2月 いるか広場まとめ
2月のいるか広場では、『人と関わることの難しさ』について活発な意見の中で、『ラージャ・ヨーガの八支分』にも触れることができ、日常の実践を通して、心の訓練をしていくことの大切さをあらためて感じることができたように思います。ほんの一部ですが、より良い明日のへ前進できますことを願い、紙面にて紹介させていただきます。
<広場の内容>
★他者との関わり
・ ありのままの自分を素直に出していく。
上手にしようと思わず、誠実に自分のできることをできる範囲で行為していく。
・ 人と関わっていく上での正解もマニュアルも存在しない。
日々の行為や体験を通して、それぞれが学びあっている。
今気をつけることといえば、過去にとらわれず、
一瞬一瞬を大切にしていくことだとヨーガは言う。
うまくいかない時も、そこから何かを学び、次に繋げていくことができるだろう。
・ “常に気を静める”自分自身を落ち着けることで、
自分のことも相手のことも良く見えてくる。
言い換えれば、何ができるかではなく、今何をすればいいのかが見えてくる。
★子どもとの関わり
・ 子育ても試行錯誤の連続。
世の中の常識や規範にばかり捉われず、
その子自身の成長や個性を見守っていくことが大切。
・ 母が子に注ぐ愛は純粋そのもの。
でも、時に応じて愛の安売りや駆け引きをしてしまうこともある。
子どもはいつか巣立っていくもの。
子どもに依存することは愛情をかけることとは違う。
今一度、愛とは何だろうと考えてみることも大事。
・ 子どもも大人も本質は同じ。
言葉や行為では表現できないたくさんのことを全身で感じている。
表面的なものだけではなく、
子どもの言葉にできない思いをもっと感じ取っていくことが大切。
また、その為には結局のところ私自身の在り方を問われることになる。
★夫との関わり
・ 一緒に生活していると、育ってきた環境や習慣の違いから、
生活リズムやスタイルが合わないと感じることがある。
また、相手にもより良く生きるためにもっとこうしてほしい・・などという思いが
湧いてくることもあるだろう
し、また反対のことも言える。しかし、縁あって共に人生を送るということは、
互いに補い合い・生かし合う素晴らしい学びがそこにある。
互いの存在をもう一度認識し、相手のことを思いやり、
尊重しながら、調和のとれた生活が送れるよう努力していくことが大切。
*上記のように人との関わりにおいて悩みを抱えることは多々あります。
そんなとき、人生の道標やヒントとなるのが『ラージャ・ヨーガの八支分』です。
その中でもヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は
日常生活の中で活かしていくことができる大切な智慧です。
ヤマは他者に対する行為であり、
ニヤマは自らが勧んで行っていくものとされています。
(内容は付属の資料を参照してください。)
*これらの大誓戒は普遍的なものであり、時・場所・時間・環境に制約されない。(ヨーガスートラより)
★ヨーガやヤマ・ニヤマを実践していくことの意味
・ 時代に左右されない不変の真理であり、
自分の身体を通して納得しながら、体得していくことができる。
・ 心には無意識の癖・習慣性がある。
しかし、心の性質を理解し、ヨーガの教えを実践していくことで
心は変えることができると聞く。
ヨーガやヤマ・ニヤマの実践は、
それを行うための心の訓練であり、外に向かっていた意識を自分の内側に向け、
自分の心を見つめ、調えていく作業である。
・ 人生の壁にぶち当たった時、その原因を見極め、
次へ繋げていくためのエネルギーや智慧をもらうことができる。
★ヤマ・ニヤマの解釈
・ 人間の見栄・欲望は果てしなく、
そこに執着すれば自分の欲望が満たされない苦痛のために“愚痴”が出てくる。
ヨーガを学んでいくと少しずつ客観的に心を見つめていくことができるようになり、
愚痴が何の役にも立たないものであることを知ることができる。
また、あるがままで十分に満たされていることを知り、
何気ない日常に喜びや幸福があることにも気付き始める。
このように今の中に“足るを知る”というのが、「知足」の教えです。
