南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆何の疲れ

2013-04-15 22:37:59 | 行動

 1550 疲れて寝てしまって、目が覚めたのが5時を回っていた。なぜ疲れたかというと、ゴルフの後。ひと眠りしたあと、友人と約束しておいた予定通り、私としては何年振りかにブロックMで食事をしてそののちカラオケへ、カラオケから出たのが22;30、家に着いたのが23;30過ぎ、他の人はほとんど歌を歌わなかったが、私は、女性と話は何もしないで、何曲歌ったのだろう、歌い続けた。そして、疲れ切った。やはり、何年か前とは、体力が違うなと思う。その後、爆睡である。よく眠った。

パパヤへは二つ月に一回ほどの割合で言っているが、明るい内だし、奥まで入ることはないし、ネオンの明るさが見えないので、どう変わっているのか、知ることが出来ないでいた。別に知らなくてもいいのだが。

 

食事はある中華料理屋、その場所は昔、日本食レストランだったがコンビニに一時替っていた、そのコンビニが閉じられて、日本人が所有する中華料理屋に替っていたのでした。日本食レストランで10年以上前に在って、今も続いている店は三軒か、四軒でしょうか、全部でざっと十数軒なる。日本人向けカラオケは昔のまま続いているのは、20軒以上あるだろう中の3軒くらいだけのようだ。様相は大幅に変化していた。光の様子も替っていた。

 

中華料理屋で話が出たが、アルコール類の持ち込みは、どこの料理も無料になっているとか、食事の価格も、競争が激しいのでしょうか、チカラン辺りの日本食レストランと違わなかった。7時過ぎに出た時には満席だった。

 

日曜日だから空いているのでしょうか、カラオケの料金を連れの一人でブロックM慣れしている人が、事前に交渉してくれた結果の料金が、何人かでも、私は30万Rp,その他のアルコールを飲む人達は50万Rpでした。これは安い、実際、そのカラオケは、私たちがいの客はいただろうかと思うくらい、他の部屋に人がいる気配はなかった。

 

 雨だったし、夜の様子を見たのは、10分程度なので、断言はできないが、賑わいは、減っているようだったし、すたれてきているなという印象、他にも似たような場所が各地にできているからでしょうか。

 

 行きの高速道路、ジャカルタ方面に暗雲が立ち込められていて、雨が降っているなというのが分かる。ポンドックグデティムール辺りから大粒の雨になった。しかし、夕日は眩しいので、運転をしにくくなった。

 変貌 疲労 最後

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(^_-)-☆また、予知外

2013-04-14 19:49:13 | 能力

 1549 また、私の予測が当たった。淡路島の地震です。その道の権威と言われる方々が、予測や予知をしていて、何年以内の大規模地震が起きる確率が何%とか、犠牲者が何人くらいになるとか、津波の高さな何Mに達するとか、何十年も前から言っていて、この二年くらいは、その規模や範囲を広げている。

 私の予想か、“権威と言われる人々が予測しない場所に、大きな地震が起きる“です。あれほどの東北地震を予測しなかった。阪神大震災も奥尻も中越も福岡沖も島根西部もことごとく、彼らが思いもかけない場所と規模で発生していた。今回の地震も全く彼らの頭には入っていなかった。

 私の今後の予想も変わらない、今の地震専門家の皆さんが言っていることは、場当たり的な口から出まかせ、ただの“オオカミ少年”集団です。予算の配分をしなくてもいい。もっともがけない、ひらめきのような、新根拠を示すような、ちょっと変なことを唱える人に予算の配分をした方が無駄使いが少なくなる。

 ということで、私がこの世にいる間に、東京直下型の地震はないし、東南海沿いを震源とする大震災も大津波もない、富士山周辺の大噴火もない、日本の今予想されていない地域でM6以上の地震は10年に一回程度の頻発さであるでしょう。例えば中国地方は九州南部。南部北海道などです。

 

 変なことに地震が起きてから、活断層がどうのこうのと言っている。言っている本人たちは、恥ずかしくないのでしょうか。日本中、断層、活断層は無数にある。それに断層と活断層はどこが違うのでしょうか。明確に線引が出来るのでしょうか、地震が起きるから断層が出来るのではないでしょうか、断層が地震を起こすのでしょうか、断層が起こすなら、日本国中、断層による地震が起きる可能性があるし、断層が起こすのではなく、地震が起きた時に当たらすく断層が出来たり、今までの断層がもっと大きくなったりするなら、断層のことを言っても仕方がないでしょう。震源になる理由や場所を追求しなければならない。権威が予想できない場所、思っても見ない場所で震源になっているこだから、今までの常識のようなものをすてて、まったく新しい追及の仕方が出来る人が現れなければ、予測はできない。ということは、現在は的外れの研究をしているので、地震の予測はできないのです。地震学者はそれを認めなければならない。

 

 バリのウングラライ空港で北の空から南の海方面に向けて着陸しようとしたバンドゥン発ライオンエアー機がオーバーランして海に入ってしまった。浅いから五分の一ほどしか沈んでいない。乗客乗員全員、103名は怪我の大小だけで、無事だった。通常は海側から着陸する場合が多い空港で、陸側から着陸することは珍しい、この時は海から風が吹いていたのでしょう。

 日本からの航空機はキンタマニやアグンの山の上空を通過して、デンパサールの上を通りすぎ一旦インド洋側に出て、Uターンし、海鮮料理レスタランで有名なジンバランの海岸を右に見ながらウングラライ空港に着陸します。

 

この花は何?

