ナレーター・アナウンサー養成塾

ナレーターとアナウンサーの養成と、現役プロのスキルアップの為の塾です。

スポーツ実況の話・・・その2

2006年11月26日 | Weblog

6年間という短い間でしたが、アナウンサーとして色々な種類のスポーツ実況をさせて頂きました。野球、サッカーはもちろんのこと、ラグビー、剣道、柔道、卓球、水泳、スケート、駅伝、バレーボール、バドミントン、テニス・・・と実に様々。地方局ならでは、といったところです。フリーになってからも、陸上全般、ゴルフ、そしてF1をはじめとしたモータースポーツと、40代半ばまで仕事をさせて頂きました。今思えば、若い時の実況を思い出すと恥ずかしい気持ちがします。笑い話のように、コメントを良く間違えたからなのです。例えば野球では、アウトカウントや点数の間違いは茶飯事。三塁側と一塁側がゴチャ混ぜになるとか、ライトとレフトがわからなくなるとか。で、野球の中継の直後にサッカーの中継に臨むと・・・・「ボールがラインを割ったーッ、三塁側に出ました・・・」とか、「ボールがセンタリングされて、さぁシュートォォォ!オーッと、キャッチャーの正面でしたぁ・・・」と言ってしまったり。用語の変化にも、なかなかついて行けなかった気がします。ミッドフィールダーっていつ頃からだったかなぁ・・・前はハーフバックって言ってたんだけど、それを使ったらディレクターから「言い直せ!」って指示が来たっけ・・・だってミッドフィールドってどこ?テニスの中継だって、八ヶ岳の高原にあるコートでの実況だったから、空気が清んでいて山の中だから音が全く無い状態、なんと私の声が最大の騒音になって選手からクレームの嵐・・・俺のせいじゃないよ・・・。

ナレーター・アナウンサー養成塾 塾長 ナレーター・伊藤英敏 http://www.mars.dti.ne.jp/~expert/


スポーツ実況の話・・・その1

2006年11月20日 | Weblog

昭和50年に山梨県甲府市にある山梨放送(YBS)へアナウンサーとして入社した私は、それから丸6年の間、さまざまなスポーツ実況に携わってきました。最も多かったのは、野球とサッカーですが、特に高校野球と少年サッカーの試合中継は多かったのです。地方局ですから、地元密着のスポーツが中心になるのは当然です。日本全国どこでもそうですが、高校野球は母校など自分に関係した学校の応援に熱中する人口が多いので、視聴率も上がりスポンサーも付きやすいのです。その当時山梨県内の参加校は30に満たない数でしたので総試合数が少なく、また傘下にCATV局があり放送枠が十分だったことから、全試合中継という体制です。その頃の山梨県の高校野球レベルは、決して高くありませんでした。当時は、今のような全ての都道府県から代表が出る(夏の甲子園)ようにはなっていませんでした。地方の隣同士の県が戦う予選を勝ち上がって初めて、出場できるのです。私の記憶では(もう定かではないのですが)山梨は、古くは静岡と、次は長野と、そして群馬、といった強豪のいる県の代表と戦う歴史がありました。当然、なかなか勝てません。たまさか勝って甲子園に行っても、いつも一回戦敗退だったのだそうです。それが、その頃今の巨人軍の原監督のお父さんが監督をしていた、全国的にも名を知られている東海大相模から、助監督をしていた大八木さんという方が、東海大甲府(以前は東洋大学の付属校で東洋第三といったのが昭和49年に東海大学の付属校になった)に赴任してきて、その途端に見違えるように強くなったのです。指導者でこんなにも変わるのか、と驚いたものです。そのうち全都道府県の代表が必ず出られるようになった、そうなると試合数が少なくて山梨は「甲子園に最も近い」県ということになり、しかも中でもダントツに強い東海大甲府には、他の有名校で150人もの部員の中でレギュラー争いをするよりは、と考える生徒が越境入学してきたのです。私たちの取材も当然ながら、東海大甲府が中心になってしまう。しかし、山梨という土地柄で地元の産業に関係のある学校の生徒たちに話を聞きながら中継に臨む、というのが私のスタンスでした。ヘソが曲がっているといえば、それはそうなのですが、丁度山梨の名産“桃”が実り始める頃で、桃畑のなかにある「山梨園芸高校」の取材に行った時は、それは桃の良い香りが漂っていて、これはここの高校にしか無い特徴だなぁ・・・と、翌日の中継では・・・『甘く美味しそうな桃の香りの漂う畑の中にある山梨園芸高校・・』と紹介したのを鮮明に覚えています。もっとも、地元の人にとっては、そんなの当たり前だったのでしょうけど・・・。さて、サッカーの実況話はまた今度です。

