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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

上牧銅鐸出土地

2010年10月20日 | 古跡
上牧銅鐸出土地
 南上牧地区の観音山から出土したと伝えられています 撮影日;2010.10.10

上牧銅鐸 200年ほど前の文化年代に出土したと伝えられます
 製作時期は弥生中期から後期頃(約2000年前)と考えられています
 上牧銅鐸の高さは約29.3cmで小型の部類に入ります
 平成8年に39個の銅鐸が一度に出土した島根県の加茂岩倉遺跡の17号銅鐸と上牧銅鐸はサイズや紋様が一致し、兄弟銅鐸といわれています

★所在地;北葛城郡上牧町(上牧字観音山)高井さね山
★交通;JR香芝駅より徒歩15分
★駐車場;有りません
★問合せ;0745-76-1001(上牧町役場) 

 観音山は現在は「さね山」と呼ばれています


 参考;上牧町のページ

南朝黒木御所跡

2010年07月07日 | 古跡
 天河大弁財天社は南朝ゆかりの地です 撮影日;2010.06.12

 天河大弁財天社のすぐ裏にあり、駐車場の横に遺跡への参道石段があります
 芝生の広場が広がり、供養塔が建てられています

 大きな建物が有ったのでしょうか
 ここでは、宮中さながらの栄華を極めたといわれています
 嘉喜門院集に「天授三年七月七日吉野行宮御楽あり、嘉喜門院琵琶を弾じ天皇和歌を詠ず」としるされています
 天河郷には十三通の綸旨、令旨が下賜され現存しています
 

★所在地;吉野郡天川村坪内
★交通;近鉄下市口駅より バスで「天河弁財天社前」下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-63-0321(天川村役場


 南北朝時代は後醍醐天皇による建武の中興(1333)の3年間と、吉野に都を構えて以降3代の天皇による57年の歴史を数えます
 その3分の2以上の期間は、奥吉野の各地に拠点がおかれました
 天川の郷でも川合地区の河合寺が黒木の御所として、沢原地区の光遍寺、坪内地区の天河大辨財天社も南朝に組しそれぞれ行宮とされました

円楽寺跡

2010年06月12日 | 古跡
 鷹山氏の菩提寺でした 撮影日;2010.5.16

 華厳宗の寺院で、盛時には広大な敷地を有し強い勢力を持っていたようです
 現在跡地には鷹山家とその関係者の墓が並んでいます
 
 五輪塔の多くは、寺の廃絶とともに崩壊したり四散したりしていました
 後世に集めて建て直したものがほとんどだそうです
 最も古いものは明応9年(1500)の鷹山頼栄墓塔です
 貞享3年(1686)の「頼茂大徳 妙悟大姉」墓塔は、東大寺大仏殿を再興した龍松院公慶の両親の墓です

 

★所在地;生駒市高山町3573(高山竹林園内)
★交通;近鉄「学研生駒」駅より 高山行きバスで「上大北」下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;0743-74-1111(生駒市観光協会)



葛神社の氷室跡

2010年06月01日 | 古跡
 古代の『都祁の国』には氷室が多く造られていました 撮影日;2010.4.25

 葛神社の社殿南側に、冬に出来た氷を夏まで貯えておく氷室の跡が2ヶ所残っています

 古代には、冬に田んぼや池に水を張って氷を作り、それを氷室に保存して夏に取り出し、朝廷へ献上する習わしがあったとされています
 『日本書紀』には、窪地の底に厚く茅すすきを敷いて氷を並べ、その上に萱を覆い、窪地の底に厚く茅すすきを敷いて氷を並べ、その上に萱を覆っていたと有ります  

★所在地;奈良市藺生町1番(旧山辺郡都祁村藺生)
★交通;名阪国道「都祁IC」より バスで「並松」下車 徒歩30分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;



二光寺廃寺

2010年05月22日 | 古跡
 飛鳥時代の寺院跡です 撮影日;2010.4.18

 現在は埋め戻され、のどかな畑地です

 直径1m程の礎石が15個発掘され、南北約17m・東西約12mの金堂基壇の遺構と見られています
 二光寺廃寺の存在は古書には一切触れられておらず
 地下に埋もれた未知の寺院です
 近くに北窪古墳群があり、これらの被葬者の建立した寺とも推測されています

 創建時の瓦と見なされるものは、高宮廃寺や朝妻廃寺で出土した瓦と同笵で、複弁蓮華紋軒丸瓦と偏向唐草紋瓦でした
 他に重弧紋軒平瓦や、檜隈寺と同笵の複弁蓮華紋丸瓦も有りました
 屋根瓦の間に、多数の塼仏がはさまれて出土したそうです

 また、高さ3.3cm・直径3.2cmの土製の螺髪も出土しています
 その大きさから、金堂には高さ2mを越える塑像の丈六仏が安置されていたと考えられています

 この寺は、出土遺物から飛鳥時代の7世紀後半に創建されたようです
 自然災害によって平安時代に倒壊し、鎌倉時代には耕作地となったと推定されています 

★所在地;御所市極楽寺・西北窪
★交通;近鉄御所駅より バスで鳥井戸下車 徒歩12分
★駐車場;有りません
★問合せ;0744-24-1101(橿原考古学研究所)

