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はじめにおことわりしておきますが、『底抜け大学教授』も『ファニー・ボーン』も「ジェリー・ルイス・ショー」もわたしはまだ観ていません。つまり底抜けコンビ解散後のジェリー・ルイスのソロ出演/監督作品は一切観てない状態で書いております。
・・・ディーン・マ-ティンの時とおんなじ言い訳をしている自分がなさけないですが・・・
『画家とモデル』を観る前のジェリー・ルイスに関する唯一の知識は、マ-ティン・スコセッシが監督した傑作映画『キング・オブ・コメディ』だけでした。この映画でジェリー・ルイスは芸人志望のロバート・デ・ニーロに誘拐される人気者のスタンダップ・コメディアンを演じています。
実際のジェリー・ルイスはスタンダップはやりませんが、1960年代以降、彼が文字どおり"キング・オブ・コメディ"だったことは事実でしょう。特にヨーロッパでは絶大な人気を誇ってきました。アメリカ人というのはなぜか海外で高く評価される芸能人を嫌う傾向があって、ウディ・アレンやマイケル・ジャクソンのケースと同じように、ジェリー・ルイスもまた、アメリカ国内では賛否のわかれる人のようです。
しかし、現在活躍しているコメディアンをざっとみわたしてみても、ジェリー・ルイスに影響を受けていない芸人をさがすほうが難しいのではと思わせるくらいに、ジェリーのDNAをわれわれは容易に見つけだすことができます。
スティ-ブ・マ-ティン、エディ・マーフィ、アダム・サンドラーにジム・キャリー。モンティ・パイソン(特にジョン・クリーズ)。香港のチャウ・シンチー。日本では加藤茶、志村けん。ザ・ぼんちのおさむ氏はジェリー・ルイスの信奉者であると公言しているらしい。そしてわれらがとんねるずも、多かれ少なかれ例外ではないように思われます。
このあたりの影響関係については、ジェリー・ルイスのソロの作品をきちんと観てからあらためて考えたいと思います。
いまわたしが夢中になっているのは、ヌーヴェルヴァーグの批評家たちに"映画作家"と賞賛される以前のジェリー・ルイス、アメリカ人が"ナルシスト"とこきおろす以前のジェリー・ルイス、つまり、キュートなアメリカン・アイドルだったころのジェリー・ルイスです。
「年をとるってのはサイアクだ」と、80才を超えたジェリー・ルイスがインタビューで愚痴っているのをよく読むのですが、それもしかたないと思えるほどに、若い頃の彼はほんとうにキラキラと輝いていました。
ディーン・マ-ティンとコンビを組んだ瞬間から売れ始め(大げさじゃなく、ほんとにそうだったのです)、コンビとしては何の下積みも苦労もなく、まさに一夜にしてスターになった時、ジェリー・ルイスはまだ20代前半の若さでした。
アメリカの理想的男性像であるマッチョさとはかけはなれた、やせすぎなくらいに細い肢体と、短く刈り込んだクルーカットには、まだ未熟な少年性が残る。兄のような相方ディーン・マ-ティンをうっとり見つめる大きな瞳は、まるで少女のよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/41/237e0accec680427c7ad48194d11e3f2.jpg)
実際、この頃のジェリー・ルイスには少年と少女が同居しているかのような、ジェンダーを超えたピーターパン的魅力があります。白いソックスと黒のローファーのトレードマークは、ひょっとしたらマイケル・ジャクソンにも影響を与えたんじゃないか?と思ったりもする。
若さ、ありあまるエネルギー、売れているという確信、世界に愛される喜びで、はちきれそう。自分の一挙手一投足が世界中の人々を熱狂させている、その喜びが全身からあふれだしていて、一瞬もじっとしていられない!ああ、若さってすばらしい。幸福感にあふれた若さを見るってすばらしい・・・1950年代のジェリー・ルイスは、わたしをそんな気持ちにしてくれます。
バスター・キートンが無表情な顔であらゆる感情を表現したのとは逆に、ジェリー・ルイスの顔は感情に応じてクルクルと変わる。彼の表情には、仮面劇の仮面のように決まったパターンがあって、その表情を作るだけで、彼が怒っていること、悲しんでいることがすぐわかる。