ナレーター・アナウンサー養成塾 塾長 ナレーター・伊藤英敏 http://www.mars.dti.ne.jp/~expert/


アクセントの話し・・・続き

2006年11月13日 | Weblog

先日、大沢塾(大沢事務所の中堅・若手メンバーの勉強会)で会話していて出てきたのは、「ドラム」「ドラマ」のアクセント。全員が、両方とも平板型にしているのですが、元々は最初の“ド”の音が高い頭高型です。いつの間にか平板になってしまい、今やそうでなければ通じない世になってしまいました。そうそう、今使ったばかりの「全員」もそうなんです。“ゼンイン”のアクセントは平板型だったのに、今時の若い人は“ン”と“イ”が高い中高型を常としているのですが、これは正直言ってとても違和感があります。ついでに「二月」と「四月」も、頭高は是非やめて欲しい!両方とも平板にして!「背景」も平板にして頂戴!手紙の書き出しの拝啓じゃないんだから!「音楽」は頭高なのが、平板になりつつあるし・・・田楽じゃないっ!てぇんだよ・・。そういえば、昔は「20分」「30分」「40分」は全部が頭高だったっけ。だって、10、20、30、40に分がついたんだから、10分と同じように頭高のはずなんだけどなぁ・・。今回は、愚痴がチト多かったかもネ。

ナレーター・アナウンサー養成塾 塾長 ナレーター・伊藤英敏
http://www.mars.dti.ne.jp/~expert/


アクセントの話

2006年11月07日 | Weblog

チョッとズル休みしてました・・・さて、今回はアクセントのお話。ここのところニュースに毎日のように取り上げられている高校の「履修不足」問題。必須科目の在り様が私の時代とは違っていると思いますが、“世界史”“日本史”の選択が関わっているとか。その“セカイシ”“ニホンシ”のアクセントは、両方とも第二音節が高い方にある中高型です。ところが、ニュースを伝える記者はもちろん、ナレーターやアナウンサーも半分以上の型が平板型にしている様子。あなたは如何でしょうか。そこで日本語のアクセントについて理論的なお話を・・・まずは「日本語に標準語はない」ということを頭に入れておいてください。一般的に標準というのは、何か基準になる数値とか、量とか、角度とか、決まったものを指します。日本には各地の方言があり、どこの地域の言葉も立派な日本語です。ただし、それらの方言が全国のどこに住んでいる人にでも通じるかといえば、それは難しい。私達、放送に携わる人間が学ぶものは標準語ではなく『共通語』なのです。どこの地方の方にも通じる言葉・・・共通の言葉・・・これだ!と決まっていない訳ですからですから、様々な変化も当然あるのです。で、その“世界史”“日本史”が何故に平板型になってしまうのか、というと、それはスラング化という現象です。その現象は江戸の昔からあるもので、今に始まったものではありません。頻繁に口をついて出る言葉ほど平板化する、という現象です。例えば・・・“水道橋”これも本当は“スイドウバシ”のイとドだけが高い位置にある中高型。でも“スイドウバシ”と平板に言っていませんか?これと同じことなのです。特に高校時代にそれぞれを選択した方は、きっと平板に言うようになっているのではないですか。確認してみては・・・。

ナレーター・アナウンサー養成塾 塾長 ナレーター・伊藤英敏
http://www.mars.dti.ne.jp/~expert/