![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f1/9b5ed866fec937db21bc433c949a6c3a.jpg)
畑の中の少し盛土されたような所に城跡之碑が建っています 撮影日;2008.11.7
遺構らしきものは残っていません
隣に新しく建てられた土地改良の石柱があります
★所在地;橿原市十市町
★交通;近鉄
新ノ口駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;
十市城の築城年代は不明ですが、十市氏代々の居城でした
始めは館程度の規模と考えられ、時代と共に拡張され城(平城)になったようです
永正年間(1504~21)には、十市遠治が興福寺大乗院領の荘官となり
筒井・越智氏と並んで国判衆の一人と数えられ、大和武士長谷川党の中心勢力でした
戦国時代、十市遠忠は筒井城主筒井順興・順慶に仕え、詰めの城として龍王山城を築いいています
筒井順慶と信貴山城主松永久秀との勢力争いにより、十市城は落城
天正13年(1585)、筒井定次が伊賀上野に移封されますが
十市一族は従わず、大和郡山城主となった豊臣秀長に臣従しました
参考;奈良大和路・気分はこくじんのページ
耳成山の北2kmほどの場所です
遺構らしきものは残っていません
隣に新しく建てられた土地改良の石柱があります
★所在地;橿原市十市町
★交通;近鉄
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;
十市城の築城年代は不明ですが、十市氏代々の居城でした
始めは館程度の規模と考えられ、時代と共に拡張され城(平城)になったようです
永正年間(1504~21)には、十市遠治が興福寺大乗院領の荘官となり
筒井・越智氏と並んで国判衆の一人と数えられ、大和武士長谷川党の中心勢力でした
戦国時代、十市遠忠は筒井城主筒井順興・順慶に仕え、詰めの城として龍王山城を築いいています
筒井順慶と信貴山城主松永久秀との勢力争いにより、十市城は落城
天正13年(1585)、筒井定次が伊賀上野に移封されますが
十市一族は従わず、大和郡山城主となった豊臣秀長に臣従しました
参考;奈良大和路・気分はこくじんのページ
耳成山の北2kmほどの場所です