あきれる 目を覚まして 無意味

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(^_-)-☆難しい分け

2013-04-13 23:58:16 | 押出成形

 1548 原料を手配するのが、今さらながら、難しい。汎用樹脂ではない上に、その中でも特殊配合をしたもの、それと、押出用高粘度樹脂の手配を海外から調達でしなければならない。まず、第一の問題は、見積もりを取るところから始まる。私が扱おうとしている原料はインドネシア国産ではないものばかり、主に日本からだが、日本のメーカーが進出しているシンガポールやタイから輸入する場合もある。汎用樹脂ならワンコンテナが最低扱い量という制限がある場合があるが、特殊樹脂についてはそういう制約はない代わりに、価格が扱い量によって大きく変わるので、まず、何キロを手配する場合と言わなければならない。   

 

どういう客先に向けるのか、の質問が必ずある。それにこたえなければならない、特殊なグレードなので、今まで買っている押出成型会社の客先とダブってしまっていてはまずいからである。特殊なだけに、その原料を使う業界や製品を必要とする会社が限られているからです。海外の会社でも、今まで、その原料を使った押出製品を日本から輸入しているのですから、輸出元の押出成形会社は、どこ向けで、何用、という話はしてあるはずです。だから、正直に言っていいかどうか迷う。

 

見積もりを頼む商社の担当者は、私が頼む樹脂について、聞いたことがあるくらいの知識しか持っていない。だから、メーカーはどこでもいいから、何という樹脂の押出に適した樹脂を捜して、見積もりを取ってください。というような、頼み方をしたら、いつまでたっても、返事は戻ってこない。担当者は、分からない、知らないから、メーカーとグレード名、品番を指定してほしいとは言いにくいらしい、多分、何とか、調べてくれているのだと思うが、黙っていれば、永遠に放っておかれる可能性がある。

 

例えば、PBTの押出し用、と頼んだだけでは、PBT?押出し用?となってしまう。テフロン何という話になったら、完全に、どうにもならなくなるので、分かってもわからなくても、このグレードと指定するしかない。担当者は、メーカーに何か質問されても、なにも答えられないので、ただ、その樹脂を見積もってくれと、頼むしかない。

 

見積もりに、納期を書かなければならない、一回目の試作や量産に当たって、原料の入手期間が、船なら45日、エアーでも手続きを含めて10日掛かるので、それを書くまた、量産に当たっては、まさか、毎月、注文をもらってから輸入するわけにはいかないから、最低三カ月の注文フーキャストをもらって、ある程度の保証を受けておかなければならない。

 そして最後に、どの樹脂の価格も高い、キロ何千円するものもざら、これは、製品の注文を出す方の話だが、試作だけで、ただ、やってもらっただけという話では、どうにもならないので、注文書という形を最初から取ってもらわなければ、引き受けられない。原料をある程度の量、輸入したはいいが、その製品はいらないと言われては、他の客先に使いようもないまま、高額の在庫で残ってしまうからだ。

 

 定食4万Rpで、昼時だけ、テスト販売としてセービスをする“にじ”という日本食レスタラン、てんぷら定食と二階の一番奥のVIPルーム、リッポチカランのシンガラジャ通りのヲーターブームから入ると一番向こうの左端、ローソンに接している。

特殊 高価 少量

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(^_-)-☆治す薬がない

2013-04-12 23:35:02 | 病気

 1547 風邪がやっと回復に向かっている、日本での花粉症から解放されて、やれやれ、と思っていた矢先に、キツイ風邪を引いてしまった。それも、今週末には治る流れになっている。客先訪問もマスクをしながらだし、運転中も咳のしっぱなしだったし、鼻水、ずるずるの状態で、まいってしまった。

 

昨日からの続きの話、インドネシアで接した同じ会社の立場的には上の人、ほとんどみなさん私より若い、仕事を指導した若者は30歳くらい私より若かった。そういう人も含めて、ほとんど、全員が、“寝ながら人を起こす”タイプだった。自分が率先してやらない人が、インドネシア人や他の日本人に、あれやれ、これやれ、と言っている。お前は、だめだとか、努力が足りないとか、スキルが低いとか、言っている。それも、大勢が居る前で、大声で、日本語で、プッツン状態で言っている。まったく、見にくい、聞きにくい状態だ。周りに人々は、またかよ、といった顔で見ている。自分にもいつか降りかかってくると思っている。会社の雰囲気を悪くし、この人のために仕事をしたいとは思わなくなる。

 

そういう人たちは、私には、ある時までは、我慢をしているのでしょう、他の人に対するような怒り方をしないが、ある時に我慢が出来なる瞬間が来る、気に入らないことが、私の口から、一言出た瞬間、どっと、我慢の堤防が決壊する。私に怒鳴りだす、そののちに無視し始める。そういう人は、他の人には威嚇を繰り返しているのだから、いつかはそうなるだろうと予想される。聞いている私は、この人、気の毒に、的外れなことしか言えない、と思っている。反論すれば、もっと興奮するばかりなので、聞いているふりをしているだけ。

 

私の存在は、そういう日本人に比べると、言葉はできるし、部下、インドネシア人に優しいし、よく話を聞くし、皆さんの生活も援助するし、今までできなくて断っていた製品の注文は取ってきて、客先の期待にもこたえるし、その会社の利益にも貢献するし、仕事も長時間するし、自らやって見せるし、休日には、皆さんを遊びに連れて行くし、とにかく、インドネシア人からの受けがいい。

