=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

「木の値段は高い」

2009年09月30日 | 【授業】伊那技術専門校木工科
ようやく私の箪笥の木取りが終わりました。

ついつい木のいいところを使いたくなったり、ここまでならまだ使えるという基準がわかっていないので、材料の無駄がたくさん出てしまいがちなのですが、そこを先生に見てもらい、

「こんなに余ってんじゃねーか」

「ここ全然使えるじゃねーか」

と言われながら木に墨を引き終わりました。


上の写真が私が使用する材料です。
これでも箪笥本体と抽斗の前板に使う「サクラ材」だけで、
抽斗の中の板に使う「シナ材」はまだこれからです。


今回使用するサクラ材は、

およそ 2.5メートル×25センチ×2.5センチの板×8枚

体積を正確に計算すると、

=0.1153立方メートルでした。

つまり、1メートル四方で厚さが10センチの木の塊を想像してください。


ちなみに、サクラ材のおおよそ、かなりおおよその市場価格ですが、

20万円/1立方メートル

つまり、私の箪笥はもう材料だけで2万円くらいになっているということです。
(巷の家具は数千円で立派に作っているなーとつくづく感心してしまいます)

しかもこの材料、まだこれから切って削って、長さや厚みをそろえていくので、最終的に家具となる部分は、材料の60%ほどになってしまいます。



私も学校に来てから初めて、

「家具を作るのにこんなに材料を使うのか」

「木の値段ってこんなに高いのか」

ということを知りました。


ここにさらに、

・抽斗の中の板
・裏側の合板
・塗装
・金具

そして私の人件費が加わると一体いくらになるのでしょうか?

とても怖いですが、

それに見合う商品に作り上げようと思います。



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制約条件

2009年09月30日 | 【授業】伊那技術専門校木工科
いよいよ自主製作の第一弾「田舎箪笥」の製図もどうにか先生にOKをもらい、今日から木取りです。

◆製図風景
中には頭が煮詰まってしまっている人もいます。



◆材選び



材料室にはたくさんの木があります。
現在在庫が多い木は、

・セン
・シナ
・ナラ
・クリ
・クルミ
・サクラ

などです。

いろいろな樹種から選べるのは贅沢ですね。
しかも今年で伊那の木工科は廃止なので、使い切ってしまわないといけない?

◆木取り
私は結局、樹種は「ヤマザクラ」にしました。
そのやわらかい木目と暖かな色調に目下はまりつつあります。
将来的にも重点的に扱っていきたい樹種としていろいろと妄想中です。



さて、隣の部屋に選んできた板を並べて、とにかく見ることから始めます。
1時間くらいは見ていました。(プロにとっては木取りは非常に重要な段階なので、何日間も見ている場合もあるそうです)

品質×木目×製作しやすさ×無駄なく

これらの相反する要素を組み合わせて、作っていく家具を想像するのはとても楽しい時間です。

もうちょっと明日に続く。。
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かっこいい、シュール!「四大浮世絵展」

2009年09月28日 | 【お出かけ】木のむくまま
こんなにかっこよくてシュールな人物がいたのか!

私は今まで「写楽」について何も知りませんでした。

実は写楽というのはペンネームで、作者が誰なのかわかっていないのです。(いろいろな研究による説はありますが)

当時の浮世絵界に忽然と現れるやいなや、わずか10カ月間に、150点あまりの大量の浮世絵を制作した後に、これまた忽然と消えてしまった。

そして現在に至る今でも、その正体がわかっていない。


そんな浮世絵師がいたんですね。

きっといろいろな事情もあったかと思いますが、それにしてもかっこよすぎます。
なんだかんだで足がつきそうな現代にはないミステリーというか神秘性を感じます。

■東洲斎写楽

■葛飾北斎

■歌川広重

■喜多川歌麿


浮世絵の4大大御所の作品を拝見できる貴重な展示会でした。


水野美術館「四大浮世絵師展」
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「こんなに計算しつくしていたのか!」東山魁夷館

2009年09月28日 | 【写真】一本の木
信濃美術館と隣接していました。

私は美術には疎いですが、あの有名な「湖面と林、そこに一頭の白馬」というと思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。

前述のとおり、私は美術に疎いですが、芸術というと「インスピレーション」でババッっと描くイメージがありますが、東山さんはそれと正反対。
もちろん芸術家の方々は凡人の見えないところで、緻密な計算に基づいて描かれていると思うのですが、それにしても東山さんの下絵はすごかった。

唐招提寺の大きな画を描くときなんか、10メートル以上の画に対し、方眼を引いて、しかも浜に打ち寄せる波のバランスを研究し調整しておられたのです。

きっと東山さんの目には、大きなキャンパスに映るすべての波の、いちしぶきさえも頭に入っていたのでしょう。
こうした積み重ねでできていたんですね。


自分の作る箪笥の部材の寸法もまだ完全に頭に入っていない私は相当反省です。

◆東山魁夷館HP

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人間国宝にお会いする(1)