それはキートンとくらべたら繊細さはまるでないかもしれないし、技術と呼べるほどの芸でもないかもしれない。しかし、なんといっても、わかりやすいのです。そしてそれをくりかえし見ていると、たまらなくいとおしくなってくるから不思議です。
幼い子供の演技が、ジェリー・ルイスは本当にうまい。10才の子供を演じても、何の違和感もありません。特に、絶望した子供を彼が演じると、見ているこちらまで胸苦しくなってくる。
幼い頃お母さんに叱られたときの絶望感、友達とけんかした時の悲しさ、大事なものをなくした時の悔しさ・・・そんな感情を、彼は生々しく呼び覚ましてしまう。
以前の記事で「ジェリー・ルイスはノリさんに似ている」と書きましたが、ジェリー・ルイスが子供を演じるのを見ると、貧乏家の人々でタカさんが演じた子供をなぜか思い出します。貧乏を嘆いて地団駄をふんでいたあのタカさんと通じる何かがあるような気がする。
それは、批評家がジェリー・ルイスを評して"アンファン・テラブル(恐るべき子供)"と呼ぶ感覚に近いのかもしれません。
でも、いったんディーン・マ-ティンの隣に立ってタキシードで走り回りはじめると、大人の男性の色気をただよわせることもできる。ディーンほどの歌唱力ではないにしても、ジェリー・ルイスはすばらしいテノールの歌声を持っているし、ダンスもすごくうまい!
歌うディ-ンの周りでジェリーがさんざんおちゃらけた後、最後の一小節だけふたりが真剣にハモるというのがお決まりのパターンなんだけど、その美しいハーモニーを聴いてしまうともう「カッコいい~~!!」ってなっちゃうこと請け合いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/55/f1751e4b4befc00079166b2013637cac.jpg)
ディーン・マ-ティンと同じくらい、ジェリー・ルイスも謎めいたスターです。世界中に愛されながら、もっと愛してほしい、もっとボクを見てほしいと間断なく観客に訴えているような、説明しがたいあやうさ、矛盾した内面性を感じさせる。
しかし、怖れを知らない若さにあふれ、常に自分を見ていてくれる相方の友情を確信していたころのジェリー・ルイスは、まちがいなく恐いほどおもしろいコメディアンでした。それは50年後のわたしたちをなお笑いころげさせるほどの強い輝きなのです。
・・・ディーン・マ-ティンの時とおんなじ言い訳をしている自分がなさけないですが・・・
『画家とモデル』を観る前のジェリー・ルイスに関する唯一の知識は、マ-ティン・スコセッシが監督した傑作映画『キング・オブ・コメディ』だけでした。この映画でジェリー・ルイスは芸人志望のロバート・デ・ニーロに誘拐される人気者のスタンダップ・コメディアンを演じています。
実際のジェリー・ルイスはスタンダップはやりませんが、1960年代以降、彼が文字どおり"キング・オブ・コメディ"だったことは事実でしょう。特にヨーロッパでは絶大な人気を誇ってきました。アメリカ人というのはなぜか海外で高く評価される芸能人を嫌う傾向があって、ウディ・アレンやマイケル・ジャクソンのケースと同じように、ジェリー・ルイスもまた、アメリカ国内では賛否のわかれる人のようです。
しかし、現在活躍しているコメディアンをざっとみわたしてみても、ジェリー・ルイスに影響を受けていない芸人をさがすほうが難しいのではと思わせるくらいに、ジェリーのDNAをわれわれは容易に見つけだすことができます。
スティ-ブ・マ-ティン、エディ・マーフィ、アダム・サンドラーにジム・キャリー。モンティ・パイソン(特にジョン・クリーズ)。香港のチャウ・シンチー。日本では加藤茶、志村けん。ザ・ぼんちのおさむ氏はジェリー・ルイスの信奉者であると公言しているらしい。そしてわれらがとんねるずも、多かれ少なかれ例外ではないように思われます。
このあたりの影響関係については、ジェリー・ルイスのソロの作品をきちんと観てからあらためて考えたいと思います。
いまわたしが夢中になっているのは、ヌーヴェルヴァーグの批評家たちに"映画作家"と賞賛される以前のジェリー・ルイス、アメリカ人が"ナルシスト"とこきおろす以前のジェリー・ルイス、つまり、キュートなアメリカン・アイドルだったころのジェリー・ルイスです。
