第23回全日本銃剣道選手権大会 準決勝&決勝 ダイジェストAll Japan Jukendo Championship Final
私が銃剣道に出会ったのは高校卒業して横須賀の自衛隊武山教育隊に入隊してまもなくだった。
幼い時から剣道に興味があって、中学時代何ヶ月か習いに行き竹刀を振った経験がある。
他のスポーツで忙しく辞めてしまったが、もうひとつの理由は防具が高くとても経済的に無理であった。銃剣道は剣道より遥かにハードで厳しい武道なので同僚に好まない隊員もいたが、私は嬉しくて夢中で没頭した。
その後、習志野の空挺隊員となり前田銃剣道範士及び先輩隊員から猛烈な指導を受け、各大会で優勝し錬士5段に合格。空挺団の選手となった。
28歳で退官した為、銃剣道は出来なくなってしまったが、52歳の頃若い頃汗を流した事を思いだし幸い身体が丈夫な為また銃剣道がやりたくなり、空挺団に連絡したところ退官者が集まって支部を作り練習しているとの事。
幼い時から剣道に興味があって、中学時代何ヶ月か習いに行き竹刀を振った経験がある。
他のスポーツで忙しく辞めてしまったが、もうひとつの理由は防具が高くとても経済的に無理であった。銃剣道は剣道より遥かにハードで厳しい武道なので同僚に好まない隊員もいたが、私は嬉しくて夢中で没頭した。
その後、習志野の空挺隊員となり前田銃剣道範士及び先輩隊員から猛烈な指導を受け、各大会で優勝し錬士5段に合格。空挺団の選手となった。
28歳で退官した為、銃剣道は出来なくなってしまったが、52歳の頃若い頃汗を流した事を思いだし幸い身体が丈夫な為また銃剣道がやりたくなり、空挺団に連絡したところ退官者が集まって支部を作り練習しているとの事。
早速仲間に入れてもらった。
それから15年間週1回汗を流し引退しました。。
銃剣道教士七段、短剣道錬士六段に合格し、又日本体育連盟の体育指導員の資格を習得する為1年間通信教育で学び受験資格とりその後、学科試験と実地試験を受験し取得しました。武道に夢中になった頃を懐かしく思い出されます。
又想い出深い事がもう一つ!
全日本銃剣道会長で範士九段、兼坂弘道氏が塩爺=塩川正十郎氏によると武道界のノーベル賞といわれる「武道功労賞」を日本武道協議会から授与され、その祝賀会がありました。
それに出席させて頂きました。
兼坂先生は自衛隊体育学校や自衛隊幹部学校で武道教官を経て、その後防衛大学で14年間武道指導教官をされた功績が認めれれたとの事です。
12時30分より九段会館「鳳凰の間」にて、全国の各武道の最高位の方々が60名出席され厳かにも素晴らしい祝賀会でした。
私のような者がこんな場所に来れないのですが、この度県連を通して全関東ブロックの会長で元陸上自衛隊第八師団長陸将(大将)と県連会長で元第一空挺団長陸将(大将)の案内役で御一緒に出席する事が出来ました。
こんな宴に参加でき素晴らしい人達といろいろお話が出来て感謝しています。
遠い昔の想い出で懐かしいです。
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