・ また、この「知足」と対応しているのがヤマの「不貪」。
自分に必要なものとそうでないものを区別し、
他者から必要以上に貪ることをしてはいけない。
何かをねだる行為も「不貪」に反する。
ただし、日本では、贈り物をしたり、お返しをしたりという習慣があります。
物が動いて、はじめて理解できることや道理が通ることもあるが、
見栄を張らず、状況に応じて、分相応に行うことが必要である。
・ ヤマの「正直」は、他者に対して嘘をつかず、誠実であること。
見栄をはる必要はなく、あるがままの自分を表現していく。
偽ることは清らかな思いではなく、ニヤマの「清浄」に反するものである。
・ また、ここでいう「清浄」とは苦しみの原因を生み出す心を清浄に保つ・浄化するということである。
心の浄化を促すには、真実でないものに真実を見ようとする「無知」をなくしていくことである。
そのためにはアーサナーや瞑想・真理の学習・日々の実践を通して、
まずは“真実とは何であるのか”を知ることからはじめなければならない。
実践あるのみ!実践を通して、真実を知ろうとする気持ちを大切に育てていきましょう。
・ ニヤマの「タパス(厳しい修行)」とは、体を痛めつける苦行ではなく、心に対する訓練のことである。
日常生活においては、“寒い・暑い”“心地よい・悪い”など
自分の好みや得意・不得意などによって左右されない心を作っていくことである。
時には、嫌なことから逃げず、向き合っていくことで、自分勝手な思い・基準に気づき、
心の訓練によって、それらを克服していくことができるのである。
・ 最後にヤマの「純潔」については、体だけではなく、精神的にも純潔であること。
不倫もこれに反することである。
以上のような内容を広場で学び合っています。
ヤマ・ニヤマに関しては自分自身の成長のためにもっと積極的に深く学んでいきたい内容です。
はじめから、100%完璧に実践することはとても難しいことですが、
いつかできるではなく、今から少しずつでも実践していけるよう心がけていきたいものです。
ヨーガ部由美より
2月のいるか広場では、『人と関わることの難しさ』について活発な意見の中で、『ラージャ・ヨーガの八支分』にも触れることができ、日常の実践を通して、心の訓練をしていくことの大切さをあらためて感じることができたように思います。ほんの一部ですが、より良い明日のへ前進できますことを願い、紙面にて紹介させていただきます。
<広場の内容>
★他者との関わり
・ ありのままの自分を素直に出していく。
上手にしようと思わず、誠実に自分のできることをできる範囲で行為していく。
・ 人と関わっていく上での正解もマニュアルも存在しない。
日々の行為や体験を通して、それぞれが学びあっている。
今気をつけることといえば、過去にとらわれず、
一瞬一瞬を大切にしていくことだとヨーガは言う。
うまくいかない時も、そこから何かを学び、次に繋げていくことができるだろう。
・ “常に気を静める”自分自身を落ち着けることで、
自分のことも相手のことも良く見えてくる。
言い換えれば、何ができるかではなく、今何をすればいいのかが見えてくる。
★子どもとの関わり
・ 子育ても試行錯誤の連続。
世の中の常識や規範にばかり捉われず、
その子自身の成長や個性を見守っていくことが大切。
・ 母が子に注ぐ愛は純粋そのもの。
でも、時に応じて愛の安売りや駆け引きをしてしまうこともある。
子どもはいつか巣立っていくもの。
子どもに依存することは愛情をかけることとは違う。
今一度、愛とは何だろうと考えてみることも大事。
・ 子どもも大人も本質は同じ。
言葉や行為では表現できないたくさんのことを全身で感じている。
表面的なものだけではなく、
子どもの言葉にできない思いをもっと感じ取っていくことが大切。
また、その為には結局のところ私自身の在り方を問われることになる。
★夫との関わり
・ 一緒に生活していると、育ってきた環境や習慣の違いから、
生活リズムやスタイルが合わないと感じることがある。
また、相手にもより良く生きるためにもっとこうしてほしい・・などという思いが
湧いてくることもあるだろう