それが、気に入らないのです。うまく使えばいいのに、排除しようと考えるのです。自分の支配に危機感を持つのです。極端なことになるが、従業員全員が私なら、自分たちの不満や恐怖を和らげてくれるとおもうようになり、会社を乗っ取られる恐怖心に苛まれるのです。

 

 そして、私にしてみれば、思い当たることがない、理由を並べて、怒りを露わにするのです。仕事をしない人が、仕事をしている私にカッカとしているのです。仕入れた情報が間違っているかどうかなどの確認ができない人たちですし、私の仕事に関して、まったく素人さんです。技術の評価など全くできない人たちです。私に何もしなくていい、ということは、会社の利益を大きく損ねるなどということより、自分の眼先の利益を優先するのです。

 その人たちの三分に一以下の費用で、その人たちが出来ないことができるのですから、おだてて上手に私を利用するのが、本当の経営者だと思うし、そのくらいの余裕を持てる人がいないものかと思う。現実は余裕がない人ばかり、結局、本人がストレスをためるだけだ、気の毒に思うしかない。ずっとその状態が続くわけではない、そのポジションから降りた時、みじめな思いをするだけである。そして、消えてゆくだけです。

やって見せて手本になるような人になってください。インドネシア人からあの人と出会えてよかったと思われるような行動を取ってください。難しいでしょうがね、性格ですから。資質ですから。

 

最後に、70年前の頃それ以前、20年間くらいの日本軍が中国、韓国、東南アジア、南太平洋で多くの人々に今でも恨みが消えないような酷いことをした。それは、今日、書いたような人々の仕業です。これは、現在のそういう人種の行動言動から、当時のことが想像できます。そんなひどいことはなかったという人もいますが、私は、やっぱり、昔の日本軍は酷いことをしたんだと思う。

 

そろそろ、本格的な修復舗装が始まった、国道とまだまだ深い穴だらけのコタ チカランのメイン道路。

気の毒 進歩なし 雰囲気

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(^_-)-☆生き方の源流

2013-04-11 22:57:21 | 考え

 1546 小学生の時に植物図鑑でラフレシアを知り、音楽の時間に“ブンガワンソロ”を歌い、キャンプファイアーで“可愛いあの子は誰のもの”を教えられて、インドネシアへの憧れというか、大人になったら行くぞと決めた。

 

それと同じころ、音楽の時間ではないが、四年の国語の時間で“寝ていて人を起こすな”という題名の章に深い影響を受けた。何日間、予習復習で家でもその章を朗読した。どういう話かと言うと、毎年氾濫する天竜川の堤防を、私財をなげうって、率先して作った人、その地方の庄屋さん金原明善さんの話です。知りたい人は検索してください。モッコに石を載せて運ぶ姿が挿絵になっていた。何度も何度も、寝ていて人を起こすなと大きな声で読んでいたので、母親も覚えていて、同じ部屋に家族が寝ていたが、電気がまだついていて、私が最後に床に就いた。全員が寝て仕舞った状態になった。私が、誰か電気を消して、と、言った時、母親が“寝ていて人を起こすな”と言った。私はギャフンだった。起きて電気を消して床に入りなおした。ということで、人がまだ寝ている時間に早く起きて率先して堤防を築こうとした金原翁の影響を受け、村人全員が協力して堤防を完成させたという話でした。後の植林も行った。治山治水の典型的な人でした。

前後して、自動織機の豊田佐吉さんのことも勉強した。

 私の生き方はその影響を強く受けている。率先して課題に仕事に飛び込む、他人が付いて来るか来ないかは問題ではない、だから、色々な役目も率先して引き受けた。小学校の低学年のころからクラスの委員長をやっていたし、当時は青少年赤十字という組織の名前になっていたので、分団長と言っていた。高校大学ではクラブのマネージャーやキャプテン、会社では労働組合長など、本分と違う方面の役目もやってきた。寝ていて人を置くす人が多かったサラリーマンを止めて、そして、社長もした。社長をしていた20年、一度も怒鳴ったことはない、頭に血が登った事もない。うまくいかないときには、私の指導の仕方が間違えていたと思うし、その方法自体が、私にはできるが、他の人では扱いが難しくて、できないから、できる様に改善しなければならないと思った。

 その間、仕事は順調だったし、非常に心地よい二十年以上でした。寝ていて人を起こすことはしなかったし、寝ていて人を起こす人も私の周囲にはいなかったからです。私が寝ていて私に起こされた人は一人もいないはずです。

 

 ところが、インドネシアへ来てから、立場上私の上司に当たる人達の多くは“寝ていて人を起こす人”がほとんどでした。1996年に赴任してきて、いきなり、度肝を抜かされた。とんでもない環境に飛び込んでしまったと思った。

 

イジップとヒュンダイを隔てている道を南へ行くと直ぐに、大きなショッピンモールとホテル、アパートのビルディングを建設中だった、そのちょっと南には高級分譲住宅地がある。ここの一戸建ての値段は付き千ドル以上だという、もっとも、リッポチカランの奥の方は千五百ドル以上だというから、普通か。日本人がどんどん入るという、立てる前から予約でいっぱいになるという状態らしい。