2009年09月27日 | 【お出かけ】木のむくまま
今日は長野まで遠征です。
伊那と長野はおよそ110キロ離れていて、ちょっと気軽に行こうというわけにはいかないので、「木工の人間国宝のお話が聞ける」ということを大義名分にやってきました。

会場は、善光寺の脇にある信濃美術館「日本のわざと美」展です。そして接して東山魁夷美術館があります。

まずはじめに、はっきりいって私は「人間国宝」を誤解していました。
人間国宝というのは俗称であることを知っていましたが、その意味をあまり深くは知らず私はその「人物」に注視しすぎていました。
人間国宝とは、文化財保護法による無形文化財の保持者を言うことは間違いないのですが、そもそも無形文化財とは芸能、工芸技術等の無形の「わざ」そのものを指します、その「わざ」はこれを高度に体得している個人または団体が体現する。そして、日本国政府はこの「わざ」を体現する個人または団体を重要無形文化財の保持者または保持団体に認定し、その継承の支援と保護を行っているのです。

つまり、
対象は、その「わざ」
であり、
認定は、「個人も団体」
もあるということです。

人間国宝の作品を見ることはよくありますが、
あれらの作品は、「わざ」を通してできた結果であり、この法律でいう大切なことはあくまでそのプロセスの「わざ」なんです。
したがって、会場には木工や染色の「わざ」以外にも、染色するための、例えば藍染の藍を栽培する「わざ」とか、織物の織機の部品を作る「わざ」、木工に関して言えば漆を掻いたり精製する「わざ」も、重要無形文化財に指定されていました。

そして、それらの「わざ」は、個人単位だけでなく、団体の単位もあるのです。
(団体認定の場合は人間国宝とは言いませんが)
例えば演劇などは一人では完成しません。あくまでそのグループや団体があって初めて成立するものですし、各地にある○○保存会というところの活動も突出した個人がいなくても、その団体が認定されています。

それ以外にも、とても難しい各種美術品の名称の由来も理解できました。
中国料理の名称のつけ方に似ていますね。







作品の中で気に入った点は以下です。

■「木工」黒田辰秋さん
昔雑誌を見ていたときに、「こういうの作ってみたい」と目が止まったのが、黒田さんの作品でした。今日は初めてそれを目にできました。

■「桐塑人形」市橋とし子
この素朴な人形にとても目を惹かれました。
とくにこの人形のおばあさんと目を合わそうと思っても合わせられない。このどこを見ているともわからない視線は、いったいどのように作るのだろうかと思いました。

■日本刀
にぶく光るその刀身はたしかに芸術品です。でも刀はもともと道具です。道具は使われてこそ価値があるということを考えると(別に現代に刀殺人を促しているわけではないですよ)、芸術品になってしまったものになにか寂しさを感じます。
家具も同じです。使われずに博物館に並ぶようになったら寂しいですね。


さて、上記以外にもさまざまな重要無形文化財が紹介されていました。

そして、いよいよ人間国宝「大坂弘道」さんの講演です。
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人間国宝にお会いする(2)

2009年09月26日 | 【インタビュー】木の先人方
本日お話が聞けたのは、人間国宝の大坂弘道さんです。
正倉院宝物などを復元するなどの実績をお持ちです。
非常にオープンなお話をして頂き、ためになっただけでなく大変楽しむことができました。

以下、お話の中での私のメモッたお言葉です。

■「木工が好きでなったわけではない」
職人さんによく聞かれる言葉ですね。大坂さんも兄弟が多く東京に出て自由になりたかった。昔は金工をやっていたけど、どうしても入賞できず木工に転向したなどのエピソードをお聞きしました。

■1/3主義
今まで人生1/3ずつ生きてきた。20代までの勉強の時期、40代後半までの教師生活(その間創作活動は継続)、そして現在に至る木工家としての時期。バランスが大事なのだと思います。

■「正倉院はすごい」
あそこには宝物がいっぱいある。写真で見たり、ガラス越しに見るのと、自分で手にとって実際に見てみるのでは全然違う。

■「微細の美」
正倉院の宝物はこの一言にまとめられる。微細な小さなものに大きな世界のことが凝縮されているという意味のお経もあるという。微細を勉強することは大きな世界の摂理にもつながるということ。

■「工芸品は小さくなくてはいけない」
昔、工芸品はお金持ちの旦那がお客さんに自慢するものだった。そのため小さなものであった。それが今の工芸品は展覧会のためのものになり大きすぎたりする。

■「箱が主役ではいけない」
箱はもともと宝物、貴重なものという主役をしまうための入れ物である。それが最近は箱自体が工芸品になり、展覧会に出品され、箱自体が主役になってしまっていることがある。また何を入れるものか明確でないものもある。これではいけない。

■自分の原動力は「人のやってないものをやろう、人の見てないものを見てやろう」
たいてい人が作れるものは人が作れるものである。自分だけのものを作りたいとか、正倉院の中は一般人が見ることなど許されていない聖域、そこを見てみたいという思いで木工を続けてきた。

