パリ、モンマルトル墓地に眠る天才舞踊家ニジンスキーのお墓には、今でも舞踊家や愛好家、ツーリストなどが訪れ、花が絶えないが、この1月20日、ニジン スキーのお墓に、夫人のロモラの遺骨が一緒に納められ、静かな話題を呼んだ。
ニジンスキーは、ディアギレフの主宰するバレエ・リュスの栄光のスターだった が、精神分裂症をわずらった末、1950年、ロンドンで亡くなるという悲劇的運命をたどった。
その後、バレエ・リュス最後のスターで、パリ・オペラ座に君 臨していたセルジュ・リファールが、自分とニジンスキーと、18世紀に生まれた”舞踊の神”オーギュスト・ヴェストリスの三人のお墓を並べたいという夢を 抱き、モンマルトル墓地にニジンスキーのお墓を移した。
しかし、自分の死後,夫と同じお墓に入りたいと願うロモラと、ニジンスキーのお墓の所有権を持つリ ファールとの間に確執が起こり、ロモラは、同じモンマルトルに別にお墓を買い、いつかニジンスキーと一緒に埋葬してほしいと願いながら、1978年に亡く なった。続いてリファールも、1986年にこの世を去り、パリの南のサント・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワのロシア人墓地に埋葬された。ちなみに、ここに は、ヌレエフ、クシェシンスカ、プレオブラジェンスカなど多くのロシア人亡命舞踊家たちが眠っている。
リファールの死後も、墓地の問題は、両家の遺族に引き継がれたが、2001年に、リファールの相続人であるリラン・ダルフェルド伯爵夫人の合意が得られ、ニジンスキー夫妻は、ようやく一緒に葬られることになった。
ニジンスキー夫妻の眠るお墓は、22区画にある。ロモラの遺骨が、28区画から移されてまもなくお墓参りに出かけてみると、墓前には、写真のように立派な 花環が供えられていた。おそらく遺族が集まってセレモニーが行われたのだろう。ニジンスキーの魂もようやく安らぎを得たのではなかろうか。
なお、ニジンスキーのお墓の上に飾られたペトルーシュカの彫刻は、後から付け足されたもの。もともと第5区画にあるヴェストリスのお墓と、そっくり同じ 形をしていたのがシンプルで好ましかったのだが、数年前、ペルミのディアギレフ博物館の館長によって、『考える人』のようなポーズをとった人形が設置され た。残念ながら、偉大な舞踊家の面影を伝えていないため、評判は芳しくないようだ。
http://www.chacott-jp.com/magazine/world-report/from-paris/paris0502a.html
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「ヴェストリス」「ニジンスキー」「セルジュ・リファール」のお墓が並んでいるなんて凄いですね。ついでにロモラに対する意地悪が気の毒です。
セルジュ・リファールはディアギレフの恋人だったこともあるし、ニジンスキーのレパートリーを踊ったこともあるはず(逆にニジンスキーには彼の「牧神の午後」といったバレエ・リュス時代の代表作を踊ったり、彼のバレエ団で上演する権利はなかったのです)
自分の愛人で自分のバレエ団の天才ダンサーであるニジンスキーが、ロモラと結婚した途端に、ディアギレフのニジンスキー虐待が酷すぎますね。ニジンスキーのことを誰よりも知っていたはずなのに、残酷だな、と思います。
「自分が育て、愛していたのに、結婚を機に破滅させる」・・・どこかで聞いたような物語です。
ディアギレフはニジンスキーを虐待したんですね。バレエ団から解雇しちゃったんですよね?露骨過ぎる激しい愛憎ですね(゜△゜;)
「結婚を機に破滅させる」=「自分の物にならないのなら破滅させる」屈折しているけれど、深いですね。どこかで聞いた物語です(*^〇^*)
ディアギレフの虐待というのは⇒彼の得意のレパートリーの上演を許さなかったので、ニジンスキーのバレエ団は興行的にも苦しく、バレエ・リュスからダンサーが移籍しようとすると阻止しようとしたり、と言ったことです。
ついでに戦争も起こったりとバレエリュス離脱後は苦難に満ちていたようです。
やはり世間は知名度の高い作品を求めるでしょうし、バレエ団経営という重圧がニジンスキーの精神を蝕んでいきます。
(せめてニジンスキー自身が振り付けした「牧神の午後」だけでも上演を許すとか、大目に見てやって欲しいところです)
かつては愛し合った人からの仕打ちに深く傷ついたことだと思います。
「普通そこまで出来るかな」と思うのですが、やれちゃう人間がいるのだな、とビックリです。愛も憎しみも激しいんでしょうね。
と、ディアギレフの事を考えたら、例の悪魔&家庭教師もこんな感じなのかな~、と思いました(^^)
(でもカール様の場合ちょっとだけ純粋な部分も感じさせて、王子を破滅させて心から喜んではいないような気がしなくもないです)