60年前 国語 人物 

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(^_-)-☆地震、火山国

2013-04-10 22:47:42 | 環境

 1545 北スマトラのAceh barat東ジャワから 中部ジャワへのbengawan solo banjir ムルアップといって、堤防が決壊するのではなく、元々堤防がない場所がほとんどなので、堤防を越えてということでもない。ただ、水が溢れるのです。溢れ出れば、広大な低い土地に水がたまる、というより、川幅が増すと言った方がいい。治山治水はインドネシアにはない。昔からの地方の王家も堤防を築くという考えはなかったようだ。水は蒸発するか地下へ沁みこんでしまうか、どちらかしか無くなる手段はないので、上流で雨がやんでも、直ぐに水が引くことはない。

 

今朝の地震はジャカルタの南のインド洋、プラブハン ラトゥの沖、10kmくらいが震源でした。M5,5最近は地震情報が比較的、素早く出される。津波の心配はないという情報も流された。09-Apr-13 01:53:42 WIB(Wakut Indonesia Barat)西インドネシアタイムという意味です。この程度の地震でも、もし、昼間だったら、ジャカルタのビルではパニックになったと思う。夜でよかった。

 

 私がインドネシアに始めてきた頃は、ジャカルタ付近に地震はないから、高層ビルの建築基準が厳しくない、という話を聞かされていた。建築中のビルを見ると、なるほど、鉄骨は細いと思った、これで大丈夫なのかと思った。事実、有感地震は全くなかった。しかし、アチェとニアスの大地震が発生して以来、西部ジャワでも一年に一回ほどの頻度で有感地震が発生するようになった。2006年にはパンガンダラン沖が震源で、津波も発生して500人ほど無くなった。スカブミの内陸部でも一度あった。その時には地滑りなどで15人ほど犠牲者が出た。ジャカルタではスディルマンのオフィスビルから避難する時にパニックになって多くの怪我人を出したという話もあった。

 

 ジャワ島の内陸部は火山地帯で、活火山が多い、バンドゥンの南には見た目はスイスの本物と違うがエーデルワイズの一種が群生している、パパンダヤン10年前に大噴火を起こし、山の形が変わった、今でも時々入山禁止になる。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage019.html

 

タシクマラヤとガルッの間にはガルングンがある。スバンとバンドゥンの中間にはタンクバンプラフがある。ここは今も入山禁止という措置が取られていて、インドネシア縦断トゥアーをしている欧米系観光客をがっかりさせている。ジョクジャのムラピは有名ですね。そこまで行かなくても、インドラマユの南、スラメットも富士山とそっくりな独峰で近くの温泉地地帯ダトゥラデンも時々、交通止めになるようです。そう、良く、映画のロケ地として使われる、バンドゥンの南、カワープティも頻繁に通行止めになる。

 洪水 地震 慣れ

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(^_-)-☆ダパッ フル

2013-04-09 22:47:17 | 環境

 1544 先週の金曜日の夜中から、頭がずきずき痛みだした。それ以前に、ウイルスが入ったはずだ。どこだったろうか。土曜日のゴルフは頭が痛い中、強行した。日曜日は頭は治ったが喉が痛みだしていた。

また、風邪を引いた。自分しかいない場所では、温度や風向きを自分に合わせることができるが、公共の場では、合わせることができない、というより、自分に合わない。インドネシアの場合、私にとっては寒い場合が多い。冷房が利きすぎていているのです。

 

何故なのか、アエアコンなどセットされていない、自宅で暑さには慣れているはずのインドネシア人が冷房を強くしたがるのです、部屋の温度を下げたがるのです。16℃の設定で、風も強にしたがるのです。節電などという考えは毛頭なし、現場の人は暑い中(インドネシアでは普通)で汗を拭きながら仕事をしている。エアコンのある部屋で仕事をしている人たちは一種の特権意識があるようで、現場に比べて20℃も違う温度設定にして満足するのでしょう。そして、その気温差による体調の狂いをあまり気にしないのでしょう。いつの場合でもそうだが。私は、冷房が利いた部屋にはると、ゾクッとする寒さを感じる。体が急に冷やされると感じる。半袖ではいられないくらいの寒さを感じる。

 

インドネシアから冬に日本に戻った時に感じる寒さをインドネシアでは一日に何回も感じるのです。歳を取って。毛孔の大きさの自然コントロールが遅くなっていると思うので、年々、その差を感じるようになっていると思う。

 

今までいた会社も現場事務所も同じこと、客として、どこの会社を訪問しても同じこと、エアコンがない会社の方が居心地はいい、在れば必ず、設定は低く風は強くて、寒い。

私の体にちょうどいい温度で微風になっている会社は、今まで、皆無である。レストランやホテルなども同じこと、それぞれの部屋のエアコンをOFFにしても、ビルディング全体が冷えて仕舞っているので、効果がない。

 

暑い国のインドネシア、せいぜい27~8℃に設定すれば、節電になるし、体にも良いのにと思うが、どうも、そういうことを唱える人や政治家や学者もいないようだ。

 

 風邪を引きながらのゴルフ場の風景、不揃いの何とやら。

 

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage034.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage060.html

私の仕事の一部です。あるインドネシアの会社のホームページに紹介されている製品と技術の一部です。インドネシアに来て15年以上経過していますが、今もその会社の主製品になっています。私の技術と教えは生き続けているが、そこの日本人には通じていない。だから、それだけです、その後自分たちで作り上げたものはほとんどないでしょう。その会社のインドネシア人スタッフは、今でも、私に質問をしてきます。私のかわいい弟子たちです。また、その客先からもNGが繰り返されると、相談が在ります。それほど、特別な技術を必要とする仕事です。