し、また反対のことも言える。しかし、縁あって共に人生を送るということは、
互いに補い合い・生かし合う素晴らしい学びがそこにある。
互いの存在をもう一度認識し、相手のことを思いやり、
尊重しながら、調和のとれた生活が送れるよう努力していくことが大切。
*上記のように人との関わりにおいて悩みを抱えることは多々あります。
そんなとき、人生の道標やヒントとなるのが『ラージャ・ヨーガの八支分』です。
その中でもヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は
日常生活の中で活かしていくことができる大切な智慧です。
ヤマは他者に対する行為であり、
ニヤマは自らが勧んで行っていくものとされています。
(内容は付属の資料を参照してください。)
*これらの大誓戒は普遍的なものであり、時・場所・時間・環境に制約されない。(ヨーガスートラより)
★ヨーガやヤマ・ニヤマを実践していくことの意味
・ 時代に左右されない不変の真理であり、
自分の身体を通して納得しながら、体得していくことができる。
・ 心には無意識の癖・習慣性がある。
しかし、心の性質を理解し、ヨーガの教えを実践していくことで
心は変えることができると聞く。
ヨーガやヤマ・ニヤマの実践は、
それを行うための心の訓練であり、外に向かっていた意識を自分の内側に向け、
自分の心を見つめ、調えていく作業である。
・ 人生の壁にぶち当たった時、その原因を見極め、
次へ繋げていくためのエネルギーや智慧をもらうことができる。
★ヤマ・ニヤマの解釈
・ 人間の見栄・欲望は果てしなく、
そこに執着すれば自分の欲望が満たされない苦痛のために“愚痴”が出てくる。
ヨーガを学んでいくと少しずつ客観的に心を見つめていくことができるようになり、
愚痴が何の役にも立たないものであることを知ることができる。
また、あるがままで十分に満たされていることを知り、
何気ない日常に喜びや幸福があることにも気付き始める。
このように今の中に“足るを知る”というのが、「知足」の教えです。
・ また、この「知足」と対応しているのがヤマの「不貪」。
自分に必要なものとそうでないものを区別し、
他者から必要以上に貪ることをしてはいけない。
何かをねだる行為も「不貪」に反する。
ただし、日本では、贈り物をしたり、お返しをしたりという習慣があります。
物が動いて、はじめて理解できることや道理が通ることもあるが、
見栄を張らず、状況に応じて、分相応に行うことが必要である。
・ ヤマの「正直」は、他者に対して嘘をつかず、誠実であること。
見栄をはる必要はなく、あるがままの自分を表現していく。
偽ることは清らかな思いではなく、ニヤマの「清浄」に反するものである。
・ また、ここでいう「清浄」とは苦しみの原因を生み出す心を清浄に保つ・浄化するということである。
心の浄化を促すには、真実でないものに真実を見ようとする「無知」をなくしていくことである。
そのためにはアーサナーや瞑想・真理の学習・日々の実践を通して、
まずは“真実とは何であるのか”を知ることからはじめなければならない。
実践あるのみ!実践を通して、真実を知ろうとする気持ちを大切に育てていきましょう。
・ ニヤマの「タパス(厳しい修行)」とは、体を痛めつける苦行ではなく、心に対する訓練のことである。
日常生活においては、“寒い・暑い”“心地よい・悪い”など
自分の好みや得意・不得意などによって左右されない心を作っていくことである。
時には、嫌なことから逃げず、向き合っていくことで、自分勝手な思い・基準に気づき、
心の訓練によって、それらを克服していくことができるのである。
・ 最後にヤマの「純潔」については、体だけではなく、精神的にも純潔であること。
不倫もこれに反することである。
以上のような内容を広場で学び合っています。
ヤマ・ニヤマに関しては自分自身の成長のためにもっと積極的に深く学んでいきたい内容です。
はじめから、100%完璧に実践することはとても難しいことですが、
いつかできるではなく、今から少しずつでも実践していけるよう心がけていきたいものです。
ヨーガ部由美より