今は田圃の中に、塔の土壇を残すだけです 撮影日;2008.8.7
大正10年3月3日に国の史跡に指定されています
浄御原朝から藤原朝にかけて、国家の経営する大寺として雄姿を誇っていたようです
朱鳥元年(686)に天武天皇の病気回復の祈願が行われ、文武天皇の代に九重塔や金堂が完成
塔は方五間、講堂は正面九間、側面四間もある雄大な伽藍で、伽藍配置は法起寺式だったとされます
和銅四年(711)に藤原京とともに焼失
★所在地;高市郡明日香村小山
★交通;近鉄橿原線「畝傍御陵前」駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-54-2001(明日香村役場)
聖徳太子が平群地に建てた熊凝精舎(現額安寺?)を、舒明天皇の代に、百済川べりに移し百済大寺(吉備池廃寺が有力)となります
天武天皇二年(672)に移転して高市大寺となり、大官大寺に改称されました
高市大寺は別の場所にあったとする説も有り、紀寺跡が有力視されています
その後、平城遷都とともに平城京に移り、大安寺と改称されました
礎石は明治時代に橿原神宮の建造の際に運び出されました
参考;大官大寺跡
香久山の真南に有ります
大正10年3月3日に国の史跡に指定されています
浄御原朝から藤原朝にかけて、国家の経営する大寺として雄姿を誇っていたようです
朱鳥元年(686)に天武天皇の病気回復の祈願が行われ、文武天皇の代に九重塔や金堂が完成
塔は方五間、講堂は正面九間、側面四間もある雄大な伽藍で、伽藍配置は法起寺式だったとされます
和銅四年(711)に藤原京とともに焼失
★所在地;高市郡明日香村小山
★交通;近鉄橿原線「畝傍御陵前」駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-54-2001(明日香村役場)
聖徳太子が平群地に建てた熊凝精舎(現額安寺?)を、舒明天皇の代に、百済川べりに移し百済大寺(吉備池廃寺が有力)となります
天武天皇二年(672)に移転して高市大寺となり、大官大寺に改称されました
高市大寺は別の場所にあったとする説も有り、紀寺跡が有力視されています
その後、平城遷都とともに平城京に移り、大安寺と改称されました
礎石は明治時代に橿原神宮の建造の際に運び出されました
参考;大官大寺跡
香久山の真南に有ります