私の姿勢は、それらの会社で、できない製品、あるいはやりたくないという意思表示の高い見積もりを出している製品を手掛けようとしています。

 

真夜中に地震の揺れを感じた。かなり遠いか、弱い地震でした。

インフルエンザ 頭痛 喉痛

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(^_-)-☆桜祭り

2013-04-08 22:18:44 | 体験

 1543 土曜日と今日、リッポチカランのファーマーズ マートの前をメインに日本祭りが開催されていた。二日間ともゴルフだったが、昼食はリッポチカランの日本食レストランまで来るので、そのたびに会場の前を通るし戻る。路上に沢山の車が駐車しているので、渋滞になっている、また、付近人は、会場からの帰りかこれから行く人で混雑していた。日の丸の鉢巻きをしている人も目に着いた。

 

今日、会社に用事があって、行く途中に、裏から会場に入ってみた。裏のかなり広い駐車場も一杯で、駐車場に至る道もから側が路上駐車で一杯だった、一台分が空いていたので縦列駐車で何とか駐車できた。

 

会場は大にぎわい、日本文化の紹介とそれに参加してもらうのが主な目的の用で、七夕の短冊に願い事を書いてもらって、笹竹に吊るしてもらったり、折り紙の実演は、体験、着物の着付け、アニメ教室、などなど、どのブースも多くの人がたかっていた。

 

会場のあちこちでコスプレの若者がお互いの状態を撮影しあっている姿も多くみられた。

 

日本人の姿はほとんど見られなかったが、いることはいた。しかし、その人たちは、参加している様子はなく、遠目に眺めているのが寂しい感じがした。

 

私はどうしたかと言うと、囲碁のテントを見かけたので、覗いてみたら、指導している若者がやってみませんかという。9路盤で説明していたようで、盤をひっくり返して普通の19路盤を見せながら、どちらにしますかという。時間がないので9路盤にした。私は、9路盤でやったことがなかった。実際見るのも初めてだったが、やってみた。どうも、勝手が違う、私に黒を渡して、さあどうぞという。多分、学生だと思うが自信満々、私を素人だと思っている。5分くらいで終わった。彼が投げた。さっさと、その場を離れたが、キョトンとしていた。ジャカルタのスディルマンのスミタマスの日本文化センターで囲碁が打たれているのは知っていて、10年以上前にそこで打ったことがあるのが最後で、チカランで、打つとは思わなかった。ちょっと快感でした。

 

 インドネシア人からの人気は高い様子で、主催者も満足したのではないでしょうか。二回目だそうだが、毎年、催されるといいと思う。そして、その機会に私が居なかったのかもしれないが、日本人も近所に何百人といるのだから、姿が見られても良いじゃないかと思う。私も10分ぐらいその場にいただけなので、大きなことは言えないが。

 

 最後に、ミス桜祭りコンテストの会場を通過して、会場を後にした。桜がない桜祭りでした。

 日本紹介 有効 盛況

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(^_-)-☆交通違反

2013-04-07 23:00:00 | 行きすぎ

 1542 私が最初に交通違反で捕まったのは、1997年 パサラヤ ブロックM 当時は西部パサラヤと言っていたデパートの東の道を南下していて、パサラヤを過ぎたところを右折したパサラヤの南に出たところで、白バイの警察官に呼び止められた。ジャラン ファットマワティ方向に向かった時でした。何故捕まったのか分からなくて、きょとんとしていたら、先ほどの交差点ではバスしか右折できない、と言われた。なるほど、前も後ろもバスばかり、ここは道はバス専用道路ではないので、その道の左側からはバス以外の車も入ってきていた。そこで、確か、当時まだ、20Rpが一円だった。4万Rp(約2千円)払った。

それから、ジャラン ファットマワティに左折しようとしたら、警察官が何人か待っていた。まずい、ここは、バスしか左折できない、と、気が付いた。左折しかけて、ハンドルを右に切って直進した。そなまま、100mくらい行ったところに、バイクに乗った警察官が私に車の前に出て、止まれの合図、曲がっていないだろ、と、言っても、だめだった、また、4万Rp払った。10分ほどの間に二回捕まったという、お粗末な話。

 

10数年間で、10回以上交通違反で捕まっているが、ここ、二年ほどは捕まっていない。最後は、タシクで一斉免許証とSTNKといって、車検証ではないが、それに近い納税証明書の様なものチェックで呼び止められ、その証明書の期限が切れていたとして、40万Rpふんだくられた。その車はレンタカーだから、請求はレンタル会社にしてほしいと言ったが、認められなかった。後にその金額はレンタカー会社から受けとった。

 

そんな、これで捕まるのという、ことは色々あったが、一旦捕まったら、言い訳はきkない、大体、50万Rpと吹っかけられる、ネガをしても30万Rpくらいにしかならない。

 

ただ一度、車でバリに行った時のこと、北海岸沿いの町を通過するつもりで直進をしていた。すると、突然、交番風の警官詰め所の前に立っていた警察官が、止まれの合図を出した。何事かと思っていたら、この道は進入禁止で、手まえの交差点で左折しなければならなかったらしい。一方通行の道を逆走していたのでした。

ところが、私の免許証を見て、“どこから来たのか、どこまで行くつもりか、一人で来たのか”などの質問をする。こりゃ、罰金の話は出ないなと、感じていたら、案の定、ここで、Uターンして、前の公差点まで戻りなさい、と言いながら、前から来ていた車を静止してくれて、Uターンをさせてくれた、気を付けて行きなさいよ、と、手を振っていた。こういうこともあった。観光客は大目に見るのかなと、思っていたところに、

