goo blog サービス終了のお知らせ 

奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

薬水の井戸

2014年06月25日 | 古跡
薬水弘法大師井戸
 弘法大師の井戸です 撮影日;2014.06.14

 赤レンガの薬水拱橋を抜けて100mほどの所
 民家の間に小さな大師堂が建っています
 その裏、斜面下に残る井戸跡です

薬水の井戸 薬水大師堂

 弘法大師が、宇陀の室生寺と高野山間を往復していた頃、この村で大勢疫病にかかっり困っていました
 大師はこの井戸を教え、村の病人たちがその水をのむと、病気がたちまち直ってしまいました
 うわさはすぐに広まり、たくさんの病人がその水を飲んで助かったそうです

 大正7年(1918)にまとめられた『大淀村風俗誌』には、この井戸が一日数千人のお参りでにぎわったとの話も伝えています 

★所在地;吉野郡大淀町薬水
★交通;近鉄薬水駅下車 徒歩8分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;0747-52-1522(大淀町教育委員会事務局)


仙龍寺跡と梵字岩

2014年06月01日 | 古跡
梵字岩
 滝で修行した修験者達が開いたと伝えられる寺跡です 撮影日;2014.05.19

 『蜻蛉の滝』への入口鳥居横です
 梵字岩前には、小さな五輪塔群と阿弥陀如来(誰かが置いた鎌倉の大仏のミニチュア石仏のよう)が有ります

仙龍寺跡 仙龍寺跡と梵字岩

 梵字岩には、大日如来をあらわす「ア」という梵字が刻まれています
 文政年間(1818~29)の山崩れで音無川対岸に移されたそうです
 その山際の岩(高さ3.2m・横幅5.2m)に梵字が刻まれています

★所在地;吉野郡川上村西河(あきつの小野スポーツ公園)
★交通;近鉄大和上市駅より バスで「西河」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ;


義経橋と千本橋

2014年05月30日 | 古跡
義経道
 古い欄干石に「義經道」と刻まれています

 吉野と大宇陀を結ぶ道沿いの小さな川に架かる橋です

 源義経が兄頼朝に追われ、大宇陀牧まで落ち延びた時
 家来と供に食事をしようとした時、村人のひとりがたいへん親切にしたそうです
 義経は喜び「道の石ころが年々増していくように、 お前の家も年々栄えるよう石増と名乗れ」と言われたそうです
 義経一行が去った後、使った箸が千本落ちていたので、そこにかかる橋を「千本橋」というようになったそうです

義経橋 千本橋

 千本橋は、菟田野へ交差点を曲がった所に架かる新しい橋です 

★所在地;宇陀市大宇陀牧
★交通;近鉄榛原駅より バスで「大宇陀」下車乗換え「千本橋」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;


県境の霊泉(伊勢本街道)

2014年05月20日 | 古跡
霊泉
 昔は旅人の咽を潤した? 撮影日;2014.04.27

 円山公園から姫石明神を通り、岩坂峠道(旧伊勢街道)を抜けたところに有ります
 伊勢本街道沿い、県境(杉平バイパスの高架下)です

 説明版には『夏季旱天でもこの清水だけは枯渇したことがない霊泉である
 一般には勿体ないといって使用しない』とある
 二ヶ所に穴が有りますが、中は・・・枯れてました

霊泉 愛宕山献灯碑

 高架下の脇道を東(三重県)へ、竹林を通っていくと右手の田圃の畦に石灯籠が立っています
 愛宕山献灯碑です
 正徳5年(1715)の銘があるようです
 元は近くの愛宕山にあったそうで、元の場所には台座石が残っているそうです
 現在は田圃の畦の少し高い所に建っています
 いつ頃誰が、移築したかは不明とか

杉平常夜灯 杉平道標
 
 すぐ近くの石塀の上に杉平の常夜灯が有ります
 道路が改修され道は下がったが、昔からの位置や高さは変わっていないそうです
 現在の道より3mほど高いところに有ります
 太一とは大神宮、太神宮とも同じ意味をもつそうです

 杉平バイパスとの交差点には、道標の石が置かれています
 表には「左 いせみち」、裏には「右 しきず」と刻まれています
 元は10mほど坂上に有ったそうです 

★所在地;宇陀郡御杖村神末・伊賀市美杉町杉平
★交通;JR伊勢奥津駅より バスで「杉平」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;


阿対橋

2014年05月10日 | 古跡
阿対橋
 義経ゆかりの場所です 撮影日;2014.04.19

 元々は「あたえ(与える)の橋」と云われたそうです

 常盤御前が牛若丸をお産した後、柳生の地の長谷川金右衛門という人に世話になりました
 牛若丸が鞍馬寺に入った後、長谷川金右衛門と一緒に棒術を練習するようになります
 生まれた時に世話になったお礼に「天逆鉾之巻(あまさかほこのまき)」という棒術の流儀と掛け軸を長谷川家に授けたそうです
 金右衛門は柳生に道場を作っり、柳生藩長谷川棒術の祖になったそうです
 流儀と掛け軸を授けた場所が「あたへ橋」だそうです 

阿対橋欄干 阿対の石仏

 すぐ近くに阿対の石仏が有ります

★所在地;奈良市柳生下町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで柳生下車 北へ徒歩12分
★駐車場;スペース有り
★見学;自由
★問合せ;