■「歳をとると作風を変えないといけない」
名人でも歳をとると目が悪くなり、どうしても細かな作業、文様彫りなどは厳しくなるそうです。頑なに縛られるのではなく、自分の作風を変えていける勇気を持ちたいですね。

■「ゆっくり作って3年」
ひとつの作品にそれくらいの時間をかけることもあるそうです。「だってずっとやっているとい飽きちゃうじゃないですか」こんな気持ちのゆとりが継続するには必要なのでしょう。

■「ものつくり」であり「ものかたり」ではないので悪しからず。
講演の最後に、講演を謙遜して。
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「塗装でばれる」 整理箱の完成

2009年09月25日 | 【完成品】独立前の作品です
やっとこ整理箱の塗装も終わり、正式な完成です。

苦節3ヶ月?よくもあの板がこんな形になりました。
製作法もわからずグループの方々にかなり教えてもらいました、ありがとうございました。

いろいろな失敗もありましたが、最後の完成状態は自分なりに気に入っています。
いやいやこんな程度で満足してはいけませんね。

それにしても塗装というのは怖いものです。


鉋がけが失敗した逆目ぼれ

はみ出たボンドの拭き忘れ

研磨の横擦り痕

うっかりした傷

などなどが、着色、目止め、下塗り、中塗り、上塗りなど、塗装工程を重ねれば重ねるほど目だってくるのです。普通、塗れば塗るほど隠れると思うでしょ。逆なんです。浮き出てくるように目だってくる。

自分のいい加減だった作業のところをあぶりだしてくれてるようです。

とっても怖いです。
下手やいい加減な仕事は決して消せない、隠せない。

ひとつひとつの工程をしっかりやっていこうと改めて思いました。


整理箱もしばらくは部屋に置き、失敗した箇所を忘れずにときどき思い出せるようにしておきます。

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「完成形から考えろ」

2009年09月24日 | 【師の教え】田中語録
いよいよ自主製作がスタートします。

各人が悪く言えば好き勝手なものを作りはじめるのですが、まずは最初に設計をしなければいけません。

その際に先生から一言。

「完成形から考えろ」

これは、設計や工程、作業方法などを作っていく順番通りに考えるのではなく、逆に完成形や最も難しい工程からブレイクダウンして考えろということです。
こうすることで、作業がスムーズになったり問題を予め把握することができるのです。
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おにろく工房

2009年09月24日 | 【インタビュー】木の先人方
鹿児島から遊びに来てくれたMくんを奈良井宿へご案内すると、奈良井駅前に小さな木工ショップがありました。

なんとなしに足を踏み入れてみて数十秒後、お店のご主人とのお話が始まっていました。

ご主人は、高井修さん。
千葉県のご出身で、20年ほど前に上松技術専門校をご卒業され、独立して工房を開かれたそうです。
現在は平沢にご住居と工房、奈良井宿には5坪のお店を持っておられ、私からすればうらやましい限りですが、ご家族を養いながら現在に至るまでにはスキー場のアルバイトをされたりもしてこられたそうです。

品物はお椀や木のおもちゃ、アクセサリーなどが多く並んでいます。
大きな家具を作るには、当然たくさんの木が必要ですし、小さなもののほうがクラフトフェアなどでも小回りがきくこともあって、自然と今のラインナップになっていったそうです。

材料の確保というのは、私が考える以上に大変なようで、独立するのであれば私もしっかりと考えなければいけません。

工房名の「おにろく工房」の由来についてお尋ねすると、それは「だいくとおにろく」という昔話の絵本につながっているそうです。昔、その絵本を読まれたときにたいそう気に入って、技専時代の自主製作の作品の目立たない場所には「おにろく」と書くか刻んでいたそうで、先生にバレたときには怒られた、なんていうお話をもしてくださいました。

高井さんは、お話をしながらも手はひとつの木片をずっと削っていました。

「その木片で何を作っていらっしゃるのですか?」

とお尋ねすると、

「いや、自分でもわからない。彫っているうちに何かになってくる」

いいですねー、こんな台詞いつか言ってみたいと思います。


高井さん、突然でしたがありがとうございました。


■おにろく工房HP
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ウエンジンさまのトチの木(贄川)

2009年09月24日 | 【写真】一本の木
九州で大きな古木を見て以来、大きな木があれば見にいくようにしています。

樹齢数百年、数千年という古木を前にすると、あのなんとも言えない荘厳な感覚に心を奪われ、またこの木が生きてきたであろう時間をタイムスリップして考えてしまいます。すると、この木がまだ細木であった時を考え、それがよくもまあこんなに大きく成長されたこと、まさしく奇跡と思ってしまうのです。

今日は木曽の奈良井宿に来ましたので、その少し先にある「贄川のトチの木」
を見てきました。

樹齢は約1000年。
ちょうど源氏物語が完成したり(1010年頃)、藤原道長が「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も・・・・(1016年)なんて詠っていたころ、この木は芽吹いたことになります。

木の下には小さな祠があり、地元では「ウエンジンさま」と呼んでいるそうです。


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