昨日のテレビ、クタ海岸近くの交番での映像、ヘルメットをかぶっていないでバイクを運転していた観光客が20万Rp払わされた、その内容がお粗末、ビールを飲もうという話になって、その警官がその罰金の一部でビールを買いに行って戻ってきて、ビールを飲み始めた。やっぱり、バリの警察もジャカルタ付近も、中部ジャワでも警察官はみな同じ、とにかく、違反者は金ずるといしか思っていない。ま、こんなものでしょう、インドネシアの警察官は、というより、公務員全部が。

 

 大井川鉄道 沿線の思い出。音に関する博物館、SLの撮影をする人が沿線にむらがっている。特に桜の名所には、SLと満開の桜というタイトルの写真を撮りたいのです。

違反 交通 罰金

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(^_-)-☆興味深い

2013-04-06 22:30:24 | 仕事

 1541 二年ほど前に工場建設を始め、操業を始めて一年くらい経過した会社を訪問した。ここも、どちらかと言うと、新興工業団地の中で、スルヤチプタの西隣。ミトゥラ カラワンという。某大手車の組み立て工場が操業を開始して間もない。その関連会社が同時かちょっと遅れて移転や新たに進出してきている。ここも、スルヤチプタの面積に匹敵するのかそれ以上なのか、奥行きは、どこまで行くのという感じ、約束の時間より10分ほど早く工業団地に入ったので、行く先を確認した後、奥の方へ走ってみた。5分ほど真っ直ぐ伸びている広い道路を行ってみたが、果てに達することなく、引き返した。

 

訪問先は、入口から近いところにあって、ま新しい赤で会社の名前が書いてあったのでわかりやすかった。早速、自己紹介から始まって、仕事の話、相手をしていただいた方の名前が、ユニークで縁起のよう方に会ったという印象。

多くの部品や原材料は日本本社に依存している。できるものから、現地調達に切り替えるつもりでいるらしいが、始まったばかりで、ほとんど、そこまで、手が回らないとか。依頼いただいたのは、今まで16年間、インドネシアでは一度も頼まれなかった原料を使う製品でした。原料を扱い商社の連中でも、それなに?と思ってしまう原料でしょう。半年ほど前にローカルの原料商社(その会社はインドネシアの資本会社と合弁なので、その縁だと思う)に見積もりを依頼したところ。一般的な原料を使う製品の価格は日本価格の三分の二くらいで出てきたのに。これだけ、日本から輸入している値段の10倍の価格が提示されたとか。信じられない話である。分けが分からないので、いい加減な回答をしてきたのでしょうねと話しておいた。

 

ということで、図面とサンプルとターゲットプライスを受け取った。日本本社が購入している値段で、円で表示された。それと同じ価格なら、輸入コスト分が安くなるし、手間と在庫の心配をしなくていいので、OKだという。

 

そのターゲットプライスを見て、びっくりした。どんなことでびっくりしたかって?ターゲットプライスの意味をなさないからでした。高い!!図面に、消してあったが、他の似たような原料の再生70%と指定原料30%を混ぜた原料でもいいと、分けのわからないことを書いてあるし、寸法公差も最初±0.2だったのが、±0.3に直されている。この製品を作っている日本の会社、技術程度がよっぽど低いのでしょう、収率が悪いのでしょうね。

 

この近代的な工業団地への行き帰りにカリマラン川沿いの道を通る、どうですか、こういう生活がインドネシアの実態です。カマールマンディが並んでいる。

 特殊 大丈夫 輸入

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(^_-)-☆最終歯医者

2013-04-05 22:27:52 | 複雑

 1540 今季の雨季は、長引くそうだ。今日も、午前中は降っていなかったが昼過ぎから、ずっと、降り続いている。道路の、多分30%くらいは、30cmくらいの深さの浸水になっている。車やバイクが走行不能になっているものもある。強い雨と深い水たまりの為に、運転できなくなった人たちが、雨宿り(Berlindung dari hujan)をしている風景が目立つ。当然、大渋滞である。いつまで続くぬかるみぞ!!!

 

歯医者が最終回だった。暮れ正月に日本で歯垢を取り、こちらへ来て、4回歯医者へ通い、一つのい虫歯に詰め物をして終わりでした。歯茎がかなり後退していて、それも柔らかくなっているので、多くの葉が、インドネシアの医者曰く、”Hidoi Guragura”ですよ、と、首をかしげる、なぜ、こんなになるまで、放っておいたのかと、言いたげだった。“口の中を鏡で見ながら、歯茎だけを、強く擦りなさい、歯茎を強化する歯磨きペーストを使いなさい”と、今日も諭された。“或る日、全部の歯が落ちて仕舞って,総入れ歯にしなければならなくなりますよ”とも言われた。

 

抜けて仕舞った歯はあるが、部分的にでも、今のところは入れ歯を必要としていない。ゴルフの仲間で、しただけだと思うが、総入れ歯の人がいる。ラウンド中にその話になると、キャディーから外して見せてなどと頼まれ、リクエストに答えて外して見せ、結構、受けている。

 

後何年、私のこの歯を使うのでしょうか、10年くらいは、入れ歯なしで使えるように、しっかり歯茎を磨きたいと思う。

 

それにしても、日本の歯医者は一回の治療に10分ほどしか掛けない、他に治療を待っている人がいなくてもである。インドネシアでは、最低でも20分くらいかける、30分以上続けることもある、どんなに、後がつかえていてもである。どちらかおと言うと、日本の方に不満を感じる。毎日少しずつ、というのに何か根拠があるのでしょうか、知りたくて聞きたいが、聞く勇気がない。

 

雨宿り 浸水 渋滞

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(^_-)-☆果てはどこ?