「年をとるってのはサイアクだ」と、80才を超えたジェリー・ルイスがインタビューで愚痴っているのをよく読むのですが、それもしかたないと思えるほどに、若い頃の彼はほんとうにキラキラと輝いていました。
ディーン・マ-ティンとコンビを組んだ瞬間から売れ始め(大げさじゃなく、ほんとにそうだったのです)、コンビとしては何の下積みも苦労もなく、まさに一夜にしてスターになった時、ジェリー・ルイスはまだ20代前半の若さでした。
アメリカの理想的男性像であるマッチョさとはかけはなれた、やせすぎなくらいに細い肢体と、短く刈り込んだクルーカットには、まだ未熟な少年性が残る。兄のような相方ディーン・マ-ティンをうっとり見つめる大きな瞳は、まるで少女のよう。
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実際、この頃のジェリー・ルイスには少年と少女が同居しているかのような、ジェンダーを超えたピーターパン的魅力があります。白いソックスと黒のローファーのトレードマークは、ひょっとしたらマイケル・ジャクソンにも影響を与えたんじゃないか?と思ったりもする。
若さ、ありあまるエネルギー、売れているという確信、世界に愛される喜びで、はちきれそう。自分の一挙手一投足が世界中の人々を熱狂させている、その喜びが全身からあふれだしていて、一瞬もじっとしていられない!ああ、若さってすばらしい。幸福感にあふれた若さを見るってすばらしい・・・1950年代のジェリー・ルイスは、わたしをそんな気持ちにしてくれます。
バスター・キートンが無表情な顔であらゆる感情を表現したのとは逆に、ジェリー・ルイスの顔は感情に応じてクルクルと変わる。彼の表情には、仮面劇の仮面のように決まったパターンがあって、その表情を作るだけで、彼が怒っていること、悲しんでいることがすぐわかる。
それはキートンとくらべたら繊細さはまるでないかもしれないし、技術と呼べるほどの芸でもないかもしれない。しかし、なんといっても、わかりやすいのです。そしてそれをくりかえし見ていると、たまらなくいとおしくなってくるから不思議です。
幼い子供の演技が、ジェリー・ルイスは本当にうまい。10才の子供を演じても、何の違和感もありません。特に、絶望した子供を彼が演じると、見ているこちらまで胸苦しくなってくる。
幼い頃お母さんに叱られたときの絶望感、友達とけんかした時の悲しさ、大事なものをなくした時の悔しさ・・・そんな感情を、彼は生々しく呼び覚ましてしまう。
以前の記事で「ジェリー・ルイスはノリさんに似ている」と書きましたが、ジェリー・ルイスが子供を演じるのを見ると、貧乏家の人々でタカさんが演じた子供をなぜか思い出します。貧乏を嘆いて地団駄をふんでいたあのタカさんと通じる何かがあるような気がする。
それは、批評家がジェリー・ルイスを評して"アンファン・テラブル(恐るべき子供)"と呼ぶ感覚に近いのかもしれません。
でも、いったんディーン・マ-ティンの隣に立ってタキシードで走り回りはじめると、大人の男性の色気をただよわせることもできる。ディーンほどの歌唱力ではないにしても、ジェリー・ルイスはすばらしいテノールの歌声を持っているし、ダンスもすごくうまい!
歌うディ-ンの周りでジェリーがさんざんおちゃらけた後、最後の一小節だけふたりが真剣にハモるというのがお決まりのパターンなんだけど、その美しいハーモニーを聴いてしまうともう「カッコいい~~!!」ってなっちゃうこと請け合いです。
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ディーン・マ-ティンと同じくらい、ジェリー・ルイスも謎めいたスターです。世界中に愛されながら、もっと愛してほしい、もっとボクを見てほしいと間断なく観客に訴えているような、説明しがたいあやうさ、矛盾した内面性を感じさせる。
しかし、怖れを知らない若さにあふれ、常に自分を見ていてくれる相方の友情を確信していたころのジェリー・ルイスは、まちがいなく恐いほどおもしろいコメディアンでした。それは50年後のわたしたちをなお笑いころげさせるほどの強い輝きなのです。
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