ1.6m)
築造時期は石槨の構造や出土遺物などから7世紀中頃と見られています
★所在地;高市郡高取町大字寺崎
★交通;近鉄「飛鳥」駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-52-3715(高取町教育委員会 )