2013-04-04 22:34:47 | 環境

 1539 スルヤチプタの工業団地に進出したばかりの射出成型の会社を訪問した。カラワンティムールインターから出て、直ぐの工業団地で、開設は1996年以前だと思う。1997年にはリマタカハ(当時)現在はリマテクノという会社を訪問したのが最初でした。日本では水槽のジェックスです。団地の事務所までは、団地へ入ってから1kmくらいで、訪問先までは事務所から1kmと離れていなかった。その辺りまで、会社が点在していて、そこから奥の方に行ったことがなかったし、道は続いていたが、それほど奥行きはないと思っていた。それが、今日の訪問先は、事務所からリマテクノの前を通り、どんどん、奥へ入ってゆく、1kmや2kmではない、すると、日本で有数のバネ屋さんとか射出成型屋さんの新築の大規模工場が現れ、そこ辺りを通り過ぎてなお1kmくらい奥へ行ったところに訪問先があった。新築の匂いがする真新しい建屋で、まだ、生産はしていない。その次ぐ向かい、これも、こんなに大きくて大丈夫?と思った会社が、多分、工場は完成していると思うが、人の気配がない、まだ、稼働していない。聞くところによると、受注予定が後退してしまって、一年先くらいに稼働になるらしいという。

本当に広い、それほどでもないと思っていた私の大間違い、今回も限界までは行ってみていないので、どこまで、行ったら、団地の端に達するの?

道は続いているが、両側は草原、まったく整地はしていない、建設するときに整地や杭打ちから始めるのでしょう。広大な空き地だが、見通しは良くない、数M高さの起伏があるからです。訪問先の人に聞くと、空いているところがこんな奥しかなかったという。ということは、ここまでの空き地は全部、契約済ということでしょう。スルヤチプタの西隣のミトラ工業団地も一杯だという。

それはそうでしょう。この先のチカンペック方面のいくつかの工業団とも、すでに一杯だという。カラワンバラット付近の団地もソールアウトだし、デルタマスは以前に書いたが、丘陵地帯を平らに均してあって、地平線の先まで茶色の大地が続いている、道はいちぶしかできていない。それでも、売れてしまっているとか、リッポチカランとデルタマスの連絡道路に沿って、デルタシリコン3,4,5などの工業団地が広がっている。これらも、見渡す限りという表現がぴったりする。

 

 一部の産業ではバブルがはじけ始めていて、新しく進出したり、増設したりした工場が操業を無期限に伸ばしている会社もあるくらいで、これから数年後にはバブルがはじけないまでも、生産量が横ばいになる産業がほとんどになると思う。特に車の伸びが止まるはずである。

 

 それでも、日本企業の進出は止まらない、新興住宅地にも豪邸が並び、1500US$の家賃でも直ぐ契約されてしまうとか、最長二年しか、契約できないそうだ。二年後の契約では、家賃の相場が上がっているとみているからだ。

 こういう状況を見ていると、日本の企業の末期症状と感じる。インドネシアの市場が“藁”に見えていると感じる。

 

 ジャラン ティクス(ネズミの道、近道)への入り口付近の左右から、トカン オジュック(バイクタクシーの運転手)の詰め所になっている。バス、ミニバスはジャラン ティクスへは入って行かないので、それらから降りた人達がここからはオジェックを使うからです。

 藁 溺れる者 無茶

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(^_-)-☆ボール直撃

2013-04-03 23:07:22 | ゴルフ

 1538 客先の候補になる会社の紹介をしてくれるインドネシア人の弟子たちがいる。今、努めている会社の仕事としては、量的に引き受けそうもない仕事がほとんどである。私としても、価格的に相当、貰わないと出来そうもないので、紹介してもらった会社にアポを取るかどうするか、せっかく紹介してくれたのに出来ないよと言ってしまっては、悪いような気がするので迷う。それにしても、会社訪問をして、いくつかの仕事を引き請けうようにしたいと思う。

 

 話は、転じる。私が最近使っているキャディー、私が日本へ行った次の日に右太ももに、同じグループの他の人がミスショットしたボールが直撃したそうです。その人の左、ほとんど真横、10mくらい離れたところだったそうだ。約二週間過ぎているが仕事ができないという。そうですか、他のキュディーを使えるから、それもいいかなと思うが、そういうことではなくて。

 

同じ組の人が打つときには、ほとんどの人が、“打ちます”とか“行きます”と言ってから打つでしょう。目に入るところで、ボールがとどきそうな場所に人がいれば、アワスとかハティハティというのが習慣です。とにかく、打ったボールは、どこに飛んでくるかわかりません。90%以上は10度以内に真っ直ぐ飛ばす私でも、希に、45度くらい右や左に行ってしまうこともあります。

 

 大変危険です。過去に一緒に回った人で、隣のコースからのティーショットと思われるボールが右鎖骨に直撃し、骨折はしなかったが、打撲傷を負って、数年過ぎた今でも、思い出したように、ここが痛むよ、と言っている。

 