常盤御前の腰掛石

2014年04月08日 | 古跡
常盤御前の腰掛石
 幼い牛若丸を抱いた常盤御前が腰掛け石です 撮影日;2014.03.27

 幅1m・高さ50cmほどの石が、道の傍らに有ります
 宇太水分神社(中社)から東へ1.5kmほど行った、旧道に有ります

 案内板より
源義朝の妻常盤御前には、今若、乙若、牛若(後の義経)という三人の子供がいました。義朝が平治の乱に敗れ、常盤御前は三児を連れ吉野から下芳野ににげのびた時、岸岡の家に足を留めて隠れていたことがありました。その際に腰掛けたと伝えられています。 <菟田野町観光協会>

常盤御前の腰掛石
 
★所在地;宇陀市菟田野松井
★交通;近鉄榛原駅より バスで「松井天神社前」下車 徒歩2分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


天誅組鳥ヶ峰古戦場石碑

2014年04月03日 | 古跡
天誅組鳥ヶ峰古戦場石碑と役場
 高取での戦いの時に大砲が据えられた役場の敷地内に「天誅組 鳥ヶ峰古戦場」 の記念碑が有ります
 撮影日;2014.03.22 

 文久3年(1863)8月17日、五條代官所を襲撃した天誅組約1000名は、高取城を攻撃するために進軍
 迎える高取藩守備隊約150名は、8月26日にこの地にて、大坂城冬の陣で使われたという高取藩の歴史物の大砲「権現砲」を放ち、天誅組を敗走させた
 天誅組は、文久3年(1863)に尊皇攘夷派の土佐藩出身の志士・吉村寅太郎らが公家の中山忠光を擁して挙兵し、8月17日に五條代官所を襲撃
 同25日に高取へ向けて出撃し、26日に高取の森あたり(町立のリベルテホールや高取中学校の周辺)で迎え撃つ200名ほどの高取藩士と戦う
 高取藩は今の町役場がある鳥ヶ峰という丘の上に大砲四門を据えて天誅組を攻撃、 天誅組は一度敗走
 夜には吉村寅太郎率いる別働隊が夜襲を企てて薩摩まで進軍し、警戒していた高取藩士と薩摩の木の辻というあたりでふたたび戦うが、吉村寅太郎が味方の鉄砲玉に当たって負傷し、旧大塔村の天辻に置いていた本陣へと敗走
 その後、天誅組は吉野山中を転戦、敗走し、9月24日に東吉野村の鷲家口での戦いで吉村寅太郎以下16名が討ち死にし、事件は終結した

天誅組鳥ヶ峰古戦場石碑 天誅組鳥ヶ峰古戦場絵図
 町立リベルテホールには大砲「ブリキトース砲」の復元模型が有ります

★所在地;高市郡高取町観覚寺990-1(高取町役場前)
★交通;近鉄壺阪山駅下車 徒歩3分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;0744-52-3334(高取町役場)


お藤の井戸

2014年03月07日 | 古跡
お藤の井戸
 今も水を湛えています 撮影日;2014.02.23

 柳生但馬守とお藤さんの馴れ初めの井戸とされています

 ある日、近くに住むお藤は、いつものようにせっせと洗濯をしておりました。
 そこへたまたま、柳生の城主であった、但馬守宗矩がこの井戸の付近を通りかかりました。
 但馬様はふと、お藤に「桶の中の波はいくつあるか」という問いを投げかけました。
 するとお藤、「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ?」と訊ね返しました。
 但馬様はその器量の良さと才気を見初めお藤を妻と迎えたそうな。
 今も里歌に「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の娘になる」と残されている。
 

お藤の井戸前 お藤の井戸枠

★所在地;奈良市阪原町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「坂原」下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学;見学自由
★問合せ;0742-34-1111(奈良市観光課)

 大柳生と柳生を結ぶ旧道に有ります
 南明寺の80mほど北の角を右へ曲がって70m行った右手です


芦屋道満の屋敷跡伝承地

2014年01月28日 | 古跡
芦屋道満屋敷跡?
 善照寺の南「ヤップ山」と呼ばれている場所に在ったそうです 撮影日;2014.01.05

 善照寺の山門前の広場に看板が立てられています
 (看板には10m南の場所と書かれています)
 100mほど南には広峰神社が有ります

 芦屋道満は陰陽師・安倍晴明のライバルだった人物です
 道満は民間陰陽師で、声聞師とも呼ばれました
 寺社に芸能・占い土木技術などで奉仕した被差別民です
 (道満の実在は定かではないようです)

★所在地;生駒郡安堵町東安堵(ヤップ山)
★交通;JR法隆寺駅より バスで東安堵下車 徒歩7分
★駐車場;有ります
★見学;自由(何も有りませんが・・)
★問合せ;


芦田池

2014年01月20日 | 古跡
芦田池地蔵堂
 聖徳太子の4つの溜池の一つと言われます 撮影日;2013.12.29 

 「日本書紀」に、聖徳太子の進言によって、推古天皇15年(607)の冬に大和の国に新しく4つのため池が造られたと有ります
 「肩岡池、高市池、藤原池、菅原池」の一つで、肩岡池の伝承地せす
 日本最古の官立の「ため池」です

 本町の辺りは昔から葦田と呼ばれ、葦が茂っていたことから放光寺古今縁起には葦田池と書かれていました

芦田池 芦田池畔

 この地は歌の名所として、数々の名歌が残されています
 あすからは 若菜つまむと 片岡の あしたの原は けふぞやくめる「柿本人麻呂」
 あしたの原とは、葛城山から馬見丘陵にはさまれた葛下川流域一帯をさしたようです

 少し北の民家の一角に大日堂が有ります
大日さん 大日堂
 大日さんと呼ばれています
 鎌倉時代の阿弥陀如来坐像が高さ150cm程の石に線刻されています

★所在地;北葛城郡王寺町本町4丁目
★交通;JR・近鉄王寺駅より バスで「王寺本町四丁目」下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;