悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

実るほど頭を垂れる稲穂かな

2017-02-08 14:24:14 | 雑記

渡良瀬の土手から総合公園に下りていく道は、狭いので自動車がくると止まって待つ。
稀には道に入らず待ってくれる車もあるが、たいていは入ってくる。
端によって待っていると、当たり前だと言わんばかりに目の前を通過していく車が多い。
稀に、頭を下げて通過していく人がいる。今日あった人もそうだった。
私の後方から下りてきて、すれ違いざま、同級生のI君と気がついた。
後ろから近づいてきた上に、私は帽子を被っていたので、彼は気がつかなかったようだ。

彼は、中学時代サッカー少年で、長じて教職に身をおいた。
すれ違い後、タイトルのことわざが浮かび、その意味について思い巡らした。
とくに付き合いがあったわけではないが、校長や教育委員会の仕事をしたと聞いている。
地位を得ることと、人格者であることが結びつき、このことわざが生まれたと思ったが、
人格者であるから頭を垂れるのであり、地位があるだけの人に対しては、揶揄の言葉か。
地位を得るとふんぞり返る人が多くなりがち。ちょっと待てと、皮肉る意味で言うのか。
どうも後者の意味で人口に膾炙するのではないかと、思えてきた。

一介の散歩老人が道を譲ってくれたことに対し頭を下げた彼には、素直に前者を捧げたい。