 キャディーにボールが当って、出勤できなくなっているという話はよく聞く、どんなに上手な人の場合でも、他人が打つボールからは目を離さないようにしましょう。隣のコースから、“アワ~~~ス“と聞こえたら、直ぐに、頭を抱えて、座り込みましょう。

 

 ジャバベカ1工業団地の西側の入り口、舗装してないし、車が行き違いできない狭い道幅、何の看板も目印もない。大型のトラックは通れないので、通勤、退勤時間以外は空いている。

 

 意味がない標識、この橋を渡るなという意味でしょうか、そうでもないような気がする。向こうからも、こちらからも渡る車やバイクは多い。一方通行ではないようだし。川へ落ちるなという意味でしょうか。

 直撃 大怪我 危険

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(^_-)-☆再スタート

2013-04-02 22:41:33 | インドネシア

 1537 洪水が起きるほどではないが、雨季はまだ終わっていないようだ。2週間ほどいなかったが、その間に道の凸凹はより酷くなっていた。また、私がまだ、いる時に交通を遮断して修理をしていた道二か所の修理が終わって通れるようになっていた。面白いことに修理をしたはずのその道に、また、すでに深い大きな穴ぼこがいくつも復活していた。二か所ともにである。あの修理は何だったのでしょうか。思わず、笑ってしまう。

 

昨日の空の旅は、いつになく、良く揺れた。赤道を通過する頃には、必ず、大揺れはあるが、それ以外のも、かなり良く揺れた。空港に近付いてからも。着陸。20分くらい前から、大きな上下を繰り返しながら下降していた。おかげで、酔ったことがない、私が、ちょっと、吐き気がするほどだった。そんなこともあって、今日一日、本調子ではなかった。

ただし、一昨日、大井川の流域で散々、杉花粉を鼻に入れたにもかかわらず、花粉症の症状は、嘘のように引っ込んだ。ここにはスギ花粉がないという、気持ちから治ってしまうのでしょうか。

 

 早速、私が留守中に頼んでおいた試作の結果を確認した。出来ていなかった。難しそうである。金型にぺたぺたくっ付いてしまって、抱きつき、一定の速度で引っ張ることができない。水ではなくて、何かほかの冷媒を使わなければ出来ないかもしれない。ちょっと考えよう。厄介なことになってきた。C.Dieの登場かもしれない。抱きつかせるだけでやることも考える。相手は一筋縄ではいかないようで、やりがいがある。

 

 30日ほど前に私が使わなくなる日から修理にかかれるように予約をしておいた私の愛用車の修理が終わっていた。車体のあちこちに小さな傷が付いていた。すべてが、いつ、付いたかわからない傷だが、走行中にどこからか飛んできた何かが当った音はする、しかし、いちいちチェックはしない。

 

30日の懐かしの風景、

 復帰 遣り甲斐 興味

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(^_-)-☆また、戻った

2013-04-01 22:19:28 | 行きすぎ

 1536 またまた、インドネシア、今朝、6:20に家を出発、今回は、娘がいたので、タクシーを使わずに済んだ。見送りも家の前ではなく、静岡駅でした。

充電の電源を捜すのが一苦労、電源はHPやPCのバッテリーチャージ用ではなく、空港の床の掃除道具の電源用にところどころに有っただけでした。この点で、成田は今まで遅れていたが、少しずつ増えてきた。成田第一に電源差し込みの数が増えていた。

 

今回の荷物も28.5Kg 実際は30kg以上あるはずだ。HEAVYの赤い荷札が付けられた。自分のための物は少ない。一番重いのはイイチコ1.8L5本これだけで9kg以上、日本茶徳用袋1Kgが2袋、米麹1Kg2パック、美白だか艶出しか知らないが、頼まれた化粧クリームが5個で0.5Kg以上、イカの塩辛0、5Kg、合計15Kg以上、これらは全部、インドネシアにいる日本人に頼まれたものです。仕事に関する工具とか、小さな装置、金型は自分のためだが、会社のための比重が大きい。純然たる自分の物は、黒はんぺん6枚1パックを10パック、ワサビの葉と茎の佃煮、150g×2パック、多分この半分は他人に分けるので、自分のためは、5パックと1パックになる、それと、お餅も焼けるトースター1台。

 

それで、今回も、重いからといって、追加料金という話は出なかったし、ジャカルタの税関でもチョークのチェックマークを付けられなかった。こう、何回もチョバして、いずれも、お咎めないということなので、私が保証するわけではないが、紙パックのお酒なら6本までOKになっているし、バゲジの重量もエコノミーは20Kgの制限になっているが、30Kg程度までは何ともない。私は他の航空会社でテストしたことがないので、もしかしたら、いずれも、ガルーダだからの特典かもしれない。ちなみに1年前くらいから、シルバーになっている。

 

スカルノハッタについて、タクシーをどうするかだが、今回は、何も考えず、なにもしないで外に出た、出たところに、何人も、タクシーか?と尋ねてくる人種がいることを知っている。あれは、場所取りの順番があるのでしょうか、首から何やら許可証を下げている、一番先に声をかけてきた青年に、行き先を言って、費用を尋ねた。35万Rpで高速料金込みだという。価格が良心的だったので、それに決めた、運転手も彼も、トップの要求はしなかった。あれ程度なれた人でなければ、勧めないが、インドネシア人にとっては一般的なタクシーの使い方だと思う。

ちなみに、リッポチカランから空港まで、ブルーバードのメーターでは約25万Rp、高速料金は1.6万Rpプラスです。

長旅 疲れ 重たい

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