 200mほど北東に極楽寺ヒビキ遺跡が有ります


参考;邪馬台国大研究のページ

旧鶴林寺跡

2010年01月09日 | 古跡
 役行者の伝承地です 撮影日;2009.11.28

 役行者が開いたとも行基菩薩が開いたとも伝えられ、大伽藍があったようです
 もとの山号は、薬師山と呼ばれていました
 生駒寺とも称されていたようです

 織田信長の信貴山焼き討ちによって焼失
 江戸時代に中腹へ移転されました(現在の鶴林寺

 中世以前は鬱蒼とした樹木で覆われて巨岩が露出し、いかにも鬼の住処あるい役行者の伝承が誕生しそうな「薬師の滝」あるいは「八大竜王の滝」附近の霊場です
 
 本尊の薬師如来を模したという、薬師石仏などがあります 

★所在地;生駒市鬼取町
★交通;生駒ケーブル「生駒山上」駅より 徒歩15分
    山頂近くの八大龍王「龍岳院」前にある鳥居から20mほど下ります
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;


 参考;生駒山の鬼と役行者伝承

天誅組本陣遺跡「維新歴史公園」

2010年01月03日 | 古跡
 見晴らしのいい公園です 撮影日;2009.11.08

 幕末の文久3年(1863)8月20日に、天誅組は天辻の富豪・鶴屋治兵衛宅に本陣を置きました
 しかし、9月14日には追討軍の攻撃により放棄
 その後、明治38年10月に天辻小学校が建てられました

 平成16年8月に天辻小学校は廃校処置になり、同地には地域の歴史を振り返る「維新歴史公園」が整備されました

 天誅組本陣遺跡の碑、義烈鶴屋治兵衛翁碑、野崎主計のの辞世の句碑
 「討つ人も 討たるる人も 心せよ 同じ御国の 御民なりせば」等があります

 公園の北側には「天辻延命地蔵尊堂」が有ります
 堂内には2体の地蔵尊が安置されています
 小さい方の地蔵尊は、和歌山県境の堂屋敷に祀られていたもので
 「天辻へ連れて行ってくれ」というお告げでこの地で祀ることになったという話が残っています 

★所在地;五條市大塔町阪本
★交通;道の駅吉野路大塔より 車で5分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-36-0311 (大塔支所 市民生活課)


 参考;五條市のページ

黒木御所跡(谷瀬)

2010年01月02日 | 古跡
 護良親王を匿った仮の御殿跡とされます 撮影日;2009.11.08 

 鎌倉幕府の末期、第96代後醍醐天皇は倒幕を企てますが、計画がもれ隠岐の島に流されました(元弘の変)
 天皇の第三皇子大塔宮護良親王は、難を避けて元弘3年(1333)の秋、しばらく十津川郷に身を潜めます
 この時、竹原八郎をはじめとする十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたそうです
 天皇はその後、倒幕の軍を起こし「建武の中興」を成し遂げます
 3年後再び政権は足利氏にうつり、親王は鎌倉に幽閉され、尊氏の弟直義によって殺害され、28才の生涯を閉じました

 郷民は、明治38年(1905)谷瀬に「黒木御所旧址」の碑を建てました

★所在地;吉野郡十津川村谷瀬
★交通;JR五条駅より バスで「上野地」下車 吊り橋を渡って徒歩2分
★駐車場;有料(普通車500円)
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-62-0001(十津川村役場)

 黒木御所とは、「皮付きの丸木で作られた粗末な仮宮」を指す言葉で、この名の御所は全国各地に点在します



天国の井戸

2009年12月15日 | 古跡
 稲戸の「八坂神社」鳥居に向かって左側にあります 撮影日;2009.10.25

 直刀から湾刀へ変遷していく過渡期に鍛刀された刀、いわゆる日本刀と呼ばれる最初の刀「小烏丸」を鍛刀したのが刀工の祖・天国(あまくに)といわれます
 天国が「小烏丸」の焼き入れ水として使ったのが、この井戸水だと伝えられます

 天国は日本刀剣の祖とされますが、その出身経歴には謎が多く、大宝年間の大和の人とも、平安時代後期の人とも言われます
 諸説あるものの、実在の人物であるかどうかは定かではありません
 天国の作と伝承される作として、平家一門の宝刀として著名な「小烏丸」(皇室御物)がありますが、無銘であり、実際の作者は不明です

 明治41年11月、明治天皇が奈良に行幸され、陸軍特別大演習を耳成山で統監された時
 宇陀郡町村長が刀を奉納する事を決議し、萩原の住人池田重光に刀(小鳥丸)の製作を依頼しています
 重光は昔時「天国」の故事を慕い斎戒沐浴し、この井戸の水で以て刀を力作し名刀を得て、郡は直ちに奉納し嘉納の栄を賜りました 

★所在地;宇陀市菟田野区稲戸609
★交通;近鉄榛原駅より バスで宇賀志下車 徒歩*分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-82-2457(菟田野観光協会)



藤原京の宮門跡

2009年12月01日 | 古跡
 約1km四方の藤原宮の外周は2.7m間隔で柱を立て並べた掘立柱塀(大垣)で、その各面には3箇所・計12箇所の宮城門が有ったとされます

 西面南門跡の発掘調査では、門の跡は見つかっていませんが
 この付近だけ柱穴が無く、門が有ったことが分かります

 藤原宮の宮城門は桁行5間(約25m)・梁行2間(約10m)で基壇を伴います

 西面中門跡からは扉の軸を受ける穴(軸摺穴)のある唐石敷という石材や、これと組むように加工された礎石が見つかっています

 【伝藤原宮海犬養門跡】

 海犬養門(あめのいぬかいもん)は北面西辺の門に相当します
 小川の中の二大石はその礎石と考えられています

 醍醐町は宮域内では最も低地で、周濠の水を集めた西北辺からは、濠跡と木簡が出土しています

★所在地;橿原市醍醐町 (海犬養門跡)
★交通;JR畝傍駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-21-1114(橿原市役所)

 撮影日;2009.10.18